彼女達の未来のために   作:おっさんとチルドレン

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7.誰もいないはずの公園

 

 

正式な能力測定の日が決まったのは、その翌日の朝で、秋江が冷蔵庫へ貼った予定表には、思っていたより早い日付が書き込まれていた。

日が延びたところで能力の扱いが急に上手くなるわけでもないし、余計なことを考える時間ばかり増えそうだったので、薫は表向き「分かった」とだけ答えて朝食へ戻った。

 

頭の中では、昨日決めた「四」という数字が、食事をしている間にも何度となく浮かんでは消えていた。

秋江の前で行った練習では、小さなゴムボールなら狙った方向へ動かし、わざと少し揺らして失敗したように見せるところまでできている。

ただ、それが本当に超度4程度の出力なのか、自分の身体には目盛りも比較対象もないため、結局のところ確信は持てないままだった。

 

「薫、今日も公園行く?」

 

好美が牛乳を飲みながら尋ねると、薫はパンを噛みつつ、秋江が許せば行くつもりだと答えた。

 

「またボール浮かせるの?」

 

「たぶん」

 

「今度もっと高くしてよ」

 

「しねーよ」

 

好美は不満そうに唇を尖らせたが、薫はその反応を横目で見ただけで、すぐに自分の考えへ意識を戻した。

高く浮かせること自体は、むしろ今の自分には難しくなく、必要なのは小さな力を毎回同じように出し、余計な方向へ広げない技術だった。

 

それでも、昨日から一つだけ引っかかり続けていることがあり、それは自分の力がどこから危険な領域へ入るのかという問題だった。

最大出力を知りたいわけではなく、本気で限界を試すつもりもないが、今使っている小さな力より少し強くした時に何が起こるのかは、まだ一度も確かめていない。

 

測定で「もう少し力を出してみて」と言われた時、自分がどこまで開けばいいのか分からないままでは、隠す以前に失敗する可能性がある。

ボールを動かす感覚から一段だけ強くしたつもりで、また部屋全体を掴むような状態になれば、超度4に見せるどころの話ではなかった。

 

最大出力は使わず、人がいない場所を選び、壊れやすい物を避けて、一度だけ試し、異常を感じたらすぐに止める。

そこまで条件を並べれば、自分でもかなり慎重に見えたし、何も知らないまま測定へ行くより安全なのではないかとさえ思えてくる。

 

ただし、その考え方が自分自身へ許可を出すための理屈になっていることも、薫は途中で気づいていた。

秋江へ相談すれば止められるだろうし、本当の出力を知られたくない理由まで説明しようとすれば、未来の自分や皆本の銃口まで話すことになる。

 

そこまで今の家族へ背負わせる覚悟は、まだなかった。

 

だから、一度だけ確かめる。

 

薫はそう決めた。

 

午後になって秋江と公園へ向かう頃には、何をどう試すのかという手順まで頭の中でかなり具体的になっていた。

最初はいつもの場所で小さな力だけを使い、その後で少しだけ公園の奥へ入り、人がいないことを確かめてから小さな石を試すつもりだった。

 

最大は絶対に出さないという条件だけは何度も自分へ言い聞かせ、公園へ着いてからも周囲の人影や車道との距離をいつも以上に確認した。

平日の午後で人は少なく、遊具の近くに幼い子どもと母親らしい女性が一組いるだけで、薫たちが使う端の芝生には誰もいなかった。

 

「今日は昨日より少しだけね。疲れたら終わりだから」

 

秋江がゴムボールを地面へ置き、薫は「分かってるって」と返しながら二歩ほど離れた場所へ立った。

ボールへ意識を向けると、位置や形だけでなく、そこにある物としての輪郭そのものが、昨日よりずっと早く感覚の中へ引っかかってくる。

 

少し力を加えると、ボールは芝生から十センチほど浮き上がり、その高さでほとんど動かずに止まった。

薫は右へ動かし、左へ戻し、下ろす途中ではわざと一度だけ揺らしてから支え直し、最後は少し転がすように地面へ置いた。

 

「昨日より上手になったね」

 

秋江が素直に褒めたので、薫は少しだけ得意になりかけたが、本当はもっと綺麗に動かせることを思い出して表情を抑えた。

今のふらつきは失敗ではなく、むしろ失敗したように見せるために細かい制御を裏側で続けた結果なのだから、下手に見せる方が手間がかかっている。

 

