高級焼肉店の完全個室。
先ほどの絢爛豪華な特注ウェディングドレスから一転、いつものダボダボのダウンジャケットにパラシュートパンツ、そして深く被ったニット帽という、見慣れた『かっふぇスタイル』に着替えた俺は、テーブルの端にスマホをセットした。
「……こんばんは。かっふぇ、です」
自身の個人アカウントからのゲリラライブ『かっふぇ配信(打ち上げ編)』の開始ボタンを押すと、先ほどの公式配信から流れてきた数万人のフォロワーたちが、怒涛の勢いで押し寄せてきた。
「……本日は、特別なゲストが、いらっしゃいます。……声優のOさんと。企業スタッフの、Sさんです」
俺がスマホのカメラに向かって紹介し、画面の端に座る二人を映す。
「どーもー! マンハッタンカフェ役の、Oでーす! 皆さん、先ほどはありがとうございましたー!」
「どうも。裏方のSです。お疲れ様でした。乾杯!」
ジョッキ片手に年相応の明るい笑顔ではしゃぐOさんと、ネクタイを緩めてリラックスした様子のS氏。二人がゆるーく挨拶をすると、コメント欄も、
『おおお!』
『中の人とスタッフさん!』
『打ち上げ配信助かる!』
と温かく迎え入れた。テーブルの上には、社長のポケットマネー(経費)で頼まれた最高級の黒毛和牛――特上カルビ、極上ロース、厚切り牛タン、ハラミなどが、文字通り山のように積まれている。俺は烏龍茶の入ったグラスを小さく掲げて乾杯に加わると、早速、手元のトングで網の上に肉を並べ始めた。
「いやー、それにしても本当に凄い反響でしたね! 私、まだドキドキしてますもん!」
「ええ。同接の記録もさることながら、かっふぇ様の『幽玄薔薇』の破壊力が凄まじかった。……さぁ、お肉焼けましたよ、どうぞ」
「……いただきます」
S氏が取り分けてくれた肉を、俺は静かに箸で摘み、口へと運ぶ。中身は三十路前で万年金欠の男である。タダで食える超高級焼肉など、理性が吹き飛ぶほどに美味いに決まっている。
だが、そこは空中のカフェによる監視(と指導)が光っていた。
『四月一日さん。左手を添えて、背筋を伸ばし、ゆっくりと咀嚼を』
「(わかってるって。……ンッッッマ!! なんだこれ溶けたぞ!!)」
脳内では歓喜のサンバを踊りながらも、表向きの俺は『マンハッタンカフェ』の完璧なポーカーフェイスを崩さない。伏し目がちに長い睫毛を揺らし、ハスキーな吐息を微かに漏らしながら、ひんやりとした所作で肉を堪能する。
そんな俺の様子を見て、公式の合同配信から流れてきた新規のウマ娘ファンたちは、コメント欄で盛大に困惑し始めていた。
『えっ、かっふぇさん素でもそのテンションなの?』
『オフの打ち上げ配信だよね? 完全にカフェなんだけど』
『むしろ中の人のOさんの方が、年相応の普通の女の子ではしゃいでて草』
『コスプレイヤーっていうか、ガチでマンハッタンカフェが現代で焼肉食ってるようにしか見えん』
『食べる所作めっちゃ綺麗……上品すぎる』
声優であるOさんが「お肉おいしーっ!」と普通の女性らしくはしゃいでいるのに対し、ただのインフルエンサー(表向きは)である俺の方が、一挙手一投足に至るまで完全に『マンハッタンカフェ』というキャラクターを維持し続けているのだ。その凄まじいギャップと徹底ぶりに、ファンたちは戦慄すら覚えていた。
しかし、ファンの困惑は『キャラクターの再現度』だけでは終わらなかった。
「(……美味い。美味すぎる。ご飯大盛りおかわりだ)」
『お友達も食べるそうです。私の分も焼いてくださいね』
「(おうよ! オラオラ焼け焼けー!)」
