彼女達の未来のために 作:おっさんとチルドレン
放課後の教室では、帰りの支度を終えた子どもたちが次々と廊下へ飛び出しており、薫も机の中を確かめながらランドセルへ教科書を詰めていた。
入学したばかりの頃は、時間割を見ながら何を持ち帰ればいいのか確認していたのに、今では周囲の声を聞きながらでも必要な物を選べる程度には、小学生としての生活が身体へ馴染んでいる。
今日はいつもの訓練日なので寄り道はできず、帰りの会が終わる前から校門近くで秋江が待っていることも分かっていた。
「薫ちゃん、今日も訓練?」
隣で自分の筆箱をランドセルへ押し込んでいた千里が尋ねてきたため、薫は最後のノートを入れながら頷いた。
「そう。だから今日は遊べねーぞ」
「別に誘ってないけど」
「昨日誘ってきたじゃん」
「今日は東野くんが勝負するって言ってたから」
その名前を聞いて前を向くと、少し離れた席で東野がこちらを見ており、目が合った瞬間に親指を下へ向けるという、何の意味もない挑発をしてきた。
薫も反射的に同じ仕草を返したところで千里が笑い始め、自分がまた六歳児と同じ水準で張り合っていることへ気づいたものの、今さら止める気にもならなかった。
「明日は逃げんなよ!」
「用事あるっつってんだろ! 明日ならやってやるよ!」
「絶対だぞ!」
「はいはい」
教室を出ながら適当に手を振り、薫は廊下を歩きながら、学校でこんなやり取りをする自分と、これから能力訓練へ向かう自分が、以前ほど別々に感じられなくなったことを思った。
どちらかが本当の生活で、どちらかが仮の顔というわけではなく、ランドセルを背負って友達と騒ぐことも、リミッターを着けて念動力を学ぶことも、今の明石薫の日常なのだろう。
校門で秋江と合流し、施設へ向かう道を歩いている間、薫の頭には前回ナオミと話した内容が何となく残っていた。
谷崎との距離について相談された時、自分は大きな結論を一度に出すのではなく、嫌なことだけを一つずつ伝えればいいと話したが、その考え方は能力の扱いにも少し似ている気がする。
何かがずれた時、大きな力で一気に正しい場所へ戻そうとすれば、今度は反対側へ行きすぎることがある。
ナオミへ教えた停止操作もそうだったし、人との関係も案外同じなのかもしれないが、そこまで考えるとさすがに何でも一緒にしすぎだと思い直し、薫は意識を夕方の道へ戻した。
「今日、眠くない?」
隣を歩く秋江が顔を覗き込んできたため、薫は首を振った。
「平気。今日は体育もなかったし」
「だったらいいけど、無理だったら途中でやめるんだよ」
「分かってるって」
以前なら、まだできるのに止められることへ少し反発していたかもしれないが、最近は六歳の身体が疲れている時に続けても効率が悪いと分かってきた。
大人だった前の自分ならもっと集中できたという比較も、今の身体へ何の役にも立たない以上、思いつく回数自体が少しずつ減っている。
施設へ着いて訓練用の服装へ替え、いつもの部屋へ入ると、担当職員が床に二つの軽い訓練物を並べて待っていた。
これまで一度に使う道具は基本的に一個だったため、薫は並んだ二つを見ただけで、今日は少し違うことをするのだと察した。
「一個の操作はかなり安定してきたから、今日は二個を同時にやってみようか」
「二個?」
「そう。重さはいつもより軽いから、力の強さじゃなくて別々に扱えるかを見る感じね」
薫は二つの物体を見比べながら、内心ではそれほど難しくないのではないかと思った。
一個を動かすことにはかなり慣れており、二個になっても必要な出力が倍になるだけなら、本来の力を考えるまでもなくリミッターの範囲内で十分対応できそうだった。
「まずは二つとも同じ高さまで浮かせて、そのまま十秒くらい維持してみよう」
「分かった」
