Oさんからの真剣な、そして一切の疑いを持たない「彼女は本物です」という報告を受けた社長とS氏は、深く、重々しく頷いた。
「……相分かった。カフェさん、いや、かっふぇ君。我々公式は、君が元の世界へ帰還するための作戦に、全面的に協力することを確約しよう」
社長の力強い言葉に、俺はホッと胸を撫で下ろした。これでついに、この現代社会において最強のバックアップを取り付けたことになる。
「ただ、事を急いで動いては、足元をすくわれ、損をする可能性もある。まずは、今日の金杯のイベントを完璧に成功させ、君のインフルエンサーとしての発信力を盤石なものにしよう。それから改めて日取りを決め、腰を据えて『帰るための作戦会議』を行いたいと思うのだが、どうだろうか?」
「……はい。ご配慮、感謝いたします。それで、構いません」
俺が静かに頷くと、横にいたOさんも、
「もちろん、私も絶対に内緒にしますし、協力もしますよ!」
と、胸の前で小さな両拳を握って頼もしく請け負ってくれた。
「(……よし。完璧だ)」
『……ええ。本当に、素晴らしい立ち回りです、四月一日さん』
俺とカフェは、誰にも見えない虚空で力強く視線を交わし合った。
■
そこから俺たちは、イベントの共演者――アグネスタキオン役の声優・Uさんと、ジャングルポケット役の声優・Fさんが待つ大控え室へと移動した。
ガチャリ、と扉が開く。
「……本日は、よろしくお願い、いたします」
俺が出来るだけ優雅な、カフェらしい所作で一礼して室内に足を踏み入れると、談笑していた二人の女性がパァッと顔を輝かせた。
「おおーっ! 初めまして! 公式コスプレイヤーの、かっふぇさんだよね!」
「配信見たよー! いやほんと、画面越しでも凄かったけど、生で見るとマンハッタンカフェすぎるっ!」
快活で、よく響く声。流石はプロの表現者たちだ。初対面の、しかも素性の知れない謎のインフルエンサーである俺に対しても、壁を作らず極めて好意的に迎え入れてくれた。
「……ありがとう、ございます」
俺は小さく微笑みながら、差し出されたお二人の手と順番に握手を交わした。至近距離で顔を合わせた二人は、俺の顔をマジマジと見つめ、ほうっと感嘆の吐息を漏らした。
「っていうか、本当に綺麗だなぁ……。お肌ツルツル。今日のメイク道具とかって、どこのブランド使ってるの?」
「……していませんよ」
「えっ? じゃあ、普段の化粧品は?」
「……化粧水、ぐらい、ですね」
俺が事実を淡々と告げると、二人の声優さんは、
「嘘でしょ!?」
と目をひん剥いて驚愕した。それを見ていたOさんが、隣で苦笑しながら口を挟む。
「ふふっ、びっくりだよね。実はさっき、着替えとかを少し見させてもらったんだけど……肌だけじゃなくて、身体のラインとか筋肉も、完璧に仕上がったアスリートだったよ」
Oさんの見事なフォローという名の事実の暴露に、二人はさらに目を丸くし、やがて感銘を受けたような眼差しで俺を見つめてきた。
「いやいや、いくらなんでもコスプレに命かけすぎだって! しかもマンハッタンカフェに一途。凄すぎる、尊敬するわ……!」
「ほんとほんと。私たちも負けてられないね!」
(いや、コスプレに命かけてるんじゃなくて、中身がおっさんで、ガワが本物なんだけどな……)
俺は内心で苦笑しつつ、この場は、ストイックすぎるコスプレイヤーという誤解をそのまま受け入れておくことにした。空中では、本物のカフェが『私の身体ですから、当然です』と少し誇らしげに胸を張り、お友達もウンウンと頷いてドヤ顔(?)でふんぞり返っている。
そんな和気藹々とした交流が続いていたところで。
パン、パンッ。
と、部屋の入り口に立っていた担当のS氏が、軽く手を叩いて場を引き締めた。
「楽しげなところ失礼します。皆さん、顔合わせも済んだところで……改めて、今日のスケジュールを擦り合わせましょう」
