彼女達の未来のために 作:おっさんとチルドレン
第6話 四のふり
翌朝、薫が食卓へ着くと、昨日宙へ浮いたスプーンは何事もなかったように皿の横へ置かれていた。食器棚も元の位置に収まり、好美の顔へ向かいかけた写真立ても、秋江が直したのか棚の上へ戻っている。見た目だけなら昨日までと同じ部屋なのに、一度あの感覚を知ってしまった薫には、そこにある物すべてが少し違って見えた。
スプーンくらいなら簡単に動かせそうだし、椅子も意識を向ければ持ち上げられる気がする。食器棚は昨日わずかに浮いたのだから、できるかどうかを考えるまでもなく、自分の中にはそれ以上の力がある。重さを数字で感じるわけではないが、以前にはなかった「これも掴める」という感覚が、視線を向けるたび薄く返ってきた。
「薫、スプーン浮かせてよ」
目の前で好美が期待に満ちた顔をしている。
「やんない」
「一個だけ」
「ダメ」
「じゃあティッシュ」
「なんでそこまで見たいんだよ!」
昨日は危うく怪我をさせるところだったのに、好美は一晩で恐怖より好奇心の方が勝ったらしい。薫としては呆れ半分だったが、姉が自分を怖がって距離を取らなかったことには、口には出さないまま少し安心していた。能力が出た瞬間から家族の空気まで変わっていたら、今こうしていつもの調子で言い合うこともできなかっただろう。
「検査までは勝手に使わないの」
秋江が会話へ割って入り、好美の前へ飲み物を置いた。
「ほら。昨日も電話でそう言われたでしょ」
「分かってるって」
薫は今回は言い返さず、スプーンから視線を外した。昨日の事故がある以上、秋江の言うことに逆らってまで家の中で試す気はない。それでも、何もしないまま数日後の検査へ行くことにも、別の危なさがある気がしていた。
昨日の能力は、自分から使おうとして出したものではなかった。感情が高ぶった結果、気づいた時には部屋中へ力が広がり、そこから慌てて狭めただけだ。もし検査当日に「少しだけ動かして」と言われ、同じように大きな力を出してしまえば、隠す以前に周囲を危険へ巻き込む。
薫はパンを一口食べながら考え、すぐに反発する代わりに、どう言えば秋江も聞いてくれるかを探した。前の人生で子どもから何かを頼まれた時も、ただ「やりたい」と繰り返されるより、理由を説明された方が考える余地はあった。立場が逆になってみると、その経験が妙なところで役に立つ。
「ママ」
「なに?」
「昨日のとこに、もう一回電話してくれない?」
秋江が少し意外そうに薫を見る。
「どうして?」
「検査まで何も使わないでさ、そこでまた昨日みたいに勝手にいっぱい出たら、その方が危なくない?」
自分でも四歳児らしくない言い方になった気がして、薫は最後だけ少し言葉を崩した。
「だから、ちょっとだけ練習していいか聞いてみてよ。ママが見てるとこでやるから」
秋江はすぐには答えなかった。
薫の顔を見てから、昨日浮いた食器棚の方へ視線を移す。何も知らない子どもの思いつきとして聞けば危なっかしいが、実際に一度暴発を経験した後なら、止め方を知らない方が不安だという理屈にも一応筋は通る。
「勝手にはやらない?」
「やらない」
「一人でも?」
「やらないって」
昨日なら、そこまで確認されること自体に腹を立てていたかもしれない。今日は自分から約束し、秋江が頷くのを待った。その違いに薫自身は気づいていたが、わざわざ口に出して褒めるほどのことでもない。
朝食の後、秋江は相談窓口へもう一度連絡を入れた。電話の向こうと何度か確認した結果、人や壊れ物から十分離れ、保護者がそばにいる状態で、ごく軽い物を使う程度なら構わないらしい。ただし、無理に能力を引き出そうとせず、体調や気分に変化があればすぐやめることが条件になった。
「じゃあ、午後に一緒に公園行く?」
秋江が電話を切って言う。
薫は思わず顔を上げた。
「いいの?」
「いいから電話したんでしょ。ただし、一人でどっか行かないこと」
「分かってる」