二度目は少し高く浮かせ、三度目は左右へ動かし、四度目には一度落としたように見せてから途中で拾い直した。

危険な軌道へ入れないように注意しながら失敗を演じているうち、小さな力なら想像していた以上に安定して再現できることが分かってきた。

 

問題は、その力が本当に四なのか、それとも三や五に近いのか、自分では判断できないことだった。

身体のどこかに数字が表示されるわけではない以上、今の感覚を基準として覚えるしかなく、その少し先に何があるのか知りたいという気持ちは完全には消えてくれなかった。

 

「今日はここまでにしようか」

 

秋江の声で現実へ引き戻され、薫は反射的に「もう?」と言いかけたが、ここで揉める理由はないと思い直した。

それよりも、公園の奥へ視線を向けると、来た時から何度か確認していた植え込みの向こうに、今も人影がないことの方が気になった。

 

「ママ、あっちちょっと見てきていい?」

 

秋江も同じ方向を見たあと、「遠くまで行かないならね」と答え、さらに見えなくなるところまで行かないよう念を押した。

昨日、自分から見てもらった方が安全だと納得したばかりなのに、その翌日に視線から外れようとしていることが胸へ引っかかったが、薫は足を止めなかった。

 

植え込みの脇を抜けて数歩進むと、秋江のいる場所までは走ればすぐ戻れる距離なのに、木の角度のせいで互いの姿が見えなくなる。

薫はそこで立ち止まり、足音や自転車の音、犬の鳴き声まで含めて周囲を確認したが、こちらへ近づいてくる気配はなかった。

 

「……よし」

 

誰もいない。

 

そのはずだった。

 

最初に選んだのは、手のひらへ収まる程度の小さな石で、意識を向けるとゴムボールとほとんど変わらない感覚で地面から浮き上がった。

十センチほど持ち上げて左右へ動かしてから元の位置へ戻しても、負荷の増加はほとんど感じず、薫は次にもう少し大きな石へ視線を移した。

 

今度の石は子どもの両手では持ち上げるのが難しそうな大きさだったが、それでも念動力で支えた時の感覚は少し抵抗が増えた程度だった。

人間の腕で持つなら百グラムと十キロには大きな差があるはずなのに、念動力ではその差が急激に感じられないことへ、薫は少し嫌なものを覚えた。

 

「……これ、重さで考えちゃダメなやつだな」

 

手で持った時の感覚を基準に「この程度なら安全」と考えれば、簡単に判断を間違える可能性がある。

そこまで理解したなら、普通はそこでやめるべきだったのだろうが、薫の視線は少し先に置かれた景観用の大きな石へ自然と向かっていた。

 

自分の身体よりも大きく、大人一人で動かせるようには到底見えない景石へ意識を向けると、その輪郭も驚くほど簡単に感覚へ入ってきた。

浮かせるつもりはなく、地面との接触をほんの少し切るだけにしようと考えながら、薫はもう一度だけ周囲に人がいないことを確認した。

 

「……ちょっと軽くするだけ」

 

ほんの数ミリ。

 

それだけ。

 

薫が慎重に力を開くと、大きな景石はわずかに地面から離れ、下にあった土との接触が完全に切れた。

思っていたよりも簡単で、しかも支えている感覚にほとんど苦しさがないことへ気づいた瞬間、薫は成功より先に違和感を覚えた。

 

「……簡単すぎない?」

 

そこで下ろして戻ればよかったのに、あと数センチなら何が変わるのかという好奇心が、慎重さの隙間へ入り込んだ。

薫は力を少しだけ増やし、一センチ、二センチ、三センチと高さを上げたところで、問題なく止められることを確認した。

 

自分でやっている。

 

家で起きた暴発とは違い、怒っているわけでも怖がっているわけでもなく、自分の意思だけで大きな石を持ち上げている。

その事実に胸の奥が少し熱くなり、強い力を持っていることへの高揚が確かにあったからこそ、薫は最後の一歩を踏み込んでしまった。

 

「じゃあ……もうちょい」

 

最大ではなく、本当に少しだけ強くするつもりで、いつものボールより一段多く蛇口を開くような感覚で力を広げた。

ところが次の瞬間、それまで感じていた抵抗が急に消え、景石が弾かれたように地面から跳ね上がった。

 

