ちょっと体調崩しましてね。ハハハ。
パソコンのモニターに表示されたデジタル時計の数字が、23時59分50秒を回った。別ウィンドウで開いているSNSのフォロワー数カウンターは『319,985』。数十秒単位で、数字がカシャカシャと音を立てるように跳ね上がっていく。
「(……来るぞ)」
『……ええ』
俺はマウスを握る手に力を込め、空中に浮かぶカフェと小さく頷き合った。足元のお友達も、画面を食い入るように見つめて静止している。
57秒、58秒、59秒――。
『ゴォォォォォォォン……』
日付が切り替わった瞬間、開いていた配信のブラウザの裏から、遠くの寺が突く除夜の鐘の音が、冬の冷たい空気を震わせて微かに聞こえてきた。新しい年の幕開けだ。
そして、それと完全にシンクロするようにカウンターの数字が、ついに大台を突破した。
【フォロワー数:320,012】
「……っ!」
その瞬間、画面右側のコメント欄が文字通り爆発した。滝のような速度で流れていた文字の群れが、もはや目では追えないほどの光の帯となってスクロールしていく。
『あけましておめでとうおおおおお!!!』
『32万人達成!!!』
『レジェンドウマ娘だあああああ!!!』
『年越しと同時とかエモすぎるだろ!!』
『おめでとう!! 最高の大晦日だ!!』
『あけおめ! ことよろ! レジェンドウマ娘!!』
『神枠だなこりゃ』
『【赤スパチャ¥50,000】伝説の始まりに乾杯!!!』
『【赤スパチャ¥10,000】あけましておめでとうございます!』
『かっふぇさん今年もよろしくね!!』
『年越しぴったりに32万人はもはや奇跡だろww』
『歴史的瞬間に立ち会えたわ』
『レジェンドウマ娘・かっふぇ爆誕!!』
怒涛の祝福と、画面を埋め尽くす色とりどりのスーパーチャット。俺は腹の底から湧き上がる高揚感をウマ娘の可憐なガワの下に封じ込め、カメラに向かって、ゆっくりと、この上なく優雅な微笑みを咲かせた。
「……あけまして。おめでとう、ございます」
ハスキーなウィスパーボイスで、新年の挨拶を紡ぐ。
「……そして。32万人の、レジェンドウマ娘。……皆さんの応援のおかげで、無事に、到達することができました。……本当に、ありがとう、ございます」
『おめでとう!!』
『めでてぇ!!』
『最高の一年になりそう!』
『かっふぇさんの声聞きながら年越せるとか幸せかよ』
そんなコメントの濁流に目を細めながら感謝を伝えていた、まさにその時だった。
――ピピピピピッ!!
机の上に置いていたスマートフォンが、かつて一度だけ聞いたことのある、あの奇妙で澄んだ電子音を鳴らして激しく明滅した。俺は画面外でスッとスマホを手に取り、手元に視線を落とした。
すると予想通りというか、意外と言うべきなのか……。暗い画面の中央に、白と緑を基調としたスタイリッシュなポップアップが浮かび上がっている。
『【ファン数】32万人突破。レジェンドウマ娘へ到達!』
「(……来たっ!!)」
俺は配信のカメラに顔を向けたまま、手元のスマホ画面を親指で力強くタップした。直後、画面が切り替わる。異世界のアプリ――『ウマスタ』が、自動的に立ち上がったのだ。
以前、24万人の時に一度だけ起動し、すぐにクラッシュしてしまったあのアプリ。しかし、今回は違った。以前は真っ白で何一つ読み込まれなかったホーム画面に、今は鮮やかな色が灯っている。
『ホーム』
『検索』
『通知』
『メッセージ』
―――すべてのタブのアイコンがアクティブに点灯し、バックグラウンドでは何らかのデータが通信されているのを示すローディングアイコンが、スムーズに回転していた。異世界・トレセン学園のネットワークと、このスマートフォンの回線が、完全に、そして強固にリンクした証拠だった。
「……ふふっ。皆さんの、おかげですね。……今年も、かっふぇを、よろしくお願い、します」
