俺は備え付けのボールペンを手に取り、契約書の署名欄に流麗な(カフェから指導された丸みのある上品な)文字で『かっふぇ』とサインをした。
身元非公開という異例の条件を飲んでくれた企業への感謝と、これから待ち受ける大量の肉とパンへの期待を胸に、隣の部屋で待機していた担当者の元へ向かう。
「……案件、受けさせていただきます」
「おおっ! これはありがとうございます!!」
契約書を受け取った担当者は、まるで宝くじの1等にでも当選したかのように顔を輝かせ、深々と頭を下げた。
「では、すでにスタジオの準備が整っておりますので! どーぞどーぞ、こちらへ!」
揉み手せんばかりの勢いで促され、俺たちは会場の奥にある特設スタジオへと足を踏み出した。
その道すがら、俺はふと思い立って担当者に声をかけた。
「……あ。今、もう宣伝しても?」
「ああ! そうでございました! はい!」
担当者はハッとして自身のスマホを取り出し、画面をスクロールさせて俺に差し出した。
「公式チャンネルが、こちらでございます。このライブ配信のリンクを、ぜひともご紹介していただきたいですね!」
「……承知、しました」
俺はダボダボのダウンジャケットのポケットから自分のスマホを取り出し、歩きながら素早く『かっふぇの日常』のアカウントを開く。そして、いつものように短く、事実だけを告げる文章を打ち込む。
> かっふぇの日常 (@cafecafe_everyday)
> これから、ハンバーガーを頂きます。
> 協賛:〇〇フーズ様
> 『特製ハンバーガー大食いチャレンジ・ライブ中継』
> 【公式配信リンク:https://...】
内容を確認し、早速、送信ボタンをタップした。あとはまぁ、リアクション待ちだが、最近の拡散力なら数千の同時接続は固いだろう。
『ふふっ。いよいよですね』
「ご飯! お肉! ハンバーガー!」
空中のカフェが優雅に微笑み、足元ではお友達が見えないフォークとナイフを構え、俺の周りをピョンピョンと跳ね回ってウォーミングアップを完了させていた。
「さて、と。それじゃあ、ウマ娘の胃袋の底力、この世界の連中に見せつけてやりますか」
俺は誰にも聞こえない声で小さく呟き、気合を入れる。
十万人のフォロワーに向けた爆弾(ライブ中継の告知)を投下し終えた俺は、担当者に案内されるまま、甘く香ばしい肉の匂いが漂うスタジオの扉をくぐるのであった。
■
「かっふぇさん入られまーす!」
案内された特設スタジオの扉をくぐると、そこには、よくある裏方チックな見慣れたパイプ椅子や殺風景なセットではなく、ピカピカに磨き上げられたステンレスのカウンターが鎮座する『移動式ライブキッチン』が設営されていた。
鉄板からは、すでにジューシーなパティが焼ける暴力的なまでに良い匂いが漂っている。
「初めまして、かっふぇと、申します」
「これはこれは、ご丁寧に。営業担当沢田と申します。本日は、ご足労頂きありがとうございます。では早速。説明は受けていると思われますが、こちらが、我が社から発売される新バーガー。そして、このライブ中継はプロモーション目的の配信となります」
スーツ姿の企業の担当者は、誇らしげにライブキッチンを指し示してから、クリップボードを片手に段取りの説明を始めた。
「えー、まず本番が始まりましたら、あちらの司会があなたをご紹介します。そして、貴女がご自身で自己紹介をしていただきます。一応ですね、司会からのフリとしては……」
担当者は少しだけ申し訳なさそうに、しかし熱を込めて台本を読み上げた。
「『新進気鋭のインフルエンサー。謎の爆走大食い少女、かっふぇさん』……という形でご紹介予定ですが、よろしいですか?」
(謎の爆走大食い少女……!?)
俺は内心で盛大に顔を引きつらせた。深夜の爆走(事実)と、競馬場での大食い(事実)を組み合わせた結果なのだろうが、マンハッタンカフェの持つ「静寂でミステリアスな美少女」という本来のイメージからはかけ離れた、完全に斜め上の物理ストロングスタイルに仕上がってしまっている。
担当者は俺の沈黙を気遣ったのか、慌てて付け足した。
「少々インパクト重視ですので……! もし嫌ならば、もう少しトーンダウンしたもの、たとえば『謎のコスプレイヤー、かっふぇさん』などにも変更出来ますが、いかがでしょうか?」
俺はチラリとカフェを見た。彼女は『爆走大食い少女……ふふっ』と肩を揺らしてツボに入っているらしく、完全におもしろがっていた。足元の影に至っては「大食い少女!」とバンザイをしている。
まぁ、本人たちが気にしていないなら、俺が断る理由もない。俺は小さく咳払いをして、涼しい顔で答えた。
「……ご配慮、感謝いたします。かまいません。インパクト重視でお願い、いたします」
「おお、有難い!!」
担当者はパァッと顔を輝かせ、ガッツポーズをした。
「徹夜で考えたキャッチコピーなんですよ! まさか、案件を一つもうけていない、急上昇のインフルエンサー様にこんな無茶なオファーをお受けしていただけるなんて思ってもいなくて!」
■
なぜか感動に打ち震える担当者は、そのまま本番の動線(ブロック)についてスラスラと説明を続けた。
