翌朝。目覚めると同時に、俺の安スマホは通知の嵐で熱を持ち、あわや爆発するかという状態になっていた。
案の定というか、昨晩の「深夜の爆走ライブ配信」は一部の好事家たちの手によって切り抜かれ、SNSや動画サイトで一気に拡散されていた。
『リアル・マンハッタンカフェ爆誕!?』
『深夜の土手を時速〇〇キロで走る謎の美少女』
『CG?ガチ?徹底検証』
といったまとめ記事まで作られる始末。フォロワー数は一晩で爆発的に伸び、あっという間に1万人の大台を突破していた。
「アスリートの極秘トレーニングでは?」
「いや、このクオリティは超トップ層のコスプレイヤーだ」
「声優本人じゃないか?」
ネット上では憶測が憶測を呼び、もはや炎上にも近いお祭り騒ぎとなっている。
「……ま、なるようにしかならねぇか」
俺は熱を持ったスマホを一度スリープにし、大きく伸びをした。騒ぎ立てたところで、この耳と尻尾が消えるわけでも、現実離れした脚力がなくなるわけでもない。俺はあえてネットの喧騒を無視し、いつものようにオーバーサイズのTシャツを被って朝食の準備を始めた。
トーストをかじり、淹れたてのコーヒーをマグカップに注ぐ。そして、その日常風景を自撮りして、そのままSNSへと投稿した。
『朝食を頂きました』
『珈琲が良い香りです』
コメント欄には即座に、
「いやあんな爆走見せといて優雅だな!」
「普通の生活してるのが逆に怖い」
「服だぼだぼで可愛い」
などなどと無数のツッコミが殺到したが、俺はそれらを涼しい顔でスルーし、目の前の半透明な同居人に向き合った。
「……で、この先どうするカフェさんや?」
俺が尋ねると、カフェは空中でコーヒーの香りを楽しみながら、静かに口を開いた。
『そうですね。まずは、何を差し置いても、四月一日さんの生活基盤を整えましょう。私たちの事は、そのあとで』
「俺は助かるが、いいのかそれで。元の世界に戻る算段とか、そっちを優先しなくて」
『はい。まず、そちらがお金を得て生活を安定させなければ、私たちを元に戻す方法というのも探せませんから。それに……』
カフェは、少しだけ面白そうに目を細めた。
『この世界で私がどんな風に受け入れられるのか、少し興味が湧いてきました』
傍らでは、お友達の影も「やろうやろう!」と全身で縦に揺れて賛同の意を示している。異世界から来たウマ娘と、謎の悪霊(?)。彼女たちの意外なまでの適応力と図太さに、俺は思わず苦笑してしまった。
「わかった。なら、しばらくはこの『かっふぇの日常』に全力投球だ。インフルエンサーとしてガッツリ稼いで、生活を安定させてやるよ。そうしたら、全力で元に戻る方法を探そう」
『はい。よろしく、お願い致します』
三十路前の元日雇い男が、ウマ娘の身体を張ってSNSドリームを掴む。
かくして、冗談のような目標に向けて、奇妙な運命共同体による、前代未聞のインフルエンサー生活が本格的に幕を開けるのだった。
■
炎上のようなバズ騒ぎから数日。良くも悪くも注目を集めきったアカウントのフォロワー数は、その後も右肩上がりで増え続けていた。
しかし、俺の投稿スタイルはあえて変えていない。
『本日は白菜が安かったです』
『雨が降る前に洗濯を取り込みました』
相変わらずダボダボの男物シャツを着た美少女が、妙に所帯染みたコメントと共に自撮りを上げるだけ。爆走動画のような派手なアクションは一切なし。それでも、そのアンバランスさがウケているのか、
「実家のような安心感」
「この謎の美少女、生活力高すぎないか?」
と、コメント欄は連日賑わっていた。
「とはいえ、フォロワー数=現金ってわけじゃないからな。そろそろ次の手を打つか」
スマホの画面をスクロールしながら、俺は一つのアイデアを思いついた。ネットの配信者やインフルエンサーがよくやっている『欲しいものリスト』の公開だ。
「試しに公開してみて、ファン層の熱量というか、購買力を測ってみよう」
俺は大手通販サイトを開き、リストの作成に取り掛かった。まずは、ファンサービスのつもりで冗談半分に選んだアイテム。十万円近くする、プロ仕様の超高品質な『マンハッタンカフェの勝負服(コスプレ衣装)』。
「まぁ、これは流石に高すぎるから誰も買わないだろうけど、一種のジョークみたいなもんだ」
『なるほど。私の勝負服……を模した衣装ですね』
カフェが空中で頷き、お友達の影も興味深そうに画面を覗き込む。
「で、ここからが本命だ。ウマ娘の尋常じゃない燃費を支えるための、実用的なラインナップをずらり、と」
プロテイン、大容量のカロリーメイト的な栄養食、業務用サイズの醤油やマヨネーズなどの調味料。そして、何十キロあっても困らないお米やレトルト食品の数々。
ロマンの欠片もない、徹底して生存に特化したガチの食料品の山をリストにぶち込み、俺は『かっふぇの日常』のアカウントにリンクを投稿した。
「さーて、一つでも食料が届けば御の字だが……」
そう呟いてコーヒーを一口啜り、数分後にリストの管理画面をリロードした俺は、思わず口に含んだ黒い液体を吹き出しそうになった。
「……は?」
―――リストが、空っぽだった。
