夜。再びあの複雑怪奇な勝負服との格闘を経て(カフェたちの指導のおかげで、昨日より5分ほどタイムが縮んだ)、俺はスマホを三脚にセットした。
「……こんばんは。かっふぇです」
配信開始ボタンを押し、数万人の待機視聴者に向けて静かに語りかける。
「今日は、皆様からのリクエストを受けて、ポーズをとります」
その宣言とともに、コメント欄は凄まじい勢いで流れ始めた。
『うおおおおお!!』
『今日も美しい! 勝負服助かる!!』
『ポーズのリクエスト!? やったあああ!!』
『【赤スパチャ ¥5,000】腕を組んで、正面から少し見下ろすようなポーズをお願いします!!』
「……わかり、ました。腕を組んで、ですね」
俺はカメラの前で、言われた通りのポーズをとろうと腕を動かした。――が、その瞬間、視界の端で空中のカフェが鋭く目を光らせた。
『違います、四月一日さん。もっと手は伸ばして上です。……お友だち、お手本を』
カフェの指示を受け、俺のすぐ隣に立つお友達の影が、スッと滑らかな動きで腕を組み、美しい立ち姿を披露した。俺は内心で(あ、ハイすみません!)と冷や汗をかきながら、お友達のポーズを鏡合わせのようにそっくりそのままトレースする。
『そう。そうです。そのまま顎を少し引いて、視線だけをレンズに』
(了解っす、カフェ先生!)
脳内で返事をしつつ、俺はカフェの指示通りに完璧な角度でポーズをキメた。
『ひえっ……最高……』
『見下ろされてる! たまらん!!』
『スクショの手が止まらない!!』
『美しすぎて彫刻か何かか?』
画面の向こうの視聴者は、俺とカフェとお友達による「三人羽織」の結晶であるとも知らず、その完成された美に熱狂している。
『スマホを覗き込むようなポーズをお願いします!』
「……こう、でしょうか」
俺がスマホに顔を近づけようとすると、すかさずカフェから『背中を丸めない! 腰から曲げて、上目遣いを意識してください!』とダメ出しが飛び、お友達が横で完璧な前傾姿勢のポーズをとる。俺はそれに寸分違わず身体を合わせる。
『うわあああああ目が合ったあああ!』
『距離感!! 近い近い近い!!』
『【赤スパチャ ¥10,000】心臓止まるかと思った』
その後も、次々とリクエストに応えていく。ウマ娘の無駄な筋力と体幹のおかげで、どんなキツい体勢でもブレずに静止できるのが意外なところで役立っていた。
しかし、コメント欄がヒートアップしていくにつれ、要求も少しずつエスカレートしていく。
『もっと目を見せてほしい! 超アップにして!』
『その耳ってどうなってるんですか!? 動いてるのすごい! 触りながら構造を教えて!』
『尻尾の付け根見せて!』
(ヤバい、これ以上カメラに近づいたり耳をいじったりすると、完全に作り物じゃない「本物の生体器官」だってことがバレる)
俺は心の中で警鐘を鳴らし、スッと元の立ち位置に下がった。
そして、ほんの少しだけ悲しげな、それでいて拒絶の色を滲ませた「マンハッタンカフェ特有のアンニュイな表情」を作り上げる。
「……ごめんなさい。今日は、あくまで、ポージングだけ、です」
静かなウィスパーボイスでそう断ると、コメント欄は荒れるどころか、さらに別の方向へと盛り上がった。
『ですよね! すみません調子乗りました!』
『安売りしないスタンス、解釈一致すぎる』
『断る時のちょっと冷たい目が最高です、ありがとうございます!』
『【赤スパチャ ¥5,000】謝礼です! 無理言ってすみませんでした!』
(……チョロいな、この世界の連中。ま、油断せずに行こう)
