税金の恐怖に魂が抜けかけた俺だったが、ならば余計に頑張らねばなるまい。
「落ち込んでいる暇はないな。バズっている今こそ、さらに数字を稼ぐチャンスだ」
俺は気合を入れ直し、再びあの複雑怪奇な勝負服へと袖を通す。ちなみにだが、カフェとお友達のスパルタ着替え指導により、ついに自力で10分を切るタイムで着られるようになっていた。
スマホをスタンドに固定し、タイトルを『質問に、答えます』とだけ設定して、配信開始ボタンをタップする。
すると――。
生中継から流れてきた新規ファンと、いつもの固定ファンが怒涛の勢いで押し寄せ、開始わずか数分で同時接続者数は1万人を軽々と突破した。ふと確認したSNSのフォロワー数も、先ほどのハンバーガー無双の影響で一気に20万人の大台に到達している。
「……こんばんわ。かっふぇ、です」
静かなウィスパーボイスで挨拶をすると、待ってましたとばかりにコメント欄が凄まじい勢いで流れ始めた。
『おお始まった!』
『ライブ見たよー!すげぇ喰いっぷり!感動した!』
『バーガー食べました! 美味しかったですけど、量がすごすぎた! よくあんなに喰えましたねかっふぇさん!』
『企業案件大成功おめでとう!!』
『胃袋ブラックホールで草』
大食い生中継の反響は凄まじく、初見とおぼしきアイコンからも次々と驚愕と賞賛のコメントが飛んでくる。
「……ご覧いただいた方も、おられるのですね。感謝、いたします」
俺はカメラに向かって、静かに、そして深くお辞儀をした。画面の端で、お友達の影も一緒にペコリとお辞儀をしている。
「……とても、美味しい、ハンバーガー、でした。皆様も、ぜひ」
スポンサーへの宣伝も忘れない。これで次回以降の案件にも繋がりやすくなるはずだのカフェも『素晴らしい営業スマイルです』と親指を立てている。
■
そこからは、事前の予告通り、流れてくる質問コメントを拾い上げて答えていく時間となった。
『どこであんなに大食いになったんですか?』
「……走るためには、それ相応の、燃料が、必要ですから。……気づいたら、たくさん、食べるように、なっていました」
『そういえば、最初に見せた走りって見せないんですかー? 爆走大食い少女って紹介されてたけど』
「……ふふっ。いつか。……私が全力で走っても、誰にも怒られない場所があれば、ですね」
『この前の動画でやってた、一度30キロの米袋上げてる姿をもう一度見たい!!』
そのリクエストを見つけた俺は、部屋の隅に鎮座していたファンからの貢ぎ物(精米30kg)の元へと歩み寄った。カメラの画角に米袋を収めると、勝負服の細い腕を伸ばし、片手でひょいっと米袋の持ち手を掴む。
「……こう、でしょうか」
スンッ と、音もなく30kgの質量が空中に浮く。
俺は呼吸一つ乱さず、なんならもう片方の手でマグカップを持ち、優雅にコーヒーを啜りながら、小首を傾げてみせた。
『ヒエッ……』
『合成疑うレベルで軽々と持ってて草』
『片手!? 30キロを片手で!?』
『顔色一つ変わってないんだが……』
『その細腕のどこにそんなパワーが……』
『かっふぇの日常(怪力)』
視聴者たちが物理法則のバグにざわめく中、俺は苦笑しながら静かに米袋を下ろし、元の位置へと戻った。
そして、暫くの間。コメントの質問に答え、時折お友達やカフェ、まぁリスナーには見えないが、俺が虚空に話しかけることで存在を匂わせるようにと戯れながら、穏やかな夜の時間が過ぎていく。
しかし、昼間からの企業案件のプレッシャー、そして税金問題による精神的疲労。中身が三十路前のおっさんである俺の精神力は、そろそろ限界を迎えようとしていた。
『かっふぇさん、シャンプー何使ってますか?』
「……えっと、ファンの方から、いただいた、オイルの……」
質問に答えようとした、その瞬間。
限界を迎えた俺の口から、ふいに緊張感の欠片もない、しかしウマ娘の身体を通すことで破壊力を増した「小さな欠伸(あくび)」が漏れ出てしまった。
「……ふぁっ、……あ、んっ」
咄嗟に口元を袖で隠したものの、少し潤んだ瞳と、無防備に漏れた吐息は、しっかりとマイクとカメラに拾われていた。
(やっべ、気抜けた!!)
