彼女達の未来のために 作:おっさんとチルドレン
超度4という数字が正式に決まった翌朝も、明石家の食卓には昨日までと同じようにパンと牛乳が並び、好美はテレビを見ながら秋江に注意されていた。
自分には新しく「念動能力者」という扱いが増えたはずなのに、家族の誰も態度を変えないことへ、薫は安心すると同時に少しだけ拍子抜けしていた。
昨日まであれほど数字を気にしていたのが自分だけだったと思えば可笑しくもあるが、その普通さが今は何よりありがたかった。
「薫、この前のところから連絡来たよ」
食器を片づけていた秋江がそう言うと、薫はパンを持ったまま顔を上げ、できるだけ何気ない表情を作った。
能力者としての登録や今後の生活について説明するため、数日後にもう一度施設へ来てほしいという話らしく、秋江は予定表へ時間を書き込みながら内容を確認している。
「また検査すんの?」
「検査っていうより説明だって。これからどうするかとか、力を抑えるための道具についてとか」
そこで薫の頭には、説明を最後まで聞くより先に一つの言葉が浮かんだが、もちろん口へ出すことはしなかった。
力を持ったエスパーが日常生活で能力を制限するために身につける装置については、前の人生で知っていた話の中にも何度も出てきている。
リミッター。
自分もいずれ着けることになるとは分かっていたし、超度4として登録された以上、それ自体は予想していた流れだった。
それでも知識として存在を知っていることと、自分の身体へ実際に装着されることの間には、思っていた以上に大きな隔たりがあった。
自分の力を外側から制限される。
自由に出せるはずのものへ、誰かが決めた上限を作る。
必要だからと理解できても、その仕組みだけを言葉にすれば、どうしても気分のいいものには思えなかった。
「……首輪みてーだな」
小さく漏れた声は、テレビから流れる音に紛れて誰にも拾われなかった。
数日後、秋江と一緒に向かったのは前回の測定と同じ施設で、受付の雰囲気も置かれている玩具も変わっていなかった。
ただし今回は測定室へ案内されることはなく、能力者支援を担当する職員から登録制度や生活上の注意を説明してもらうことになっていた。
秋江は渡された書類を一枚ずつ確認し、氏名や住所、緊急連絡先などの欄へ丁寧に文字を書き込んでいく。
薫は隣の椅子に座りながら、自分の名前についての書類なのに、自分は足をぶらつかせて完成を待つだけという状況へ、また少し妙な感覚を覚えていた。
前の人生なら。
こちらが書く側だった。
子どもの名前。
生年月日。
連絡先。
何かあった時に、誰へ連絡してほしいか。
その欄を埋める大人の気持ちまで知っているのに、今は秋江が書き終えるのを待っている側にいる。
「薫、写真撮るって」
秋江に呼ばれて意識を戻し、登録用だという写真を撮られてから席へ戻ると、今度は担当者が一冊の資料を机へ置いた。
穏やかな口調の男性で、前回とは別の職員だったが、幼い子どもへ説明することには慣れているのか、難しい言葉を避けて話してくれる。
「まず、薫ちゃんの力はこの前の検査で超度4と確認されています。これからは安全に使えるように練習しながら、普段の生活をしていきます」
「うん」
「能力ってね、自分では使うつもりがなくても、びっくりしたり怒ったりした時に出ちゃうことがあるんだ」
その説明を聞きながら、薫は家で初めて物が浮いた日のことを思い出し、否定できないまま小さく頷いた。
怒りそのものは大したことではなかったのに、感情へ引っ張られた力は家具まで持ち上げかけ、好美へ写真立てを飛ばしかけている。
「だから、普段は力が大きく出すぎないように手伝ってくれる道具を使うことがあります。それがリミッターっていうものなんだけどね」
知ってる。
そう答えそうになった口を閉じ、薫は机の上へ置かれた説明用の資料を、初めて見る物のような顔で眺めた。
能力を消すものではなく、日常生活で大きな出力が出にくいよう補助するものだという説明は、知っている内容と大きく違わなかった。
「ずっと着けるんですか?」
秋江が先に尋ねた。
「生活の状況や能力の安定具合にもよりますが、しばらくは日常的に使っていただくことになります。必要な訓練の時などは、管理した状態で調整します」
「痛かったり、身体に悪かったりはしないんでしょうか。寝ている時とか、外で具合が悪くなった時はどうすればいいですか?」
