冬のコミックマーケットという大嵐から一夜明けた、翌日の昼前。泥のように眠りこけていた俺は、ようやく重い身体を起こし、六畳間のアパートで大きな伸びをした。
「……あー、よく寝た。全身バキバキだ……」
いくらウマ娘の無尽蔵のスタミナがあるとはいえ、中身の精神(三十路前のおっさん)がすり減る分まではカバーしきれない。とはいえ、昨晩の寝る直前の段階で、フォロワー数は31万人を突破していた。目標の32万人まで、文字通りあと一息だ。
「そういえば……そろそろ発売じゃなかったか? ギャロップ」
俺はふと思い出し、いつもの完全防備の変装(ニット帽にダボダボのダウンジャケット、パラシュートパンツ)に着替えて、近所のスーパーへと向かった。
年末の昼時、スーパーは正月準備の買い物客でそこそこ混雑していた。俺はそそくさと雑誌コーナーへと向かい、競馬雑誌のラックに目をやる。
――なるほど、ある。
表紙の端に『年末特別企画:競馬場グルメ特集』という文字が踊る最新の『週刊ギャロップ』を手に取り、レジで会計を済ませて、足早にアパートへと戻った。
■
「さてさて、どんな風に写ってるのかな……っと」
部屋に戻り、ダウンを脱ぎ捨てた俺は、畳の上に座り込んで雑誌のページをめくった。『競馬場グルメ特集』のカラー見開きページ。そこに、あの日、東京競馬場のフードコートでモツ煮込みやフライドチキンを平らげていた俺(かっふぇ)の姿が、デカデカと掲載されていた。
「おお……すげぇ」
思わず感嘆の声が漏れる。プロのカメラマンが撮った写真は、俺がSNSにアップしている自撮りとは全く次元が違った。
ダボダボのストリートファッションに身を包んだ、ミステリアスな雰囲気の美少女。彼女が、その可憐な容姿とは裏腹に、特大のジャンクフードに無心でかぶりついている。照明の当たり具合や、背景のボカシ方など、見事に『ストリートで大食いしてる謎の美少女』というコンセプトが切り取られていた。
『……ふふっ。とても、綺麗に撮っていただけましたね』
空中に浮かぶカフェが、俺の肩越しに誌面を覗き込んで嬉しそうに微笑む。足元では、お友達の影が誌面に写っているフライドチキンを指差して「これ美味しかった!」と見えないよだれを拭うジェスチャーをしていた。
「そういえば、昨日の夜の放送でも少し話題に出てたな。みんなもう買ってるのかも」
俺は雑誌をパタンと閉じ、目の前のパソコンの電源を入れた。
「……良いネタ仕入れたし。今日も一丁、やりますか」
『はい。お昼の配信ですね』
俺はパソコンの前に座り、リングライトのスイッチを入れた。服装は、下はパラシュートパンツ、上はゆったりとしたオーバーサイズのTシャツ。そして、頭には勝負服のターコイズの耳飾りだけをワンポイントとしてつけている。昨日好評だった『オフの日のウマ娘』スタイルだ。
配信タイトルは、シンプルに『雑誌に、載りました』。
「……よし。開始っと」
配信ボタンをクリックした瞬間。年末の昼間であるにもかかわらず、待機していたリスナーたちが怒涛の勢いで雪崩れ込んできた。同接カウンターは瞬く間に跳ね上がり、ものの数分で2万人の大台を突破する。
『うおおお! 不定期なお昼かっふぇだ!』
『こんにちわー!!』
『通知見て飛んできた!』
『昨日のコミケからずっと追っかけてるぞ!』
『昼休みに最高の癒しが来た』
「……こんにちは。かっふぇ、です」
俺はカメラに向かって小首を傾げ、ハスキーなウィスパーボイスで挨拶をした。途端にコメント欄の流れる速度が一段と加速する。
『こんにちわあああ!』
『昨日あんなに遅くまで配信してたのに、元気そうでよかった!』
『よく眠れたー?』
『コミケの疲れは取れましたか? 無理しないでね』
リスナーたちからの、俺の体調を気遣う温かいコメントの数々。この、リスナーたちの優しい世界に少しだけ目頭が熱くなりそうになるのを抑え、ふわりと微笑んだ。
「……ぐっすりと、寝かせて、いただきました。……ありがとう、ございます」
優雅に会釈をしてから、俺は手元に置いてあった『週刊ギャロップ』をカメラの前に持ち上げて見せた。
「……今日、配信をしたのは。これの、報告です。……載りました」
雑誌の表紙と、自分が掲載されている特集ページをチラリとカメラに向ける。
「……よろしければ、ぜひ。ご購入、ください。……お店の場所や、美味しいメニューについても、詳細に書いてありますので。……年が明けたら、みなさん、ぜひ、競馬場に足を運んでみてくださいね」
