「……とはいえ、万が一ということもあります。公式としての体面もありますので、どうか形だけでも護衛をつけさせてください」
結局、社長の懇願に近い説得に折れる形で、俺は四人の屈強な警備スタッフを引き連れて、京都競馬場のコンコースへと足を踏み出すことになった。
前方で人波を掻き分け、道を開く二人のスタッフ。その中央を悠然と歩く俺(かっふぇ)。そして、背後から不審者の接近を警戒する後詰めの二人。まるでどこかの国の王族か、超大物ハリウッドスターのような大仰な陣形である。新年最初の重賞レース『京都金杯』の熱気に包まれた場内は、凄まじい人口密度になっていた。
「あっ! かっふぇさんだ!!」
「マジで歩いてる! こっち向いてー!」
「可愛いぃぃぃっ!」
俺の姿を認めたウマ娘ファンや、昼のステージで魅了された観客たちが、次々と歓声を上げて道を空けていく。俺はその熱狂に応えるように、ゆっくりと歩を進めながら、上品に小さく手を振り返した。
だが、この広大な競馬場にいるのは、俺のSNSのフォロワーやオタクたちだけではない。耳に赤ペンを挟み、競馬新聞を握りしめた生粋のギャンブラーや、デート中のカップル、たまたま新年の運試しに来ただけの一般客など、「かっふぇ」という存在を全く知らない層も当然ながら大量にいる。
「なんだ? 誰か有名なタレントか?」
「コスプレイヤーらしいぞ。なんかウマ娘の公式の……」
そんな訝しげな視線を向けていた彼らも。俺が歩み寄り、その圧倒的な『マンハッタンカフェ』のビジュアルが彼らの視界を捉えた瞬間、文字通り完全に言葉を失った。
「……おいおい、やばいな、あの子」
「なんつーか、次元が違えぞ……。モデルとかそういうレベルじゃねえ……」
「めちゃくちゃ可愛いな……。おい、ウマ娘ってあんなに可愛いのか?」
「……俺、馬券買うのやめて、ちょっとウマ娘やってみるわ」
老若男女を問わず、すれ違う者たちの視線を次々と釘付けにし、その魂を抜き取っていく。圧倒的な美と、生命力に満ちたオーラによる無差別な魅了。このカフェの体は、ただそこを歩いているだけで、周囲の空気が華やぎ、人々の心を『ウマ娘』というコンテンツへと強制的に引きずり込んでいくのだ。
『……ふふっ』
俺の隣で本物のカフェが、周囲から漏れ聞こえる感嘆の吐息を聞いて、少しだけ誇らしげに胸を張った。自分の姿がこれほどまでに愛され、人々を惹きつけていることが純粋に嬉しいのだろう。
「(……どうだ。お前の身体は、世界一だぜ)」
俺自身もまた、この奇跡のような肉体を預かり、大衆を魅了しているという事実に、隠しきれない誇らしさを感じていた。日雇いで泥に塗れていた三十路前の魂であっても、この瞬間だけは、世界で一番美しく気高い存在として堂々と胸を張ることができるのだ。
「(ドヤァァァ……!)」
そして視線を落とせば、お友達の影が、見えない腕を組んで天を仰ぎ、これ以上ないほどの特大の『ドヤ顔』……、まぁ影なのでシルエットだけだが、確実にドヤ顔をしているのがわかるほどの反り返り方だ、をキメながら闊歩していた。
最強の護衛と公式という後ろ盾を得て、観衆の熱狂を一身に集める大名行列。
冬の京都競馬場を練り歩く俺たちのフォロワー数は、今この瞬間も、凄まじい勢いで膨れ上がり続けていた。
■
「……さて。メインレースをVIPルームで観戦する前に。腹ごしらえと、いきましょうか」
多くの人々が行き交うコンコースを優雅に歩きながら、俺は護衛のスタッフたちにそう告げた。
時刻は午後一時過ぎ。京都競馬場内には、食欲をそそる無数の香りが漂っている。リニューアルを経てさらに充実したこの競馬場のグルメは、日雇い労働者時代の俺にとって高嶺の花……いや、京都競馬場なんぞは交通費の関係で別世界の代物だった。だが今の俺には、配信で稼いだ金と、公式という最強のスポンサーと、ウマ娘のブラックホール胃袋がある。
完璧な三本の矢だ。
そして、俺が最初に向かったのは、スパイシーな香りが周囲を支配しているカレースタンドだ。
「……カツカレーを、四つ。お願いします」
「よ、四つですか!? お連れ様の分も……」
「いいえ。私一人で、いただきます」
店員が目を丸くして手渡してくれた特大のカツカレー四人前を、俺は近くのテラス席に陣取り、優雅に、しかし凄まじいスピードで平らげ始めた。サクサクに揚がった分厚いトンカツの油の甘みと、スパイスの効いた濃厚なルーが、白米と共にウマ娘の胃袋へと消えていく。
「(美味い! 関西風の出汁が効いたカレーも最高だな!)」
『四月一日さん、ルーがはねないように気をつけてくださいね』
「(わかってるって。ほら、お友達も食え食え! おあがりください!)」
「(モグモグモグ!!)」
足元のお友だち猛烈な勢いでスプーンを動かすジェスチャーをする中、俺が涼しい顔で四皿目のカレーを完食しようとした、その時だった。
「……すげー食ってるぞ、あの子」
「SNSで見たけど、本当にあんなに食うんだな……。しかも全然お腹出てねぇし」
「っていうか、食い方がめちゃくちゃ綺麗でビビる」
