「……それでは、今日はこの辺りで。区切りも良いですしね」
画面の向こうで未だに熱狂を続ける四万人のリスナーたちへ向けて、俺はゆっくりと微笑みかけた。
「……年明けから、本当にありがとう、ございました。……また、お昼過ぎくらいに、少しだけ配信をしようかと、思います。……初夢で、お会いしましょうね」
『おつかっふぇー!』
『最高の年越しだった!』
『また昼にね!』
『ゆっくり休んで!』
『あけおめ!』
温かいコメントのシャワーを浴びながら、俺は配信ツールの『終了』ボタンをクリックした。プツン、とリングライトの照明を落とすと、六畳間に深夜の静寂が戻ってくる。
「……終わった。マジで、終わったぁ……」
フォロワー32万人達成。そして、異世界のシステム『ウマスタ』を通じた通信回線の確立。大晦日の夜に掲げたすべての目標を、俺たちは完遂したのだ。
「さて……」
心地よい疲労感に浸るのもそこそこに、俺はデスクに伏せていたスマートフォンを再び手に取った。画面の中では、未だに異世界(トレセン学園)のタキオンとカレンチャンとのトークルームが開かれたまま。
と、いうのも、先ほど思いついた仮説、次元を繋ぐ穴の、こちら側(日本)の出口であり入口であろう切り株。それを特定するため、俺たちはチャットを通じて、お互いの世界の『地理』についてのすり合わせを行っていた。
『マンハッタンカフェ:そっちの切り株がある場所って、具体的にどこなんだ?』
『アグネスタキオン:トレセン学園の中庭だよ。カフェがいつも珈琲を飲んでいた場所だ』
『マンハッタンカフェ:トレセン学園の住所は?』
タキオンから送られてきた住所の文字列を見て、俺は首を傾げた。
「……東京都府中市。これ、現実の府中競馬場(東京競馬場)のすぐ近くじゃないか?」
俺が呟くと、背後から画面を覗き込んでいたカフェが、静かに補足してくれた。
『……四月一日さん。私たちの走る場所は『レース場』と呼ばれています。この世界における、競馬場ですね』
「ああ、そうだったな」
俺は地図アプリを立ち上げ、タキオンから送られた住所を現実の日本のマップと照らし合わせてみた。
「……なるほど。完全に一致はしないが、こっちの世界だと……トレセン学園があるはずの場所は、ほぼ府中競馬場の敷地そのものと被ってるな」
俺がチャットにその事実を書き込むと、タキオンもすぐに理解したようだった。
『アグネスタキオン:なるほどね。そちらの世界とやらは、私たちの世界とほぼ同じ世界線だが、ウマ娘という種族が存在するか否かで一つ差異がある。そして、それに伴い微妙に建造物や施設の配置が異なっている、というわけだね。君のいる世界ではトレセン学園が存在せず、巨大な『競馬場』がその土地を占有している、と』
「(そういうことか……。俺の世界とカフェの世界は、コインの表と裏みたいに重なり合ってるんだ)」
原因となった『切り株』の場所も、おそらく現実の東京競馬場のどこかにリンクしている可能性が高い。
『マンハッタンカフェ:あとは、32万人を越した瞬間に、こうしてメッセージのやり取りが安定して出来るようになった。ということは……もっとフォロワーを増やせば、次元の穴が完全に開いて、お互いに戻れる可能性もあるんじゃないか?』
俺が希望的観測を打ち込むと、画面の向こうのタキオンは少しだけ間を空けて返信してきた。
『アグネスタキオン:ふぅむ、その可能性は十分にあるね。……とはいっても、ウマスタのシステム上で次の明確な区切りとなると、もはやトレーナーの最高称号である【100万人】ぐらいしかないがね?』
「ひゃくまん、にん……」