昨日は同じ公園へ一人で行かせてもらえないことに腹を立てたのに、今日は秋江が同行すると聞いて素直に安心している。それが少し悔しい気もしたが、昨日の部屋を思い返せば、何かあった時に大人がいる方がいいのは間違いなかった。
午後、秋江と一緒に家を出ると、薫は公園へ着くまで何度も周囲を確認していた。車道から離れているか、遊んでいる子どもが近くにいないか、壊れやすい物が周囲にないかまで見る。秋江には散歩中の子どもとは思えないほど慎重に見えたらしく、途中で少し笑われた。
「ずいぶん慎重ね」
「昨日みたいなの、もうヤだし」
薫が短く答えると、秋江の笑みが少し柔らかくなった。
「それならいいけど、無理しないでね」
「分かってるって」
公園の端には、遊具から少し離れた芝生があった。周囲に人がいないことを確認し、秋江が持ってきた小さなゴムボールを地面へ置く。柔らかく、軽く、万が一変な方向へ飛んでも大きな怪我にはなりにくいので、最初に使うにはちょうどよかった。
薫はボールから二歩ほど離れ、その場へしゃがんだ。
「じゃあ、やってみる」
「うん。変だと思ったらすぐやめるのよ」
「はいはい」
返事をしながら、薫はボールを見つめた。
動け。
昨日なら、それだけで何かが起きたかもしれない。
だが。
何も起きない。
「……あれ?」
もう一度、意識を集中させる。
動け。
ボールはその場にある。
風で芝が少し揺れるだけで、目の前の丸いゴムは一ミリも動かない。
昨日は部屋中の物が勝手に浮いたのに、今日はたった一つのボールが動かない。あまりの差に薫はしばらく無言になり、後ろから秋江が「焦らなくていいよ」と声をかけるのを聞いて、余計に眉間へ力が入った。
「昨日はあんなに出たのに……」
「昨日は怒ってたからじゃない?」
「それじゃ毎回怒んないと使えないじゃん」
そんな面倒な能力は嫌だった。
手を伸ばすのか。
睨むのか。
頭の中で命令するのか。
前の人生では念動力という能力を外から見ていただけで、実際に身体のどこをどう使えば動くかまで知るはずもない。自転車の映像を何度見ても、乗ったことがなければ身体のバランスまでは分からないのと同じだった。
昨日の感覚。
薫は一度目を閉じた。
部屋中の物が巨大な掌へ入ったような感覚があった。
物を押したわけではない。
引いたわけでもない。
そこにある。
位置が分かる。
重さを感じる。
自分の感覚の中へ、その存在そのものが入ってきた。
薫は目を開け、今度はボールを「動かそう」とするのではなく、そこにある物として意識した。芝生の上にある。自分から二歩ほど先。手で持てば簡単に持ち上がる程度の重さで、表面は少し柔らかい。
その輪郭が、昨日の物たちと同じように、わずかに感覚へ引っかかった。
「……これか?」
心の中で軽く押す。
ボールが、数ミリ転がった。
薫は目を見開く。
秋江もすぐに気づいた。
「動いた!」
たった数ミリだった。
昨日は家具まで浮かせたのに、その時よりずっと嬉しかった。昨日の力は事故だったが、今の数ミリは、自分が意識して出し、自分が決めた方向へ動かした初めての能力だった。
「もう一回」
薫はすぐにボールへ意識を戻す。
一度できたなら、同じことがもう一度できるか確かめたい。偶然動いただけなら意味がないし、自分の意思で出したつもりになっているだけかもしれない。
同じように輪郭を意識する。
軽く押す。
今度は。
ボールが勢いよく芝生の上を跳ね、一メートル近く先まで転がった。
「おお」
秋江は純粋に感心している。
薫は逆だった。
「……違う」
「何が?」
「動きすぎ」
「でも動いたじゃない」
「昨日みたいなのになったら困るだろ」
薫は立ち上がり、転がったボールを自分で拾って元の位置へ戻した。大きく押すこと自体はそれほど難しくない。問題は、ほんの少しだけ動かしたいのに、どのくらい力を出せばその程度になるのかが、まだ全く分からないことだった。
蛇口なら、閉じるか全開にするのは簡単だ。
難しいのは、その間。
一滴ずつ水が落ちるくらいのところで、同じ位置を保つこと。
「強い方が簡単とか、めんどくさ……」
「なに?」
「なんでもない」
