中山競馬場からの帰路。
ガタゴトと揺れる電車内でSNSの反響をチェックしていた俺のスマホに、一通のダイレクトメッセージが届いた。送り主は、見覚えのないイベント企画会社のアカウントだった。
「ん? なんだこりゃ」
タップして文面を開くと、そこにはこんな内容が記されていた。
件名:都内開催・大食いイベントへの特別ご招待
内容:SNSでの見事な食べっぷりを拝見しました。ぜひ、弊社の新作発表イベントに特別ゲストとしてご参加いただけないでしょうか。
「……大食いイベントのご案内、だと?」
思わず素っ頓狂な声が出た。俺の肩越しに画面を覗き込んだカフェも、
『おや』
と小さく目を丸くしている。どうやら、府中や中山のフードコートで見せた『華奢な美少女が数人前のB級グルメを無心で平らげる』という異次元の食欲が、大食い界隈のイベンターの目に留まってしまったらしい。
「一応、開催場所は都内か。行けない距離じゃないが……」
『どうしますか? 四月一日さん』
「うーん……すぐには決められねぇな。帰ってゆっくり考えよう」
■
アパートに帰還し、俺たちは六畳間で車座(俺以外は浮いているが)になって話し合いを始めた。
お友達は、「タダでご飯がいっぱい食べられる!」と理解したのか、見えない腕をぶんぶんと振り回して「行っちゃえば行っちゃえば!」と猛烈にアピールしている。
「いや、落ち着けって。お前はいいかもしれないが、こっちは身分的に超グレーなんだぞ」
俺はスマホを畳に置き、現実的な問題を突きつけた。
「こういう公式なイベントに出るってことは、契約書とか参加同意書を書かされる。当然、身分証の提示も求められるはずだ。俺たちは『マンハッタンカフェ』の身分を証明するものなんて何一つ持ってないんだから、提示を求められたら一発アウトだろ」
『……確かに。どこの誰とも証明できない現状では、リスクが高すぎますね』
カフェも静かに頷いた。インフルエンサーとして知名度が上がっている今、不用意に身元を探られるような場に出るのは危険すぎる。
「残念だが、ここは断るしかないな」
俺はため息をつきつつ、スマホを操作して丁寧な断りの文章を打ち込んだ。
『ご期待に添えずに申し訳ございません』
送信ボタンを押す。これで一件落着……と思った、その数分後だった。
―――ピコンッ!
「うわ、もう返信きたぞ」
『なんと書いてありますか?』
「えーっと……『そこをなんとか! どうしても! かっふぇ様のあの素晴らしい食べっぷりを、ぜひイベントで披露していただきたいんです!』……だってさ」
よほど俺たち、というかウマ娘の胃袋のポテンシャルに惚れ込んだのか、すさまじい熱量での食い下がりだった。
「熱意はありがたいけどなぁ。身分証が出せない以上、どうしようも――」
と、俺が再びお断りの文章を打ち込もうとした時。カフェが、ふと黄金の瞳を妖しく光らせ、どこか面白そうな、そして計算高い笑みを浮かべた。
『……四月一日さん。では、こう送ってみてはいかがでしょう?』
「え?」
『身分は一切明かさない。身分証の提示もいたしません。ですが、規定のお金(ギャラや賞金)はきっちりいただく。……という条件ならいいですよ、と』
「……はぁ!?」
俺は耳を疑った。
「いやいやいや! 覆面レスラーじゃないんだから! どこの馬の骨ともわからない奴に、身元確認もなしで金払ってイベントに出す企業なんてあるわけ……」
『ダメ元です。送ってみましょう』
有無を言わさぬカフェの微笑みと、横で「イケイケ!」と煽るお友達の影に押され、俺は半信半疑のまま、そのあまりにも強気で横柄な条件をDMで叩きつけた。
(これで流石にむこうも諦めるだろ……)
そう思ってスマホを置こうとした、数秒後。
――ピコンッ!
