翼は自由の象徴である──そのような話をどこかで耳にしたことがある。
理由は分かる。空を舞う鳥、どこまでも制限なく飛び立っていくその姿からの連想。ダイチに縛られた人間では届かない遥か高くを縦横無尽に駆け回る。それらに憧憬を抱き夢見て願いを馳せ、自分もそうなりたいと求めることは、ある種の回帰に繋がるのだろう。
しかし一方で、それ故に翼に対して真逆の印象を受けるケースも存在する。親鳥が翼で雛を守るため包み込むその様子から、翼を、もしくは鳥籠を所謂“束縛”のメタファーとして扱うこともある。鉱山のカナリア、金の卵を産むガチョウ──なまじ天空を舞うイメージが強い鳥にとって、それが自由に使えない、という光景は、殊更に強い閉塞感を生み出すのだろう。
この都市の住民はどうだろう。御伽話の天空都市。よもやこんな壮大な計画が裏で進められていたなんて、ロゼッタデータの原型で一喜一憂していた頃からは想像もしてなかった。恐怖の象徴であったホロウを足蹴にして、その恩恵のみを享受し優雅に暮らすというのは、まさしく彼女たちらしい崇高な
まあ、そのような結論に至るのも理解できる。私だって“旅人”という実例がいなければ、まさか本当にホロウを駆逐できるなどと考えもしてなかった。ホロウは災害で適応すべきものであり、真っ向から立ち向かうものじゃない。
私の何百倍も賢い彼女らはいち早くその結論に辿り着き、やがて『業核』を用いてホロウを支配せしめんと目論んだ。その選択が正しかったのかどうかは、既に道を外れた私に問う資格はない。彼女が語った人類という“種”のしぶとさ。あるいは彼女がこの星に来る奇跡が起きなければ、それが人類が生き延びる唯一の手段になっていたかもしれない──
「──来たね」
「ああ」
都市の外縁。遠くに見えるソロブホロウを眺めていると、不意に現れた客人に対して、私は振り返らずにそう告げる。
対する返答もまた素っ気ないもの。謝罪が欲しかったわけではないが、相も変わらず生きるのに苦労してそうな声だ。どうせなら無様な私を嘲笑ってくれればいいのに、どうして彼女が一番苦しそうにしてるのか。貴女がそんなんじゃ恨もうにも恨みきれないじゃないか。
「最初に聞いておくね。私やベリに対する検証は上手く行った?」
「当時は確かに意味は有った。しかし、現状を鑑みれば、成功だとはとても言えない」
「……もっと悔しそうに言いなよ」
「検証に膨大な時間を掛け、設備に多額の資金を用い、あらゆる不測の事態に備え、数多の人員を投与し行った万全の実験が、ふとしたイレギュラーによって全て台無しになる。
よく有ることだ。嘆きこそすれ、それに憤ることはない」
皮肉のつもりで紡いだ言葉も、硬い口調で一蹴される。当時そのままの何の面白味もないやり取り。何もかもが変わった現代で、唯一過去のことを想い馳せる場所。
彼女はどうだろうか。共に眺める星空は、過去の情景とは一致しない。しかし、彼女も長い年月を経て心境の変化でも有ったのか、珍しく自分から話題を振ってくる。
「かつては私も、遥かな空に思いを馳せていた。あるいは私は、翼で空を翔けるキミを、内心で羨んでいたのかもしれない」
「………。………その結果がこの天空都市?」
「違う。だが、私の願望が反映された可能性は否めない。仮にこの地が地上にあったとして、それで何か問題が生じるわけでもない。結局私は、過去を捨て切れない愚か者だというだけの話だ」
「…………」
初めて聞く彼女の弱音。星見の子に影響されてか、いつも馬鹿正直に“ポーカーフェイスの修行”なんて巫山戯たことを大真面目にやっていたのに、それをここぞで出してくるのは本当に卑怯だと思う。
「──行くのか」
結局、目的を見失いその場を去ろうとした私を、これまた珍しく彼女がそう問いかけてくる。それに対して私は、せめてもの意趣返しにと、
「じゃあ、行ってくるね。先輩」
きっと
そんな稚拙な願いを込めた私の言葉を、聡明な彼女は
「ああ、また会おう──レミエール」
全てが違う、何かが狂った果ての邂逅。しかし、最後の言葉は確かに過去のままで──やがて全てが解決した時、願わくばそうなればいいなと、私は彼女の顔を見る事もなく、未来に向けて歩き出すのだった。
☆☆☆
ソロブホロウの最大の特徴は、やはりそこかしこに大型のエーテリアスが跋扈しているところにあると言う。
そもそもホロウと関わりが薄い人には馴染みがないかもしれないが、エーテリアスにはその強さに応じてホロウ調査協会により元素記号に準えて10段階のランク付けがされており、等級が一つ上がる度におよそ10倍の戦力を要すると噂されている。
在野のホロウレイダーひとりでもどうにか制圧が叶うハティ。10人いてようやく互角なミミック蟹。100人規模で辛うじて戦いになるトラキアン──