次は地面を転がすのではなく、少しだけ浮かせてみることにした。
薫はボールの位置を意識し、その重さを支えるような感覚で、ゆっくり上へ力を向ける。最初は何も起きなかったが、少しだけ強めると、ボールが芝生から数センチ離れた。
「おっ」
思わず声が出る。
ところがボールはすぐに横へ傾き、回転しながら落ちかけた。
薫は反射的に回転を止める。
落ちる力も止める。
左右へのずれも抑える。
高さもそのまま。
結果。
ボールは空中で、不自然なほどぴたりと静止した。
風で芝が揺れているのに、そこだけ時間が止まったように動かない。
秋江が目を丸くする。
「すごい。止まってる」
「……あたしも今ちょっと思った」
浮かせるだけのつもりだった。
でも実際には、上下だけではない。
前後。
左右。
回転。
傾き。
それぞれを別々に押さえている感覚がある。
一つの小さなボールを止めているだけなのに、身体の中では何本もの細い指で同時に触れているような状態になっていた。
力を小さくしようとすると、代わりに細かい部分まで感じる。
薫はそこに少し面白さを感じた。
大きな岩を持ち上げるより、こっちの方が自分には向いているのかもしれない。
そう思った途端、集中が緩んだ。
ボールが落ちる。
「わっ」
地面へ当たり、一度跳ねて転がる。
薫は苦笑した。
「まだ全然だな」
「昨日初めて能力が出たばっかりなのよ?」
秋江が呆れたように言う。
「そんなすぐ上手くできなくても普通でしょ」
「普通が分かんないんだって」
それから何度か同じ練習を繰り返した。
少し浮かせる。
高さを保つ。
下ろす。
時々、力が強すぎてボールが予想より高く上がり、逆に弱くしすぎてすぐ地面へ落ちる。何度か成功もしたが、全く同じ動きを続けて再現できるほど安定してはいなかった。
それでも、一回目より二回目。
二回目より三回目。
少しずつ、力が出始める場所と止まる場所の差が分かってくる。昨日は暴れる力を必死に閉じただけだったが、今日は閉じた状態から、ほんの少しだけ開ける感覚を探していた。
「もう一回」
薫が言う。
秋江は首を横へ振った。
「今日は終わり」
「まだできる」
「顔、疲れてるよ」
「疲れてないって」
反射的に言い返してから、自分の呼吸に気づいた。
別に息切れするほど身体を動かしたわけでもないのに、頭の奥が少し重く、細かい集中を続けたせいか目も疲れている。前世の感覚では「もう少しできる」と思っていても、四歳の身体は別の答えを返していた。
薫は少しだけ黙った。
昨日なら、そこで意地を張ったかもしれない。
「……分かった」
ボールを拾い上げ、秋江へ返す。
「素直ね」
「昨日怒ったばっかだからな」
「自分で分かってるならいいけど」
少し笑われた。
薫も、今回は怒らなかった。
帰り道、秋江と手を繋ぎながら、薫は今日分かったことを頭の中で整理していた。
力を大きく出すことは、それほど難しくないらしい。
昨日の暴発を考えれば、むしろそちらは得意すぎるくらいだ。
難しいのは弱くすること。
さらに、その弱さを一定に保つこと。
ただし小さな力なら、対象の傾きや回転まで細かく感じられる。
その特徴は悪くない。
「精密な方が使いやすいのかもな」
小さく呟く。
秋江が横を見る。
「何か言った?」
「今日の反省」
「四歳で反省会するの?」
「するだろ普通」
「普通かなあ」
薫は返事をせず、今度は数日後の検査を考え始めた。
今日程度の力しか見せなければ、少なくとも自分が記憶している超度7として扱われることはないだろう。だが、昨日すでに複数の物や重い家具まで浮かせたことは、秋江が相談窓口へ伝えている。
そこが厄介だった。
検査でほとんど力を出さなければ、今度は昨日の現象との差が大きすぎる。発現直後の暴走だったと説明できる範囲にも限度があるだろうし、専門家が見れば「もっと出せるのでは」と考える可能性もある。
隠すなら、弱ければ弱いほどいいわけではない。
それ自体が不自然になる。
家へ戻った後も、薫はその問題を頭の中で転がしていた。
超度。
能力の規模を示す数字。
