紅魔館の中へ入り、霊夢は一人で廊下を進んでいた。
先ほどまで聞こえていた魔理沙の声も、今ではもう聞こえない。
館の中は妙に静かだった。
外ではあれだけ激しい戦いが起きていたというのに、ここまで来るとまるで別の場所に迷い込んだようだった。
「……本当に広いわね」
霊夢は周囲を見回す。
壁には見たことのない絵画が並び、古びた燭台には小さな炎が揺れている。
その時だった。
カチッ。
「……?」
どこかで時計の音がした。
霊夢が足を止める。
しかし、周囲には時計らしきものはない。
「気のせい?」
そう呟いた瞬間。
――ヒュッ。
一本のナイフが、霊夢の頬を掠めた。
「っ!」
霊夢が振り返る。
誰もいない。
「……何よ、今の」
「こちらです」
背後から声がした。
「!」
振り向いた先。
廊下の奥に、一人の女性が立っていた。
銀色の髪。
整ったメイド服。
そして、その手には数本のナイフ。
「初めまして、博麗の巫女」
女性は丁寧に頭を下げる。
「十六夜咲夜と申します」
「……あんたがここのメイド長?」
「はい」
「なら話は早いわ」
霊夢は札を構える。
「この霧を止めなさい」
「それはできません」
「じゃあ、あんたを倒して先に進むわ」
「そうなりますね」
咲夜は微笑んだ。
「では――参ります」
姿が消えた。
「……!」
霊夢は咄嗟に横へ飛ぶ。
直後、いた場所へナイフが突き刺さった。
「速い……!」
霊夢が札を放つ。
咲夜はそれを軽々と避ける。
右。
左。
上。
まるで霊夢の動きを読んでいるかのようだった。
「ちょっと!」
霊夢がさらに札を放つ。
しかし、またしても咲夜の姿が消える。
「どこよ!」
「後ろです」
「っ!」
霊夢が振り向く。
ナイフ。
咄嗟に札で受け止める。
金属音が廊下に響いた。
「危ないわね!」
「申し訳ありません」
「謝るくらいならやめなさいよ!」
「それはできません」
咲夜が一歩下がる。
「お嬢様の命令ですから」
再びナイフが飛ぶ。
霊夢は走った。
避ける。
避ける。
避ける。
ナイフが壁に突き刺さっていく。
「こんなの……!」
霊夢は札を放つ。
咲夜もナイフを投げ返す。
弾幕とナイフがぶつかり、廊下が一瞬で光に包まれた。
霊夢はその隙に距離を取る。
「はぁ……はぁ……」
息を整える。
相手が強い。
それは分かった。
だが――。
「一つ分からないことがあるわね」
霊夢は咲夜を見る。
「どうやって、そんなに簡単に私の攻撃を避けてるの?」
「さあ?」
咲夜は笑う。
「メイドの嗜みでしょうか」
「ふざけてる?」
「少しだけ」
次の瞬間。
また咲夜が消えた。
「――っ!」
霊夢は走った。
今度は攻撃しない。
ただ逃げる。
廊下を曲がる。
階段を上る。
さらに走る。
「逃げますか?」
背後から咲夜の声が聞こえる。
「うるさい!」
霊夢は振り返らずに札を投げる。
背後でナイフと札がぶつかった。
しかし、すぐにまた足音が聞こえる。
追ってくる。
霊夢はさらに走った。
そして――。
突然、視界が開けた。
「……え?」
そこは巨大な吹き抜けになっていた。
中央には何階分もの高さがある広間。
上を見れば、遥か高い天井。
左右には大きな階段が伸びている。
そして正面の壁には、ひときわ大きな古時計が掛けられていた。
振り子が、ゆっくりと左右へ揺れている。
カチ。
カチ。
カチ。
霊夢は時計を見る。
「……時計?」
その瞬間。
霊夢の頭に、先ほどまでの出来事が浮かんだ。
札を放った直後、突然消えた咲夜。
気づけば背後に立っていた咲夜。
廊下を走っている途中、一瞬だけ止まった蝋燭の炎。
そして――何度も聞こえていた時計の音。
「……」
霊夢は目を細める。
「速いんじゃない……」
咲夜が廊下の奥から姿を現した。
「……」
「消えてるわけでもない」
霊夢は時計を見る。
「時間そのものを……止めてる?」
咲夜の表情が、ほんの僅かに変わった。