床に置かれた左右の物体へ意識を伸ばし、同じように輪郭を掴むと、二つはほぼ同時にゆっくりと床から離れた。
高さを揃えて止めるところまでは予想通り難しくなく、数秒維持しても大きく揺れないため、担当職員も特に驚かず記録へ視線を落としている。
「じゃあ次は、右だけ少し前へ動かしてみよう。左はそのままね」
「おう」
薫は右側の物体へ意識を向け、そのまま前へ押し出すように念動力を使った。
すると。
左も一緒に動いた。
二つの物体がほとんど同じ距離だけ前へ進み、薫は思わず眉を寄せながら両方を停止させた。
「……あれ?」
「初めてだとそうなる子、結構いるよ」
担当職員の口調があまりにも普通だったため、薫は失敗したことより、それが珍しくないことへ少し驚いた。
「今までは一つしか掴んでないから、一回の操作で一つの指示を出せばよかったでしょ。二つになると、右と左へ別々のことをしなきゃいけなくなるからね」
説明を聞けば当たり前のことだったが、薫は今まで一つの対象しか操作してこなかったため、自分がどんな感覚で力を使っているか深く考えたことがなかった。
物体を掴み、その全体へ前へ進めという一つの動きを与えることは得意でも、同じ力の中に別々の指示を作ることは、全く別の技術らしい。
「もう一回やってみる」
二つを元の位置へ戻して浮かせ、今度は左をその場へ残すことを強く意識しながら、右だけへ前へ進む感覚を作ろうとした。
右側は確かに少し前へ進んだものの、左の高度がゆっくり落ち始めたため、薫が慌てて支え直すと、その瞬間に右が斜めへぶれた。
「くそっ」
反射的に両方を元の位置へ戻そうとしたところで、今度は二つとも同じ動きを始めたため、薫は途中で諦めて床へ下ろした。
「難しいだろ?」
「一個ずつなら簡単なのに」
「だから面白いんだよ。能力が強いことと、同時に別々の操作ができることは同じじゃないから」
その言葉を聞き、薫は少しだけ考え込んだ。
本当の出力がどこまであるのかは、四歳の公園で景石を動かした時からほとんど確かめていない。
それでも大きな力が存在すること自体は分かっており、心のどこかでは、出力さえあれば大抵のことはどうにかできるという感覚が残っていたのかもしれない。
しかし、いくら強い力を出せても、左右へ違うことをさせられなければ、二つの対象は結局一つの塊としてしか扱えない。
大きな腕一本で物を押せることと、二本の指を別々に動かせることは全く違うのだと考えると、今まで気づかなかった穴を見つけたような感覚があった。
「じゃあ今日は、二つとも浮かせた状態を安定させるところからでいいよ」
「でも、それはできるぞ」
「できることを確実にするのも訓練だからね。右をちょっと上、左をちょっと下みたいなのは、次から少しずつやればいい」
「……分かった」
本当ならすぐにもう一度試したかったが、担当職員の言うことにも理屈は通っているため、薫は二つを浮かせる基礎課題へ戻った。
同じ動きをさせるだけなら安定しているものの、片方だけへ意識を寄せた瞬間にもう一方が微妙に揺れることから、注意を二か所へ均等に保つこと自体にも慣れが必要らしい。
何度か同じ高さを維持したあと、最後に片方だけを数センチ横へ動かす課題へ挑戦したが、やはりもう一方にもわずかな横移動が出た。
成功とは言いにくい結果だったものの、担当職員は失敗を問題にするどころか、初回なら十分だと言ってその日の訓練を終わらせた。
「珍しく難しそうだったね」
見学していた秋江が荷物を渡しながら声をかけてきたため、薫は少しだけ不満そうに口を尖らせた。
「二個になるだけで全然違う」
「じゃあ今日は頭使ったんじゃない?」
「頭っていうか、なんか一個見たらもう一個落ちんだよ」
「それなら今日は休んだら? 宿題もあるんだし」