七が最高峰で、自分と葵と紫穂が将来そこへ分類される。六もかなり高い。五になるとどの程度の扱いだったかは曖昧だが、少なくとも「珍しくない普通の能力者」ではなかったはずだ。
なら。
三。
低すぎる気がする。
昨日の暴発で重い家具まで浮いた以上、測定で三程度しか出なければ、その差を疑われる可能性がある。将来、誰かを助けるために少し強い力を使う必要が出た時も、低く設定しすぎているほど誤魔化しにくくなる。
五。
今度は高すぎる。
制度を細部まで知っているわけではないので、五になった瞬間に何をされると決めつけることはできない。それでも、より高い能力者として注目される方向へ、自分から数字を寄せていく必要はなかった。
七は論外。
未来の自分。
ザ・チルドレン。
そこへ最短距離で戻るだけだ。
残るのは。
四。
薫は自室で指を四本立て、しばらく眺めた。
超度4なら、能力者として支援や訓練が必要だと思われてもおかしくない。一方で、最高クラスの戦力として最初から人生を決められるほどでもなく、昨日の暴発も「発現直後に一時的に大きく出た」と説明できる余地がある。
完璧な答えかは分からない。
専門家が見れば、もっと複雑な基準があるのかもしれない。
ただ、今ある情報だけで考えるなら、四が一番自由を残せる。
「……四、か」
声に出してみる。
弱いふりをする数字ではない。
十分に能力はある。
ただ、本当の上限だけを見せない。
それくらいがちょうどいい。
何より、自分が超度4になれば、記憶にある三人の始まりとは一つ違うことになる。葵と紫穂が七で、自分だけ四なら、少なくとも最初からまったく同じ道を歩くわけではない。
だからといって、それだけで未来が変わるとは思わない。
昨日考えたばかりだ。
一つ違えば全部解決するほど、未来が簡単だという保証はない。
ただ。
選択肢は増える。
自分が「七だからここへ行く」と最初から決められないだけでも、今は十分だった。
問題は、四の力がどのくらいなのか分からないことだった。
数字を決めただけでは意味がない。
検査当日に、本人は四のつもりで六相当を出していたら笑えない。
その日から、薫はテレビでエスパーが映るたび、以前より注意深く見るようになった。
大きな物を動かしているか。
どれくらい離れているか。
一つだけか。
複数か。
どれくらいの時間使っているか。
もちろん画面を見ただけで超度を正確に判断できるわけではないが、「普通に見える能力の使い方」がどんなものかを知る参考にはなる。
「薫、最近エスパーのニュース好きだね」
好美に言われ、薫はテレビから目を離さず答えた。
「自分がそうなんだから気になるだろ」
「薫もあれできる?」
画面では、大人の能力者が荷物を動かしている。
「知らねーよ」
「やってみれば?」
「家ではやんない」
好美は「つまんない」と言ったが、薫は取り合わなかった。
秋江も、娘が自分の能力に興味を持つのは自然だと思っているらしく、特に怪しむ様子はない。薫も「自分は弱い」などと嘘をつくつもりはなく、何か聞かれれば「まだ分からない」と答えている。
それは本当だった。
上限は知らない。
どのくらい安全に使えるかも知らない。
自分が記憶どおりの超度7なのかさえ、まだ正式には分からない。
隠すのは、その可能性。
それ以上の嘘を増やす必要はないと思った。
翌日、秋江ともう一度公園へ行った。
同じ場所。
同じゴムボール。
今度は地面へ置いたボールの位置を意識すると、昨日より早く輪郭を感覚へ入れることができた。ゆっくり力を加えると、ボールは数センチだけ浮き、その高さを保ったまま静止する。
昨日より明らかに安定していた。
薫は少し口元を緩める。
嬉しい。
それは素直にそう思う。
怖い力でも、自分の意思で扱えるようになれば、ただの危険物ではなくなる。
「上手になったね」
秋江も笑う。
「まだ二日目だけどな」
「二日目だから言ってるの」
薫はボールをゆっくり右へ動かし、それから左へ戻した。最初より傾きも少なく、動かしたい方向だけへ力を向けられるようになっている。
そこで。
一つ問題に気づいた。
