TS転生なんかしたくなかった 作:害悪転生者
『ワァアアアアアアアアア!!!』
闘技場に辿り着いて、その歓声と熱気に気圧された。
会場の外ではまったくと言って良い程にそんな音はしなかったのに、入った瞬間体がビリビリと痺れる程の大音量が響き渡った。
顔をしかめて両耳を塞ぐが、気を抜けば尻餅をついてしまいそうになるほどの勢いが、そこにはあった。
「あっ……」
蚊の鳴くような声が隣から聞こえた。
耳を塞ぐ為に繋いだ手を離した事で、緑の少年が残念に感じたのだろう。
けれどそれ以上にあまりにも五月蝿くて、そんな態度を気にしてはいられなかった。
慣れるまで、ちょっと待ってて欲しい……。
「さあ、私の権限で良い席を用意させて貰ったぞ! こっちだ、行くぞ!」
叔母の声はこんな中でもよく響き、塞いだ耳にもよく響いた。
頭がガンガンする……まったく、とんでもない場所だ。
意気揚々と歩みだす叔母の後を、少年と共にはぐれないようについていくのだった。
闘技場は円形の吹き抜けになっていて、前世の『闘技場』のイメージそのままといった感じだ。
ぐるりと囲うように観客席が高い位置に設置されていて、見下ろして観戦出来るようになっている。
観客席の合間には、何やら前世の野球場かのように小食や飲み物を売って回っている売り子がいて、観客席から離れた外縁部には少し豪華な軽食の売店がある。
歩いていくと肉の焼ける香ばしい匂いや、甘い揚げ物の匂い等様々……。
何処か見覚えがありつつ、前世とは少し違う品々に、なんだかんだ似たような進化をするのかと感心する。
わっ、アイスクリームのようなものまであるのか……すごいな。
氷の精霊がやってるアイスクリーム屋さんか……後で食べよう。
「さあ、ここだここだ。適当に軽食を見繕ってくるから、少し待っていてくれ」
やがて叔母につられて来たのは、闘技場のフィールド全てがしっかり見渡せる席だった。
前には誰もおらず、見るのを邪魔するものはない。
おまけに席にはクッションに背凭れまであり、影には闘技場が用意しているのだろう警備員までいて、なんとも至れり尽くせりだ。
……ただ、護衛である貴女がいなくなるのはどうかと思うが?
「はい、ありがとうございます!」
緑色は元気よく答えて、用意された席に躊躇なく座った。
顔は既にフィールドに釘付けなようで、護衛が俺達から離れた事については何も感じていないようだ。
いや、目の前の光景に意識を向けすぎてそこまで頭が回っていない、が正しいか。
時折見せてくるが、普段はいくら大人びていても、この子もまだまだ子供という事か。
微笑ましく思いながら、俺も席につく事にする。
隣り合う席にひょいと腰掛けて、視線をフィールドへと向けた。
闘技場は常に騒がしく、歓声や悲鳴、鉄のぶつかりあう音や様々な魔法が飛び交う、凄まじく現実離れした光景だった。
……いや、今生じゃこれが普通か。
刃を振るう闘士の一人一人が、前世からしたら人間離れした動きをしているが、相対する相手もそれが当然かのように刃を交わしあう。
俺の目からは瞬間移動したかのように映る攻防も、彼らにとっては当然のやりとり。
改めて……異世界に転生したという事実を感じられる光景だった。
「わあ……凄い……」
不意に感心したような声が隣から漏れた。
察するに……こういう場に慣れていないか……彼の想像以上に闘士達のレベルが高いかだ。
どっちかはわからないが、驚いているような感じもあるし、後者な気がする。
今日闘技場で戦っている闘士達は、あくまでもよく闘技場を利用しているだけの一般人でしかなく、この国の兵士でもなければ戦いを専門にしている者でもない筈だ。
それを見て強さに感心しているのであれば、この国の強さのレベルは思ったよりも高いのかもしれない。
「買ってきたぞ!」
両手いっぱいの串焼きを抱えてきたこの国最強の叔母を振り返って、そう思った。
……いや、串焼きだけ?