表面上は極めて上品に、静々と肉を口に運んでいるように見える俺。しかし、ウマ娘の物理法則を無視した『ブラックホール胃袋』と、一切の無駄を省いた流れるような捕食フォーム(所作)によって、テーブルの上にうず高く積まれていた肉の山が、尋常ではない速度で消滅していく。
『……おい。さっきから肉の減るスピードおかしくないか?』
『かっふぇさん、今5皿目の特上カルビ空にしなかった?』
『上品に食べてるように見えるけど、消費スピードが完全にフードファイターのそれ』
『ご飯のどんぶり、何杯目だアレ!?』
『カフェってあんなに大食いだったっけ……?(混乱)』
『いや、アスリート(ウマ娘)だから……?』
コメント欄が「解釈一致の美しさ」と「物理法則を無視した大食い」の狭間でバグり始める。
網の上に肉を置き、焼けたら口に運び、飲み込み、また置く。無表情のまま、一言も発さずに黙々と、しかしとてつもない量の高級肉を屠っていく美しい少女。その凄まじい光景を隣で見つめていたOさんとS氏は、顔を見合わせて乾いた笑いを漏らした。
「……いやはや。やっぱり、何度見ても凄いですな」
「本当に……。あれだけ配信した後ですもんね。見てて気持ちいいくらいの食べっぷりです……!」
二人が苦笑しながら言うと、俺はどんぶり飯を綺麗に空にし、烏龍茶で喉を潤してから、ふわりとミステリアスに微笑んだ。
「……ふふっ。今日は、たくさん走り(配信)ましたから。……これでも、まだ腹六分目、といったところですよ?」
俺が小首を傾げてウィスパーボイスでそう囁くと、コメント欄は、
『六分目!?』
『ウソだろ!?』
『お会計どうなるんだこれww』
『経費が死ぬ!!』
と、大爆笑と驚愕の弾幕で埋め尽くされた。
「ひぇっ……し、社長! 予算の追加稟議をお願いします!!」
S氏がカメラに向かって冗談めかして頭を下げ、Oさんが大爆笑する。
ウマ娘の圧倒的な燃費と、公式スタッフとの和やかな交流。京都の夜にゲリラで始まったこの打ち上げ配信もまた、新たな伝説の切り抜き動画として、翌日のSNSを大いに賑わせることとなった。
■
翌朝。俺は、いつものボロアパートの万年床で目を覚ました。
「……んん、んっ」
ウマ娘の身体特有の、バネのように軽い寝起き。だが、精神的な疲労はそれなりに残っていた。薄っぺらいカーテンから差し込む冬の朝日を浴びながら、俺は枕元に放り投げていた安物のスマートフォンを手に取った。
画面を点灯させ、SNSのアプリを開く。すると、そこには信じられない光景が広がっていた。
「……は? ハチジュウ……万?」
寝ぼけ眼を擦って二度見するが、数字は幻ではない。フォロワー数のカウンターは『803,412』という途方もない数字を示しており、更新ボタンを押すたびに、今この瞬間も数十人単位で増え続けて、あっという間に81万人に届きそうな勢いだった。
タイムラインを眺めてみると、有志のファンと公式によって作られた『かっふぇメドレー』とも呼べる切り抜き動画が、尋常ではないバズり方をしていた。
一つ目は、靴を破裂させながら素足でターフを抉り、物理法則を無視した速度で広場を駆け抜ける『ダッシュする人外かっふぇ』。
二つ目は、昨夜の合同配信で数万人のオタクを尊死させた、ウェディングドレス姿で恥じらう『花嫁かっふぇ』。
そして三つ目は、打ち上げ配信でミステリアスな美少女の顔を崩さぬまま、フードファイターも青ざめる速度で高級焼肉とどんぶり飯を屠り続ける『焼肉かっふぇ』。
この「美しさ」「人外の身体能力」「ブラックホール胃袋」という、属性がてんこ盛りすぎる三本立てのギャップが、ウマ娘ファン以外の一般層にまで強烈にリーチし、拡散の連鎖を引き起こしているらしかった。