秋江は次々に質問を重ね、その内容が自分を管理する方法ではなく、体調や生活についてのものばかりであることに薫は気づいた。
娘の力を抑えられることへ安心しているのではなく、何かを着けさせることで別の負担が生まれないかを心配しているらしい。
「日常生活で負担が出ないよう調整しますし、違和感や体調の変化があればすぐ相談してください。本人が嫌がっているのに、何も聞かず使い続けるものでもありません」
担当者の言葉を聞いても、薫の胸にある引っかかりが完全に消えたわけではなかった。
合理的な説明だと思うし、家での暴発を自分で経験している以上、何も対策しない方が危険だということも十分に理解できる。
それでも。
自分の力だ。
自分の身体の一部だ。
それを別の誰かが作った道具で抑え、好きな時に自由へ戻せなくなることを、頭で理解したからといって喜べるはずもなかった。
理解できる。
必要なのも分かる。
それでも嫌なものは嫌だという感覚が、胸の奥にはしっかり残っている。
そこまで考えた時、薫の頭に前の人生の自分が浮かんだ。
もし。
四歳の我が子が。
怒っただけで食器や家具を浮かせ。
家族へ物を飛ばしかけ。
本人にもまだ完全な制御ができない。
そんな状態で、安全に出力を抑えられる道具があると言われたら。
自分はどうする。
答えを出すまでに時間はかからなかった。
着けさせる。
間違いなく。
子どもが嫌がれば理由は聞くだろうし、何が嫌なのか一緒に考えるだろうが、「嫌なら何もしなくていい」と放置する選択だけはしない。
事故が起きてから後悔するくらいなら、安全を確保しながら少しずつ扱い方を覚えさせる方を選ぶに決まっている。
「……あたしが親なら着けさせるな」
思わず漏れた言葉に、担当者が少し目を丸くした。
「薫?」
秋江も不思議そうにこちらを見る。
「なんでもねーよ」
誤魔化したものの、自分で自分を論破したような気分になり、薫は椅子へ深く座り直した。
前世の父親として考えれば必要だと思うのに、今の自分が着けるとなった途端に納得できないのだから、人間というのは勝手なものだった。
「これを着けていれば、普通に外へ遊びに行ったりしても大丈夫なんですか?」
秋江が次に尋ねた質問で、薫は何となく担当者の方へ視線を戻した。
「もちろん、これだけで全部大丈夫というものではありません。ただ、急に大きな出力が出る危険を減らせますから、制御を覚えながら外出や集団生活を続ける助けにはなります」
「幼稚園とか、そのうち学校へ行く時も?」
「そうですね。必要な支援を受けながら、普通に通園や通学をしている子もいますよ」
その言葉で。
薫の中にあった見方が、ほんの少しだけ変わった。
力を抑える。
自由を制限する。
そこだけを見れば。
首輪に見える。
しかし。
それがあるから。
危ないので家から出さない。
他の子どもと一緒にできない。
何か起きるかもしれないから学校へ行かせられない。
そうならずに済むのなら。
話は少し違う。
これを着けることで、自分は外へ出られる。
普通の子どもと同じように遊び。
いつか学校へ行き。
教室に座ることができる。
そして。
その先に。
葵と紫穂がいる。
今はまだ会ったことすらない二人も、いつか普通の場所へ出られる方がいい。
力が強いという理由だけで守られる場所へ閉じ込められるより、普通の生活を選べる余地がある方が絶対にいい。
担当者が薫の方へ顔を向けた。
「薫ちゃんは、どう思う?」
保護者である秋江の同意だけを取って終わらせず、自分にも聞いてくれたことが少し意外だった。
四歳児の意見だけで最終判断が決まるわけではないとしても、最初から何も聞かれないよりはずっといい。
薫は秋江を見る。
秋江も。
こちらを見ている。
急かさない。
困った顔もしない。
ただ待っている。
「……着ける」
薫が答えると、秋江はすぐに安心した顔をするのではなく、少しだけ身体をこちらへ傾けた。
「嫌だったら、嫌って言っていいんだよ?」
「嫌じゃないとは言ってねーよ」
薫は少しだけ唇を尖らせる。
「でも、これ着けた方が外で遊べるんだろ?」
「そうだね」
「じゃあ着ける」
嫌だから要らない。
必要だから好き。
そんな単純な話ではない。
嫌だけど。
必要だから使う。
今はそれでよかった。
準備が整うまで少し待ったあと、薫は身体に合わせて調整されたリミッターを実際に装着することになった。