やれやれ……偏りすぎでしょうよ叔母さん……。
取り敢えず飲み物か何かをうりこに頼んで……それと後でアイスクリームも買って貰おうかな。
「いただきます! ……んー! おいひいです!」
「だろう? こいつは退役した奴がやってる店のモンでな。こいつの作る飯は美味いと元々評判だったんだ!」
良い匂いをさせた串焼きは、少年に吸い込まれていく。
何の肉かもわからんのによく躊躇いなく食うな……いや、戦いに夢中になってるから気にする余裕がないだけか。
嬉しそうに咀嚼する少年は、そのまま二口、三口と大振りな肉を頬張っていった。
「……おっと、頬にタレがついてるではないか。レイチェル、拭ってやってくれ」
ふと、同じように串焼きを頬張っていた叔母が、少年の方を7見た後にそう言って俺にハンカチを手渡してきた。
ご機嫌に食い続けていたからか、勢いあまって頬についてしまったのだろう。
なんで俺が、という思いはあれど大人しく受け取り、顔にハンカチを向けた。
……このへんかな?
ぶにっ
「ぶぇ」
「もうちょっと下だぞ」
変な声を漏らした少年に、俺は小さく頭を下げた。
……やれやれ、こういう時困るなぁ……。
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闘技場は本日も盛況であった。
力をもて甘し気味の魔国の住人達にとって、この場所はまさに楽園。
思う存分暴れ、戦う事が出来る闘技場を利用していない国民は殆どいない程であった。
観客として見るだけでも楽しく、戦えない者達も闘技場へと訪れる。
そして素晴らしい戦いを見て気が大きくなった客は屋台で容易く金を落とし、更に闘技場は賑やかになっていく……素晴らしいサイクルが出来ていた。
戦闘を行うフィールドのすぐそばでは救護班が常に待機しており、癒属性を会得した治癒魔術師が控えも含めて何人も雇われている。
決着がついた戦いの後は即座に治療が始まり、命に関わると判断すれば独断で試合を中止し治療を始める権限まで持たされている。
それ故に闘技場が始まってから死者はおらず、不慮の事故で重傷者が数人出たくらいで、この数年問題は起きていなかった。
更に、時折行われる大会で優勝すれば賞金は勿論、厚待遇で国や荒事の専門職に迎え入れられたりと、良いこと尽くめである。
日々の戦いっぷりから国の兵士に、冒険者にとスカウトされた実例も少なくなかった。
そして今日も、この国の姫と同盟国の王子を迎えた闘技場は、熱い勝負を続けるのだった。
ガキンッ!
キィンッ!
ゴオッ!
剣と剣のぶつかりあう音、振るわれた刃を盾で弾き返す音、隙を縫うように放たれた火の魔法。
様々な音が入り交じり、そこに歓声まで加わり、闘技場は常に騒がしい。
緑の少年と深紅の女傑はそんな光景に手に汗を握り、闘士の勇姿に一喜一憂し、ムシャムシャと串焼きを頬張り続けていた。
この調子じゃすぐなくなるなと、肉の無くなった串を咥えながら深紅の少女は思う。
丁度すぐ後ろに、穀物を様々な味付けで炒ったような軽食が売られている……深紅の少女の前世でいうポップコーンのようなものだろうか。
カップのようになった入れ物に山と盛られたそれを口に運ぶ客の口からは、サクサクカリカリと小気味良い音が響いているようだった。
「叔母様、アレを買いたいのですが――」
「ん!」
試合に夢中になっているのだろう、そう懇願された団長は間髪入れずにお金を放った。
自分で買いに行けということなのだろう。
護衛としてどうなのかと、本日二度目の疑問を抱きながらも、水を差すのも悪いと少女は肩を竦めた。
受け取った金額が、余裕で山盛りが十は買える金額であった事は気にしない事にした。
「よっ、と」