先ほどまでのオカルトじみた緊迫感を微塵も感じさせない、有能なプロモーターとしてのS氏の顔つき。その声色に、三人の声優さんたちもスッと「仕事の顔」へと切り替わった。
開演まで、あと一時間弱。公式のバックアップを得て、フォロワー100万人獲得へ向けた大舞台の幕が、いよいよ上がろうとしていた。
■
冬の澄んだ空の下、京都競馬場の『緑の広場』特設ステージを、地鳴りのような大歓声が揺らしていた。
ステージ上では、三人の声優たちが次々とマイクを握り、ファンの熱気に応えている。
「マンハッタンカフェ役の――」
Oさんの可愛らしくも凛とした挨拶が響くのを、俺はステージ袖の暗がりで、静かに深呼吸を繰り返しながら聞いていた。
「……緊張するなぁこれ。配信とかじゃないから余計に」
『大丈夫ですよ、四月一日さん。貴方なら、完璧にこなせます』
「(コクコク!)」
空中に浮かぶカフェが優しく微笑みかけ、お友達も励ますように揺れる。俺は小さく頷き、漆黒の勝負服の裾を軽く整え、その瞬間を待った。
やがて、声優たちの挨拶が一段落すると、司会者が一段と声を張り上げた。
「さぁ、本日のステージはこれだけではありません! 皆様、最近SNSを席巻している『ある噂』をご存知でしょうか!?」
司会の見事な煽りに、客席から「おおっ!?」というどよめきが上がる。
「彗星の如く現れ、たった数ヶ月で三十万人以上の熱狂的なファンを獲得した、奇跡のコスプレインフルエンサー! 画面からそのまま抜け出してきたかのようなその姿……そう、マンハッタンカフェとは、まさに彼女のこと!!」
司会者が、腕をステージ袖へとバシッと向け、今日一番の、割れんばかりのテンションで絶叫した。
「皆様、盛大な拍手でお迎えください! 本日のスペシャルゲスト! かっふぇさんです!!!」
ウオオオオオオオオオオオオオッ!!!
地響きのような野太い歓声と、鼓膜を劈くような黄色い悲鳴が入り混じり、緑の広場に爆発した。俺はゆっくりと、ウマ娘の優雅な歩幅で、眩い冬の陽光が降り注ぐステージへと足を踏み出した。
『おおおおっ! かっふぇだ!!』
『生かっふぇさんだあああああ!!』
『マジで本物じゃん!! 発光してる!!』
『顔ちっさ! スタイルえぐ!!』
数千人の視線と歓声を全身に浴びながらステージの中央へと進み出た俺は、ふと、最前列付近でペンライトやうちわを狂ったように振っている一団に気がついた。見覚えのある顔だ。それも当然で、冬コミで俺をサポートしてくれたサークル主のお姉さんとカメラマンの男性、そして更衣室で轟沈していたレイヤーさんたちの姿があったのだ。わざわざ、京都に出向いてくれたのだろう。
俺はクスリと笑い、彼女たちに向かってほんの少しだけ、視線を合わせて手を振り返した。
「ぎゃあああああ!! 目が合ったあああ!!」
「やべえー、本当にカフェだ……動いてるカフェだ……っ!」
彼女たちが限界を迎えて崩れ落ちるのを確認してから、俺は司会者からマイクを受け取った。大勢の観衆が、俺の第一声を待ちわびて水を打ったように静まり返る。
「……かっふぇ、です」
マイクを通し、会場全体に吐息混じりのハスキーなウィスパーボイスが響き渡る。それだけで、
「おおぉぉ……」
「本物みたいだ……」
「すごいな……」
「……眉唾かと思ってたけど、これは……」
と、畏敬の念すら込もった、しかし、比較的好意的なざわめきが広がっていった。
「……本日は、この場に登壇させていただき。……ウマ娘のイベントを盛り上げるという、大役を仰せつかりました。……どうか、よろしくお願い、いたします」
俺が深く一礼すると、再び地鳴りのような拍手と歓声が沸き起こった。
■
そこからのトークイベント本編では、俺はあくまで『公式アンバサダー』という名のサポート役――いわば華やかな黒子役に徹した。