改めてその数字を突きつけられ、俺は思わず天を仰いだ。コミケという特大のブーストを使ってようやく32万人に到達したばかりだというのに。ここからさらにその三倍のファンを集めろというのか。公式アンバサダーのオファーを利用したとしても、容易な道のりではない。
だが、俺が弱音を吐きそうになったその時、トークルームに、一人のウマ娘からの力強いメッセージが割り込んできた。
『カレンチャン:やるしかないと思います!カフェさんが帰ってくるためなら、今はなんでも!どんなことでもやってみましょう!私たちも、こっちで出来る限りの原因究明をしますから!』
その、アイドルのような可憐さの中に燃えるような決意を秘めた言葉。それに背中を押されるように、空中のカフェが、ふっと柔らかい笑みを浮かべた。
『……ええ。その通りですね、カレンさん。私たちも、やれるだけのことをやってみます』
カフェが俺に向けて頷き、足元のお友達の影も「やるやる!」と拳を振り上げる。
『マンハッタンカフェ:確かにそうか。弱音を吐いてる場合じゃないな。こっちも、公式のイベントやら何やらを使って、全力で100万人を目指してみる』
俺が力強く同意すると、タキオンから『素晴らしい心意気だ』とスタンプが送られてきた。
『アグネスタキオン:さて。私も随分と頭を使ったせいで、流石にくたびれてきたよ。今日のところは、この辺りでお開きにしようか』
画面の向こう側の疲労を察し、俺も「わかった」と返そうとしたが、ふと一つの不安がよぎった。
『マンハッタンカフェ:待ってくれないか。こちらのアプリが、いつまで持つかわからないんだ。一度閉じたら、またバグって開かなくなるかもしれない』
『アグネスタキオン:とはいえ、何時までもそのアプリだけを画面に表示し続けるわけにもいくまい? リスクは承知の上だ』
確かに、四六時中この画面を開きっぱなしにするわけにはいかない。タキオンの言う通りだ。
『アグネスタキオン:四月一日クンと言ったね? ひとまずは君は、そちらの府中競馬場で『切り株』らしき物を探すんだ。……位置情報はこれだ』
ポンッ、と。タキオンから、緯度と経度が細かく記された座標データが送られてきた。
『アグネスタキオン:世界が違う以上、完全に一致するかは分からないが……ひとまず、そこを目標にしてくれたまえ』
『マンハッタンカフェ:了解した』
これで、当面の目標は定まった。通信を切ろうとした俺の画面に、最後に、タキオンからの短いメッセージが表示された。
『アグネスタキオン:……ああ、そうだ。あとは、隣にいるカフェに伝えてくれたまえ。久し振りに意思疎通が出来て、嬉しかった。……早く会いたい、とね』
「…………」
その、今までの理屈っぽく飄々とした彼女からは想像もつかないような、素直で、どこか不器用なメッセージ。俺は言葉を出さず、ただ画面を少し傾けて、背後のカフェに見えるようにした。
『……っ』
画面を見たカフェは、黄金の瞳を少しだけ瞬かせ。やがて、呆れたように、けれど本当に嬉しそうに、フイッとそっぽを向いた。
『……本当に。あの人は、いつも一言多いんです』
少しだけ赤くなった耳を揺らしながら、カフェは照れ隠しのように呟いた。そんな彼女の様子を見て、俺はクスリと笑い、タキオンに『伝えたぞ』とだけ返信し、トークルームを退出した。
「……さて。問題は、ここからだ」
俺は深呼吸をして、スマートフォンのホーム画面へと戻るスワイプ操作を行う。シュッ、と画面が切り替わり、いつもの見慣れたホーム画面が現れる。
そして、震える指先で、もう一度『ウマスタ』のアプリアイコンをタップした。
(頼む、開いてくれ……!)
