マンハッタンカフェの奇妙な現実来訪   作:灯火011

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グッドモーニング、マンハッタンカフェ

 目を覚ますと、視界の高さと身体の重心が、昨日までと決定的に違っていた。

 

 頭が重い。いや、首回りから背中にかけて、黒く滑らかな「滝」のようなものがまとわりついている。見慣れたはずの自分の部屋のベッドから身を起こすと、その黒い滝――異様に長い髪が、さらりとシーツにこぼれ落ちた。

 

「……は?」

 

 喉から出た音は、くぐもった男の低い声ではなく、静かで透明感のある、どこか影を帯びた少女の声だった。

 

 慌てて洗面所へ向かい、鏡を覗き込む。

 

 そこに映っていたのは、どこかで見覚えのあるような気がする、長身の少女だった。

 

 病的なまでに白い肌。

 

 黄色がかった、どこかミステリアスな瞳。

 

 そして、腰のあたりまで伸びた艶やかな黒髪。

 

 現実離れした整った顔立ちだが、どこか薄暗いオーラを放っている。二次元のキャラクターがそのまま現実世界に顕現したような、あるいはどこかのゲームで見かけたことがあるような……そんな奇妙な既視感があった。

 

 だが、驚くべきことはそれだけではなかった。

 

『……おはようございます』

 

 脳内に直接響くような、しかしすぐ耳元で囁かれたような声。

 

 振り向くと、そこには「鏡に映る今の自分」と全く同じ姿をした、半透明の少女が宙に浮いていた。彼女の両手には、どこから取り出したのか湯気の立つマグカップが握られている。

 

 そして彼女の周囲には、黒いモヤモヤとした、不定形の影がいくつもうごめいていた。

 

「……幻覚、か? 俺はついに過労でイカれたのか?」

 

『幻覚ではありません。……どうやら、信じがたいことですが、私の身体にあなたの魂が宿ってしまったようです』

 

 半透明の少女は、マグカップにゆっくりと口をつける仕草をしながら、静かに目を伏せた。

 

『ここが、あなたたちの言う「現実世界」……。私のいた世界とは、空気が随分と違いますね。それに……』

 

 少女の視線が、部屋の隅でうねうねと蠢く黒い影たちに向けられる。

 

『「お友達」も、一緒についてきてしまったみたいです』

「……お友達」

『ええ。あなたにも視えているでしょう?』

 

 ……頭が痛いが、現状を整理しよう。

 

 ここは間違いなく、昨日まで俺が住んでいた日本の安アパートだ。窓の外からは見慣れた電車の音が聞こえるし、ファンタジー世界に転移したわけではない。

 

 だが、俺の身体は「どこかで見覚えのある、黒髪ロングの謎の美少女」に変わっており、おまけにその本来の持ち主であるらしい霊と、不気味な黒い影たちに囲まれている。

 

「……とりあえず、その長すぎる髪の毛が背中に張り付いて気持ち悪いんだが」

『……私のトレードマークなのですが』

 

 少しだけ不満げに目を細める半透明の少女。ほっぺを抓ってみるが、どうも起きる気配はない。つまり、俺はこの「現実世界」で、この目立ちすぎる容姿の体と、奇妙な同居人(霊?)たちと共に生きていかなければならないらしい。

 

「……コーヒー、淹れるか。話はそれからだ」

『……ええ。それがいいと思います。ブラックでお願いしますね』

 

 まずは落ち着こう。インスタントコーヒーでも飲みながらお互いの状況をすり合わせるのが先決だ。

 

 鏡の中の少女――つまり俺は、長すぎる黒髪を煩わしそうに手で払いながら、キッチンへと向かった。いずれ、もう少し身軽な髪型(ウルフカットとか)に切ってしまおうと密かに決意しながら。

 

 

 お湯を注ぐと、安物のインスタントとは思えないほど深く豊かな香りが鼻をくすぐった。どうやら身体が変わったことで、嗅覚まで鋭敏に研ぎ澄まされているらしい。

 