「――え?」

 

数センチだった高さは一気に膝を越え、そのまま五十センチ、さらに一メートル近くまで上昇していく。

同時に周囲の小石や落ち葉まで地面を離れ、細い枝や土埃まで見えない力へ引かれるように舞い上がった。

 

「やばっ!」

 

少し離れた別の石まで地面を揺らしているのが見え、薫の周囲にある物が再び一斉に感覚の中へ入り込んできた。

家で暴発した時と似た状態だったが、今回は感情に押されて勝手に開いたのではなく、自分の意思で入口を開けたという点が決定的に違っていた。

 

しかも、これだけの現象が起きているのに、まだ力が余っていることまで分かってしまう。

景石は限界だから持ち上がったのではなく、ほんの少し強くしただけで簡単に浮き、さらに広げようと思えば広げられる感覚が身体の奥へ残っていた。

 

「閉じろ!」

 

薫は驚きへ飲まれる前に力の範囲を絞り、余計な物から順番に意識を外していった。

落ち葉や小石、細い枝は多少落ちても危険が少ないので先に解放し、景石だけはそのまま地面へ落とさないよう空中へ残した。

 

数百キロはありそうな石を一メートル近い高さから落とせば、地面が傷むだけでなく、大きな音で秋江へ気づかれる可能性もある。

ここで慌てれば、秘密が知られることより先に、本当に危険な事故を起こしかねないため、薫は呼吸を整えながら景石だけへ意識を絞った。

 

「ゆっくり……下げろ」

 

重さを支えながら高さを下げ、横へ振らないようにしつつ、傾きもできるだけ抑えて地面へ近づけていく。

一度に全部を完璧にやろうとせず、まず安全に下ろすことだけを優先すると、景石は少しずつ高度を失っていった。

 

元の位置へ戻そうとしたところで、薫は石がどちら向きに置かれていたのか、どの程度土へ埋まっていたのかを覚えていないことへ気づいた。

石があった場所には浅い窪みが残っているものの、何度も微調整して完全に合わせようとすれば、大きな力を維持する時間まで増えてしまう。

 

「……もういい」

 

完全な復元より安全を優先し、薫は元の位置から数十センチほど横へずれた場所へ景石をゆっくり下ろした。

石が接地すると低い音とともに土が沈んだが、薫は完全に安定するまで支え続け、動かないことを確かめてからようやく力を切った。

 

大きな事故にはならなかった。

 

誰も怪我していない。

 

景石も壊れてはいない。

 

そこまで確認したところで、周囲に残った別の異常が目へ入った。

 

さっき浮いた落ち葉や小石、細い枝が元とは違う場所へ散らばり、一部の葉は薫を中心にしたような不自然な形で集まっている。

一枚ずつ動かすこと自体は今の自分ならできそうだったが、元の位置を覚えていない以上、精密に動かせても正確に戻すことはできない。

 

動かす技術と、元通りにする技術は同じではない。

 

薫は景石へ視線を戻し、さらに大きな問題へ気づいた。

 

元の位置には石の形に沿った窪みが残り、新しい位置までの間には、普通ならあるはずの引きずった跡がほとんど見当たらない。

石だけが突然地面を離れ、数十センチ先へ移動したとしか思えない形が残っており、子どもの悪戯では説明できそうになかった。

 

「……やっちゃった」

 

誰も怪我していないから終わりではなく、目撃者がいなくても現象そのものが証拠として残るという当たり前のことを、薫はそこでようやく実感した。

自分では慎重に条件を並べたつもりだったが、「人に見られない」ことばかり気にして、使った後に何が残るかという視点が抜け落ちていた。

 

「薫ー?」

 

遠くから秋江の声が聞こえ、薫の肩が反射的に跳ねた。

 

石を元へ戻すことも一瞬考えたが、焦ってもう一度大きな力を使えば、今より酷い痕跡を増やす可能性がある。

元の向きも埋まり方も分からない以上、秘密を守るために安全を捨ててまで手を加える方が間違っていると判断し、薫はそれ以上何も触らなかった。

 

持ってきた物もなく、練習用のゴムボールは秋江のところにあり、自分の名前が書かれた物も周囲には残っていない。

直接自分へ繋がる物がないことだけ確認すると、薫は「今行くー!」と返事をして植え込みの方へ走った。

 