痛みはなく、強く締めつけられるわけでもなかったため、身につけた直後だけなら普通の装具と大きく変わらないように思えた。
変化が分かったのは。
能力へ意識を向けた時だった。
以前なら、周囲にある物へ意識を広げれば、そこにあるという輪郭がいくつも薄く返ってきた。
家で暴発した時には部屋全体が巨大な掌の中へ収まるように感じ、公園では景石だけでなく周囲の小石や葉まで一度に掴めそうになった。
今は。
そこへ壁がある。
何も感じないわけではない。
目の前の物へ意識を向ければ届く。
でも。
遠い。
今までなら意識を少し広げるだけで触れられた場所へ、一枚の透明な板を挟まれたような感覚があった。
薫は眉を寄せた。
「変な感じ」
「痛い?」
秋江がすぐに聞く。
「痛くはない。でも……なんか狭い」
担当者はその表現を聞いて少し頷き、能力を使う感覚が変わる子は珍しくないと説明してくれた。
本人の状態を確認するため、最後に小さな物だけを動かしてみることになり、薫の前へ軽い対象が一つ置かれた。
いつも通り。
掴む。
そのつもりで意識を向けた。
反応は。
遅い。
以前ならほとんど抵抗なく感覚へ入った物が、今は少し意識を深く向けなければ輪郭を掴めない。
力を加えても一気に大きくなる感覚はなく、上へ行こうとするほど何かに押さえ込まれているような抵抗が増していった。
その代わり。
細かい部分は残っている。
少し右。
止める。
少し下。
止める。
速度を落とす。
その操作自体はできた。
ただし前より反応が重く、何でも自由に動かせるわけではない。
「やっぱり薫ちゃん、細かく動かすの上手だね」
担当者が笑った。
薫は小さくため息をつきそうになった。
またそこか。
測定の時も。
今も。
出力は四に見せられているのに、どうやら細かい制御の方は、隠そうとしても自然に出てしまうらしい。
それでも。
悪いことばかりではない。
リミッターを着けているなら。
出力が一定以上へ行かない理由が、外から見ても最初から存在する。
自分で全部隠すより。
装置そのものが。
超度4の範囲へ留まるための壁になってくれる。
もちろん。
だから本当の力を忘れていいわけではない。
壁の向こうにはある。
自分だけは知っている。
公園で景石を持ち上げても余裕が残っていた力が。
消えたわけではない。
ただ。
今は閉じられている。
その感覚は。
安心すると同時に。
思っていたより不愉快だった。
自分から隠すと決めた力なのに。
誰かに狭められると嫌だ。
その矛盾が少し可笑しくもあり、同時に、能力がもう完全に自分の身体感覚の一部になっているのだと気づかされた。
前の人生から目を覚ましたばかりの頃は。
小さな手も。
高い声も。
鏡に映る女の子の姿も。
自分のものなのに、自分のものではないように感じる瞬間があった。
今は違う。
この身体も。
この声も。
そして。
念動力も。
もう自分だ。
だから外から蓋をされれば。
嫌だと感じる。
そのこと自体が。
明石薫として生き始めている証拠なのかもしれなかった。
説明が一通り終わると、秋江は使い方や異常があった場合の連絡先をもう一度確認し、担当者へ礼を言って席を立った。
リミッターの調整や解除については今後の訓練や状態を見ながら管理していくと聞き、薫の胸には再び小さな反発が戻ってきた。
自分では自由に外せない。
やっぱり首輪じゃん。
そう思う。
思うけれど。
秋江が施設を出る直前、薫へ向かって何気なく言った。
「これなら、外で急に力が出ても少し安心できるね」
その言葉を聞くと。
反発だけで全部を否定する気にもなれなかった。
施設の外へ出れば、空の色も行き交う車も、歩いている人の姿も来る前と何も変わっていない。
変わったのは自分の身体に一つ装具が増え、周囲へ伸びていた念動力の感覚が、以前より狭い範囲へ押し込まれたことだけだった。
薫は道端へ落ちていた一枚の葉を見た。
能力は使わない。
ただ。
意識だけ向けてみる。
届く。
でも。
遠い。
以前なら指先へ触れるように分かった輪郭が、今は少し先にある物へ手を伸ばしているように感じられる。
本当に制限されているのだと改めて実感すると、胸の奥にはやはり少しだけ寂しいような感覚が残った。
「薫」
秋江が手を差し出す。
薫はその手を見る。
それから。
握った。
能力の感覚は狭くなった。
でも。
自分は今。
外を歩いている。
閉じ込められているわけではない。