勿論、不意打ちや騙し討ちを好むアフリマンや、体格の割に動きが遅く注意散漫なファールバウティなど、存在の規模が単純な等級に留まらないエーテリアスも無数にいる。それでも調査協会が定めるMn(マンガン)級を超えるエーテリアスはそれぞれ段違いの強さを誇り、精鋭を集めた一個大隊がたった一匹のエーテリアスに敗走した記録も残されているほど。
直近の記録だと、かの“始まりの主”と呼ばれていた謎の存在が観測史上最大のNI(ニッケル)級の存在規模の持ち主だったとか。他に有名なのを挙げれば零号ホロウに巣喰うニネヴェだろうか。あれも雅さんを始めこれまで無数の精鋭が挑み撤退を余儀なくされた超級エーテリアスの筆頭。しかし零号ホロウにおいてはそのニネヴェすら一般徘徊エーテリアスというのが恐ろしい。
『バシュム』と命名されたウツボ型の巨大エーテリアスも、かのニネヴェと同等規模の存在だと噂されている。単純な体格だけで街を滅ぼせそうな大きさ。それでいて鈍重というわけでもなくむしろ機敏に動き回る。
「ビリー!」
「応とも!」
先日よりも豪奢になった白色のファーが風に靡く。音も無く弾かれる引き鉄。磁力によって鉄球を叩き込むコイルガンの一種で、あたしでも反動を殆ど感じない優れたリコイルを有する武器だが、本人は撃った感触がしないとやや不満げにしていた。それでも的確に標的へと命中させる腕は、流石にそういった用途で生み出された知能機械人なだけはある。
巨獣の眉間、もしくは額に見えるコアを狙った正確な一撃は、しかし直前に透明な壁でもあるかのように弾かれる。蛇にも見える見た目からコアの表面が透明なスペクタルによって保護されているのだろうか。生半可な一撃では届きそうにない。
旅人が空を蹴り、雷を纏いてコアに更なる追撃を果たそうとした時、バシュムと旅人の中心に空間の亀裂が走る。“シンギュラ・リーク”と呼称されるソロブ特有の空間異常現象。このエーテリアスの最も厄介なところは、ワープホールとしか表現のしようが無い現象を任意に引き起こし、ホロウの枠を超え外まで餌を求め活動範囲を拡大させることにある。
「させぬ……!」
青衣さんの補助を得て、更にその間へと弾丸のように割り込む鉄塊の如き修羅。そんな彼、盤岳さんの手には今回の作戦にあたり特別に融通してもらった兵器──以前にメイフラワー市長がちらっと話題に出していた“周辺のエーテルを弾き飛ばす爆弾”こと『輝磁の匣』が握られていて、作動に結構な力を要する安全装置をいとも容易く引き剥がすと、自身諸共その匣を起爆させる。
閃光。衝撃。中心にいた盤岳さんが遠くにいたあたしの側まで弾き飛ばされるも、硬い彼の身体にダメージを負った様子はない。それどころか余波を受けただけのバシュムが露骨に身体をくねらせて拒絶を示し、この戦いで初めて巨獣に隙が生じる。
「旅人殿! 上方16メートル2時の方角である!」
通信機を隔てずしてそんな声があたしの耳に届く。目の前で閃光を浴びた旅人には不可能でも、知能構造体である青衣治安官であれば、あの閃光の中でものたうち回るコアの行方を追うことが出来る。事前に装着していた通信機越しにその指示を確認した旅人は、目を瞑ったまま空中で方向転換し、大きく跳躍。バシュムのコアの真上に陣取り──
「さて、出番だよ──!」
彼女が虚空から取り出した一振り。過去にプルセナスホロウ攻略において雲嶽山より借り受けた“虚狩る戎具”。持ち主に多大な代償を背負わせるというやばい武器を旅人は逆手に構えると、そのまま落下の衝撃に任せてバシュムのコアへとその剣を深々と突き入れて──
『───!!!』
咆哮。轟音。『輝磁の匣』が齎した爆発が可愛く感じられるほどの重圧。
ともすれば足場が崩れかねない衝撃。事実、付近の塔にある点検用の梯子は風圧により吹き飛ばされ、あたしの立つとりわけ頑丈に作られているはずの『式輿の塔』にさえ亀裂が走る。
すわ永遠に続くかと思われた苦悶の渦は、しかし唐突に終わりの時を迎える。土煙や瓦礫に混ざって視界に走るノイズ。今にして思えば、消滅時にノイズが走るこの現象も、エーテリアスが本体ではないことの示唆だったのだろうか。というか刺しただけでこの反応ってこの剣やっぱり存在してはいけない武器なのでは。じゃなくて、
いずれにせよ、今のあたしは、少し前のように、その旨を喜び勇んでメモ帳に書き殴るような気力もない。これが大人になるということなのか。そうでなくても、既にあたしはこの旅路における背景にしかなっていなくて。そう思うと、とてもその戦いを書き記す気分になれそうもなかった。
……………
…………
……
「まさかあのバシュムを仕留めるなんてね。噂の“旅人”の実力、少しだけ見誤っていたかもしれないわ」