心臓が速いのは能力を使った疲労ではなく、悪いことをして見つかりそうな子どもそのものの緊張だった。

前世で親だった記憶があるぶん、この後ろめたさの正体まで自分で分かってしまうことが、薫には余計に情けなく感じられた。

 

植え込みを抜けると、秋江はベンチのそばで立っており、薫の姿を確認すると少し眉を寄せた。

 

「どこまで行ってたの?」

 

「ちょっと奥」

 

「見えなくなるところまで行かないでって言ったでしょ」

 

「……ごめん」

 

言い訳をしなかったので、秋江の方が一瞬だけ意外そうな表情を見せたが、すぐに薫の身体を確認するように視線を動かした。

怪我も汚れもなく、息が大きく乱れている様子もなかったため、少なくとも危険なことはなかったのだろうと判断したらしい。

 

「何かあった?」

 

薫の喉が詰まった。

 

何もなかったわけではない。

 

むしろ、ありすぎた。

 

それでも、本当のことは言えなかった。

 

「……ない」

 

自分でもはっきり分かる嘘をついた瞬間、能力を隠すこととは別の重さが胸へ残った。

秋江は「ほんと?」と念を押したが、薫が小さく頷くと、それ以上追及せず「次から気をつけて」と手を差し出した。

 

薫はその手を握って帰り始めたが、昨日は見てもらう方が安全だと思った自分が、翌日には自ら視線の外へ行ったことを何度も考えていた。

誰もいないから、一度だけだから、最大は出さないからと理屈を並べても、今回は感情で勝手に起きた暴発ではなく、自分で考えたうえで選んだ行動だった。

 

「……言い訳できねーな」

 

秋江には聞こえない程度の声で呟きながら、薫は失敗したことと、そこから得た情報を頭の中で分けて考えた。

数百キロはありそうな景石を少し強くしただけで持ち上げ、それでも全力にはほど遠い感覚が残った以上、超度7という記憶を思い違いとして扱うのは難しい。

 

だからこそ、もう限界まで試す必要はない。

 

昨日までは、四を演じるなら少し上の領域も知った方が安全だと考えていたが、今は逆の結論へ変わっていた。

必要なのは上限を知ることではなく、安全に何度でも再現できる下限を身につけ、その範囲だけを確実に使い続けることだった。

 

本当の最大がどこにあるのかは、今は知らなくていい。

 

むしろ、知ろうとすること自体が危険だった。

 

その夜、薫は公園で起きたことを秋江にも好美にも話さず、いつも通りの夕食を取りながら何度も景石が浮いた瞬間を思い出していた。

未来のことを黙っているのとは違い、今日の秘密は自分が試し、自分が失敗し、そのうえで隠すことを選んだ結果として生まれたものだった。

 

前の人生から持ってきた秘密ではない。

 

今の明石薫が、自分で作った秘密だった。

 

その違いは思っていた以上に重く、自室へ戻って机の上の消しゴムを見ても、今日は動かしてみようという気にはならなかった。

同じ程度の小さな力なら安全に再現できる自信はあったが、それ以上を確かめる必要はもうなく、むしろ触らないという判断を守れるかの方が大切だった。

 

「四だけ。それ以上は、簡単に触んない」

 

前にも似たことを言ったが、今度は秘密を守るためだけでなく、自分の力から周囲を守るための境界線として口にしていた。

薫は机の上へ手を伸ばさず、そのまま明日の測定で再現する感覚だけを頭の中で確認してから眠りについた。

 

翌朝、薫は普段より少し早く目を覚まし、最初にテレビをつけて全国ニュースや交通情報を確認した。

公園のことは何も出てこず、石が少し移動した程度で大きな事件になるはずもないと考えると、ようやく少しだけ肩の力が抜けた。

 

ところが朝食の途中で好美が地域情報の番組へチャンネルを変えた瞬間、薫の手が止まった。

 

画面に映っていたのは、昨日の公園だった。

 

元の窪み。

 

その横へ移動した景石。

 

不自然に偏った落ち葉。

 

昨日、自分が残したものがそのまま映され、《公園の巨大な石が一夜で移動?》という軽い見出しまで添えられていた。

 

「なにこれ!」

 

好美がテレビへ身を乗り出し、薫は表情を変えないよう意識しながら、画面から目を離せずにいた。

番組では、公園管理側に重機を使用した記録がなく、人力で簡単に動かせる石でもないうえ、引きずった痕跡まで見当たらないと説明している。

 