「……宿題あったな」
訓練のことばかり考えていたせいで完全に頭から抜けていたが、今日も学校から簡単な書き取りの宿題が出ている。
B.A.B.E.L.で複数の念動力操作へ苦戦した直後に、家へ帰れば小学一年生の宿題が待っている生活は、相変わらず少しだけ可笑しかった。
帰宅後は夕食までに宿題を済ませることになり、薫は自分の机へノートを広げて鉛筆を握った。
問題そのものは簡単でも、決められた枠へ文字を丁寧に書く作業は六歳の手にとってそれなりに疲れるため、雑に済ませず続けていると自然と集中力を使う。
一文字書き、紙がずれそうになると左手でノートを押さえ、右手ではそのまま鉛筆を動かす。
消しゴムを使う時も。
左で紙を押さえ。
右だけを前後に動かす。
薫の手がそこで止まった。
「……これか?」
自分の両手を見る。
右手が動いている時、左手は止まっている。
片方を止めながら、もう片方へ別の命令を出すことを、身体は何の苦労もなく毎日やっている。
念動力で二つの物を扱った時、自分は二つを一つの大きな塊として捉え、その全体へ同じ命令を出そうとしていた。
右と左を最初から別の対象として掴み、それぞれに違う状態を持たせられれば、身体の両手と似たようなことができるのではないかと思った。
試したい。
そう思ったが、薫は机に置いた紙玉へすぐ念動力を伸ばすことはせず、まず残っている宿題へ視線を戻した。
思いついたからといって、やるべきことを放り出してまで能力を試す必要はなく、以前よりその辺りの順番を自然に考えられるようになっている。
宿題を終え、夕食を食べ、風呂にも入ったあと、薫は寝る少し前になって秋江へ声をかけた。
「いつもの練習、ちょっとやっていい?」
「軽いやつだけならいいよ。寝る時間は守ること」
「分かってる」
家庭で許されている範囲の制御練習は、能力が発現した頃から少しずつ続けており、今では秋江も条件を守る限り特別なこととして扱っていない。
危険な物を使わず、リミッターを外さず、疲れている時はやらないという約束さえ守れば、自室で軽い物を動かす程度なら禁止されていなかった。
薫は机の上へ、丸めた紙を二つ並べた。
落ちても何も壊れない。
人へ当たっても怪我をしない。
出力を上げる理由もない。
今日の訓練で使った道具よりさらに軽いため、純粋に操作だけを考えられる。
まずは二つとも同じ高さへ浮かせると、紙玉は机から十センチほど上で、ほとんど揺れずに静止した。
ここまでは施設でも問題なくできていたため、薫は数秒維持したあと、右だけを少し高くするつもりで意識を向けた。
右が上がる。
左も上がる。
「やっぱそうなるか」
今度は左をその場へ止めることを強く意識し、右だけを上へ進めようとしたが、左へ注意を残そうとするほど両方の感覚が曖昧になった。
頭の中で「右は上、左は停止」と言葉にしてみても、いちいち文章として命令を組み立てている間に集中が散り、結局二つとも机へ落ちた。
薫は落ちた紙玉を拾いながら、自分が一個だけ扱う時に何をしているのか改めて考えた。
物を前へ動かす時。
頭の中で「前へ三センチ進め」と唱えているわけではない。
見えている位置。
力をかける方向。
止めたい場所。
それらをまとめて感覚として掴み、身体を動かすように自然に念動力へ伝えている。
だったら、二つを言葉で別々に命令しようとする方法そのものが間違っている。
必要なのは。
二つを別々の物として感じること。
薫はもう一度紙玉を浮かせ、今度は右へ何をさせるかより、左を今いる位置へ残すことだけに意識を向けた。
左側へかかる力を一つの固定された支えとして置いておき、その感覚を崩さないまま、右側だけへほんの少し横向きの力を足してみる。
右の紙玉が。
数センチだけ。
横へ動いた。
左も少し揺れた。