帰り道では、少し離れた公園で何人かの子どもが遊んでいる姿が見え、薫は秋江と並んで歩きながら自然とそちらへ目を向けた。
走っている子もいれば、砂場へ座っている子もいて、特別なことなど何一つ起きていない普通の午後がそこにあった。
自分も。
あちら側へ行く。
いつか学校へも。
それなら。
この程度の不自由は。
今は受け入れてもいい。
首輪。
その見方は完全には消えない。
自分の力を誰かの仕組みで抑えられていることは事実で、それを好きになれと言われても無理だった。
けれど同じ道具が、自分を危険だから外へ出せない子どもではなく、人の中で暮らせる子どもにするためのものなら。
首輪だけではない。
鍵にもなる。
その日の夕方、家へ戻ると、玄関で待っていた好美が薫の身体へ増えたものを見つけるなり、興味津々で顔を近づけてきた。
「それがリミッター?」
「触んなよ」
「ちょっとだけ!」
「ダメだって! 壊したらどうすんだよ!」
「そんな簡単に壊れないでしょ」
「お前が触る必要がねーだろ!」
秋江に「玄関で騒がない」と叱られるまで言い合いになり、薫は自分が数時間前まで自由や管理について真面目に悩んでいたことが馬鹿らしくなった。
好美にとっては妹が身につけて帰ってきた新しい物という程度らしく、少し眺めたあとは「思ったより普通だね」と言ってさっさと興味を失った。
「もっとなんかねーのかよ」
「何が?」
「いや、別に」
本人にとっては自分の力へ蓋をする大きな意味を持った物なのに、家族の中ではそれだけで薫そのものの扱いが変わるわけではない。
昨日の超度4という数字と同じように、そのあっさりした反応が今の薫には思っていた以上に心地よかった。
夜になり、自室で一人になると、薫はリミッターへ手を触れながら、能力そのものを使わず感覚だけを確かめていた。
周囲へ意識を広げれば以前より早い段階で壁へ当たり、その向こうにまだ大きな何かがあることだけは、自分自身にははっきり分かる。
社会が知っている自分は。
超度4。
日常で使う自分は。
リミッターを着けた超度4。
そして、そのさらに奥には。
まだ誰にも見せていない力がある。
公園でさえ上限まで届かなかった。
本当の自分。
その三つが今後ずっと重なっていくのだと思うと、薫は少しだけ面倒な人生を選んでしまったような気分になった。
もっとも、何も知らずに全力を見せていたら、それはそれで別の面倒へ進んでいただろうから、今さら選択そのものを後悔する気はなかった。
ふと。
今日の秋江を思い出す。
痛くないのか。
身体に負担はないのか。
外で遊べるのか。
学校へ行けるのか。
秋江は一度も。
「危ないから絶対着けなさい」とは言わなかった。
自分が嫌なら言っていいとも言った。
前の人生で親だった自分なら安全のため着けさせると考えたが、その時には子どもがどう感じるかも聞きたいと思っていた。
秋江が今日やったことは、まさに自分が親ならそうしたいと思ったことと、ほとんど同じだった。
管理されることへの不満と。
秋江への信頼は。
別だ。
そこを一緒にしてはいけない。
薫はリミッターから手を離し、机の上へ置いていた登録関係の資料を何気なく眺めた。
そこにはB.A.B.E.L.という名前と、自分の氏名、そして昨日決まった超度4という数字が、まだ少し他人事のように並んでいる。
これから。
ここへ通う。
訓練もする。
いずれ学校へ行く。
そして。
いつか。
葵と紫穂にも会う。
何年先になるかも正確には分からない未来を考えかけ、薫は途中で小さく首を振った。
まだ四歳だ。
今日やることは。
今日の分だけでいい。
翌日、外へ出る準備を終えた薫が玄関で靴を履いていると、秋江が先に扉を開けて振り返った。
昨日までは何もなかった身体へリミッターが増えているものの、外出するために必要な動作は何一つ変わらず、いつも通り靴を履いて立ち上がればいい。
「行くよ、薫」
「今行く!」
薫は玄関を出る直前に一度だけリミッターへ指を触れ、昨日感じた狭さを思い出しながら、開いた扉の向こうへ視線を向けた。
自分を縛るものだという感覚はまだ消えていないが、それを着けたままでも扉の向こうへ行けるのなら、見方は一つだけではなくてもいい。
「……鍵、か」
誰にも聞こえないほど小さく呟き、薫は秋江の待つ外へ足を踏み出した。
能力を狭めるために身につけたものが、同時に普通の生活へ続く扉を開くのなら、今はそれで十分だった。