日本に4人しかいない特級呪術師の一人で、自他共に認める現代最強の呪術師・五条悟は埼玉県のある地域に出向いていた。
自らが属する呪術高専東京校の「窓」――呪術師ではないが呪いを視認できる高専関係者――の報告によると、ここ数年の間で埼玉県で発生する呪霊の数が異常なまでに激減しているとの事で、未登録の呪術師の仕業である可能性が大いにあるのだという。
呪術師は持って生まれた素養がモノを言う。全国で発生する膨大な数の呪霊に対して常に深刻な人手不足を抱えてる上、あの両面宿儺が復活した現在、未登録の呪術師を迎え入れられれば呪術界にとって大きな戦力となる。さらに運が良ければ高専にスカウトできるかもしれない。利権や権益で真っ黒の「腐ったミカンのバーゲンセール」こと呪術界上層部に手を出される前に、五条は自ら動いたのである。
「確かこの辺に……」
辺りを捜索していると、すぐ近くに巨大な呪霊が現れた。
現代最強の五条を倒すどころか傷つける事すらできないが、この呪霊が現在捜索中の未登録の呪術師を襲う可能性もある。それで万が一の事が起こってしまうのは望んでない。
こんな雑魚、すぐ祓って捜索を続けよう――そう思った、次の瞬間!
ズドォン!!
突如、呪霊の真横から凄まじい出力の呪力が放射。
呪霊の股関節から上を完全に吹き飛ばし、そのまま消滅させてしまった。
「……ちょ、マジ?」
五条は瞠目した。
呪霊が発生した場合、通常は呪霊と同等級の呪術師が任務に当たる。先程姿を見せた呪霊は準一級相当――呪術を扱う事ができる高レベルの呪霊で、単騎で戦うとすれば伏黒でも苦戦確定のレベルなのだが……それが秒殺されたのだ。しかも呪力出力が尋常ではなく、未登録の呪術師としては規格外。それもピンポイントで当てており、周囲への被害はゼロときた。
もしかすると、今回接触を図ろうとする相手は思っている以上にヤバい奴かもしれない。
「うっし、これで終わりか」
その声と共に、競技用なぎなたを手にした少年が現れた。
身長からして、中学2年生ぐらい。赤い瞳に黒髪のジャージ姿で、はっきり言って地味。
だが纏う呪力は強力で、推定だが特級相当。総量も予想以上で、到底在野の人間とは思えない。呪術界御三家のどこかの秘蔵っ子だとしても納得できないが、一般市民にこんな怪物が紛れ込んでいたなど寝耳に水だ。
「……おいおい、目隠しの兄さん。何しに来たんだ? ウケ狙いならやめときな」
競技用なぎなたで肩をトントンと軽く叩きながら、少年は忠告する。
どうやら自分の事を知らないようで、肝試しか何かで来てると勘違いしているらしい。
「今すぐ逃げないと、夢に出そうな怖いのが出てくるぞ」
〈おべおべおべおべんどぅ~〉
「たとえばあんなのが、な!」
ドォン!
少年は振り向きざまに競技用なぎなたを両手持ちで振るい、竹を2枚合わせた刃部に呪力を纏わせて一閃。
横薙ぎに繰り出されると、刃部に纏った呪力が衝撃波として放たれ、背後から現れた呪霊――五条の推測だと2級――を消し飛ばしてしまった。
それを目の当たりにし、自然と五条の口角が上がる。
「――だからとっとと帰んな」
「…ねえ、君」
「ん?」
「ちょ~っとお話してもいい?」
五条は古熊建と名乗る少年から話を聞いた。
どうやらこの地域どころか、埼玉一帯の呪霊をたった一人で祓っていた。しかも小学生の頃から続けているらしく、今まで一度もこれといった重傷も負っていないという。
準一級呪霊を無傷で倒し、その直後に現れたおそらく2級呪霊を秒殺する呪力出力。そして呪具でも何でもない競技用なぎなたで片っ端から呪霊を殲滅してきた、高い身体能力と戦闘技術。こんな逸材、そう滅多にいるものではない。
中学2年生という問題など、どうにでもする。それ程までに、五条は古熊建という少年を引き込みたかった。
「ねえ、建。呪術師に興味ない? 呪術師って万年人手不足の業界でさ〜、君みたいな優秀な人材は喉から手が出る程欲しいのが本音なの」
「……呪術師、か」
古熊建、もとい建振熊は渋い顔をする。
それが話の内容の胡散臭さではなく、呪術師という存在に対してのものだと気づき、五条は質問を重ねる。
「もしかして、呪術師に何か良くないイメージでもある?」
