D・ホイールの開発効率が上がり、遊星の生活も少しまともになった。
そこでようやく。
男――まだ名前を明かしていない飲んだくれが、別の問題へ目を向けた。
家計である。
「ブルーアイズ・マウンテン」
男は深刻そうにジャックを見る。
「一杯三〇〇〇円は家計にダイレクトアタックだろ」
「価値ある一杯に金を惜しむ理由などない!」
「その金、誰が出してる?」
「…………」
クロウのこめかみが引きつる。
「十二杯飲んだら三万六千だぞ!」
「必要経費だ」
「何の!?」
シエルは考える。
「三〇〇〇円という価格だけでは判断できません。ただし、ジャックさん本人がその差を認識できているかは別問題です」
「それだ。試そう」
◇
翌日。
ガレージの作業台は、一時的に実験台へ変わっていた。
油の匂いが残る工具類は端へ寄せられ、その中央に白い布が敷かれている。その上に並ぶのは、同じ形、同じ色、同じ温度に整えられた三つのカップ。
A。
B。
C。
一つはブルーアイズ・マウンテン、一つは一般価格帯、一つは安価な市販品。
シエルが条件を統一する。
豆量。挽き目。湯温。抽出時間。抽出量。カップの形状と温度。提供順序も無作為化。
「先入観を排除するため、私もどれが本物か知りません。遊星さんに番号を割り振ってもらいました」
「完全に二重盲検になってんじゃねえか」
まずA。
ジャックはカップを持ち上げると、いきなり飲まずに香りを確かめた。さすがにそこは慎重だった。
一口。
舌の上で転がすように少し間を置き、静かにカップを戻す。
「重厚な苦味。その奥から立ち上る芳醇な香気。そして高貴な余韻。悪くない」
シエルは無言で記録する。
B。
「これは違うな。酸味が前に出すぎている」
C。
「雑味のない苦味。キングの魂を安らげる高貴なる余韻! これこそブルーアイズ・マウンテンだ!」
遊星が答えを見る。
「A、一般価格帯。B、安価な市販品。Cも安価な方だ」
「…………」
「BとC、同じ豆だ」
男が机へ突っ伏す。
「同じ豆!?」
「完全に同じロット」
「Cには明らかに高貴な――」
「同じ豆です。湯温も抽出時間も挽き目もカップも同一」
本物はA。
「俺は最初からAだと分かっていた」
「嘘つけ!」
ジャックの強い要求により、再試験が実施された。
ただしシエルは「一回ごとの量を減らす」という条件を付けた。味覚の検証より先にカフェインで体調を崩されては、本末転倒だからだ。
結果。
十回中、正解三回。
「ほぼ確率通りですね」
「つまり?」
「今回の条件では、ジャックさんがブルーアイズ・マウンテンを識別できるという仮説を支持する結果は得られませんでした」
男が翻訳する。
「バカ舌」
「誰がバカ舌だ!」
ただしシエルは代替の一般価格帯Aをすすめる。
「今回、本物よりAを高く評価していました」
「…………」
「価格を伏せた状態で、どちらを飲みたいですか?」
ジャックは比較し、非常に小さな声で。
「……A」
「決まり!」
家計は平和になった。