内心でホッと息を吐きつつ、俺は隣で「大成功!」とばかりにガッツポーズをキメているお友達の影と、空中で満足げに頷くカフェ先生に向かって、誰にもバレないように小さくウインクを送った。
こうして、完璧なウマ娘のビジュアルと、完璧なポージング指導、そして俺の図太い神経が合わさった「かっふぇの日常」ポージング配信は、かつてないほどの熱狂と莫大な投げ銭を生み出しながら、大盛況のうちに幕を閉じるのであった。
■
配信の熱狂も冷めやらぬ深夜。俺は再びキッチンに立ち、夜食、というにはあまりにも本格的な量の準備に取り掛かっていた。
昼間、東京競馬場のフードコートであれだけのB級グルメを胃袋に詰め込んだというのに、どういうわけか腹の虫が限界を訴えて鳴り止まないのだ。
ファンから届いた米を再び炊飯器にセットし、冷蔵庫のあり合わせの肉と野菜で大盛りの炒め物を作る。それをどんぶり飯に乗せ、かきこむ。
「……飯は美味いけど。昼飯であんだけ食ったのに、なんでこんなに腹が減るんだ……?」
もっしゃもっしゃと頬張りながら疑問を口にすると、宙に浮かぶカフェが、ふふっと小さく笑みをこぼした。
『魂が馴染んできた証拠、かもしれませんね』
「馴染んできた?」
『ええ。最初は私という異物の身体をただ動かしているだけだったのが、四月一日さんの魂がウマ娘の肉体と深く結びつき、その本能や燃費の悪さを完全に共有し始めているのだと思います』
彼女の言葉に、足元のお友達の影も「ウンウン」と深く頷いている。しかし、その理屈を聞いて、俺はどんぶりを持ったままピタリと動きを止めた。
「……いや、それ大丈夫なやつ? 俺の魂が馴染みすぎたら、いざって時にカフェさんがこの体に戻れない、なんてことにはならないか?」
もし俺がこの身体の『正当な主』として定着してしまったら、彼女たちは永遠に宙を浮遊するだけの霊体になってしまうのではないか。そう思い冷や汗をかいたが、カフェはあっけらかんとした様子で肩をすくめた。
『その点はご心配ありません。本来の持ち主である私が、こうして弾き出されたのですから。戻るべき時が来れば、魂の結びつきなど関係なく元に収まるはずです』
『全くその通り!』とばかりに、黒い影もカフェと同じように肩をすくめるジェスチャーをした。
「……まぁ、言われてみりゃそりゃそうか」
持ち主が追い出されるようなイレギュラーが起きているのだ。今さら魂の馴染み具合を心配しても始まらない。俺は納得して、再び炒め物に箸を伸ばした。
と、そこで。
ふと、俺の脳裏にとある突拍子もない考えが閃いた。
「……なぁ、カフェさんや」
『はい? なんでしょうか』
俺は箸を止め、空中のミステリアスな美少女の顔をまじまじと見つめた。
「もしかしてさ。この先、何らかの方法が見つかって、カフェさんが無事にこの体に戻れたとするじゃん」
『ええ』
「でも、俺の元の肉体は行方不明のままだ。……ってことは、カフェさんが元に戻った時、肉体がない俺の魂はどうなるんだ?」
『ふむ……』
「もしかして……カフェさんたちのいた元の世界に、なんというか、今のカフェさんたちみたいに幽霊として迷い込む可能性なんてのは――」
俺の背筋に、得体の知れない悪寒が走った。
異世界(トレセン学園)で、三十路の元日雇い労働者のおっさんが、ウマ娘たちの背後をウロチョロする謎の悪霊(お友だち)として顕現する未来。完全に事案である。お祓いされるどころの騒ぎではない。
俺の顔が徐々に青ざめていくのを見て。
カフェは黄金の瞳を面白そうに細め、夜に咲く花のように、どこか蠱惑的な笑みを浮かべた。
