「――本番、5秒前! 4、3、2……」
スタジオに設置されたカメラの赤いランプが点灯し、画面の向こう側にいる数万人の観衆と繋がった。
「皆さーん! マンハッタンカフェ役のOです! こんにちはーっ!」
まずはOさんが、いつもの明るく元気な地声で、カメラに向かって勢いよく両手を振った。それに一拍遅れて、俺は静かにカメラを見据え、上品に小さく会釈をした。
「……かっふぇ、です。……こんにちは」
ハスキーで、どこかひんやりとしたウィスパーボイス。その対照的な二人の挨拶が配信に乗った瞬間。横に置かれた巨大なモニターのコメント欄が、滝のような速度で流れ始めた。
『うおおおおおおおおっ!!』
『ダブルマンハッタンカフェだぁああ!?』
『中の人と実写(?)のコラボやべえええ!』
『並ぶと豪華すぎる!! 画面の圧が強い!!』
『声優さんと本物のカフェ(概念)の共演とか公式神かよ』
凄まじい勢いで流れるコメントの弾幕。それを見て、Oさんがイタズラっぽく微笑み、コホンと一つ咳払いをした。そして、先ほどの元気な地声から一転して。俺の喉から出る声と寸分違わぬ、ミステリアスな『マンハッタンカフェの声』へとトーンを落とした。
「……ふふっ。皆様。……今日の配信は、それだけでは、ありませんよ」
「おおっ?」
というコメントが流れる中、Oさんは言葉に絶妙なタメを作り、続けた。
「……『幽玄薔薇』。……皆様、覚えておられますか?」
その単語が発せられた瞬間。コメント欄の速度が、さらに一段階ギアを上げた。
『まさか!』
『え? え? 嘘だろ!?』
『かっふぇさんまさか!』
『あの伝説の花嫁衣装!?!?』
期待と興奮が入り混じったコメントが殺到する。俺は、心の中で、
(三十路前のおっさんがウェディングドレス姿を全世界に晒すなんて何の罰ゲームだよ……)
と盛大な血の涙を流しながらも、表面上はミステリアスな美少女の『苦笑い』を完璧に浮かべてみせた。
『四月一日さん、今です。立ち上がって、全身が入るように少し後ろへ下がってください』
空中のカフェからの的確な指示が飛ぶ。俺はそれに従い、ドレスの裾を優雅に持ち上げながら、ゆっくりと椅子から立ち上がり、カメラの画角に全身が収まる位置まで後ずさった。
漆黒のフリルと、純白のレースが幾重にも重なった、芸術品のようなドレス。それを纏い、髪を美しく纏め上げた俺の姿が、画面いっぱいに映し出される。
『……そして、少しだけ俯き加減で。恥じらうように、はにかんでみせてください』
「(……っ、こうか!?)」
俺は、指示通りに長い睫毛を伏せ。少しだけ頬を染めるようなイメージで、恥ずかしそうに視線を泳がせながら、マイクに向かってウィスパーボイスで囁いた。
「……少々、恥ずかしい、ですが……」
その一言と、完璧な恥じらいの仕草が電波に乗った直後。
モニターのコメント欄は、完全に『大爆発』した。
『カフェまじ!?!?!?』
『ぎゃああああああああああああっっっ!!!』
『かっふぇさんやべぇ破壊力ある!! 尊死する!!』
『ああああああ美しすぎるうううう!!』
『かっふぇは俺の嫁!!』
『わたさねぇよ!!』
『お前ら争うな! 俺たちの嫁だ!!』
『公式ありがとう!! 人生に悔いなし!!』
弾幕が濃すぎて、もはや画面の文字が読めない。それと同時に、画面右上にある同時接続人数のカウンターが、10万の壁を軽々とぶち破り、11万、12万と、未知の領域へと爆発的に跳ね上がっていった。
「(……すげぇ。本当に、すげぇ破壊力だ)」
俺は、恥ずかしさで爆発しそうな心を必死にウマ娘のポーカーフェイスで抑え込みながら、この異次元の盛り上がりに圧倒されていた。
カメラの裏側では、S氏が手元のタブレットを見ながらガッツポーズをしている。間違いなく、SNSでも『#かっふぇ幽玄薔薇』『#ダブルマンハッタンカフェ』といったワードが、瞬く間に世界トレンドのトップを独占しているはずだ。
そして。
配信開始からわずか数分にして、俺のスマートフォンの中で静かにカウントされているフォロワー数は、60万から一気に跳ね上がり……『65万人』という、途方もない数字に到達していたのだった。
■
「はいはーい! 皆さん、一旦落ち着いてくださいねー! コメントの流れる速度が速すぎて、全然読めませんよー!」