「……これ。目標の100万人は、本当に近いかもな……」
俺がスマホの画面を見つめながら、ポツリと呟いた、その時。
――ポン、ポン。
頭頂部にそびえるウマ耳の横、俺の黒髪を、優しく撫でる見えない感触があった。
「おっ。……おはよう」
俺が視線を上げると、そこには『お友達』が、ニコニコとした(ように見える)シルエットを揺らして、俺の頭を撫でていた。昨日の一件で、俺に対する好感度(?)がさらに上がったのか、最近は妙に懐かれている気がする。
「……そういや、カフェは?」
お友達に挨拶を返しつつ、部屋の中を見渡す。すると、四畳半の天井付近、空中の何もない空間で。本物のカフェが、まるで猫のように器用に丸まって、スースーと静かな寝息を立てていた。
「(……ま、寝かせとくか)」
ここ数日は彼女にとっても、自分の身体を預けて大観衆の前に立ち、さらには花嫁衣装まで着るという、精神的に非常にカロリーを使う日々だったはずだ。幽霊とはいえ、疲労は溜まっているのだろう。
俺は足音を立てないように静かに布団から抜け出し、パラシュートパンツとパーカーといういつもの部屋着に着替えて、狭い台所へと向かった。
■
フライパンに油をひき、火にかける。冷蔵庫から取り出したのは、スーパーの特売で買った徳用のウインナーと、卵。
パチパチと油が跳ねる音と共に、ウインナーの表面がカリッと香ばしく焼け、隣に落とした目玉焼きの白身がチリチリと音を立てて焦げていく。そこに、炊飯器で保温しておいた白米と、お湯を注ぐだけのインスタントの味噌汁を用意する。
豪華なホテルのバイキングでも、高級料亭の舟盛りでもない。
日雇い労働者・四月一日の、あまりにも庶民的で、茶色い朝食だ。
『……ん。……んん?』
「(ジュウウウ……パチパチ)」
『……あ、いい匂いが、しますね……』
台所に漂うウインナーと醤油の香ばしい匂いに釣られたのか。空中で丸まっていたカフェが、目をこすりながらゆっくりと降りてきた。
「……おはよう、カフェ。よく眠れたか?」
『はい……。おはようございます、四月一日さん』
寝起きのぽやぽやとした表情のカフェと、足元でスプーンとフォークを持っている影に向かって、俺はクスリと笑った。
「……よし。できたぞ」
俺は、ちゃぶ台の上に、ウインナーと目玉焼きが乗った皿と、どんぶり飯を並べた。
ウマ娘の規格外の燃費を満たすため、量はきっちり『三人前』だ。
「……おあがりください」
俺は、ミステリアスなウマ娘の所作で上品に両手を合わせ、目の前の二人の霊体(カフェとお友達)に、見えない『二人前』を勧めるように微笑んだ。
『……ふふっ。はい。いただきます』
「(モグモグ!)」
空中のカフェが嬉しそうに微笑み、お友達が凄まじい勢いで食事のジェスチャーを始める。それを見届けながら、俺は自分に割り当てられた『一人前』の目玉焼きに醤油を垂らし、白米と一緒にゆっくりと口へと運んだ。
「(……美味い。やっぱ、ウインナーと目玉焼きは裏切らねぇな)」
フォロワーが80万人を超えようと、大企業の社長からバックアップを受けようと、この四畳半のボロアパートで過ごす朝の空気は、何も変わらない。
いつものように飯を作り、いつものように見えない同居人たちと食卓を囲む。
外の世界でどれだけ『かっふぇ』の伝説がバズり、熱狂の渦が巻き起こっていようとも。
俺たちの、この静かで平穏な朝のルーティーンだけは、決して変わることはなかった。
こちらはまだ続きます。今しばらくお付き合いをば。
10月いっぱいといったところです。
物語はこれから、終わりに向けて動きます。