画面が地面の窪みを大きく映し、薫は昨日そこから石を持ち上げた時の感覚まで鮮明に思い出した。

今すぐテレビを消したくなったが、そんな反応を見せれば逆に不自然なので、食事を続けるふりをしながら話を聞くしかなかった。

 

「エスパーじゃない?」

 

好美が楽しそうに言うと、番組の中でも念動系能力者なら可能ではないかという推測が軽く紹介された。

ただし現象を直接見た人はおらず、怪我人も公園設備の大きな破損もないため、原因不明の出来事として確認が続いているだけらしい。

 

「薫みたいじゃん!」

 

心臓が大きく跳ねたが、薫はなるべく普通の声を作りながら、「何が」とだけ返した。

 

「物浮かせるやつ!」

 

好美に悪気がないことは分かっており、妹が念動力の練習を始めた直後なら、同じ種類の話題から薫を連想するのも自然だった。

問題は、秋江まで画面を見ながら少し表情を変え、「これ、昨日行った公園よね」と口にしたことだった。

 

「……うん」

 

薫が答えると、好美は「ほんとだ」と画面へ近づき、秋江はしばらく映像を見たあと、考えるように薫へ視線を向けた。

完全に疑われているわけではないが、昨日一度視界から消えたことを秋江も覚えている以上、何も結びつけない方が不自然だった。

 

「昨日、あの辺まで行った?」

 

「……ちょっと奥まで行った」

 

「だから見えなくなったの?」

 

「うん」

 

「石、見た?」

 

「見た」

 

ここまでは全部事実なので、薫は嘘を増やさないように答えたが、秋江が次に「その時、何か変だった?」と聞いたところで言葉が止まった。

自分も石も何もかも変だったと答えるわけにはいかず、結局また「……別に」と隠すしかなかった。

 

秋江は数秒だけ薫を見つめていたが、前日に自分が見ていた能力は小さなゴムボールを動かす程度だった。

画面の巨大な景石とは規模が違いすぎるため、四歳の娘が一人で動かしたと即座に結論づける方が不自然だった。

 

「まあ、誰か能力者がいたのかもね」

 

秋江がそう言って画面へ視線を戻した瞬間、薫はようやく小さく息を吐いたが、安心するにはまだ早かった。

好美が何も知らず「すごーい」と笑っている一方で、薫の頭の中では昨日の行動と今の状況が一本の線として繋がり始めていた。

 

今回一度だけなら偶然で済むかもしれないが、同じようなことを繰り返せば話は変わってくる。

薫がいた場所、薫が念動系能力者である事実、その近くで起きる高出力の現象が二回、三回と重なれば、誰かが関連を疑うのは当然だった。

 

誰も見ていないから大丈夫ではない。

 

人間が見ていなくても、地面は残り、石は位置を変え、物理的な結果が後から誰かの目へ入る。

そして結果が残れば、現場を調べる者がいて、その情報を記録する組織も存在する。

 

番組の最後に、司会者が「能力者による可能性もあるとして、関係機関でも情報を確認している」と何気ない調子で付け加えた。

関係機関という曖昧な言葉だけでも、薫の頭にはB.A.B.E.L.という名前がすぐ浮かび、背中へ冷たいものが走った。

 

直接見られたわけではない。

 

正体が分かったわけでもない。

 

それでも、向こうには届いた。

 

「……誰もいなかったのにな」

 

誰にも聞こえないほど小さく呟きながら、薫はテレビに映る景石をじっと見つめた。

昨日、自分が浮かせたあの石は普通の人間なら簡単に動かせないはずなのに、自分にはほとんど重く感じられなかった。

 

怖かったという気持ちは本物だったが、同時に、あれほどの物を自分の意思で動かせたことが嬉しかったのも否定できなかった。

自分には強い力があり、もしかすると記憶の中と同じ最高峰の能力を持っているのだと身体で確かめた瞬間、確かに胸は高鳴っていた。

 

だからこそ危ないのだと思った。

 

力が嫌いだから隠すのではなく、使えることが嬉しくなり、自分なら大丈夫だと思ってまた試したくなる可能性があるからこそ、境界線が必要だった。

自分の中にある好奇心や高揚まで消せない以上、それを前提にしたルールを作る方が、無理に感情を否定するより現実的だった。

 