「ささ、それでですね。まずはこのテープの位置に立っていただいて、このマイク、サンパチ(漫才などで使われるセンターマイク)の前で自己紹介をしていただきます。それでですね、香盤表をご覧いただきまして……、まずは司会のフリに合わせて入場していただきます。あちらの上手から。そして、マイクの前に移動して頂いて、挨拶を一言。そのあとはカメラの横を抜けて、キッチン前のカウンターへ移動していただきます」
手元の紙、香盤表というらしい、を見ながら説明を聞く。正直ちんぷんかんぷんだ。
『この方は、しっかり、計画していらっしゃいますね』
だが、どうやらカフェは感心しているようだ。過去、イベントで嫌な思いもでしたのだろうか? お友達もなぜか、激しく頷いている。
「席に移動していただいた後は、わが社が誇るライブキッチンで次々と作られる出来立てのハンバーガーを、出来うる限りカメラを意識していただきつつ……、制限時間いっぱいご堪能いただく……、そういうストーリーになっております!」
「……承知、いたしました」
静かに頷く俺の鼻腔を、テストなのであろう。鉄板で焼かれる肉の脂と、こんがりとトーストされたバンズの香りがくすぐる。
ウマ娘の胃袋が「早く寄越せ」とばかりにキュルリと小さく鳴ったが、幸い周囲の喧騒にかき消されて誰にも聞こえなかったようだ。
「では、本番まであと10分ほどです! ご準備のほど、よろしくお願いいたします!」
担当者が足早に走り去り、スタジオ内に『配信開始10分前!機材チェック急いでー!』というスタッフの声が響き渡る。
「よし……。やるぞ、お前ら」
『ええ。ウマ娘の走り(食欲)、見せつけてやりましょう』
「おー!!」
俺とカフェ、そして見えない影の三人は、これから始まる15分間のフードファイトに向けて、静かに闘志を燃やし始めた。
■
「本番、5秒前! 4、3、2……」
スタッフのカウントダウンがゼロになった瞬間、カメラの赤いランプが点灯し、スタジオに司会の張りのある声が響き渡った。
「さあ、画面の前の皆様、お待たせいたしました! 本日はわが社の新製品のお披露目生配信となります!」
プロの司会者はカメラに向かって満面の笑みを向けた後、素早く横の『ライブキッチン』へと手で示して視線を誘導した。
「普段お食べいただいている弊社のハンバーガー。本日はなんと、そのお肉を『和牛100パーセントの分厚いパティ』に変更し、重量も倍に! 極上の贅沢バーガーをお持ちしました! 画面の前の皆様、現物はこちらです!!」
カメラが、鉄板の上を大写しにする。
そこには、視覚と聴覚、そして想像力を容赦なく刺激する、暴力的なまでに美しいハンバーガーの調理風景が広がっていた。
鉄板の上で『じゅうじゅう』と獰猛な音を立てて躍る分厚い肉の塊。極上の和牛パティだ。表面には極上の脂がキラキラと滲み出し、焦げ目の香ばしい匂いが画面越しにまで伝わってきそうだ。
鉄板の隅でこんがりとトーストされた、ふっくら黄金色のバンズ。焼き立てのバンズだ。断面に塗られたバターが熱でトロリと溶け込んでいる。
氷水でシャキッと締められた鮮やかな緑のレタス、滴るほど瑞々しい真紅の厚切りトマト。そして、味のアクセントとなるエメラルドグリーンの特大ピクルス。彩り豊かな具材たち。
組み上げられた熱々のパティと野菜の上から、とろけるような特製ソースが惜しげもなく滝のようにかけられる。見た目麗しい、黄金のスペシャルソース。
すべての食材が芸術的なバランスで積み上げられ、圧倒的なシズル感を放つ「究極のハンバーガー」が完成した。
スタジオ内には、抗いがたい肉の香ばしい匂いが充満している。
■
「いかがでしょうかこのボリュームとシズル感! そして今日、この極上バーガーをご試食いただくスペシャルゲストにお呼びしたのは……!」
司会者は、これ以上ないほど声を張り上げ、サンパチマイクの前に立つ俺へとカメラを向けさせた。
「昨今、SNSで人気急上昇中! 新進気鋭のインフルエンサーにして、正体不明の謎の爆走大食い少女、『かっふぇ』さんです!!」
(よし、出番だ)
紹介のハードルの高さとネーミングの圧に一瞬眩暈がしたが、俺は完璧なポーカーフェイスを保ったまま、カメラの前へとスッと一歩を踏み出した。
ダボダボのダウンジャケット。深く被ったニット帽。その隙間から覗く、透き通るような白い肌と、長く艶やかな黒髪。
俺はカメラのレンズを静かに見つめ、上品な所作で深くお辞儀をした。そして、息を吐くような特有の『カフェボイス』で、ゆっくりと紡ぐ。
「……どうも。かっふぇ、です」
一度言葉を切り、ほんの少しだけ小首を傾げる。俺の横でカフェと、お友達が手本として見せている、マンハッタンカフェ独特の「神秘的でアンニュイな、しかしどこか惹きつけられる笑み」を、寸分違わず顔に浮かべながら、口を開く。
「……おいしい、ハンバーガーを。たべに、来ました」
にこりと、静かに微笑む。
■
『謎の爆走大食い少女』といういかついキャッチコピーと、目の前に立つ『儚げで清楚な美少女』。
そのあまりにも激しいギャップと、彼女が放つ不思議な引力に、カメラの向こう側で多くの視聴者が同時に息を呑む気配が、スタジオにまで伝わってくるようだった。