十万円の高級コスプレ衣装から、業務用のマヨネーズに至るまで。数十点に及ぶアイテムが、公開からわずか数分で『購入済み』のステータスに変わっていたのだ。
「しゅ、瞬殺……!?」
あまりのスピードに目をひん剥く俺の横で、お友達の影が「食料ゲット!!」とばかりにバンザイの姿勢で乱舞し始めた。
『……どうやら、私たちが思っている以上に、注目度は高いようですね』
カフェも、さすがに少し驚いたように目を丸くしている。
俺は震える指でSNSのタイムラインを確認すると、そこには、俺の欲しいものリストを見たファンたちの書き込みが溢れ返っていた。
『衣装はわかる。でもその下の業務用めんつゆと米30キロ×3は何???』
『美人で神秘的なウマ娘のレイヤーさんなのに、欲しいものリストが生活感あふれすぎてて草』
『完全に大家族のオカンの買い出しリストなんよ』
『あんな凄まじい走りするんだから、そりゃカロリーも消費するよな。米送ったわ』
『コスプレ衣装、クレカでポチりました! 着た写真待ってます!』
信じられないほどの熱量。そして飛び交う「生活感がすごい」というツッコミの嵐。
「……まぁ、生活感あふれるリストってそりゃ、中身が日雇い労働のおっさん(三十路)やしな」
俺は誰にも聞こえないように、小さく一人ごちた。ミステリアスな美少女のガワを被っていても、染み付いた庶民の感覚とサバイバル精神はそう簡単に抜けるものではない。
とはいえ、これで当面の食糧問題が解決しただけでなく、あの特徴的な『勝負服』まで手に入ってしまった。
届くであろう大量の段ボール箱の置き場所に頭を悩ませつつ、俺は図らずも「インフルエンサー」としての階段をまた一歩登ってしまった現実を前に、深い溜息を吐くのだった。
■
翌日から翌々日にかけて、俺の安アパートには宅配業者がひっきりなしに訪れることとなった。
六畳間のスペースは、瞬く間に段ボール箱の山で埋め尽くされた。大量のプロテイン、米袋、業務用の調味料、そして一際立派な黒い化粧箱。
「……とりあえず、お礼の投稿をしないとな」
俺は高く積まれた段ボールの山(一番上にはデカデカとマヨネーズのロゴ)を背景にスマホをセットし、動画の録画ボタンを押した。
画面に映るミステリアスな美少女は、深く、そして静かに一礼をする。
「届きました。皆様、ありがとうございます」
あえて表情は崩さず、カフェ特有の透き通るような、それでいて少し影を帯びたウィスパーボイスで感謝を告げる。そして、その数秒の動画をSNSにアップロードした。
すると、かつてないほどの勢いで通知が鳴り響き、コメント欄が文字通り爆発した。
『えっ!? 今喋った!?』
『嘘でしょ、声まで完全にマンハッタンカフェそのままじゃん!!』
『声優さんご本人ですか!? いやでも顔違う…加工もしてないし……えっ、ガチで何者!?』
『やっぱり本物のカフェだよこれ! 次元超えてきちゃってるって!』
『こんなすげぇコスプレイヤーさんいたのか……発声の仕方も完全に解釈一致』
『再現度すげぇなぁ。耳のピクッて動きと声のタイミングが完璧すぎる』
『しかも尋常じゃなく美人だぜこれ。動くとさらにヤバい』
『背景の段ボールタワー(業務用めんつゆ等)と美少女のコントラストで脳がバグるw』
『俺が送った米30kgも届いてるみたいで嬉しい! いっぱい食べてね!』
『声帯までコスプレできるとか天才かよ』
『で、例の勝負服は着てくれるんですか!? 全裸待機してます!!』
好意的な驚きと称賛の声が滝のように流れ続け、動画の再生数は恐ろしい勢いで跳ね上がっていく。
『ふふ、大反響ですね』
と空中で微笑むカフェと、
「やったぜ!」とばかりにガッツポーズを連発するお友達の影。しかし、俺にはその大反響を素直に喜べない、重大かつ致命的な問題が立ちはだかっていた。
「……なぁ、これ。どうやって着るんだ?」
俺の目の前には、ファンから送られてきた十万円の超高級コスプレ衣装――マンハッタンカフェの『勝負服』が広げられていた。シックな黒を基調としつつも、フリルやリボン、複雑な構造のベルトやコルセット、見慣れない形状のインナーなど、パーツの数が尋常ではない。
「女物とか、生きてきて一度も着た事ないんだが?」
三十路の元日雇い労働者である。ツナギや作業着なら目を瞑ってでも着られるが、こんな複雑怪奇な布の集合体をどう身体に身につければいいのか、全く見当がつかない。そもそも下着の構造からして未知の領域だ。
困り果てて頭を抱える俺を見て、カフェがふわりと目の前に降り立ってきた。
その黄金の瞳は、普段の静かな様子からは想像もつかないほど、キラキラと楽しげな光を帯びている。
『ふふっ……。着方がわからないのでしたら』
カフェが優雅に微笑むと同時に、傍らのお友達の影が、どこからともなく取り出したメジャーやヘアピンのようなものを構え、ノリノリでウネウネと動き始めた。
『私たちが、お着替えのお手伝いをいたしましょう』
異世界から来たウマ娘と、謎の霊的同居人。
彼女たちの「着せ替え人形」にされる未来を悟り、俺は、
「……お手柔らかにお願いします」
と力なく呟くことしかできなかった。