俺が内心で冷や汗をかいた、次の瞬間。
『あああああああああああああ!!!!』
『助かるーーーーーーー!!!』
『てぇてぇ!!!!!』
『【赤スパチャ ¥10,000】おやすみなさい!!!!!』
『あくび!!破壊力!!!』
『不意打ちはダメだろ死人が出るぞ!!!』
『かわいいいいいいいいい』
コメント欄が、今日一番の速度で『助かる』の文字で埋め尽くされた。
どうやら、ミステリアスで隙のない美少女が見せた眠たげな無防備さが、彼らの何らかのツボを強烈に刺激してしまったらしい。
『ふふっ。限界みたいですね、四月一日さん』
空中のカフェの優しい声に、俺はもう抗うことを諦めた。
「……ごめんなさい。今日は、すこし、疲れました。……もう、眠ります」
目を擦りながら、俺は配信終了のボタンへと手を伸ばす。
「……おやすみ、なさい。……良い、夜を」
トン、とボタンをタップする。そして、画面が暗転した瞬間、俺はその場にドサリと仰向けに倒れ込んだ。
「~~~~っ!! 疲れたぁああ……。今日一日で一ヶ月分くらい働いた気分だよ」
『お疲れ様でした。とても良い配信でしたよ』
畳の上で大の字になる俺の横で、お友達の影が「よくがんばった!」とばかりにエアーウチワでパタパタと扇いでくれている。
怒涛の企業案件から始まり、税金の恐怖を経て、フォロワー20万人の大台へ。
かっふぇとしてのインフルエンサー生活は、どうやらまだまだ加速していくらしい。俺は心地よい疲労感の中、泥のように眠りに落ちていった。
■
―――そして、気づけば迎えた年末。
冷たい木枯らしが吹く中、俺たちは三度目となる競馬場へと足を向けていた。
「もしかして、こういうデカいレースイベントにこそ、次元の歪みとか、元の世界に戻るきっかけがあるんじゃないか?」
『確かに、そうかもしれません。今までは、G1ではありませんでした、から』
「じゃ、試してみるか」
そんな淡い、そして半分はただの好奇心ではあるのだが、そこそこの期待を胸に、俺はいつもの完全防備の変装に身を包んだ。耳を隠すニット帽、体型を隠すダボダボのダウンとオーバーTシャツ、尻尾を収納するパラシュートパンツ。そして足元は、一番しっくりくる草履地のサンダルだ。
事前にスマホに購入しておいた電子チケットのQRコードをゲートの端末にかざし、いざ中山競馬場へ。
――だが、一歩足を踏み入れた瞬間、俺は圧倒されて立ち尽くした。
「……おいおい、なんだこの人の数は」
以前来たステイヤーズステークスの時とは、全く熱気も密度も違った。
見渡す限りの人、人、人。スタンドはすでにぎゅうぎゅう詰めで、身動きを取るのすら一苦労な有様だ。それもそのはず、今日は一年の総決算であるグランプリレース、『有馬記念』の開催日なのだから。
「こりゃあ、流石に最前列は無理だな」
『……そのようですね』
空中に浮かぶカフェも、スタンドを埋め尽くす群衆を見下ろして静かに同意した。
怪我を避けるためにも、俺たちは大人しくスタンドの後方、少し小高い位置に陣取ることにした。なにせこちらはウマ娘。下手気に人を押しのけたら、向こうが怪我をしてしまう。
場所を確保するついでにパドックを遠巻きに眺め、俺たちはせっかくの祭りに参加すべく馬券を購入した。メインレースである有馬記念。お友達、カフェ、そして俺の三人がそれぞれ選んだ「3連単」の三パターンだ。
「お友達のやつ、すんげぇ大穴狙いだな。オッズ見たか?」
俺が尋ねると、足元のお友達は「まかせろ!」と言わんばかりに、見えない胸をドンと叩いて自信満々に反り返っている。一方のカフェは、パドックを歩く特定の馬から黄金の瞳を離さないまま、静かに口角を上げた。
『……あの子は、一番で、きます』
ウマ娘の直感なのか、それとも魂が何かを感じ取っているのか。そこそこの倍率ながら、確信に満ちた静かなる自信が伺える。そして俺はといえば、
「まぁ、直感だな。当たっても当たらなくても、どっちでもいいや」
という気楽なスタンスだ。
一人5000円ずつ、合計1万5000円分の馬券。今のインフルエンサーとしての収入(ギャラ50万円)からすれば痛くはないが、日雇い時代の金銭感覚からするとそれなりの大金である。
「ま、暮れの中山ってことで。たまにはこういう出費もいいだろ」
『ええ。息抜きは必要です』
俺が笑って言うと、カフェも優雅に頷き、お友達の影も「祭りだ祭りだ!」とぴょんぴょん跳ね回った。
(馬券も買ったし、金は手元にまだある。腹ごしらえの準備も万端だ)
俺はダウンのポケットに手を突っ込み、眼下に広がる緑のターフを見つめた。十数万人もの大衆の熱狂に選ばれ抜かれた、一握りのサラブレッドたち。彼らが命を削って走るこの極限の場で、もし何か――、カフェが元の世界に繋がるような奇跡が起きてくれればいいんだがな。
そんなことを少しだけ期待していると。
『――パァァァァパン! パパパパーン!! ………』
場内に、あの伝説の有馬記念のファンファーレが高らかに鳴り響いた。
途端に、地鳴りのような手拍子と歓声が中山競馬場全体を揺らす。俺もその熱気に当てられ、ターフへと視線を釘付けにした。
■
――その時だった。
歓声と熱気に包まれたスタンドの後方。四月一日が着ているダウンジャケットの深いポケットの中で、彼のスマホが『ブルッ』と短く震えた。
『通知:譛峨�險伜ソオ 繧サ繝ウ繧ソ繝シ繧ヲ繝槫ィ倥∵怙邨ゆコ域Φ』
ターフに夢中になっている四月一日は、まだ気づいていない。光った画面のロック画面に、一通の奇妙なプッシュ通知が届いていたことに。
ファンファーレの音にかき消されたその無機質な通知は、ひっそりと、しかし確実に、彼らの『日常』に新たな波乱の種を落としていた。