長期間の戦いを経て、ブーアストラムに帰還したあたしたちを迎えたのは、3人のサンブリンガーがひとり、天空都市ロスカリファの治安維持を担う空域巡警局の局長、リンドヴェルヌ・サンブリンガーさん。ドラキナさんをあたしと同じくらいの年齢にした容姿に、あたしのそれを更に岩石で塗り固めたようなゴッツいツノが特徴の女性。
空巡局、つまりは治安官の局長を務めるだけあって非常に強く、実のところ最初期はバシュム討伐戦(仮)に参加して自慢の膂力でバシュムを退ける活躍を見せたりしたのだが、作戦行動が3日を超えると業務上の都合からあえなく離脱。以降はやきもきしながら多忙なドラキナさんに変わり彼女の本来の業務をこなしていた経歴を持つ。しかし、3日も粘っていただけあってバシュム討伐には意欲的であり、あたしたちがあの巨獣を仕留めた旨を報告すると、どうして自分はその場にいなかったのかと嘆いていた。
「して、土地の様相は如何か」
ずっと気掛かりだったのだろう。本職が治安官である青衣さんがリンドヴェルヌさんに問いかける。
そもそもの事例が限られるのであまり知られていないことではあるけど、大型のエーテリアスを仕留めた場合、生息していたホロウに影響が出る可能性がある。ソロブの場合はバシュムの他に多数の大型エーテリアスを確認していることから消滅までは行かないだろうと見込み実際にその通りだったわけなのだが、それでもこの立地では地上と異なり僅かな揺らぎが致命となる可能性はある。
そんな意図を込めた言葉は、しかし土地を統べるサンブリンガーのひとりであるリンドヴェルヌさんは笑顔で、
「そのことだけど、最近になってようやく進展が見えてきたの。ちょうど今ウチの技術者が来ているから、詳細は彼女に聞くとしましょうか──ノルムー!」
リンドヴェルヌさんが声を掛けると、付近で複数のボンプと何やら話し合いをしていた金髪の少女が、幽鬼もかくやの気怠げな動きでこちらを振り向き、そしてあたしたちを見るや否や、ため息を溢してゆっくりと歩み寄ってくる。
「貴様たち、まさかガチのマジで
いきなりの罵倒。それ以上に耳に残る特徴的な口調。ドラキナさんとリンドヴェルヌさんの中間くらいの年齢をした、常にダウナーな印象を受ける天才少女。それが彼女──ノルムー・ホローウェルに対してあたしたちが抱いている印象である。
あのヴェリナさんと同じ外務計策局の首席技術者を務める彼女は、しかし見た目の印象とは異なりその立場に相応しい技術力を有しており、またその攻撃的な口調も照れ隠しのようなもので、実態は天才故の苦悩を抱えた献身的な少女であるのをあたしたちは知っている。
「──ってことで、とりあえず落下の心配はねーはずなのだ……しっかしドラキナ様も唐突に意味⭐︎不明な超性能の謎物質引っ張り出してくるの勘弁してくれなのだ……これひとつあるだけでどんだけ色々な問題が解決したと思ってるのだ……?? 綿密に計算してた重量関係の議題が全部パーなのだ……」
虚ろな目でぶつぶつと呟く少女。主にあたしたちのせいでこの都市に住む技術職の人間は大なり小なり似たような目をしていたので、その上澄みたる首席技術者の彼女には多大な重圧が掛かっているのだろう。まだあたしたちが都市に来てから一か月しか経っていないというのに既に墜落対策を施していたようだし。凄い。
リンドヴェルヌさんもそれが分かってるからか、彼女の辛辣な言葉遣いにも苦言を呈したりせず、むしろ優しい口調で彼女を労う。先程まで会話していたボンプに支えられてふらふらと去っていく彼女を見届けたリンドヴェルヌさんは、そこで改めてあたしたちに振り返ると、
「そんなわけで、随分と待たせちゃったけど、我が都市の優秀な技術者たちの手により、無事に土地の問題は解決したわ。
事前に定めた日程はまだまだ先の話だけれど、ホロウなんて早く消しとくに越した事はないし、もう私たちに遠慮なんてする必要はないわよ」
「お疲れ様でした……」
いやもう本当に。仮に原因が怠慢だったにしてもその後の働きを見てたあたしからは何も言えない。
突如として訪れた都市陥落(物理)の危機。ボンプによる騒動の収束。技術職による緊急避難。そのための見てて痛々しいデスマーチ──原因があたしたちにあると分かっているからこそ、ただただ申し訳ない気持ちでいっぱいになる。なんかあたしのせいで本当にごめんなさい。
そんなこんなで、新たに頼れる仲間を引き連れた我々は、遂に最後の6大ホロウ攻略に向けた旅路を再開することになる。目指すは巨獣の檻、ソロブホロウ。あのニネヴェに匹敵する怪物が、ただの前哨戦に過ぎない魔境。
それでも、それを乗り越えなければ、月の果てなど夢のまた夢だ。あたしは震える身体をどうにか鼓舞して、ひとつひとつと歩み続けるのだった。