「………昔、色々あってさ。あまり思い出したくない」
平安の世で呪術師達に嵌められて都で暴走した末に
「……そっか。でもここまでの強さだとわかると、呪詛師とかにも狙われるよ?」
「大差ないだろ。呪詛も呪術も」
「――君の家族が巻き込まれても?」
「……母さん持ち出すのはズルだろ」
五条は家族の話題に切り替えると、建振熊の眼差しが鋭くなった。
彼の家庭は、数年前に父を病気で失い、母と二人暮らし。奇しくも
それだけに、五条の言葉が建振熊の心を掻き立てる。
「んでさ、どーする? 呪術師になる?」
「拒否権無しか、この流れ」
「まぁね。でも呪術師になった方がいいのはホント。中2の年頃でその実力と呪力出力は超魅力的だからね、もう「窓」に報告上がってる時点で知られてしまったも同然だし」
「……あんたが母さんに話をして。それで決める」
少なくとも、完全な拒否ではない。
そう判断した五条はニカッと笑い、すぐに古熊家訪問を敢行した。
*
「それで息子が好きに生きて笑えるのなら……お願いします」
建の母へ事情を説明すると、意外にも五条のスカウトは肯定的であった。
聞くと、建が産まれた後からしばらくして黒い靄のようなものがボンヤリと見えるようになり、その事を父に話しているところを聞かれて以来人が変わったかのようにピリついたとの事。その後、小遣いとお年玉で競技用なぎなたを買って休みの日はトレーニングと散歩をしているという。
本来なら友達と一緒に遊んだり好きな趣味にのめり込んでいいのに、黒い霞が見えるようになったせいでそれらに意識を向けるようになった。自分達両親が息子の人生を狂わせたと、罪悪感でいっぱいだった。
「夫が死んでから、よりピリつくようになって……それが息子の善意や愛情から来ているのはわかってるんです。でも、建には自分の為に生きてほしい」
建の母は、涙ながらに頭を下げた。
「すみません、五条さん……息子の事、本当によろしくお願いします」
「ええ、任せて下さい」
「母さん、話終わった?」
2階にいた建振熊が下りてきて、リビングへ入ってくる。
母親の顔を見て何となく察したらしく、静かに席に着いた。
「あ、そうだ。OKサイン出ても条件ある」
「こら! これから先生になる人にそういう口利かないの!」
「ハハッ、気にしていませんよ。……で、建君、その条件は?」
「母さんをそっちで守れるなら行くし、できないなら却下」
どこまでも自分を産んでくれた親を大事にする少年に、五条は「親孝行な息子さんですね」と彼の母に笑いかけた。
「君の大事なお母さんは呪術高専東京校で保護するよ。学長にも取り計らう。それなら文句ないでしょ?」
「……わかった。でもな、変な事あったら容赦しねぇから覚悟しとけ」
「そこも気にしなくていいよ。僕が責任を持つから」
「……んじゃ、よろしく頼むわ先生」
建振熊が呪術高専のスカウトを承諾し、五条は学長に合わせるのが楽しみだとウキウキしたが、この時はまだ知らなかった。
まさか口伝でのみ語り継がれる、宿儺とは別ベクトルで恐れられた伝説の建振熊が目の前の少年だという事を。
あまりの強さにあらゆる権謀術数を力押しで粉砕し、呪詛師界隈はおろか呪術界上層部も頭を抱え、高専の人間達を盛大に振り回してしまう事を。
*
翌週。
諸々の手続きを終え、建振熊はキャリーケース一つと薙刀袋に入れた競技用なぎなたを携え出発。母は買い物があるというので、別便で呪術高専に向かう事になった。
「君の為に制服を用意しておくけど、何か注文ある?」
「私服の方が気が楽だから、制服は結構なんだが……ジャージがあればジャージがいい」
「君って結構変わってるね」
「常時目隠ししている人間こそ変わり者だと思うけどな」
そんな会話をしながら高専の門を潜り、まるで寺社仏閣のような広い敷地を先に立って歩く五条を追うように付いて行く。
すると五条は、建振熊にこれから面談を受ける事を告げ、下手を打つと入学を拒否される可能性があると軽い口調で説明。先日の新入生は勢いよく虚を突いたような顔を向けてきたので、彼はどんな反応をするのか面白がったのだが――
「あんたが一番偉いんじゃないのか?」