でも。
その場所へ残った。
「……できた」
声は小さかったが、景石を大きく跳ね上げた時とは全く違う種類の手応えが、胸の奥へじわりと広がった。
動かしたのは紙玉一つを数センチだけであり、能力の強さとして見れば何の価値もないほど小さな動きなのに、自分にとっては初めて二つへ違う役割を与えられた瞬間だった。
同じ方法で役割を入れ替え、今度は右を固定したまま左だけを横へ動かすと、一度目より少ない揺れで成功した。
続いて右を少し上、左を少し下へ動かそうと試したところ、途中で二つが同じ方向へ同期してしまったものの、薫は強引に押し切らず両方を止めてから机へ戻した。
大きく失敗した時に。
さらに大きな力で戻さない。
一度止める。
状態を確かめる。
それから小さくやり直す。
ナオミへ話したことを思い出したわけではないのに、自分の動きも自然と同じ方向へ変わっていた。
何度か繰り返すうち、二つを別方向へ動かせる距離は少しずつ伸びたが、それと同時に、頭の奥へ普段の一個操作では感じない重い疲れが溜まり始めた。
出力そのものはほとんど使っていないのに、二つの状態を同時に認識して維持する方が、軽い物を一個持ち上げ続けるよりずっと集中力を消耗するらしい。
もう少しやれば。
もっとできそうな気はする。
それでも薫は時計を見た。
秋江と決めた時間までは、あと数分。
以前なら、その数分を最後まで使って一回でも多く試したかもしれない。
けれど今は、集中が落ち始めた状態で続ければ、できた感覚まで雑になることが分かる。
「今日はここまでだな」
二つの紙玉を手で拾って机へ置き、薫はその日の練習をそこで終わらせた。
最大出力は一度も使っていない。
リミッターを外してもいない。
どこまで大きな物を持てるかも、どこまで数を増やせるかも確かめていない。
それでも。
昨日まで一つの命令しか出せなかった力に。
別々の仕事を一つずつ与えられた。
その事実は、薫が思っていた以上に大きかった。
机を指一本で支えるより、何本もの指へ力を分けた方が、傾かず安定して持てることがある。
念動力も同じように、強い力を一か所へまとめるのではなく、必要なところへ必要な分だけ置けるようになれば、今までとは全く違う使い方ができるかもしれない。
大きな腕一本。
ではなく。
細かく動く指。
薫はそんな感覚を頭の片隅へ残したまま布団へ入り、その日は珍しく能力の続きを考えながら夜更かしすることもなく、すぐに眠りへ落ちた。
翌日の学校では、昨夜の小さな成功など誰も知らず、薫も普段通りに授業を受けて昼休みには東野との約束だった鬼ごっこへ付き合った。
能力を一切使わず校庭を走れば、足の速さは六歳の身体相応であり、途中で東野に追いつかれて悔しがる自分も、昨夜二つの物を念動力で操った自分と同じ一人の薫だった。
「捕まえた!」
「くっそ、もう一回!」
「また負けんぞ!」
「次は勝つ!」
千里が少し離れたところから二人を見て笑っており、薫は能力の技術が一つ増えたからといって、普通の学校生活まで何か変わるわけではないことを妙に心地よく感じた。
秘密の力を磨くことと、友達と走って負けることが同じ一日の中へ並んでいる方が、未来だけを考えていた頃よりずっと自然だった。
次の訓練日になると、前回と同じ二つの物体が床へ並べられた。
「前回の続きね。家では無理に練習してない?」
担当職員に尋ねられ、薫は少しだけ迷ったものの、許可されている範囲で行ったことを隠す理由はなかった。
「軽い紙だけ。二個浮かせて、片方止めたままもう片方動かすのやった」
「リミッターは?」
「着けたまま」
「時間は?」
「寝る前にちょっとだけ」
職員は確認項目を一つずつ聞いたあと、危険な物や重い物を使っていないと分かると特に問題視せず、むしろその範囲なら安全で良い練習だと頷いた。
