『タキオンさんは優れた研究者ですから、この次元を跨いだ異常事態についても、もしかすると既に何らかの糸口を掴んでいるかもしれません』
空中に浮かぶカフェからの冷静な助言に、俺はカメラ外で小さく頷き、素早くキーボードの画面をタップした。
『マンハッタンカフェ:タキオンさん、そちらで何かわかってることは?』
こちらが手短に本題を投げかけると、すぐにタキオンらしい理屈っぽい、それでいて事も無げな返信がトークルームに浮かび上がった。
『アグネスタキオン:そうだねぇ。基本的には、カレンチャンの言うとおりの状況だ。ある日突然カフェが世界から消え、それと完全に入れ替わるようにして、学園に『四月一日』という名の用務員が現れたね』
「――ッ、ゲホッ!! ゴホッ、ゴホッ!!」
改めて、文字として突きつけられたその確定的な事実に。俺は喉を通ろうとしていた珈琲を見事に気管に詰まらせ、マイクの前で盛大にむせ返ってしまった。
『えっ!? かっふぇさん!?』
『大丈夫!?』
『珈琲むせた!?』
『ゆっくりでいいよ! 焦らないで!』
『背中さすりたい(切実)』
『お水飲んで! 息して!』
『驚いた顔も咳き込む顔もカワイイ……(不謹慎)』
突如として苦しそうに咳き込んだ俺を見て、コメント欄は瞬時に心配(と一部の欲望)の嵐へと変わった。四万人以上のリスナーを、新年早々パニックにさせるわけにはいかない。俺は慌てて口元を勝負服の袖で覆い、ウマ娘の驚異的な回復力で無理やり呼吸を整えながら、カメラに向かって片手を上げた。
「……ごめん、なさい。少し……変なところに、入ってしまって」
かすれたウィスパーボイスで、精一杯のミステリアスな微笑みを取り繕う。咳き込んだせいで少しだけ瞳が潤み、図らずもそれが妙に色っぽい表情になってしまっていた。
「……もう、大丈夫、です。……ご心配を、おかけしました」
『よかったー!』
『無理しないでね!』
『涙目のかっふぇさん破壊力高すぎる』
『新年から寿命縮まったわw』
『画面から水差し出したい』
リスナーたちが安堵し、コメント欄が再び平和な大晦日の空気を取り戻していく中。俺の心臓は、先ほどのタキオンからのメッセージによって激しく警鐘を鳴らし続けていた。
(やっぱり、俺の元の身体が向こうの世界に行ってるってことか……! しかも用務員として働いてる!?)
俺の魂がこの日本で『かっふぇ』として活動している以上、あっち(トレセン学園)にいる『俺の肉体』を動かしているのは一体誰だというのか。ただの抜け殻が勝手にほうきを持って掃除をしているホラー現象か、それとも別の誰かの魂が入り込んでいるのか。脳内でパニックになりかける俺の手元で、再びスマホが短く震えた。
『アグネスタキオン:ところでカフェ。確かさっき、そっちの君は『四月一日』さんの協力を得ている、と言っていたね?』
画面の向こう側の天才科学者が、フラスコ片手に薄く笑いながら目を細めている光景が目に浮かぶような、鋭い追撃のメッセージだった。
『アグネスタキオン:こちらの世界に忽然と現れた謎の用務員と、そちらの別世界で君を助けている人物の名前。……随分と、奇妙な偶然の一致を見せるじゃあないか』
■
「……皆さんは、初詣には、いつ行かれますか? 私は、少し落ち着いてからに、しようかと、思っています」
マイクに向かって穏やかなウィスパーボイスを響かせながら、俺は顔の角度を固定したまま、視線だけを手元のスマートフォンへと落とした。右手でマウスを操作して配信画面のコメントを拾うフリをしながら、左手の親指で異世界(ウマスタ)のトークルームに猛スピードでフリック入力を叩き込んでいく。
『初詣は三が日過ぎてからかなー』
『かっふぇさんと一緒に行きたい(2回目)』
『てかかっふぇさん、さっきからスマホで誰と連絡とってんの?』
『彼氏!? 彼氏なの!?(血涙)』
『やめろ! 夢を見させろ!』
『親戚からのあけおめラインでしょ(冷静)』
『スマホ見つめる伏し目がちな顔も美しすぎて絵画』
『なんかタイピング速くない?w』
『カチャカチャターン! してそう』
