「なぁ、カフェさん。ちょっと閃いたんだけど」
朝食の片付けを終え、コーヒー(もちろんカフェとお友達の分も)を淹れて一息ついていた時だ。俺はポンッと手を打って、空中の同居人に声をかけた。
『……なんでしょう?』
カップの縁から黄金の瞳を覗かせ、カフェが首を傾げる。
「俺の肉体の情報、今の俺たちの力なら集められるかもしれない」
『ふむ。一体、どのような、方法で?』
「ライブ配信で、俺(元の姿)の写真を見せるんだよ」
俺はスマホを指差し、自信満々にプレゼンを始めた。
「設定としてはこうだ。『実は兄なんですけれども、最近パッタリと連絡が取れなくなって探しています。もし街で見かけたなど情報がある方がいれば、提供をお願いします』ってな。今のフォロワー十万人の拡散力と、ネットの特定班の執念を使えば、行き倒れてようがどこかの病院に収容されてようが、一発で見つかるんじゃないか?」
我ながら完璧な名案だと思った。十万人の「かっふぇファン」が、愛する彼女のために日本中、いや世界中を血眼になって探してくれるはずだ。お友達の影も「おおー!」とばかりに拍手喝采を送っている。
しかし。
俺の完璧な計画を聞いたカフェは、コーヒーの香りを深く吸い込み、ゆっくりと、そして静かに首を横に振った。
『……おすすめは、あまりできませんね』
「なんで? 今の俺たちの影響力なら絶対にいけるって」
食い下がる俺に対し、カフェは少しだけ呆れたような、それでいて理にかなった冷徹な視線を向けた。
『四月一日さん。仮にその方法で、あなたの元の肉体が無事に見つかったとしましょう』
「おう」
『そして、次元の歪みか何かを解決して、無事に私とあなたが元の身体に戻り……私が、ウマ娘の世界(トレセン学園)へ帰還したとします』
「うん、大団円じゃん」
『その時、あなたはこの世界で非常にまずい立場になると思いませんか?』
「……へ?」
俺が間の抜けた声を漏らすと、カフェは淡々と、恐ろしい未来予想図を語り始めた。
『世間から見れば、「絶大な人気を誇る十万フォロワーの美少女インフルエンサー(妹)」が、ある日を境に忽然と姿を消すことになります。そして、同居していたはずの「日雇い労働者の兄(あなた)」だけがポツンと残される』
「あっ」
『十万人の熱狂的なファンは、どう動くでしょうね。「あの子はどうしたんだ!」「なんで突然消えた!?」という問い合わせが殺到するのは間違いありません。最悪の場合……「兄が妹をどうにかしたんじゃないか」と、警察の捜査やネットの特定班が、今度はあなた自身を標的にして牙を剥くことになりますよ』
「――――!!」
サァァァァァッ、と。
俺の全身から、一気に血の気が引いていく音がした。
なるほど、想像出来る。ある日突然、絶世の美少女インフルエンサーが失踪し、残されたのは証拠不十分で釈放されたような風貌の、がっちがちのガテン系の三十路のおっさんただ一人。
ファンからの怒号、マスコミのフラッシュ、警察の厳しい取り調べ。そして「妹をどこへやった!!」と胸ぐらを掴まれる俺(本物)。
「あー、いやそれは確かに……っ」
俺はガクガクと震えながら、深く、深く頷いた。
大団円どころか、元の身体に戻った瞬間から「国民的妹を消したサイコパス兄」として全国指名手配されかねない、超絶バッドエンド直行ルートすらある。そうなったら地獄である。
俺の青ざめた顔を見て、足元のお友達の影も事の重大さに気づいたのか、「それはマズい!!」とばかりに頭を抱えてブルブルと震え始めた。
『ご理解いただけたようですね』
カフェは優雅にエアーコーヒーを啜りながら、ふふっと笑みをこぼした。
「……危ねぇ。目先の効率にとらわれて、自分の人生を完全に終わらせるところだった」
『ええ。ですから、この「かっふぇ」のアカウントを私物化して、大っぴらにあなた自身を探すのは悪手です。もっと慎重に、裏から手を回す方法を考えなくては』
完全に理詰めでの論破。俺はもう、ぐうの音も出なかった。ウマ娘の身体能力だけでなく、この冷静な頭脳。やはり彼女はタダモノではない。
「……肝に銘じます、カフェ先生」
インフルエンサーとしての絶大な力を手に入れたものの、それを自分の本来の目的(肉体探し)に直接使えないというジレンマ。
俺は大きな溜息を吐きながら、冷めかけたコーヒーを胃袋へと流し込むのだった。
■
その日の夜。
連日の騒動と慣れないSNS運用で流石に配信のネタが尽きた俺は、ストレートに事実のみを告げるタイトルの配信枠を立てた。
タイトル:『いただいた珈琲を淹れるだけ』
もちろん、あの複雑怪奇な勝負服に着替えてである。カフェと影の指導のおかげで、着替えタイムはさらに短縮されたのが唯一の救いだ。