周囲の競馬ファンや野次馬たちが、遠巻きにヒソヒソと驚きの声を上げている。だが、俺の『京都競馬場グルメ探検』はまだ始まったばかりだ。
「……次は、あちらですね」
俺がスッと立ち上がると、護衛のスタッフたちが慌てて道を切り開く。京都競馬場の飲食店は各エリアに広く散らばっている。すべてを網羅しようとすると歩き回る必要があり、少し食いにくいレイアウトではあるのだが、今の俺たちにとっては好都合だった。場内を練り歩くこと自体が探検のようで楽しいし、何より移動すればするほど新しい観客(ファン)の目に留まるのだから。
■
次なるターゲットは、京都の老舗焼き鳥店『鳥せい』のブース。香ばしく焼き上げられた焼き鳥の盛り合わせと、名物の特製鶏めしを注文する。炭火の香りを纏ったジューシーな鶏モモ肉に甘辛いタレが絡み、噛むほどに旨味が溢れ出す。
「……美味しい。タレの味が、絶妙ですね」
竹串を優雅に持ち、長い睫毛を伏せながら小鳥のようについばむ。しかし消費速度は尋常ではない姿に、周囲の観客は完全に釘付けになっていた。
「おい、あの子……さっきカレー四人前食ってなかったか?」
「えっ? 嘘だろ、今焼き鳥十本くらいとご飯食べてるぞ……まだ食ってる!?」
「てか、あのウマ娘のコスプレの人、可愛すぎないか? 食べ顔がマジで眼福なんだけど」
驚愕と感嘆の声が四方八方から飛び交う。俺は鶏めしを完食し、烏龍茶で口の中をさっぱりさせると、ふわりと微笑みながら観客たちに向かって小さく手を振った。
「……こんにちは。よろしければ、SNSのフォローを、お願いしますね」
ハスキーなウィスパーボイスで囁きかける。すると、そのファンサービスに合わせたかのように、後詰めの護衛スタッフの一人が、サッと一枚のフリップを掲げた。そこには、俺のSNSアカウントへ直行する巨大な『QRコード』が印刷されていたのだ。おそらくS氏が気を利かせて準備してくれたのだろう。有能すぎる人だ。
「うおっ! QRコード出た! 読み込め読み込め!」
「へー。かっふぇっていうのか! 即フォローしたわ!」
「俺も俺も! これで俺もトレーナーだな!」
群衆がこぞってスマホを掲げ、QRコードを読み込んでいく。胃袋を満たしながら、歩く広告塔としてフォロワーを荒稼ぎする。まさに一石二鳥、究極のマッチポンプである。
「……ふふっ。皆さん、素直でよろしいですね。さぁ、次はうどんにしましょうか」
俺はさらに競馬場の奥へと足を進め、今度は関西名物の『KASUYA』へ。牛のホルモンをじっくりと揚げた「油かす」がたっぷりと乗った『かすうどん』を受け取る。外はカリッと、中はプルプルとした油かすから、極上の脂と甘みが出汁に溶け出し、関西風の透き通ったおつゆが黄金色に輝いている。ツルツルのうどんと共に油かすを頬張ると、強烈な旨味が脳髄を殴りつけてきた。
「(ヤバい、かすうどん美味すぎる……! これは無限に食えるぞ!)」
『四月一日さん。食べ過ぎて走れなくならないようにしてくださいね? 夕方に走る約束をしているのですから』
「(大丈夫だ、カフェも判ってるだろ? ウマ娘の燃費を舐めんなよ!)」
『そう、ですね』
カフェが苦笑する中、かすうどんの特大サイズをあっという間に二杯平らげた俺は、その足でさらに『つくもうどん』のブースへとハシゴした。ここの名物である、器からはみ出すほどの巨大な「鶏天」が乗ったうどんを追加で注文する。いりこ出汁の効いた濃厚なつゆに、サクサクの鶏天を浸して食べる至福の時間の始まり始まり。
「……えぇ……まだうどん食ってるよあの美少女……。さっきカレー4人前喰ってるってSNSに乗ってたぜ?」
「胃袋どうなってんだよ……四次元ポケットか?」
「でも、あんなに幸せそうに食べてるとこ見ると、こっちまで腹減ってくるな……俺もかすうどん買ってくるわ」
周囲の観客たちは、俺の常軌を逸した食事量に戦慄しながらも、そのあまりにも美味しそうな食べっぷりに当てられ、次々と飲食ブースへと列を作り始めていた。結果的に競馬場の売上にも大きく貢献しているのだから、JRA側としても万々歳だろう。
「……ふぅ。ごちそうさま、でした。とても、満足です」
カレー四人前、焼き鳥盛り合わせ、鶏めし、特大かすうどん二杯、巨大鶏天うどん一杯。
そして、その間に護衛スタッフがQRコードを掲げて獲得した、数え切れないほどの新規フォロワー。
身も心も、そしてアカウントの数字も極限まで満たされた俺は、口元をハンカチで優雅に拭い、満足げな吐息を漏らした。
『……ふふっ。お腹いっぱいですね。お友達も満足したようです』
「(ごちそうさまでしたー!)」
カフェが空中で微笑み、お友達の丸く膨らんだお腹(?)をポンポンと叩くジェスチャーをしている。
「……さて。お腹も膨れましたし。そろそろ、社長たちが待つVIPルームへ、向かいましょうか」
数多の観客たちに優雅に手を振りながら、俺は護衛スタッフと共に、京都金杯が行われる熱狂の緑のターフを一望できる、特別関係者席へと歩を進めていった。