「……だから、四なんだよ」

 

明日は測定であり、もう上限を探す必要はなく、昨日まで練習していた小さな感覚だけを再現すればいい。

ボールを浮かせ、少し動かし、少しだけふらつかせ、時々失敗する程度に見せれば、少なくとも自分から本当の力を示す必要はない。

 

ただし、今度は出力だけでなく精密さにも注意しなければならない。

 

景石を下ろした時も、小さな石を選んだ時も、自分は大きな力を出すこと以上に、細かな方向や速度を自然に調整していた。

そこまで綺麗に見せれば、出力を抑えていたとしても別の部分で不自然に目立つ可能性があり、使い方そのものまで四らしく見せる必要があった。

 

薫は自分の手を見下ろし、四本の指を立てた。

 

同じ仕草は昨日もした。

 

けれど、今は意味が違っていた。

 

昨日までは自由を残すための数字だったものが、今は自分の力を暴走させないための境界線でもある。

超度4という数字は、本当の力を否定するためではなく、今の自分が扱える範囲を自分で決めるためのものへ変わり始めていた。

 

夕方になっても、薫はニュースで見た景石の映像を何度も思い出していた。

 

誰にも見られていなかったはずなのに、公園には自分が何をしたのかを示す痕跡が残り、それを見た誰かが原因を考えている。

石も土も落ち葉も、人間のように証言するわけではないが、結果そのものが情報になるという当たり前のことを、薫は今回の失敗でようやく理解した。

 

「痕跡まで考えろ、か」

 

今の自分が考えるには妙に物騒な内容だと少しだけ可笑しくなるが、この力を持つなら避けて通れない問題なのだろう。

もし将来、誰かを助けるために本来の力を使うことがあれば、人に見られないだけでは足りず、何を動かし、何が残るかまで考えなければならない。

 

ただし、秘密を守るために安全を犠牲にしてはいけないという点だけは、今回の判断でも守れたと思っていた。

景石を完璧に元へ戻そうとせず、これ以上大きな力を使わない方を選んだからこそ、少なくとも追加の事故は起こさずに済んだ。

 

失敗したことと、そこで全部を間違えたことは同じではない。

 

悪かった部分を認めながら、止められた部分まで否定しない方がいい。

 

そうでなければ、次に何を直せばいいのかさえ分からなくなる。

 

机の上には能力測定の日程を書いた紙が置かれており、明日になれば本当に専門家の前で能力を使うことになる。

薫は目の前の消しゴムへ視線を向けたが、今日はもう練習も確認もせず、頭の中で四の感覚を思い出すだけにした。

 

「明日は、四だけ」

 

もっとできるかと聞かれても、本当の力を出さず、かといって最初の暴発記録と矛盾するほど弱くも見せない。

それまでの練習で覚えた範囲を使い、細かすぎる操作も抑えながら、発現したばかりの超度4らしく見えるところへ収めるつもりだった。

 

その小さな手で、昨日は自分よりずっと大きな景石を浮かせ、それでもまだ余裕があると感じてしまった。

その事実を明日は誰にも見せないと決め、薫は四本立てていた指をゆっくり閉じた。

 

同じ頃、公園の管理側から回された資料は、能力者関連の情報を扱う部署へすでに届いていた。

最初は地域で起きた原因不明の設備異常としてまとめられただけだったが、高重量物の移動に対して接地痕が不自然なため、念動系能力による現象を除外できないと判断された。

 

添付された写真には、元の窪みと移動した景石、不自然に偏った落ち葉まで残されており、石が単純に転がったのではないことだけは分かる。

ただし直接の目撃者はおらず、能力者本人も不明で、人的被害もないため、現時点で大規模な調査へ移るほどの案件ではなかった。

 

《未確認念動現象・仮登録》

 

推定能力系統は念動であり、高重量物の短距離移動と接地痕の不整合が確認され、重機の使用記録や人的被害は報告されていない。

周辺には能力発現後の検査を控えた児童が居合わせていた可能性があるものの、現時点では現象との関連を示す直接的な証拠はなく、記録のみ継続する。

 

そこに明石薫という名前は、まだ書かれていない。

 

誰も彼女がやったとは知らないまま、公園には動いた石と地面だけが残り、その痕跡を拾う側もすでに存在していた。

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