俺はマイクに向かって穏やかに新年のコメントを捌きながら、画面外の指先で素早く『メッセージ』のタブをタップした。
表示されたのは、受信ボックスだ。そこには、以前エラーで文字が打てなかった時に届いていた『カレンチャン』からのメッセージに加え、もう一つ、新たな人物からの新着メッセージが届いていた。
『カレンチャン:届いたら返信お願いします、カフェさん』
『アグネスタキオン:速く帰ってきたまえよ。カフェがいないと張り合いがないじゃあないか』
「(……タキオン。カフェが良く話をする、中の良いウマ娘さんか)」
俺が手元でその文面を確認していると、背後からスッと顔を近づけてきたカフェが、画面を見て小さく息を呑んだ。
『……四月一日さん。返信を。今、私たちは違う世界に居ますと、手短に伝えてください』
「(了解だ)」
俺はキーボードを立ち上げた。今回はフリーズしない。現代のスマホと同じように、スムーズに文字が入力できる。
『マンハッタンカフェ:あけましておめでとうございます。こっちは今、別世界にいます』
送信ボタンを押す。すると、メッセージに『既読』がついたと同時――いや、ほとんど間髪を入れずに、カレンチャンからの返信が凄まじい勢いで飛んできた。
『カレンチャン:カフェさん!?今どこにいらっしゃるんですか!?今タキオンさんと一緒にいるんですけど、本当に大変なことになってるんですよ!』
「(大変なこと……?)」
俺は片手でキーボードを打ちながら、もう片方の手でマグカップの珈琲を口に運び、リスナーへの対応を続ける。
「……ええ。おみくじは、まだ引いていませんよ。……皆さんは、大吉、出ましたか?」
『これから初詣行くー!』
『かっふぇさんと一緒に初詣行きたい人生だった』
『深夜の神社にかっふぇさんいたら幽霊と見間違えるかもw(美しすぎて)』
『大吉出たよ!! かっふぇに出会えたことがすでに大吉だけどな!』
コメント欄の平和な新年のやり取りとは裏腹に、手元のウマスタのトークルームでは、世界の根幹を揺るがすような事態が進行していた。
『マンハッタンカフェ:実はこっちも大変なことになっていて。なんというか、別世界にいます。そっちの、大変な事って?』
送信して数秒。カレンチャンからの返信には、俺も、そして背後のカフェも予想だにしなかった、衝撃の事実が記されていた。
『カレンチャン:べ、別世界ですか!? も、もしかしてそのせいかも! カフェさんのこと、私と、タキオンさんと、ネオユニヴァースさん以外、学園の皆がわすれちゃってて!しかも、カフェさんが居なくなった時から、学園に『四月一日』っていう用務員さんが現れて、もう訳が判らないんですよ!』
「――――ッ!?」
その文字列を見た瞬間、俺は配信中であることも忘れ、思わずカッと両目を見開いてしまった。
『えっ? かっふぇさん今ちょっと目見開いた?』
『なんか驚いた顔した!?』
『可愛いwww』
『すげぇ、アンニュイな顔からいきなり見開くと破壊力エグい』
『何に驚いたの? コメント?』
『新年早々美しすぎるリアクションたすかる』
『目線外してスマホ見てた? 誰かからあけおめラインでも来たのかな』
リスナーたちが俺の微細な表情の変化に敏感に反応し、コメント欄がわっと沸き立つ。俺はハッとして、すぐに表情筋を元の『ダウナーなウマ娘』へと戻し、小さく首を横に振った。
「……いえ。少し……新年のご挨拶のメッセージが、たくさん来ていて。……驚いて、しまいました」
適当な言い訳でリスナーを誤魔化しながら、俺の心臓は早鐘のように激しく打ち鳴らされていた。
数人以外カフェの事を覚えていない、という記憶の改竄。そして、『用務員・四月一日』の出現。
『……私の事を、全て忘れている?』
空中のカフェが、信じられないというように口元を手で覆った。