もしこれで再びエラーを吐いて真っ白になれば、タキオンたちとの通信手段はまた絶たれてしまう。そうして、祈るような気持ちで画面を見つめていると。
―――サクッ、と。
何のエラーもなく、極めてスムーズに、ウマスタのホーム画面が起動した。
「……よしっ!!」
『開きましたね……!』
「(バンザーイ!!)」
俺はガッツポーズを決め、カフェも安堵の息を吐き、お友達の影は畳の上で狂喜乱舞のバンザイジャンプを繰り返した。
32万人という『レジェンドウマ娘』の力は、次元の壁を穿ち、このアプリを完全に現実のスマートフォンへと定着させたのだ。これで一歩、いや、百歩くらいの前進だ。
「……よし。それじゃあ、タキオンから送られてきた『次元の穴(切り株)』の場所。……こっちの世界のマップに反映させてみるか」
俺は再び緊張感を高め、タキオンから送られてきた座標データをコピーし、現実の地図アプリの検索窓へとペーストした。少しドキドキしながらも、検索ボタンをタップする。
するとどうだろうか。画面がズームインし、東京都府中市、東京競馬場の広大な敷地を上空から見下ろす図へと切り替わった。
そして、赤いピンが、競馬場のコース内のある一点へと、スッと落ちた。
「……ここ、は」
そのピンが刺さった場所を拡大表示した瞬間。
競馬ファンである四月一日としての知識が、その場所の『名前』と『意味』を瞬時に弾き出した。
俺は、食い入るように画面を見つめ、無意識のうちにその名を口にしていた。
「――『大欅(おおけやき)』」
ピンが落ちたのは東京競馬場のコース内、第三コーナーの入り口付近。
そこには、競馬場の敷地内にありながら、決して伐採されることなくコースの内側に鎮座し続ける、巨大な一本の木(正確には榎だが、通称としてそう呼ばれている)がある。
古くから「切ろうとすると祟りが起きる」という都市伝説が囁かれ、数々の名馬たちがその付近で悲劇的な事故に見舞われ、あるいは奇跡的なドラマを生み出してきた、日本競馬界における最大のミステリースポット。
人々の歓喜、絶望、情熱、そして無念。
あらゆる思念が渦巻く、府中レース場の『特異点』。
「……なるほどな。そりゃあ、次元の穴も開くはずだ」
トレセン学園の中庭にある、思念を集める『切り株』。
そして現実の東京競馬場にある、数々の伝説と祟りの噂を持つ『大欅』。
二つの世界の、霊的なエネルギーの吹き溜まりが、そこで完全にリンクしていたのだ。
「……カフェさん」
『はい』
俺はスマートフォンを握りしめ、窓の外――、まだ夜も明けない、新年の暗い空を見つめた。
「俺たちのゴールは決まった。東京競馬場の、あの第三コーナー入り口だ」
『ええ。そこで、あの木に接触できれば……』
俺はスマホの画面を見つめながら、今後のスケジュールをカフェとすり合わせた。
「その通り。だが、直近で公式企業からオファーが来てる『金杯』のイベントは……一月四日。会場は、千葉の『中山競馬場』か、京都の『京都競馬場』のどっちかだ。府中は開催してない」
ポータルの場所が府中の大欅だとわかった以上、今すぐにでも府中競馬場に乗り込んで調査をしたい気持ちはある。だが、今の段階ではどうしようもない。
加えて、現在のフォロワー数は32万。タキオンの言う『100万人』という区切りにも到底届いていない。
「……ひとまずは、繋ぎとして。予定通り、公式のオファーを受けよう。金杯のイベントに出て、かっふぇの知名度を爆発させて、大欅に、そして100万人に届かせるための布石にするんだ」
『……ええ。それが最善だと思います』
カフェは、少しだけ懐かしそうな目をしながら頷いた。
『中山も、京都も……私にとっては、とても思い出深いレース場です。公式(オフィシャル)のイベントとして呼んでいただけるのなら、その舞台で、しっかりとファンの方々に恩返しをしたいですから』
「そうだな。お前の想い出の地で、100万人へのスタートダッシュを決めてやろうぜ」
大晦日の深夜。
新しい年の始まりと共に、俺たちの最終目的地が『府中の大欅』へと定まった。
公式イベントでの100万人獲得という途方もないミッションと、大欅に隠された次元の謎。
三十路前のおっさんとウマ娘の、世界を股にかけた本当の『大勝負(レース)』のファンファーレが、静かに鳴り響いていた。