スマホを三脚に固定し、キッチンのカウンターに画角を合わせる。配信開始ボタンを押すと、特別な企画でもないのに、数万人の視聴者が一瞬にして雪崩れ込んできた。
「……こんばんは。かっふぇです」
静かなウィスパーボイスで挨拶をし、俺はゆっくりと手元に視線を落とした。そこには、ファンから送られてきた高級なコーヒー豆と、見よう見まねで揃えたドリップ器具がセットされている。
「今日は、皆様からいただいた珈琲を、淹れるだけ、です。……お付き合い、いただけますか」
その言葉を合図に、俺はゆっくりとケトルに手を伸ばした。ここからは、俺の身体能力と、『カフェ先生によるマンツーマン、霊体珈琲ドリップ講座』のはじまり、はじまりである。
『……四月一日さん。お湯の温度は90度より少し低め。ゆっくりと、細く注いでください』
(了解)
俺は息を殺し、ウマ娘のブレない体幹と腕力を駆使して、寸分の狂いもなく細いお湯の線をコーヒーの粉へと落としていく。
ポタ、ポタポタ……と、静かな部屋に雫が落ちる音だけが響く。
『ええ、その調子です。……お友だち、湯気に近づきすぎですよ。火傷してしまいます』
カフェがふわりと微笑みながら空中で指示を出し、俺のすぐ隣では、お友達の影が「いい匂いー!」とばかりにドリップの湯気を全身で浴びて、楽しそうに揺れている。
俺はそのお友達の姿に少しだけ目を細め、ふわりと口角を上げた。
「……ふふ。お友だちも、待ちきれないみたい、ですね」
その瞬間、画面の右半分がコメントの濁流で埋め尽くされた。
ただお湯を注いでいるだけの、ほとんど無言の配信。時折聞こえるのは、ドリップの心地よい水音と、俺(カフェ)の静かな息遣いだけ。それが逆に、深夜の視聴者たちに凄まじい癒し効果を与えているようだった。
『癒されるな……』
『なんだこの極上のASMR配信は。耳が幸せすぎる』
『お湯を注ぐ音と、カフェの静かな息遣い。これだけで一生見てられる』
『本当にマンハッタンカフェだよね。声とか息遣いの解釈が神がかってる』
『珈琲楽しそうに淹れてるなぁ。お友達に話しかける演技も自然すぎて凄い』
『何もない空間を見て微笑むの、本当に見えてるみたいでゾクゾクする(褒め言葉)』
『所作が美しすぎる。手先まで完全にカフェになりきってる』
『【赤スパチャ ¥10,000】最高の一杯になりますように!』
『こんな深夜に珈琲の匂いが画面越しに漂ってくる気がする』
『ただ珈琲淹れてるだけなのに同接5万人ってどういうことだよww』
『俺も今、インスタントだけど珈琲淹れてきたわ』
『カフェと一緒に夜更かししてる気分になれて最高』
『目を伏せた時のまつ毛の長さが反則』
『お友達(幻覚)との絡み、もっと見たい!』
数万人が息を呑んで見守る中、極上の香りを漂わせる一杯のコーヒーが完成した。
俺はマグカップを両手で包み込むように持ち、カメラのレンズ――その向こうにいる視聴者たちへ向けて、静かに微笑みかけた。
「……画面の前の、皆様も。……ご一緒に」
そして、目を閉じ、ゆっくりと一口啜る。
――ズズッ……。
『美味しそうに飲むなぁ』
『至福の顔だ』
『乾杯!』
『一緒に飲んでる俺、完全に勝ち組』
画面を流れる温かいコメントと、傍らで同じようにエアー珈琲を啜って「ぷはーっ」としているお友達の影。そして、満足げに頷くカフェ。それは、言葉は少ないながらも、確かな一体感と温かな空気に包まれた、不思議な時間だった。
「……とても、美味しいです。……ごちそうさま、でした」
俺は静かにカップを置き、カメラに向かって小さく手を振った。
「今日は、この辺りで。……良い夜を」
トン、と配信終了のボタンを押す。画面が暗転した瞬間、俺はピンと張っていた背筋をぐにゃりと曲げ、大きく、長いため息を吐き出した。
「~~~~っ!! いやー疲れた!! 無言で綺麗にお湯注ぎ続けるの、めっちゃ神経使う!!」
俺は即座に立ち上がり、重たい勝負服のフリルやコルセットを、カフェたちに教わった手順で手際よく脱ぎ捨てていった。いつものヨレヨレのTシャツとジャージのズボンに着替え、畳の上に大の字になって転がる。
「あー、やっぱりこの服が一番落ち着くわ……」
『ふふっ。お疲れ様でした、四月一日さん。とても良い配信でしたよ』
宙から降りてきたカフェが労いの言葉をかけ、お友達も俺の顔の横で「ナイスドリップ!」と拍手をしてくれている。
「ま、これぐらいの省エネ配信で喜んでもらえるなら、お互い助かるな。ネタ切れの時は珈琲に頼ろう」
天井のシミを見上げながら、俺は心地よい疲労感と共に目を閉じた。
フォロワー十万人。得体の知れないアンチの襲来とお友達による過激な物理制裁。そして、肉体探しの壁。
色々なことが猛スピードで通り過ぎていくが、今夜はひとまず、この静かな珈琲の余韻と共に眠りにつくことにしよう。