(―――彼氏じゃねぇよ、お前らの推しの『本物たち』と、異世界のヤバい科学者たちだよ)
俺は心の中でリスナーたちにツッコミを入れつつ、カメラに向かって小さく微笑んだ。
「……ふふっ。ごめんなさい。……少し、お世話になっている方から、新年のご挨拶が、止まらなくて。……彼氏なんかでは、ありませんよ?」
『よっしゃああああああ!!』
『安心した!!!』
『俺が彼氏だ!!!(過激派)』
『かっふぇさんの連絡先知ってる奴全員嫉妬するわ』
『挨拶返すの義理堅くてすこ』
リスナーたちを適当な言葉で宥めつつ、俺はタキオンの『偶然の一致を見せるじゃあないか』という探りに対し、ついに核心を突く事実を打ち込んだ。
『マンハッタンカフェ:事実をすり合わせよう。ちょっとここからは……ああ、信じられないかもしれないが、単刀直入に言う。今このスマホを操作している身体はマンハッタンカフェのものだが、中身(精神)は四月一日という人間の男だ。そして、本物のカフェは幽霊のような状態になって、俺のすぐ隣に浮いている』
送信ボタンを押す。
……活字にして改めて見ると、頭のおかしい電波発言にしか見えない。だが、これが紛れもない真実だ。数秒の沈黙。画面の向こうで、二人のウマ娘がこのメッセージを読んでフリーズしている様子が目に浮かぶ。
やがて、タキオンから返信が来た。
『アグネスタキオン:おやおやおや、それは穏やかではないね? 本気かい?』
『マンハッタンカフェ:本気もなにも事実だし』
俺が淡々と返すと、今度はカレンチャンから悲鳴のようなメッセージがスタンプと共に連投された。
『カレンチャン:ええー!?!?なにそれなにそれ!?中身が男の人!?カフェさんの身体に!?でも、アカウントもカフェさんのだし!文章の打ち方のクセも、最初はカフェさんだったのに、今は全然違うし……!?パニックです!!』
カレンチャンが混乱の極みに達しているのがわかる。無理もない。そんな彼女を尻目に、タキオンは持ち前の異常な探求心と適応力で、事態を冷静に咀嚼し始めたようだ。
『アグネスタキオン:……ふむ。突拍子もない話だが、事象の異常性を鑑みれば、ひとまず呑み込むとしよう。カフェ本人が隣で肯定しているなら、それが真実なのだろうね。しかし、現状は厳しいね。こうしてウマスタのバグを通じてやりとりは出来るようになったが……何をどうして、お互いの世界で肉体と精神が入れ替わったのか。その『原因』がわからないことには』
タキオンのメッセージが、そこで一度途切れた。『入力中…』のアイコンが数秒点滅し、やがて、どこかバツの悪そうな……いや、全く悪びれていないが、一応言い訳めいた長文が送られてきた。
『アグネスタキオン:あ、いや。そもそも、私の実験が問題だったのは承知しているよ?』
「(は? 実験?)」
俺が訝しげに目を細めると、空中に浮かんでいたカフェが、みるみると般若のような険しい表情になっていくのがわかった。
『アグネスタキオン:学園内で皆の無念や様々な思念を受け止めている、あの『切り株』。あれにとある薬品を投入すれば、もしかしたらウマ娘の、未知の限界(リミッター)が外されるんじゃないかと思っただけなんだ』
「…………」
俺は、開いた口が塞がらなかった。
日雇い現場にも『ちょっと安全装置外して無茶やってみようぜ』と言って大事故を起こすバカな現場監督はいたが、この科学者は次元が違う。怨念やら思念やらが集まるスピリチュアルな切り株に、謎の薬品をぶち込んでリミッター解除だ? マッドサイエンティストという言葉すら生ぬるい。
「……ふぅ」
俺は思わず、現実の配信マイクに少しだけ乗る程度の、深いため息を吐き出してしまった。
『かっふぇさんため息ついた!?』
『どうしたの!?』
『なんか嫌な連絡でも来た?』
『おじさんが話聞こうか?』
『アンニュイなため息もエロいっす』
『珈琲冷めちゃった?』
「……いえ。なんでも、ありません。……ただ、少し。お転婆な知り合いが、とんでもないことを、しでかしていたようで」