画面の向こうで暴動スレスレの熱狂を見せる視聴者たちに向かって、Oさんが手で制するようなジェスチャーをしながら笑い声を上げた。俺はゆっくりと椅子に座り直し、ふわりと広がる幽玄薔薇のスカートを綺麗に整えてから、改めてマイクへと向かった。
『落ち着けるか!』
『花嫁カフェが動いてるんだぞ!』
『スクショの手が止まらん』
『もうこのまま結婚会見に移行しようぜ』
『公式の財力すげええええ』
「ふふっ。皆さんが興奮するのも無理はありません。私だって、さっき控え室でこの姿を見た時、可愛すぎて腰が抜けそうになりましたからね!」
Oさんがウンウンと頷きながら、俺の方をチラリと見て熱を込めた。俺は少しだけ困ったように首を傾げ、ウィスパーボイスで返す。
「……Oさんまで、そんなことを。……買い被りすぎ、ですよ」
『その謙遜の仕方が完全にカフェ』
『声帯と概念の奇跡のコラボ』
『てぇてぇ……』
『画面のマイナスイオンが凄い』
「さてさて! 皆さん、今日の話題はなんと言っても『京都金杯』ですよ! 素晴らしいレースでしたねー!」
Oさんが見事なMCっぷりで、本題のトークテーマへと舵を切る。
『金杯熱かった!』
『カフェの血筋が勝ったなー!』
『カフェの血統が勝つのはエモい』
「そうなんですよね! マンハッタンカフェの血を引く子が勝ってくれて、私も思わず泣いちゃいまして。……かっふぇさんは、レース、どうでした?」
「……ええ。とても、熱いレースでした。……懸命に前を向いて走る姿は、やはり、胸を打たれますね」
「ですよねー! ……でもでも! あの日、私が一番胸を打たれたのは、レース後のイベントでの……かっふぇさんの『あの走り』ですよ!」
Oさんが身を乗り出し、バンッと机を叩いた。その瞬間、コメント欄が再び凄まじい勢いで加速し始めた。
『あれはヤバかった』
『マジでワープしてたぞ』
『動画見たけど早回しかと思った』
『靴爆発してて草』
『コスプレ用の靴じゃあのダッシュには耐えられんわなw』
『素足ダッシュ美しすぎた』
『芝生えぐれてたけど脚力どうなってんの?』
「(……やっぱり、靴が弾け飛んだのはツッコまれるよな)」
『四月一日さん、ここは少し照れ隠しをするように』
「(了解だ)」
俺は空中のカフェの指示に従い、少しだけ恥ずかしそうに視線を逸らした。
「……その。少し、気合が入りすぎてしまいまして。……靴が、私の踏み込みに、耐えられなかったようです。お見苦しいところを、お見せしてしまいました」
「いやいやいや! とんでもないですよ! 素足で芝生を蹴り上げてスタートした瞬間、私、本当に『本物のウマ娘だ!!』って思っちゃいましたから!」
Oさんのその言葉は、視聴者にとっては『コスプレのクオリティと身体能力が高すぎて本物に見えた』という意味に聞こえるだろう。
だが、真実を知っている俺たちからすれば、あれは100%純粋なOさんの『本物のウマ娘を前にした魂の叫び』そのものだった。
『わかる』
『俺も生で見てたけどマジで馬の脚力だった』
『むしろ裸足が最高に解釈一致でした』
『かっふぇさん絶対陸上やってただろ』
『いや次元が違う』
『そういえば、Oさんとかっふぇさんは、初対面ってどうだったんですか?』
というコメントを拾い上げ、Oさんが大きく頷いた。
「よくぞ聞いてくださいました! イベントの朝、ホテルのロビーで初めてお会いしたんですけど……。もうね、本当にカフェがいるみたいで、私、大興奮しちゃって!」
Oさんは当時を思い出したのか、少しだけ頬を赤くして熱弁を振るい始めた。
「だって、耳も尻尾もフワッフワで、本当に生きているみたいに動くんですよ!? それに、お肌もツルツルで、筋肉のラインとかも完璧なアスリートで! 私、思わず『わぁぁっ本物だぁ!』って言って、あっちこっち触りまくっちゃいましたもん!」
「(いや、あっちこっちって……まぁ事実だけどさ)」
俺は、中身がおっさんであることに強烈な罪悪感を覚えながら、苦笑いを浮かべた。
「……ええ。Oさんは、とても……情熱的でした。……隅々まで、調べられてしまって」
俺が少しだけ恨めしそうな(ふりをした)視線を向けると、コメント欄が爆発した。