上手すぎる。
少なくとも。
「発現したばかりの四歳児」としてどう見えるかを考えると、ぴたりと静止し、決めた軌道をなぞるように動くボールは、少し出来すぎている気がした。
薫は試しに、わざと力を少し揺らした。
ボールが左右へふらつく。
さらに回転を少し残す。
下げる途中で一度高さを崩し、慌てて戻したように見せる。
秋江から見れば、昨日より少し上達した幼い能力者にしか見えない。
しかし薫の中では逆だった。
「……こっちの方が難しくね?」
わざと失敗する方が面倒だった。
本当なら、動きを全部止められる。
それを一部だけ止めずに残す。
少し失敗したように見せながら、本当に危険な軌道にはしない。
下手に見せるために、余計な制御が必要になる。
「薫?」
秋江に呼ばれ、薫は我に返った。
「なに?」
「難しい顔してるけど、疲れた?」
「いや……どうやったら上手くできるか考えてただけ」
嘘ではない。
ただし、上手く見せる方法ではなく。
ほどほどに見せる方法を考えている。
薫は再びボールを浮かせた。
一度に一つ。
高く上げすぎない。
長く維持しない。
少し揺れる。
時々落としかける。
そして何より、細かすぎる操作を見せない。
これなら。
四に見える。
そう考えた瞬間、薫は自分が何をしているのか急に可笑しくなった。
「四歳児が能力の演技って、何してんだあたし……」
「また独り言?」
秋江が笑う。
「考えごとだって」
「最近ほんとに多いね」
薫も少し笑った。
やっていることは妙だ。
でも必要だと思っている。
未来を怖がって何もせずにいるより、自分が選べる範囲を少し増やす。そのために力の見せ方を覚える程度なら、今の自分にもできる。
練習を終えて家へ戻った後、薫は自室の鏡の前で指を四本立てた。
七ではない。
少なくとも外では。
「しばらく、これでいくか」
超度4。
本当の力を捨てるわけではない。
自分が弱いと思い込むわけでもない。
必要になるまで、大きな方を見せないだけ。
それなら自分にもできそうだった。
ただし。
一つだけ引っかかる。
本当の自分が、どこまで出せるのか。
最大まで試すつもりはない。
昨日の家を思い返せば、そんなことをするのは馬鹿だ。
けれど四を演じ続けるためには、自分の中で「少し強くした時」に何が起きるのかくらいは、知っておいた方がいいのではないか。
秋江の前では試せない。
もし想像以上に出れば、本当の力を隠す意味がなくなる。
なら。
誰もいない場所。
壊れる物がない。
人にも見られない。
そんなところで。
ほんの少しだけ。
そこまで考えて、薫は自分がまた一人で全部決めようとしていることにも気づいた。
昨日、秋江から「一人で何とかしなくていい」と言われたばかりだ。
それでも。
これは話せない。
少なくとも今は。
自分が将来破壊の女王になるかもしれないことまで説明しなければ、なぜ超度7を隠したいのかを秋江へ完全には伝えられない。その秘密まで母親へ背負わせる覚悟は、まだなかった。
だから。
外では四。
それ以上は。
誰もいない時だけ。
薫はそう決めた。
夜、机へ座ると、目の前には以前から気になっていた消しゴムが置いてあった。
家の中では使わない。
そう決めていた。
ただ、今はもう一つだけなら、動かして止める感覚をある程度掴んでいる。危険な高さへ浮かせず、机の上をほんの少し滑らせるだけなら、昨日とは条件が違う。
薫は数秒迷った。
それから、消しゴムの位置だけを意識する。
軽く。
ほんの少し。
消しゴムが机の上を一センチほど滑った。
止める。
動かない。
もう一度やることはしなかった。
「……よし」
小さく息を吐く。
四のふりをする。
そのためには、まず四より小さな力を自在に出せなければならない。
そして。
本当の自分が、どこまで行けるのか。
それを確かめるのは。
もう少しだけ先。
薫は消しゴムを指で元の位置へ戻し、机の明かりを消した。
外では四。
それ以上は秘密。
まだ誰にも見せない。
そう決めたことが、明石薫にとって初めて自分から選んだ、大きな秘密になった。