 湯気の立つ二つのマグカップをテーブルに置き、俺――黒髪ロングの美少女――は、向かいに浮かぶ半透明の少女と正面から向かい合った。

 

「……ひとまずはお互いを紹介しよう。俺は、四月一日だ。30歳。間違いなく昨日まで男だった」

『マンハッタンカフェ、と申します。……こちらは、お友達です』

 

 カフェと名乗った彼女がそっと視線を横に向けると、部屋の隅で蠢いていた黒いモヤの一つが、スルスルと背の高い人型へと変化した。そして、律儀にも俺に向かってペコリと深いお辞儀をした。

 

「……幽霊なのに丁寧だな。で、あのさ、説明できるかわからんけどその、どういう状況なのこれ?」

 

 俺がブラックコーヒーを一口啜って単刀直入に尋ねると、カフェは静かにマグカップを両手で包み込むような仕草をした。

 

『悪霊を祓おうとしていたのですが、少々失敗しまして』

 

 コクコクと、横にいる人型の影――「お友達」も、申し訳なさそうに深く頷いている。

 

『気づきましたら、こういう状況です』

 

 カフェはどこか他人事のように、ふわりと肩を竦めた。

 

「悪霊ってお前……」

 

 ツッコミどころは山ほどある。オカルト全開の理由もそうだが、何より俺が今一番気になっているのは、自分の身体にくっついている「異物」についてだった。俺は、頭のてっぺんからピンと生えている黒い獣の耳と、腰のあたりから伸びているふさふさの尻尾を指差した。

 

「っていうか、この耳と尻尾何? これも悪霊の影響?」

『あ、いいえ。それは、本来の姿ですよ』

「これが?」

『ええ。私はウマ娘、ですので』

 

 事もなげに言われたその名詞に、俺は困惑に顔をしかめた。

 

 ―――ウマ娘。

 

 見覚えがあると思ったのはそれか。たしか、現実の競走馬の名前と魂を受け継いだ少女たちが走るという、スマホゲームやアニメのキャラクターだ。しかし、あれはあくまでエンターテインメントの話であって。

 

「いや、ウマ娘って、架空の存在じゃあ……」

 

 俺の反応が面白かったのか、それとも予想通りだったのか。カフェは小さく口元を綻ばせた。

 

『ふふ。この世界では架空です。しかし、存在はするのですよ。違う世界に』

 

 彼女はとても楽しげに笑った。そのミステリアスな瞳の奥には、確かな真実が揺らめいている。

 

「違う世界? なんだ、君は違う世界から来たってか?」

『ええ。少しばかり、世界線を越えてしまいました』

「……否定したいが、実際俺、ウマ娘になってるもんなぁ」

『はい……』

 

 ――どうやら俺は、ただの美少女になったわけではなく、「別世界からやってきたウマ娘の身体に魂が入ってしまった」というとんでもない事態に直面しているらしい。

 

 

 俺は手元のスマホを引き寄せ、検索エンジンに「マンハッタンカフェ ウマ娘」と打ち込んでみた。画面に表示された検索結果の画像を、鏡に映る自分と交互に見比べる。

 

 なるほど、確かに。

 

 イラストと目の前にある「現物」とでは、どうしてもリアルな質感や細かいディテールに違いはあるが、この引きずりそうなほど長い黒髪、神秘的な黄金の目、そして何より頭の耳と腰の尻尾。

 

 どう見ても、間違いなくマンハッタンカフェ本人(?)だった。スマホをテーブルに置き、俺は深く、深くため息をついた。

 

「……いやどーすんこれ?」

『大変、申し訳ございませんでした、としか』

「あー、いや。あんたが悪いっていうか、悪霊のせい、なんだよな。戻れる算段は?」

『全くないですね』

 

 カフェの即答に合わせるように、横に立つ人型の影――「お友達」も、うんうんと力強く首を縦に振った。

 

「ないってか……。いや、そもそもなんで悪霊退治なんかを?」

『ああ、それは、友人のウマ娘が、少々実験に失敗しまして。その反動で、よかぬものを目覚めさせてしまったんです』

「至極迷惑な友達だな?」

『まぁ、いつものことですから』

 