「ん?」
「………てっきり今も実力主義だと思ってた」
小声でボソリと呟いた事に五条は首を傾げが、気を取り直して面談を行う部屋に向かう。
扉を開けて中に入ると道場のような空間があり、視線の先には刈上げ頭でアゴヒゲを蓄え、サングラスを掛けた強面がカワイイ人形を作っていた。
「珍しく遅刻しなかったな、悟。その子が件のか」
「そりゃ僕もいつも遅刻してる訳じゃないんですから」
「ハァ……そうやって癖を直してほしいもんだ」
溜め息をつきながら、呪術高等専門学校の学長・
一応は面談なので、建振熊も礼儀正しく今の名前である古熊建と名乗り、小さくお辞儀する。
「古熊建…お前は何をしに来た」
「何しに来た? 何しに来たっつっても……都を守る為! …でも時代変わったしなぁ……宿儺をぶっ飛ばす! …それも違うなぁ、もうあいつどこで何やってるか知らねぇし…」
数秒の沈黙の後――
「……俺何しに来たんだっけ?」
「それを君が答えなくてどうすんの!」
全く答えを用意していない建振熊に、流石の五条もツッコミに回った。
しかしいくつか聞き捨てならない言葉が彼の口から出ていた。
(都を守る? 宿儺? まるで平安の世を生きたような言い回しだ)
本当ならこの場ですぐにでも問い質さねばならないが、あくまでもこの面談は入学の合否が目的なので、そのまま術式である〝傀儡操術〟で人形を繰り出す。
人形の正体は「
前回は相応の身体能力を持つ新入生…宿儺の器である虎杖悠仁でも動きを止めるのに手古摺ったのだが――
ドゴォン!
「……!!」
競技用なぎなたを振り下ろし、呪骸を床に減り込ませた。
首から下が完全に床に埋まっており、呪力を込めてもピクリとも動かない。
静かに息を呑む夜蛾に対し、自然と五条の口角が上がる。
「悪いが、これといった理由も理想もねぇ。でも
かつての最期を思い出しながら、真剣な眼差しで宣言する建振熊。
彼の一言が琴線に触れたかは不明だが、夜蛾はサングラスを外して目元をきつく抑えた。軽薄な五条も不器用に笑っている。
「……合格だ。ようこそ、呪術高専へ」
「言っとくけど俺まだ中坊だかんな」
面談の後、建振熊は五条と共に高専内にある武器庫に足を運んでいた。
上から下まで数々の武器――その全てが呪具――がビッシリ置かれているが、彼が得物にしているのは薙刀。都を守る衛士として愛用していた武器が、最も欲しいのだ。
「先生、薙刀はどこにある」
「薙刀ね……これならどう?」
五条は立てかけてあった薙刀を取ると、建振熊に渡す。
重さ4キロ・長さ225センチの巴形――身幅が広く、切先の反りが強い形状をした薙刀――だが、それを軽々と片手で持ち上げる。競技用なぎなたと違った重量感が、平安の頃を思い出させる。
目隠しの下で目を見開いている五条に、建振熊は獰猛に笑った。
「先生、ありがとよ。やっぱこれじゃねぇと締まらねぇ」
「……建、君ってホント何者なの? 面談の時の言葉さ、僕スッゴク引っかかってんだけど」
「…………さぁ、何の事だか」
五条の指摘に、建振熊は真顔になってから白を切った。
しかし、彼が呪術師という存在に何かしらの悪感情があり、心からは信用していないのは確信できた。
(君の14年間に、何があったんだろうね)
その読みが完全に的外れであるなど、五条は知る由も無かった。
同時刻――
「…ケヒッ」
真っ暗闇に聳える巨大な生き物の肋骨と積み上げられた骨の山の頂で、〝呪いの王〟は目を細め悪い笑みを浮かべていた。
「
――ああ、愉しみで仕方ない。
史上最強の術師・両面宿儺は、生得領域の中でゲラゲラと笑うのだった。
本作では建振熊は14歳ですが、五条悟のスカウトなので義務教育とかの諸々は呪術高専がどうにかしました。(笑)
建振熊の伝承については、この世界の日本ではごく一部の地域でのみ語り継がれている設定です。彼の暴走から宿儺による介錯まで、全て呪術師のせいなので記録から完全に抹消されてます。その痕跡も徹底的に消されていますが、五条先生は出張先がその地域だったので知ってはいます。
この時点の建振熊は五条先生を完全には信用してません。あの事件の主犯格の一族の一つなので。
次回、宿儺との再会を予定。