座り心地の良い椅子から飛び降り、少女はすぐそばの出店へと向かうのだった。
「まいどありぃ!」
その後特に問題なく購入した少女は、両手に山と盛られたカップを抱えてゆっくりと席に戻っていた。
盛りが良いと評判なそれに顔を近付ければ、香辛料が鼻をつき、炒られた香ばしい匂いが食欲をそそる。
そのまま一つ口で直接つまんで見れば、口いっぱいに広がる香ばしさからのピリリと走る辛味、サクサクカリカリとした食感……これはすぐに次が欲しくなる味だと少女は何度も頷いた。
そして、席についたその時、それは起きた。
ガキィイイインッ
フィールドで今まさに真正面から勢いよくぶつかった刃が折れて、勢いよくそして空高く宙を舞った。
くるくると弧を描く銀の刃はそのまま、あろうことか観客席へと落ちていく。
そう、丁度深紅の少女のいる位置へ。
「……え」
少女はそれを何処か上の空で眺めていた。
向かってくる刃はこのままでは自分の頭に落ちそうだと理解してるのに、その足は動かない。
今勢いよく動いたら両手の軽食が溢れちゃうな、なんて事を考えて少女は他人事のようにそれを見ていた。
その瞳に浮かぶ感情は……諦めと安堵だった。
「……まぁ、いいか。これで死ぬのもそれはそれで……」
心底どうでも良さげに呟いて、少女はそれを見つめ続けていた。
自らの生を終わらせてくれるかもしれない、凶器を。
少女は希死願望を抱いているが、自分から死ぬ気はなかった。
それは今世の両親に世話になった事への感謝を抱いている事もあるし、自分が死ぬ事で起きる問題等を理解している事もある。
だが何よりも、自分が転生者である自覚があるからだった。
この体の、レイチェルという少女の人生を奪い潰した自覚があるかこそ、積極的に死ぬつもりはなかった。
けれど同時に常に思っていた。
何か、命の危機に陥った時に抗う事はないだろうと。
故に少女はただそこにいた。
今まさに自らの命を脅かす刃が降ってくるのを、いくらでも対処出来る事態を、ただ受け入れて立ち竦んでいた。
「キャアアアアア!」
飛ぶ刃を目で追っていた観客が悲鳴をあげた。
少女はただ自分へと落ちてくる刃を見て、そっと目を伏せた。
その時だった。
「レイチェルっ!」
必死な、少年の声が少女の鼓膜を揺らした。
視界の端から緑色が飛び出してきて、少女を覆うように包み込んだかと思えば、その華奢な体をあっという間に押し倒していた。
がばっ
ドンッ!
「ん!? ぐっ!?」
硬い床に押し倒され、少女は衝撃で息を詰まらせる。
突然の状況の変化に混乱しつつ、瞳を瞬かせた。
視界の端に、ここ最近見慣れ始めた緑色が見える。
少年に押し倒されて庇われたのだと、少女はすぐに理解する事が出来た。
少女の視界は空を向き、強かにうった背中がじんじんと痛む。
そして、覆い被さるように少女を抱き締める少年の体は、少し震えていた。
それも当然、飛んできていた刃に当たれば無事では済まなかったと少年自身が一番よくわかっていたのだから。
「はっ……はっ……」
少女の耳に荒い息遣いが入った。
それが震える少年のものであると、少女は見えなくてもわかった。
少女はただ呆然と空を眺めていた。
腕に抱えていたカップはぶちまけられ、炒った穀物がそこらに拡がっていても、鉄の擦れあう音がして焦った様子で鎧姿の者達が現れても、深紅の女傑がそんな者達を怒鳴り飛ばしていても、そもそも飛んできていた刃は叔母が粉微塵にしていたと微笑まれても。
自分を抱き締める温もりに、死ねなかった事に、ただの少年に庇われたという事実に、そのせいで危険に晒したという結果に、余計な事をと考える自分に、愕然として。
見開かれ焦点の合わない金色の瞳が、ゆらゆら、ゆらゆらと揺れ続けていた。