『――ご提示の条件で、それでも構いません! ぜひ、ぜひよろしくお願いいたします!!』
「……」
『……』
即答だった。しかも、めちゃくちゃ前のめりな快諾である。六畳間に、奇妙な沈黙が流れた。
「……なぁ、カフェさん」
『……はい』
「この世界の大人たち、ちょっとSNSの数字に狂わされすぎじゃないか?」
呆れ返る俺の横で、カフェは『そうですね……』と苦笑し、お友達の影だけが「大食い決定!!」と狂喜乱舞して天井付近を飛び回っていた。
■
それから数日。俺たちは指定された日時に、都内某所にあるイベント会場の裏口へと足を運んだ。
服装は、中山競馬場に行った時と同じだ。目深に被ったニット帽でウマ娘特有の耳を隠し、ダボダボのダウンジャケットとパラシュートパンツで尻尾のふくらみを完全にカバーしている。見た目は完全に「少し着込んだストリート系の女の子」である。
指定されたスタッフ用の待機場所に入ろうとした、まさにその時だった。
「――ッ!! おお!! これはこれはこれは!!!」
突如、奥から首からスタッフパスを下げたスーツ姿の男性、おそらく企画会社の担当者が、ものすごい勢いで駆け寄ってきた。
「かっふぇ様ですね!? お待ちしておりました、ええ、もう首を長くしてお待ちしておりましたとも!!」
あまりのハイテンションと揉み手に、俺は思わず一歩後ずさりしそうになった。帽子とダウンで顔の半分以上を隠しているというのに、なぜ一瞬でわかったのか。
「あの、よく一目でわかりましたね……」
「もちろんでございます! その神秘的なオーラ、そして何よりSNSで拝見したそのお姿! いやぁ、生でお目にかかれて光栄です!」
担当者は興奮冷めやらぬ様子で、熱っぽく語り始めた。
「実はかっふぇ様のあの競馬場での見事な『食いっぷり』、今や大食い界隈のイベンターやフードファイターの間でも持ちきりの噂になっておりまして! 『凄まじいルーキーが現れた』『あの細い体のどこに入るんだ』と、界隈が騒然としているんですよ!」
「……はぁ」
(大食い界隈で有名になってどうするんだよ……)
俺は内心で頭を抱え、空中のカフェに視線を送ったが、彼女は、
『ふふっ、光栄ですね』
と面白そうに微笑んでいるだけだった。足元のお友達の影に至っては、早くも「ご飯! ご飯!」と足踏みをしてウォーミングアップを始めている。
「で、本日のイベントのメニューとルールですが」
担当者は手元のバインダーを開き、勿体ぶるように告げた。
「本日は当イベントの協賛企業様が提供する、特製『新作ハンバーガー』をご用意しております! 制限時間は15分。その間に、好きなだけ、限界まで召し上がっていただくという条件になります! まぁ、つまりは宣伝イベント、というわけですよ!」
「宣伝イベント……、ハンバーガー、15分ですか」
「はい! もちろん、食べた分だけギャラに上乗せされる特別ボーナスもご用意しておりますので、どうぞお腹いっぱい召し上がってください!」
15分でハンバーガーの早食い&大食い。
成人男性なら数個で胃がもたれるヘビーなメニューだが、相手はウマ娘のブラックホール胃袋と、日雇い現場で培った俺の「飯を喉に流し込む」スピードのハイブリッドである。しかも、お友達の影という見えない応援団(時々物理干渉する)までついているのだ。
俺は小さく息を吸い込み。
背筋を伸ばして、ミステリアスな美少女『かっふぇ』の顔を作り上げた。
「……承知、いたしました」
静かで透き通るようなウィスパーボイス。その完璧な受け答えに、担当者は「おおお……!」と感動の声を漏らし、そのままスタジオの控室へと俺たちを案内していくのだった。
■
控え室に通された俺たちに対し、スーツ姿の担当者は熱っぽく本日の段取りを説明し始めた。
「本日のイベントですが、実は弊社の公式動画チャンネルにてライブ中継される予定となっております!」
「ライブ中継……あ、でしたら、私も、SNSで、事前の告知をしても?」
「もちろんです! むしろお願いしたいくらいでございます!」
俺の提案に、担当者は目を輝かせて激しく首を縦に振った。十万人のフォロワーを抱えるアカウントでの宣伝効果を考えれば、向こうにとっても願ったり叶ったりだろう。
そして、一息ついた担当者は、持っていたバインダーから数枚の書類を取り出し、テーブルの上に恭しく並べた。
「ああ、それから! こちらが本日の正式な契約書となります。どこかのエセ企業と違って、我々はしっかりとコンプライアンスを守っておりますよ!」
差し出されたのは、びっしりと条項が印字された5枚ほどの本格的な契約書だった。
「じっくり読んでいただいてかまいません! ご準備が出来たらお声がけを。あ、一応の目安は……1時間後になります!」
そこまで一気にまくし立てた後、担当者は少しだけトーンを落とし、真摯な表情で付け加えた。
「もし内容にご納得いただけなければ、今日はお帰りいただいて構いません! 交通費はお出ししますし、お詫びと昼食代わりにハンバーガーもお出ししますよ!」
(……めちゃくちゃホワイトな企業じゃねぇか)
事前の「身分証なし」という胡散臭い条件を飲んでくれた上で、この誠実な対応と退出の自由。なるほど、かなりまともな企業っぽいと納得した俺は、静かに頷いた。
「……承知しました。読み終わったら、ご連絡すれば?」
「ええ、左様でございます! 私は隣の部屋で待機しておりますので!」
担当者は深々とお辞儀をして、控え室を後にした。
■
ドアが閉まった瞬間、俺はピンと張っていた背筋を少しだけ緩め、テーブルの上の契約書を手に取った。空中のカフェが肩越しに覗き込み、お友達の影も興味津々でウロウロしている。
ざっと目を通してみたが、確かにまともな内容だった。特に重要なのは以下のポイントだ。
身元非公開の承認:甲(かっふぇ)は本名や身分証の提示を完全に免除される。ただし、契約者、および報酬振込先となる人物の住所氏名、口座は必要。保護者、御兄弟可。
報酬形態:基本出演料に加え、ハンバーガーを一定数完食するごとの追加ボーナス。
安全配慮義務: 無理な大食いを強要せず、体調不良時は直ちに企画をストップできる。
「いや、マジでしっかりした契約書だぞこれ。俺たちの提示した無茶な条件も、ちゃんと特記事項として組み込まれてる。しかも演者と契約者が別ってのがいい。俺の、四月一日の証明書とか口座が使えるぞこれ」
『ええ。こちらに不利益な条項は全く見当たりませんね。素晴らしい企業です』
カフェも感心したように頷く。足元では、お友達の影が「早くサインして! ご飯!」とばかりに、見えないペンを握るようなジェスチャーをして俺を急かしていた。
「……よし。腹も減ってるし、この条件なら文句なしだ」