B.A.B.E.L.が何でも禁止するのではなく、守るべき条件を明確にして安全な範囲で経験を積ませる姿勢でいてくれることは、薫にとってもありがたかった。
「じゃあ成果見せてもらおうか」
「期待すんなよ。まだ全然だぞ」
二つを浮かせる。
高さを揃える。
左をその場へ固定するつもりで感覚を置き、右だけへゆっくり前向きの力を足していく。
右は進む。
左は少し揺れる。
それでも前回のように一緒には動かず、ほぼ同じ位置へ残っていた。
「お、いいじゃん」
担当職員の声が少し弾んだが、薫はそこで欲を出さず、右を停止させてから両方を床へ下ろした。
「紙だともうちょい上手くいった」
「重さより、形とか掴みやすさも違うからね。今はこれで十分」
次は二つをそれぞれ別方向へ数センチだけ動かす課題になり、薫は昨日の感覚を思い出しながら慎重に力を分けた。
右を横へ、左を少し上へ動かすと、途中で左の高さが余計に上がったため、そこで両方を停止させて位置を整え、もう一度小さく動かし直す。
以前なら。
失敗したなら。
一度で正しい位置へ戻した方が早い。
そう考えていたかもしれない。
今は。
一回止めた方が楽だった。
「いいね。失敗しても無理に続けないのは大事だよ」
「続けると余計ごちゃごちゃになるし」
「そうそう。二個だから二倍の力を出すっていうより、それぞれに必要な分だけ分けるって考えた方がやりやすいかもしれない」
その説明は、薫が昨夜自分なりに見つけた感覚とよく似ていた。
力を増やすのではない。
分ける。
一つの大きな力を二つへ割るというより、それぞれに必要な小さな力を別々に置く。
その方が。
自分には合っている気がした。
訓練後、休憩スペースへ行くとナオミが先に座っており、薫の姿を見つけると前回より自然に手を上げた。
「薫ちゃん、今日どうだった?」
「二個同時に動かすやつ。めちゃくちゃ難しい」
「薫ちゃんにも苦手なのあるんだ」
ナオミが少し嬉しそうに笑ったため、薫は眉を寄せた。
「あるに決まってんだろ。あたしをなんだと思ってんだよ」
「何でも上手く説明する一年生」
「それ褒めてねーだろ」
「褒めてるよ」
ナオミも同系統の能力者なので、複数の対象へ別々の動きを与える難しさは知っているらしく、自分も最初は二つが一緒に動いたと話した。
出力ではナオミの方が上でも、だからといって最初から何でも簡単にできたわけではないと知り、薫は少しだけ肩の力が抜けた。
「私、最初は片方だけ持って、もう片方を一瞬だけ動かすところからやったよ」
「一瞬だけ?」
「ずっと別々にしようとすると混乱するから、片方はそのままにして、もう片方にほんの少しだけ力を足すの」
薫は思わずナオミの顔を見た。
昨夜自分が見つけた方法と、かなり近い。
「同じことやってた」
「ほんと?」
「右止めて左だけちょっと動かすとか」
「じゃあ合ってるんじゃない?」
それを聞き、薫は少し嬉しくなった。
前までは。
ナオミへ教える側だった。
今日は。
ナオミの経験も役に立つ。
同じ能力を使う相手と話すというのは、こういうことなのだろう。
「ありがとな」
「え?」
「参考になった」
「この前のお返し」
ナオミがそう言って笑い、薫も少しだけ口元を緩めた。
その日の帰宅後も、薫は夕食と宿題、風呂を終えてから、秋江に許可を取って短い練習を行った。
前回より時間は短く設定し、机の上には同じ紙玉を二つだけ置き、数を増やすのではなく二つの扱い方を細かくすることへ集中する。
二つを浮かせる。
右は完全にその場へ残す。
左だけをほんの少し横へ動かし、その途中で右が揺れたら、左を進めることより右の状態を安定させる方を優先する。
右へ修正を入れた瞬間、左が少し落ちる。
そこで。
