その疑問は、驚くほど何でもない瞬間に出てきた。
昼下がり。
整備作業が一段落し、全員が思い思いに休んでいたとき。
龍亞がジュースを飲みながら、ふと首を傾げた。
「おじさんって、名前なんていうの?」
「…………」
全員が止まる。
「今まで誰も聞かなかった?」
クロウ。
「そういやそうだ!」
ブルーノ。
「僕もずっと『あの人』で認識してた!」
ジャック。
「飲んだくれで十分だ」
「キング辛辣!」
シエルは以前から気になっていたが、本人が毎回話を逸らすので聞く意味がないと判断していた。
「では改めて。名前は?」
男は口を開きかけ、閉じた。
今までなら冗談か別の話題で逃げていただろう。
けれど、名前がないまま呼ばれ続ける不便さも、さすがに積み重なっている。
小さく息を吐く。
「シュテル」
シエルがその音を確かめるように繰り返した。
「シュテル?」
「うん」
「それだけ?」
「それだけ」
「姓は?」
「なし」
「本名ですか?」
「……偽名」
「認めるんですか」
「本名だって嘘ついても仕方ないだろ。呼べるならいい」
こうして、ようやく名前だけは得た。
そして。
「次、嬢ちゃんのD・ホイール作るか」
「私の?」
普通のD・ホイールではシエルにとって大きすぎる。身体能力、反応速度、姿勢制御の高さを活かすには、マシンに身体を合わせるより身体にマシンを合わせる方がいい。
「D・ホイールから『乗るための部分』を減らして、身体へ直接固定する」
試作を重ねる。
最終案。
細身の装着型D・ボード。
左右に小型推進ユニット。
後部に二基のブースター。
下面に小型車輪。
高速域では可変翼。
「完全には飛ばない?」
「完全な反重力ではありません。高速走行で揚力を作り、接地荷重を減らします」
「ジャンプ後は?」
「短時間、低空滑空できます」
「やっぱ飛ぶじゃん!」
「滑空です」
◇
試走当日。
テストコースの路面にはまだ朝の冷たさが残っていた。
シエルは細身のボードへ両足を固定し、腰部ハーネスを確認する。通常のD・ホイールのような大きな車体はない。身体の下にあるのは、推進器と可変翼を詰め込んだ一枚の装備に近い。
起動。
足元から低い振動が返ってくる。
シエルが身体を倒す。
それだけで、ボードがほとんど遅れなく旋回へ入った。
ハンドルを介さない。身体の重心移動そのものが操舵になる。
高速域で可変翼を展開。
高速域へ入ると可変翼が開き、路面から伝わる細かな振動が急に薄くなる。
前方の小さな段差。
シエルは減速しない。
ボードが路面を離れた瞬間、左右翼の角度を調整。後部ブースターが短く噴き、落ちるはずだった軌道がわずかに前へ伸びる。
一秒。
二秒。
三秒。
路面すれすれを、影だけが追いかけていた。
「飛んでる」
シュテルが呆然と呟く。
「滑空です」
「いや、今のは飛んでるだろ」
「滑空です」
「絶対譲らない!」
「絶対譲らない!」
ライディングデュエルでは両手が自由。カード操作にも向いている。
一般人向け制限モードは最高出力40%。
シエルモード100%。
「そのモード名誰が決めたの?」
「僕」
「ブルーノだった」
テスト終了後。
「改善点は三つ。高速旋回時の左ブースター制御。着地直前の翼角。そして――もう少し速くできます」
遊星とブルーノの目が同時に輝く。
「やろう」
「やろう!」
「誰か止めろ!」
その疑問は、驚くほど何でもない瞬間に出てきた。
昼下がり。
整備作業が一段落し、全員が思い思いに休んでいたとき。
龍亞がジュースを飲みながら、ふと首を傾げた。
「おじさんって、名前なんていうの?」
「…………」
全員が止まる。
「今まで誰も聞かなかった?」
クロウ。
「そういやそうだ!」
ブルーノ。
「僕もずっと『あの人』で認識してた!」
ジャック。
「飲んだくれで十分だ」
「キング辛辣!」
シエルは以前から気になっていたが、本人が毎回話を逸らすので聞く意味がないと判断していた。
「では改めて。名前は?」
男は口を開きかけ、閉じた。
今までなら冗談か別の話題で逃げていただろう。
けれど、名前がないまま呼ばれ続ける不便さも、さすがに積み重なっている。
小さく息を吐く。
「シュテル」
シエルがその音を確かめるように繰り返した。
「シュテル?」
「うん」
「それだけ?」
「それだけ」
「姓は?」
「なし」
「本名ですか?」
「……偽名」
「認めるんですか」
「本名だって嘘ついても仕方ないだろ。呼べるならいい」
こうして、ようやく名前だけは得た。
そして。
「次、嬢ちゃんのD・ホイール作るか」
「私の?」
普通のD・ホイールではシエルにとって大きすぎる。身体能力、反応速度、姿勢制御の高さを活かすには、マシンに身体を合わせるより身体にマシンを合わせる方がいい。
「D・ホイールから『乗るための部分』を減らして、身体へ直接固定する」
試作を重ねる。
最終案。
細身の装着型D・ボード。
左右に小型推進ユニット。
後部に二基のブースター。
下面に小型車輪。
高速域では可変翼。
「完全には飛ばない?」
「完全な反重力ではありません。高速走行で揚力を作り、接地荷重を減らします」
「ジャンプ後は?」
「短時間、低空滑空できます」
「やっぱ飛ぶじゃん!」
「滑空です」
◇
試走当日。
テストコースの路面にはまだ朝の冷たさが残っていた。
シエルは細身のボードへ両足を固定し、腰部ハーネスを確認する。通常のD・ホイールのような大きな車体はない。身体の下にあるのは、推進器と可変翼を詰め込んだ一枚の装備に近い。
起動。
足元から低い振動が返ってくる。
シエルが身体を倒す。
それだけで、ボードがほとんど遅れなく旋回へ入った。
ハンドルを介さない。身体の重心移動そのものが操舵になる。
高速域で可変翼を展開。
高速域へ入ると可変翼が開き、路面から伝わる細かな振動が急に薄くなる。
前方の小さな段差。
シエルは減速しない。
ボードが路面を離れた瞬間、左右翼の角度を調整。後部ブースターが短く噴き、落ちるはずだった軌道がわずかに前へ伸びる。
一秒。
二秒。
三秒。
路面すれすれを、影だけが追いかけていた。
「飛んでる」
シュテルが呆然と呟く。
「滑空です」
「いや、今のは飛んでるだろ」
「滑空です」
「絶対譲らない!」
「絶対譲らない!」
ライディングデュエルでは両手が自由。カード操作にも向いている。
一般人向け制限モードは最高出力40%。
シエルモード100%。
「そのモード名誰が決めたの?」
「僕」
「ブルーノだった」
テスト終了後。
「改善点は三つ。高速旋回時の左ブースター制御。着地直前の翼角。そして――もう少し速くできます」
遊星とブルーノの目が同時に輝く。
「やろう」
「やろう!」
「誰か止めろ!」