声優陣のトークの邪魔にならないよう、斜め後ろに一歩引いて静かに控える。クイズコーナーで使うフリップをOさんに手渡したり、トークショーの小道具を運んだりと、裏方のような動きをこなしていく。
しかし、その一挙手一投足には、本物の『マンハッタンカフェ』の魂が宿っていた。
『四月一日さん。フリップを渡す時は、両手で丁寧に。渡した後は、少しだけ目を伏せて下がるのです』
「(スッ、コテン)」
空中のカフェからの的確すぎる演技指導と、お友達の完璧な実演モデリング。俺はそれに従い、ウマ娘のしなやかな筋肉を使って、一切の無駄のない洗練された所作を体現し続けた。
『解釈一致ィィィ!!』
『解釈一致すぎる!!』
『あの控えめな動き、完全にカフェ!!』
ウマ娘ファンからの熱狂的な声援が飛ぶ。一方で、たまたま競馬場に来ていてイベントを見ていたような一般の競馬ファンたちも、
「いや、本当に美人だな」
「あんな子いるんだな」
と双眼鏡越しに釘付けになっているようだった。俺はトークの合間に、観客席に向かって小さく手を振ったり、上品にお辞儀をしたりと、カフェとお友達のサポートも在って、ファンサービスも完璧にこなしていった。
■
そして気づけば、大盛況のうちに、昼のトークイベントは幕を閉じた。
「……皆様、本日は本当にありがとうございました!」
大きな拍手に見送られながら控え室へと戻った途端、Oさんが感極まったように俺の手を両手でギュッと握りしめてきた。
「カフェさん……っ! 本物の貴女とご一緒のステージに立てて、私、本当に感無量です……!」
瞳をキラキラと潤ませ、興奮冷めやらぬ様子のOさん。
(いや、中身は三十路前の日雇いのおっさんなんだけどな……本当にすまねぇ……)
俺は内心で強烈な罪悪感に苛まれながらも、表面上はミステリアスな美少女の微笑みを崩さず、
「……私も、光栄でしたよ」
と静かに頷いてみせた。
「いやはや、素晴らしいステージでした!」
そこへ、社長とS氏が満面の笑みで控え室に入ってきた。
「観客の反応も最高でしたね。社長、SNSでも『公式かっふぇ』が早速トレンド入りしていますよ」
「うむ! この反響なら、君……君達か、の目的にも大きく近づくはずだ。で、この後についてですが……」
次の出番は、全レースが終了した後の夕方のトークショーだ。それまでの数時間は、比較的自由な時間となる。社長は少し考え込んだ後、俺に向かって提案をした。
「カフェさん。次の出番まで、せっかくですから競馬場内を自由に歩いて回ってもらいましょうか。今こそ、公式レイヤーとしての地位を固め、ファンとの直接的な交流を図る絶好のチャンスです」
「……ええ。私も、そのつもりでした。……それに、ここのご飯も、気になっていましたし」
俺が、大食い、の顔を見せてクスリと笑うと、社長もS氏も楽しそうに笑い声を上げた。
「それは頼もしい。大食いのかっふぇは伸びるようですからね。ただ、これだけの騒ぎになっていますから、万が一のトラブルがあってはいけません。……もちろん、弊社の優秀な警備スタッフを数名、護衛として付けさせていただきますよ」
大企業のトップとしての、当然のリスク管理だ。だが、俺は少しだけ口角を上げ、静かに、しかし明確に首を横に振った。
「……不要、ですよ」
「えっ? 不要とは……しかし、熱狂的なファンに囲まれたら危険です」
心配する社長とS氏に対し、俺は黄金の瞳をすっと細め、不敵な笑みを浮かべてみせた。
「……お忘れですか? 社長」
「……?」
「私は、人間ではありません。『ウマ娘』です。……いざとなれば、人間の脚力や腕力に、後れを取るようなことはありませんから」
俺が低く、自信に満ちたウィスパーボイスでそう言い放つと、社長とS氏は、ハッとしたように言葉を失い、やがて、
「……確かに、その通りでしたな」
と、圧倒されたように苦笑を漏らすしかなかった。