しっかりと、競馬場と雑誌の宣伝(営業)を欠かさない。これでギャロップの記者さんへの恩返しにもなるだろう。すると、コメント欄は即座に反応した。
『おお! 絶対に食べに行く!!』
『え、かっふぇさんの写真載ってんの!?』
『マジかよ、今日発売のギャロップじゃん! 今すぐ本屋行くわ!』
『買ったよー! 載っててびっくりした!』
『プロのカメラマンが撮ったかっふぇさん、マジで美しすぎた』
『むしろ雑誌からかっふぇさん知って、さっきアカウント登録したわ。すげー可愛いじゃん』
『競馬場にこんな女神いたのか……』
昨日のコミケの余波に加えて、全国誌への掲載。新規のファンが次々と流入してきているのが、コメントの雰囲気からも如実に伝わってくる。フォロワー32万人へのカウントダウンは、今この瞬間も猛烈なスピードで進んでいた。
■
雑誌の紹介というメインの宣伝を終えると、俺は少し手持ち無沙汰になっていた。何せほぼゲリラライブ。ネタなどない。
「……さて。報告は、終わってしまったのですが。……少し、お時間が、ありますね」
コメント欄からは『雑談して!』『昨日のコミケの裏話聞きたい!』という声が上がる中、ふと『全身が見たい!』『昨日の私服コーデもっとよく見せて!』というリクエストが連続で流れてきた。
「……全身、ですか? 構いませんよ」
俺は立ち上がり、カメラの画角を少し引いて、六畳間の中心に立つ。
「……このような、感じですが」
ダボダボのTシャツに、動きやすいパラシュートパンツ。ウマ娘のスタイルの良さが、オーバーサイズの服を着ることで逆に際立っている。
『うおおおお! スタイル良すぎ!!』
『私服かっふぇ助かる!!』
『ちょっとポーズ取ってみて!』
「ポーズ、ですか……」
俺はどう動くべきか少し悩み、空中に浮かぶカフェへと視線を向けた。
『……そうですね。では、少しだけ。ですが、四月一日さん』
カフェはスッと目を細め、非常に厳しい、監督のような眼差しで俺を射抜いた。
『……際どいポーズは、絶対にNGですからね。胸元を強調したり、服を捲り上げたりするような真似をしたら……ただではおきませんよ?』
「(わ、わかってるよ……)」
中身はおっさんとはいえ、俺だってこの美しい肉体を安売りする気は毛頭ない。足元のお友達の影が、「こう! こう!」と健全なファッションモデルのようなポーズを実演してくれる。俺はそれに従って、基本的にはゆるーい、日常のワンシーンを切り取ったような全身ポージングを開始した。
「……こう、でしょうか?」
両手をポケットに突っ込んで少し斜めに構えたり。腕を組んで、壁(六畳間のふすま)に寄りかかってみたり。伸びをするように、両手を頭の上で組んでみたり。
『神』
『ふすまが高級ホテルの壁に見えてきた』
『ただ立ってるだけで一枚の絵画なんだよなぁ』
『ダボTシャツの袖から見える細い腕がたまらん』
健全なポーズであっても、ウマ娘の圧倒的なビジュアルはそれだけでリスナーたちを狂わせる。俺は調子に乗り、少しリラックスした雰囲気を出そうと、畳の上に直接座り込み、両膝を抱えるような……いわゆる『体育座り』のような格好をとった。
「……ふぅ。少し、疲れましたね」
小首を傾げて、カメラを見上げる。しかし、そのポーズをとった瞬間だった。
ダボッとしたパラシュートパンツの裾が、膝を曲げたことで少しだけ上に引き上がった。そこから、真っ白で、傷一つない、ウマ娘の華奢な素足と足首まわりが、チラリとカメラの画角に映り込んでしまったのだ。
『――――ッ!!』
『足首!!』
『素足!! 生足!!』
『うおおおおおおおお!! 白い! 細い!!』
『靴下履いてなかったの!? 助かる!!』
『ちょっと画面近づけて!!』
『【¥10,000】もっと見せて!!』
コメント欄が、一瞬にして爆発したような騒ぎになった。予想外の反応の大きさに、俺はビクッとして動きを止める。こりゃちょっといかんか。
『……四月一日さん。』
背後から、氷のように冷たい、絶対零度の声が響く。振り返らなくてもわかる。カフェが、般若のような(あるいは修羅のような)凄まじいオーラを放って俺を見下ろしているのだ。やべぇ。
「(ち、ちがう! これは事故だ! 意図した露出じゃない!)」
俺は慌てて心の中で弁明しながら、すぐさまパラシュートパンツの裾を手でギュッと引っ張り下げ、足首を完全に隠した。そして、カメラに向かって、カフェの怒りのオーラをそのままトレースしたような、冷たく見下すような視線を向けた。
「……あんまり言うと。……もう二度と、お見せしませんよ」