その反応だけで十分だった。
「……当たりね」
「よくお気づきになりましたね」
「最初から分かってたわけじゃないわ」
霊夢は札を構える。
「でも、あんたの速さだけじゃ説明できないことが多すぎるのよ」
霊夢は一つずつ思い返す。
「私の札が届く直前に消える」
「……」
「周りの炎が止まる」
「……」
「時計の音が途切れる」
そして最後に。
「時間が進んだと思ったら、あんたが別の場所にいる」
霊夢は笑った。
「だったら答えは一つでしょ」
咲夜は静かにナイフを構えた。
「その通りです」
「やっぱりね」
「では――」
咲夜の姿が消える。
今度は、霊夢も追わなかった。
「……来る」
次の瞬間。
無数のナイフが霊夢を取り囲んだ。
一本。
二本。
三本。
さらに増えていく。
そして――。
カチッ。
世界が止まった。
炎も。
霊夢の髪も。
空中に浮かんだ札も。
すべてが静止する。
咲夜だけが動いていた。
「これで、お分かりいただけたでしょうか」
咲夜がゆっくりと歩く。
霊夢は動けない。
咲夜は霊夢の周囲を歩きながら、ナイフを配置していく。
「時間を止めれば、どれだけ強い相手でも――」
咲夜が最後の一本を構える。
しかし、その足が止まった。
「……?」
咲夜が足元を見る。
そこには、いくつもの札が貼られていた。
「これは……」
咲夜が動こうとする。
だが、足が動かない。
「……罠」
時間が止まっている。
それでも、札に込められた術は消えない。
咲夜の足を、その場へ縫い止めていた。
「そういうこと」
霊夢の声が聞こえた。
咲夜が顔を上げる。
霊夢がこちらを見ていた。
「さっきから逃げてたのは、追い詰められてたからじゃないわ」
霊夢はゆっくりと咲夜へ歩いていく。
「ここまで誘導してたのよ」
「……!」
咲夜が足を動かそうとする。
しかし、動かない。
「時間を止めること自体は、もう分かった」
霊夢は一歩ずつ近づく。
「だったら、あんたが時間を止める前に罠を仕掛けておけばいい」
「……なるほど」
咲夜が静かに息を吐く。
「私が時間を止めることを利用したのですね」
「そういうこと」
霊夢は咲夜の目の前まで歩いた。
「これなら、時間を止めても逃げられないでしょ」
咲夜は動けない。
霊夢は手を前へ突き出す。
札が一枚、二枚と浮かび上がる。
「さて――」
霊力が一気に集まっていく。
「これで終わりよ」
咲夜の目の前。
逃げ場はない。
「博麗――」
霊力が一点へ集束する。
「弾幕砲!」
ゼロ距離から放たれた弾幕が、咲夜を吹き飛ばした。
轟音が巨大な吹き抜けの広間を揺らす。
咲夜の身体が大きく吹き飛び、壁へ激突した。
そのまま床へ落ちる。
静寂が戻った。
霊夢は息を吐く。
「……終わったわね」
床に倒れた咲夜を見る。
まだ意識はあるようだが、すぐに立ち上がれる様子ではない。
霊夢は札をしまった。
「さて……」
ふと、霊夢の頭に一人の魔法使いが浮かぶ。
「……魔理沙、大丈夫かしら」
別れてから、まだそれほど時間は経っていない。
しかし、この館にはまだ何者かがいる。
それに、魔理沙が向かった先からは、先ほどから何度も大きな音が響いていた。
「まあ、あいつなら大丈夫でしょうけど」
そう呟きながらも、霊夢は少しだけ足を止める。
「……一応、急いだ方がいいわね」
霊夢は階段の先へ視線を向けた。
この先にいるのは、この異変を起こした張本人。
紅い霧の向こうにいる吸血鬼。
「待ってなさい」
霊夢は階段を上っていく。
「もうすぐ、あんたのところまで行くから」
その姿が階段の向こうへ消えていく。
後に残された咲夜は、薄く目を開いた。
「……さすがは、博麗の巫女……」
小さな呟きは、誰にも届くことなく広間へ消えていった。
読んで頂きありがとうございます!
何とか咲夜を撃破に成功!
時計のくだりは少し、とあるアニメをパクリましたw
でも、あの気づきのシーンめっちゃ好きなんですよね!
次は魔理沙編です!