両方を止める。
一つずつ位置を整える。
もう一度。
今度は左を動かす距離を少し短くする。
成功。
次は役割を逆にする。
右を動かし。
左を固定する。
同じようにやれば。
こちらも成功する。
二つを同時に別方向へ大きく動かそうとすればまだすぐに崩れるが、一方へ小さな仕事をさせながら、もう一方へ違う小さな仕事を残す程度なら、少しずつ形になり始めていた。
薫はその感覚を急いで広げようとはせず、今日は二つを安定させることだけに集中し、うまくいかない時ほど動きを細かく分けて試した。
以前の自分なら、できないことがあると分かれば、もっと力を出した方が早いのではないかと考えたかもしれない。
景石を動かした時のような大きな出力が自分にあると知っている以上、その方向へ頼る誘惑は完全になくなったわけではない。
それでも今は。
出力を増やすより。
操作を増やす方が面白い。
一つを大きな力で押さえ込むのではなく、いくつもの小さな力を必要な場所へ置けた方が、できることはずっと多くなる気がした。
例えば傾いた机を一か所だけ強く押せば、反対側が浮いてしまうかもしれない。
でも。
四隅へ少しずつ力を置ければ。
もっと自然に支えられる。
今の薫に四か所を同時に扱うことはまだできない。
それでも。
二か所なら。
ほんの少し。
始められた。
練習時間が終わりに近づく頃、薫は二つの紙玉をそれぞれ別の位置へ動かす最後の一回だけを試すことにした。
右は机の奥へ、左は手前へ移動させるつもりで、それぞれにごく小さな力をかけながら、片方が崩れそうになればすぐ止められるよう両方の状態を意識する。
右がゆっくり奥へ進む。
左が少し遅れて手前へ動く。
途中で右がわずかに横へ逸れたため、薫は左の動きを止め、右だけへ小さな修正を入れた。
そのまま両方を指定した位置まで運び。
最後は。
別々の場所へ。
静かに下ろした。
紙の軽い音が。
二つ。
ほとんど同時に机へ触れる。
それだけだった。
石を持ち上げた時のように。
地面が揺れることもない。
周囲が驚くこともない。
記録に残るような大きな出力もない。
けれど薫には。
四歳の公園で景石を跳ね上げた時より。
今の方が。
ずっと前へ進めたように感じられた。
あの時は。
強いことしか分からなかった。
今は。
どう使うかを。
少しずつ選べる。
薫は机の上へ両手を置き、自分の指をしばらく眺めた。
物を掴む時。
五本の指は。
全部同じ方向へ。
同じ強さで動くわけではない。
親指は支え。
人差し指は押さえ。
他の指も少しずつ違う場所へ力をかける。
だから。
落とさず。
壊さず。
持てる。
念動力も。
そんなふうに使えるのかもしれない。
巨大な一本の腕として。
何もかも力ずくで動かすのではなく。
必要なところへ届く。
いくつもの指として。
今はまだ。
二本分しかない。
それでも。
一つしかなかった昨日より。
確実に増えている。
薫は二つの紙玉を今度は手で拾い上げ、引き出しへ戻してから時計を確認すると、秋江と約束した時間より少し早く練習を終えた。
もっと試したい気持ちは残っていたが、続きを明日に残せることも自分の成長なのだと思いながら、部屋の明かりを消して布団へ向かった。
本当の力を隠しているから。
仕方なく弱く使う。
これまでは。
どこかでそう思っていた。
でも。
弱い力を。
必要な場所へ。
必要な分だけ置けるなら。
それは。
ただ弱いだけではない。
強さそのものを大きくするのではなく。
使える場所を増やす。
薫は布団の中で目を閉じながら、今日静かに別々の場所へ置けた二つの紙玉を思い出した。
どれだけ大きな物を動かせるかではなく。
必要な時に。
必要なところへ。
必要なだけ。
力を届かせる。
その方が。
自分には。
ずっと合っている気がした。