『カレンさん、タキオンさん……それに、ネオユニヴァースさん。その三人以外から、私の存在が消え……そして、入れ替わるように、四月一日さんが……?』
カフェは呆然と呟き、やがて何かを推測するようにスッと目を細めた。
『……あの悪霊の仕業、でしょうか。それに……四月一日と名乗る用務員。つまり、あちらの世界に現れたのは、四月一日さんの元の肉体、ということでしょうか?』
「(コテン)」
足元のお友達も、事態が飲み込めないというように、首を大きく傾げている。
状況を整理しよう。俺の魂がカフェの身体に入り、この日本で『かっふぇ』として生きている間。
主を失ったはずの俺の身体は、カフェのいた異世界――トレセン学園へと転移し、なぜか『用務員』として働いているというのか? 次元の歪みが生み出した、完全な等価交換とでもいうのだろうか。だが、なぜカフェの記憶が、あちらの世界から消え去ろうとしているのか。向こう側とつながったはいいが、余計に謎は深まるばかりだ。
『……四月一日さん』
カフェが、決意を込めた眼差しで俺を見た。
『私から、言葉を伝えます。……ウマスタ通じて、メッセージを送ってください』
「(わかった)」
俺はキーボードに指を添え、カフェが背後で紡ぐ言葉を、一言一句違わずにフリック入力で打ち込んでいった。
『マンハッタンカフェ:混乱するかもしれませんが、聞いてください。私は今、カフェです。実は異世界にきてます。ここには、ウマ娘が存在しません。しかも、私の体は四月一日と言う人物が動かしていまして、私は霊のようなものになってその周囲を浮いているのです。幸い、四月一日さんが協力的なので、こうしてメッセージを送ることができています』
長文を一気に送信する。画面の向こう側のカレンチャンが、このSF映画のようなぶっ飛んだ設定をどう受け止めるか。少しの間の後、トークルームに『入力中…』のアイコンが表示された。
しかし、次に届いたメッセージの文面は、カレンチャンのものではなかった。明らかに代わったであろう、その理屈っぽく、どこか楽しげな口調だった。
『アグネスタキオン:やぁやぁカフェ。随分と難儀なことになっているじゃあないか』
『アグネスタキオン:君がいない間、私がどれだけ退屈していたことか。……しかし、なるほど。切り株の幽霊は、それほどまでに強力だったのかい?』
「(切り株の……幽霊?)」
俺がその見慣れない単語に首を傾げると、背後のカフェが、ハァ、と。それはもう、心底疲れたような、深い深いため息を吐き出した。
『……ええ。そうです、とお伝えください。……あの人は、本当に、相変わらずですね……』
俺は言われた通り、『そうです』とだけ返信を打った。カフェにとって、『切り株の幽霊』と呼ばれる存在は、彼女につきまとう不可解な現象の根源であり、タキオンとの間でも幾度となく議論(あるいはからかいの種)になっていたものらしい。
「……さて。皆さんは、初夢は、何を見たいですか?」
『一富士二鷹三かっふぇ!』
『かっふぇさんの夢が見たいです!』
『かっふぇさんに膝枕される夢がいいなぁ……』
『【赤スパチャ¥10,000】夢の中でも推します!!』
『もう起きてる間ずっとかっふぇ見てるから夢見なくていいやw』
平和そのもののコメント欄に相槌を打ちながら、俺は手元の異世界通信機(スマートフォン)を握りしめた。
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ついに繋がった、元の世界とのホットライン。
俺の肉体の行方。そして、カフェの存在を世界から消し去ろうとする謎の力。
フォロワー32万人という絶対的な力を手に入れた俺たちの、世界と世界を股にかけた本当の『謎解き』と『帰還』への戦いが、大晦日の夜、ついに静かな幕を開けたのだった。