 遠い目をしてコーヒーの香りをかぐような仕草をするカフェ。……いつものこと、で済ませていいレベルの実験とやらが非常に気になるところだが、ややこしなるから深く突っ込むのはやめておこう。

 

『それで、仕方なく私が祓うつもりだったんですが』

「仕方なくとかいろいろ突っ込みたいが……まぁ、で……、結果こうなった、と」

『ええ。言ってしまえば、除霊失敗の反動で、次元の狭間に巻き込まれた、と言うべきでしょうか?』

 

 自分自身の身に起きた、しかも異世界へ飛ばされたというトンデモない状況を語っているというのに、彼女の声音は凪いだ湖面のように静かだった。

 

「うーん、それにしてはなんか落ち着いてない?」

『まぁ、その……見えざる者が見える体質なので。このぐらいのことは、いつか起こって然るべきと思っていました』

「うーん達観してるね。俺は大混乱だよ」

 

 静かに微笑む半透明の彼女に対し、俺は思わず苦笑して肩をすくめた。

 

 自分でも驚くほど冷静に会話できている気はするが、それはおそらくこの「マンハッタンカフェ」という少女の身体が持つ、元々の落ち着いた気質に引っ張られている部分もあるのだろう。

 

 とはいえ、この目立ちすぎる容姿のまま、俺の本来の現実生活(家賃の支払い、仕事、ご近所付き合いなど)をどうやってこなしていくのか。

 

 問題は山積みだった。

 

 

 預金通帳や書類を確認しながら、ひとまずは安堵の溜息を吐く。

 

「ひとまず生活費は、切り詰めれば一年近く分は、ある。ただ、この姿をどうしたものかね?」

 

 俺は、動くたびにさらさらと腕にまとわりついてくる長い黒髪を鬱陶しそうに弄りながら頭をひねった。

 

『お仕事は、何をなさっているのですか?』

「日雇い。工事現場から事務員、工場作業員なんでもござれ。重機も運転できるぜ」

『それはすごい、ですね』

 

 カフェが感心したように目を丸くすると、傍らに立つお友達も「おおー」と無音の拍手をするような身振りを見せて深く頷いた。

 

『……あの、その。申し上げにくいのですが』

 

 カフェは、手元のマグカップから漂っているであろう珈琲の香りをゆったりと楽しみながら、少しだけ申し訳なさそうに上目遣いでこちらを見た。

 

『可能であれば、戻るお手伝いをして頂きたいのですが』

「ああ、まぁ、そりゃな? 協力するよ。俺もこのままじゃあ困るし。つーか、仕事はいったんキャンセルしとくか」

 

 俺はテーブルのスマホを手に取ると、メッセージアプリのLINEを開いた。現在入っている仕事先へ、「暫く体調不良で休む」と手早く連絡を入れていく。こんなコスプレじみた、しかも本物の耳と尻尾付きのなりで現場に行ったら、色々な意味で大騒ぎになるのは目に見えている。

 

 手慣れた様子でスマホを操作する俺をじっと見届けつつ、カフェが再び深々と頭を下げた。

 

『本当に申し訳ありません』

「いいってことよ。気楽に休めるから日雇いしてるわけだしよ。それに、こうなったら運命共同体だからな」

 

 送信ボタンを押し終えてスマホを伏せ、俺は肩をすくめた。

 

「っても、これからどうしたものか見当もつかねーな」

『ええ……』

 

 同意するカフェの横で、お友達も「うーん」と首を傾げ、腕を組んで悩むような仕草を見せている。

 

 悪霊退治の失敗。

 

 次元の狭間。

 

 ウマ娘化。

 

 情報量が多すぎて、いくら考えても妙案など浮かんでこない。

 

 ……こういう時は、腹を満たすに限る。

 

「……ひとまず、飯でも食うか」

 

 俺は椅子から立ち上がると、見慣れない長い尻尾をゆらゆらと揺らしながらキッチンへと向かった。

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