ピシャリと、低いウィスパーボイスで言い放つ。あえて冷たく、リスナーたちを突き放すような『お叱り』の言葉を意識して。
普通なら反感を買うかもしれない。しかし、相手は完全に調教(?)されきったかっふぇのファンたちである。
『ひぃっ! すいません!!』
『怒られた!! 助かる!!』
『ありがとうございます!!!』
『もっと蔑んだ目で見てください!!』
『【¥50,000】大変申し訳ございませんでした!!(歓喜)』
「……はぁ」
俺は思わず、深い、深いため息を吐き出した。空中に浮かぶカフェも、呆れ果てたように肩をすくめ、足元のお友達の影も「やれやれ」とばかりに首を横に振っている。
「……皆さんは、本当に。……変わった方が、多いですね」
俺が呆れ顔で呟くと、さらに『ご褒美です!』とコメントが加速していく。この平和で、少しだけ狂気を孕んだ六畳間の配信は、今日も大成功のうちに終わろうとしていた。
■
雑談を続けながら、時計の針が午後1時を回ろうとしていた頃。配信の終了時間を考え始めていた俺の視界の端で。
『ブブッ。』
パソコンの横に置いてあったスマートフォンが、短く震えた。またリスナーからのSNSの通知だろうか。そう思い、俺は何気なくスマホの画面を覗き込んだ。
「……ん?」
しかし、ロック画面に表示されていたのは、いつもの『いいね』や『リポスト』の通知ではなく、SNSのダイレクトメッセージだった。そして、送信元のアイコンと名前を確認すると、俺の視線は完全にスマホに釘付けになった。
「……おっ?」
俺は思わず、素の驚きの声を漏らしてしまった。画面に表示されていた送信元は、公式の認証バッジ(青いチェックマーク)がついた、見覚えのある企業アカウントだった。
ウマ娘というコンテンツを管理し、様々なプロモーションやイベントを手掛ける、あの巨大企業の公式アカウントだ。
『四月一日さん? どうかしましたか?』
「(どうしたのー?)」
配信中にも関わらず固まってしまった俺を心配し、カフェとお友達がスマホの画面を覗き込んでくる。
俺は震える指先で、画面のロックを解除し、そのメッセージのプレビューをタップした。そこに書かれていた文章は、極めて丁寧なビジネス文書でありながら、俺たちの現在の状況を根本から覆しかねない、とんでもない爆弾だった。
【突然のご連絡、誠に恐れ入ります。プロモーション担当の者です。
現在、SNS等で多大な反響を呼んでおります、かっふぇ様の『マンハッタンカフェ』の素晴らしいお姿を拝見し、ご連絡させていただきました。
単刀直入に申し上げます。
ぜひ、弊社の『ウマ娘公式コスプレイヤー(公認アンバサダー)』として、今後の公式イベント等で、お仕事をしてみませんか?】
「――――ッ!!」
公式コスプレイヤー。公式イベントでの、仕事。
それは、同人イベントの枠を完全に超えた、企業直属のオフィシャルな舞台への招待状だ。身分証の提示を回避しながら、インフルエンサーとしての日銭を稼いでいた俺たちの前に、突如として現れた『本家本元』からのコンタクトだった。
『こ、これは……っ』
カフェも、そのメッセージの内容を理解し、黄金の瞳を見開いて絶句している。
「……ごめん、なさい。皆さん」
俺は、頭の中で警鐘と歓喜が入り混じる凄まじい混乱を抑え込みながら、カメラに向かって視線を戻した。
「……急な、用事が入ってしまったので。……今日の配信は、これで、終わりますね」
『ええっ!?』
『何かあったの!?』
『かっふぇさん顔色変わったけど大丈夫!?』
リスナーたちの心配するコメントが流れる中、俺は無理やり平静を装った微笑みを浮かべた。
「……大丈夫、です。良い知らせ……かもしれないので。……それでは、また」
トン、と。配信終了のボタンをクリックし、カメラの電源を落とす。静寂が戻った六畳間で、俺はスマートフォンを握りしめたまま、カフェと顔を見合わせた。
「……おいおいおい。冗談だろ」
俺の口から、乾いた笑い声が漏れる。
「公式からの、仕事のオファーって……」
それが意味するのは、圧倒的なまでの露出と、それに伴う想像を絶する数のファン(フォロワー)の獲得だ。しかし同時に、それは『身分証の壁』や『契約の壁』という、中身がおっさんである俺にとっての最大の試練に、真正面からぶつかることを意味していた。
なんにせよ異世界への扉は、もう、開く寸前だ。三十路前のおっさんと本物のウマ娘の、前代未聞のインフルエンサー生活は、ついに巨大な企業を巻き込んだ最終決戦へと突入しようとしていた。