『Oさん職権乱用だぞ!!!』
『どこ触ったんだ詳しく言え!』
『俺も調べたい(直球)』
『セクハラ声優www』
『公式アンバサダーになにしてんのww』
『うらやましすぎる』
『かっふぇさんの「隅々まで」はエッチすぎるだろ』
「ち、違いますよ!? 違うんです!! これは公式のチェックというか、その、クオリティの確認で!!」
慌てて弁解するOさんだが、顔は完全にニヤけてしまっている。
『言い訳が苦しいぞw』
『ただの限界オタクじゃねーか!』
『まぁ気持ちは痛いほどわかる』
『俺がOさんの立場でも絶対触る』
「もー、みんな変なこと言わないでください! あ、でもね、かっふぇさんってば本当にいい匂いがして……。なんていうか、珈琲の香ばしい匂いと、甘いお花の匂いが混ざったような……」
「……Oさん。それ以上は、内緒、ですよ?」
俺が人差し指を口元に当てて「シーッ」という仕草をすると。
『ひえっ……』
『いま心臓止まりかけた』
『ウインクの破壊力ヤバい』
『ああああああ好き』
『匂い嗅がせろおおおおお!』
『落ち着けお前ら』
「(……よし、視聴者の反応は完璧だな)」
『ええ。皆様、とても楽しんでくださっているようです』
空中でカフェが嬉しそうに微笑み、お友達はモニターの前で見えないメガホンを持って応援団のように振る舞っている。
配信はその後も、終始大盛り上がりのまま進んでいった。二人で同時に「マンハッタンカフェのセリフ」を言うコーナーでは、声優のプロの技と、本物のカフェの魂がこもった声が見事にハモり、視聴者たちを『鼓膜が幸せで溶ける』と悶絶させた。
ウマ娘の今後の展開について語り合う場面では、俺はあえて聞き役に徹し、絶妙な相槌とリアクションでOさんのトークを引き立てた。
『なんかもう、ずっと見てられるなこの配信』
『かっふぇさんの所作が本当に綺麗』
『ドレスのフリル直す仕草だけで飯が食える』
『マジでカフェが現実に顕現したとしか思えん』
気がつけば、配信開始から一時間が経過しようとしていた。
俺はこっそりとテーブルの下で、自分のスマホの画面を確認した。そこには、配信開始時の65万人からさらに恐ろしい勢いで数字が積み上がり……。
「(……72万人、突破……っ!)」
俺は、小さく息を呑んだ。企業公式のバフ。Oさんとのコラボ。そして『幽玄薔薇』という最強のビジュアル。これらが完全に噛み合い、SNSのアルゴリズムを破壊する勢いで拡散され続けているのだ。
「あっという間のお時間ですが、そろそろお別れの時間が近づいてまいりましたー!」
Oさんが名残惜しそうに告げると、コメント欄は、
『ええーっ!』
『もっとやって!』
『時間が溶けた』
『帰らないで俺の嫁』
と、悲鳴のような弾幕で埋め尽くされた。
「……皆様。本日は、本当に楽しい時間を、ありがとうございました」
俺はカメラに向かって、今日一番の、柔らかくミステリアスな微笑みを向けた。
「……これからも。公式アンバサダーとして、ウマ娘の魅力を皆様にお伝えできるよう……精一杯、走ります。……どうか、私の軌跡から、目を離さないでくださいね」
『絶対離さない!!!』
『一生ついていく!!』
『かっふぇさん最高!!』
『結婚おめでとう!(錯乱)』
『お疲れ様でしたー!』
「以上、マンハッタンカフェ役のOと!」
「……かっふぇ、でした」
「「バイバーイ!!」」
カメラの赤いランプがふっと消え、配信終了を告げる合図がスタジオに響き渡った。
「お疲れ様でしたーーっ!!」
Oさんが大きく伸びをして、ホッとしたような、それでいて達成感に満ちた笑顔を俺に向けた。カメラの裏側では、社長とS氏、そしてスタジオのスタッフ全員が立ち上がり、割れんばかりの拍手を送ってくれている。
「……ふぅっ」
俺は、緊張で強張っていた肩の力を抜き、深く息を吐き出した。三十路のおっさんがウェディングドレスで一時間以上も美少女を演じ切るという、精神力の限界を試されるようなデスゲーム。
だが、手元のスマホに表示された『72万人』という圧倒的な数字と、空中で嬉しそうに拍手をしてくれているカフェの姿を見れば。そんな疲労など、一瞬で吹き飛んでしまうほどの達成感が、ウマ娘の強靭な胸郭の奥で熱く燃え上がっていたのだった。