俺が苦笑交じりにそう言うと、リスナーたちは『お転婆な知り合いw』『かっふぇさんに呆れられるとか相当だぞ』と面白がってくれた。一方、俺の背後では。
『…………ええ。その通りです』
カフェが、ドス黒いオーラを放ちながら、地を這うような声で呟いた。彼女の目は完全に据わっており、足元のお友達すら「ヒィッ」と縮み上がって隠れようとしている。
『四月一日さん、打ってください。……あの実験のせいで、切り株に集まっていた悪霊的なものが完全に暴走してしまって。私がそれを抑えようと干渉した結果……次元の穴が開き、それに巻き込まれたのだと』
「(了解)」
俺はカフェの言葉を要約し、タキオンへと叩きつけた。
『マンハッタンカフェ:カフェ本人からの伝言だ。あんたの薬品のせいで悪霊的なものが暴れてしまって、それをカフェが抑えようとしたら次元の歪みに巻き込まれたらしい。それが原因だ』
送信後、画面の向こうのタキオンが、
「アハハ、それはすまなかったねぇ」
と笑いながら頭を掻いている姿が容易に想像できた。まったく、とんでもないトラブルメーカーだ。だが、同時に俺の頭の中で、タキオンの提示した情報と、これまでの状況が、カチリと音を立ててパズルを組み上げ始めていた。
(つまり俺たちがこうなった原因は、理由として濃厚なのは、タキオンの薬品と……『切り株』だ。切り株そのものか、それとも切り株にまつわる何かが暴走してしまって、次元の歪みを生み、対処しようとしたカフェと、なぜか俺を入れ替えた)
俺がこの身体に入った時、俺自身は日本のどこかにいたはずだ。まぁその、正確な記憶は曖昧だが。そして、俺の元の肉体は向こうの世界に行っている。この等価交換のような入れ替わり現象。もし、次元を繋ぐ『ポータル』の役割を果たしたのが、その『切り株』なのだとすれば。
俺は、左手の親指を滑らせ、自らの閃きをトークルームに打ち込んだ。
『マンハッタンカフェ:ということは。その暴走の起点になった『切り株』とやらと同じようなものを、こちらの世界でも見つけられれば……それが、カフェが元の世界へ帰るための『糸口』になるのでは?』
メッセージを送信し、俺は顔を上げて空中のカフェを見た。カフェもハッとしたように目を見開き、俺の考察を頭の中で反芻している。
『……なるほど。二つの世界を、繋いだ穴の、こちら側の『出口』であり『入口』。それが、この日本のどこかに、存在している……?』
「(そういうことだ。原因がわかれば、対処のしようもある)」
俺が小さく頷くと、お友達の影が「見つける! 探す!」とばかりにピョンピョンと跳ね回った。
「……さて」
俺はスマホをデスクの上にそっと伏せ、両手をキーボードの前で組んで、改めて配信用のカメラへと視線を向けた。フォロワー数は32万の壁を越え、すでに【321,540】にまで達している。異世界との通信回線は確保した。帰還のための仮説も立った。あとは、この世界でのインフルエンサーとしての力を維持しつつ、こちら側の『切り株』を探し出すだけだ。
「……皆さん。新年から、私の長話に付き合っていただいて、本当に……ありがとう、ございました」
『まだまだ聞くよー!』
『ずっと起きてる!』
『かっふぇさんの声聴きながら初日の出見るんだ……』
『32万人達成の瞬間を一緒に迎えられて最高だった!』
『今年もかっふぇの年になりそうだな!』
「……ふふっ。皆さんと一緒に、こうして新しい年を迎えられたこと。……私にとっても、一生の、思い出になりそうです」
俺は、画面の向こう側の四万人のリスナーたちへ。そして、見えない世界で繋がっている異世界の住人たちへ向けて、ハスキーなウィスパーボイスで囁いた。
「……今年も、色々なことが、起こると思いますが。……どうか、最後まで。私から、目を離さないでくださいね」
『離すわけないだろ!!』
『一生ついていく!!』
『かっふぇしか勝たん!!』
『絶対に見届けるよ!!』
怒涛のように流れる歓喜のコメントの波を眺めながら。六畳間のアパート、三十路のおっさんと、幽霊と、悪霊の、奇妙で過酷な新年が、ここに確かな一歩を踏み出したのだった。