『……あるかも、しれませんね?』
「いや笑い事じゃねぇえええええええ!!」
俺の悲鳴が、深夜のアパートに虚しく響き渡る。傍らでは、お友達が「新しいお友達だー!」とばかりにバンザイをして狂喜乱舞していた。
俺の肉体探しは、インフルエンサー活動と同等か、それ以上に急を要する最重要課題として、ここに正式に認定されたのだった。
■
「幽霊になってあっちの世界をウロつく」というホラーすぎる未来予想図に戦慄したのも束の間。日雇い労働で鍛えられた俺の図太い神経は、数十分後にはすっかり通常運行へと戻っていた。
夜のルーティンである、入浴の時間だ。
狭いユニットバスの鏡に映る、自分の(仮の)裸体を直視しても、今となっては別段慌てることもない。最初の頃こそ「うおおおおお!?」と目を瞑ってシャンプーをしていたものだが、人間、中身はおっさんだが、慣れればどうにでもなるらしい。
『四月一日さん。耳の付け根の裏側、まだ泡が残っていますよ』
『尻尾も、毛並みに沿ってもう少し優しく洗ってください』
空中に浮かぶカフェが的確な入浴指導を飛ばしてくる。俺は「はいはい」と気の抜けた返事をしながら、言われた通りに洗い残しを流し、丁寧に長い髪と尻尾をケアした。
そして風呂上がり。洗面所の鏡の前に立ち、俺は深く長いため息をついた。ここからが本当の戦いである。
「……あー、めんどくせー」
俺はファンからの貢ぎ物(欲しいものリスト経由)で届いたばかりの、横文字のブランド名が書かれた化粧水のボトルを手に取った。
コットンにたっぷりと染み込ませ、顔にペチペチと馴染ませていく。続いて、これまたファンから送られてきた高級ヘアオイルを手のひらに伸ばし、腰まである艶やかな黒髪に揉み込んでいく。
「男の俺からすりゃ、風呂上がりなんてタオルで拭いてパンツ一丁でビール、で終わりだったんだぞ。なんでこんな何工程も踏まなきゃなんねぇんだ……」
ドライヤーで丁寧に髪を乾かしながら愚痴をこぼす俺を見て、宙に浮かぶカフェは面白そうにふわりと微笑んだ。
『私の身体ですから。しっかりと、メンテナンスはしてくださらないと』
「わかってるよ。この『ガワ』が俺たちの唯一のメシの種なんだからな。……にしても、髪長すぎだろ。腕が疲れる」
ぶうぶうと文句を垂れつつも、俺は彼女の美しい黒髪が傷まないよう、指示通りに丁寧にブラッシングを続けた。
ふと足元に視線を落とすと、そこではお友達の影が、どこから持ってきたのか化粧水のボトルを手に持ち、自分の顔のあたりをパシャパシャ、ペチペチと叩くような仕草をしていた。
「……いや、お前そもそも顔? ないだろ」
俺がツッコミを入れると、影は「ハッ!」としたように動きを止め、自分の顔のあたりをペタペタと触って確認してから、シュンと項垂れた。
『ふふっ……』
そのシュールなコントのようなやり取りに、カフェが肩を揺らして上品な笑い声をこぼす。
慣れない女性の身体、終わりの見えないインフルエンサー生活、そして元の肉体の行方。不安要素を挙げればキリがないが、少なくとも今は、この奇妙で賑やかな日常が不思議と居心地悪くはなかった。
「よし、メンテナンス完了。明日はどうする? 何か動画のネタでも考えるか?」
すっかりサラサラになった髪と尻尾を揺らしながら振り返ると、カフェとお友達は顔を見合わせ、楽しげに頷いた。
(さて、次はどんな手でこの世界の連中を驚かせてやるか……)
三十路前の元日雇い男と、二人の不可視の同居人による、行き当たりばったりの奇妙なサバイバル生活は、まだまだ始まったばかりである。