■
配信終了の熱気と余韻が冷めやらぬスタジオの裏手。着替えのために控え室へ戻ろうとしていた俺たちの前に、多忙な合間を縫って見学に来ていた社長が、満面の笑みで歩み寄ってきた。
「いやはや、素晴らしい反響だった! 二人とも、本当にお疲れ様!」
社長は興奮冷めやらぬ様子で拍手を送り、俺とOさんを交互に労った。
「同接十万人超えに、トレンドの世界一位。公式のプロモーションとしても、これ以上ない完璧な結果だ。……ああ、そうだ。今日の特大の成果に対するギャラは、もちろん窓口である『四月一日氏』の口座に、しっかりと振り込ませてもらうからね」
その言葉に、もともと中身が万年金欠の日雇い労働者である俺の心臓は、嬉しさで小さく跳ね上がった。だが、同時に強烈な申し訳なさも込み上げてくる。次元を越えるための協力を無償でしてもらっている上に、こんな特注の衣装まで用意してもらい、その上ギャラまで貰うなど、流石に虫が良すぎるのではないか。
俺が少し戸惑っていると、空中のカフェも同じように考えたのか、真面目な顔で小さく首を横に振った。
『……四月一日さん。私たちは、元の世界へ帰るための多大なご恩を受けている身です。最低限、インフルエンサーとしての収入もありますし、これ以上の報酬を受け取るわけにはいきません』
「(だよな。俺もそう思う)」
俺はコクリと頷き、カフェの意思を代弁するように、社長に向かって静かに口を開いた。
「……社長。お心遣いはありがたいのですが。……全面的に協力していただいている身ですから、お賃金は結構ですと。……四月一日さんも、そう申しております」
俺が遠慮がちにそう伝えると。社長は目を丸くした後、「ハハハ!」と豪快に笑い飛ばした。
「とんでもない! 帰還へのご協力をするとは言いましたが、それはそれ、これはこれです。我々は企業として、貴女が成し遂げた『正当な仕事』には、正当な報酬を出しますとも」
社長は、俺の着ている純白のウェディングドレスを感深げに見つめた。
「ましてや、これはウマ娘の『本物』とのコラボレーションですよ? 企業にとって、これほど価値のあるコンテンツは他にない。……もちろん、カフェさんが元の世界へ戻った後でも、あなたとのコラボから生まれた利益ならば、契約通り四月一日氏に還元し続けます。何せ、次元を越えた本物とのコラボなど……この世界では、絶対にありえませんからね!」
社長は、実に楽しそうに、そして誇らしげに言い切った。そこには、未知のオカルト現象すらも最高のエンターテインメントとして昇華させる、大企業のトップとしての度量と熱意があった。
「……ありがとうございます」
これ以上断るのも野暮だと思い、俺が深く頭を下げると、社長は満足げに頷いて背を向けた。
「ああ、そうだ。大仕事の後は、美味いものでも食べて英気を養うべきだ。この後、ぜひ打ち上げでも行ってきなさい。……O君も、もしこの後お時間が空いていれば、ご一緒にどうぞ」
立ち去り際、社長はS氏に向かってポンと肩を叩いた。
「S君、打ち上げの費用は会社持ちだ。しっかりと領収書を切ってあげなさい」
「承知いたしました、社長。お疲れ様でした」
S氏が恭しく一礼し、足早に去っていく社長の背中を見送った。
「……さて」
S氏は手元のバインダーをパタンと閉じ、笑顔でOさんの方を振り向いた。
「社長からの粋な計らいもありましたし、美味しいお肉でも食べに行きましょうか。……Oさん、この後のご予――」
「優先します!!」
S氏が「ご予定は」と言い終わるか終わらないかの、完璧な食い気味のタイミング。Oさんは、両目を血走らせんばかりに見開き、前のめりになって即答した。
「えっ」
「他の予定が入っていても全部ずらします! カフェさんとの打ち上げ、何が何でも優先します!!」
凄まじい気迫で鼻息を荒くする人気声優の姿に、S氏は目をぱちくりとさせ、俺は思わず吹き出しそうになるのを必死で堪えた。空中のカフェも『……ふふっ』と嬉しそうに微笑み、お友達の影は「やったー!」とばかりに見えない万歳三唱をしている。
公式の絶大なバックアップと、最高の共犯者たち。
熱狂の『幽玄薔薇』配信の夜は、最高級の焼肉の香りと共に、まだまだ終わらない気配を見せていた。