「それでは、いくつか質問をさせていただきますね」
記者の男性は、手慣れた様子でボイスレコーダーとメモ帳を取り出した。
俺は内心で冷や汗をかきつつも、表面上はどこまでも静かでミステリアスな美少女の仮面を被り、コクリと頷いた。
「まず、今日この東京競馬場にいらっしゃった理由をお聞かせ願えますか? お若い女性が一人で、しかも重賞とはいえGⅠではない毎日王冠の日にいらっしゃるのは、少し珍しいかと思いまして」
(理由? 次元が歪んでこうカフェが元の世界に戻れないか。あとついでに俺の元の体が落ちてないか探しに来たんだよ。おまけでモツ煮食いに)
―――そんな本音を言えるはずもなく。俺は少しだけ視線を伏せ、長い黒髪を夜風になびかせるようなイメージで、ゆっくりと口を開いた。
「……馬が、好きなんですよ」
「馬、ですか」
「ええ。彼らがターフを駆け抜ける姿……その躍動感が堪らなくて。ただ前だけを見て、己のすべてを脚に託して風を切る。……そのひたむきな熱を、肌で感じたくて」
声のトーンを落とし、吐息を混ぜるような『カフェボイス』で語りかける。すると記者の男性は、「おお……」と感嘆の声を漏らし、勢いよくメモを取り始めた。
「素晴らしい視点ですね! ギャンブルとしてではなく、純粋なアスリートとしてのサラブレッドの美しさに惹かれている、と」
「……はい。あの息遣い、蹄が芝を蹴る音。……それらを聞いていると、私の胸の奥も、少しだけ熱くなる気がして」
(おっと、ちょっとポエミーすぎたか?)と内心で焦ったが、空中のカフェからは、
『完璧です。その調子で』
とのお墨付きをもらった。
「ちなみに、お好きな馬のタイプや、脚質などはありますか?」
「……黒鹿毛や、青鹿毛の。内に静かな闘志を秘めているような子が、気になりますね。……距離は、そうですね。長い距離を、息を潜めて、最後にすべてを出し切って走り抜くような……」
「なるほど、ステイヤー気質の馬がお好きなんですね! お若いのに、なんとも渋くて通な好みをしていらっしゃる!」
記者はすっかりカフェのガワが醸し出す、ミステリアスな競馬ガチ勢の空気に魅了されたようだった。
「ところで……」
記者の視線が、ふとベンチの横に積まれた空の紙皿やカップの山(モツ煮、焼き鳥、焼きそば、フランクフルト等の残骸)に向けられた。
「競馬場グルメのほうも、かなり堪能されているようですね? 若い世代の方には、こうした食の充実も来場のきっかけになると聞きますが」
(ヤバい、明らかに成人男性三食分は食ったのがバレてる)
俺が背中に嫌な汗をかいていると、視界の端でお友達の影が「胃袋アピールだ!」と言わんばかりにお腹をさするジェスチャーをしている。
俺は小さく咳払い、もちろん口元を上品に手で覆って、をして、ふわりと微笑んだ。
「……ふふ。お食事も、美味しいですし」
「確かに、府中のグルメは絶品ですよね」
「……ええ。彼らが全力を出し切って走る姿を見るには、見届ける側にも、相応のエネルギーが必要ですから。……この賑やかな空気の中でいただくと、より一層、美味しく感じます」
ウマ娘の規格外の食欲を、「全力の応援のため」という美しい言葉でオブラートに包み込む。我ながら完璧な言い訳だった。記者も、
「なるほど、見届ける側にもエネルギーが必要と。ふふ、素晴らしい名言です!」
と、すっかり感動した様子でペンを走らせている。
「いやあ、とても良いお話を伺えました。最近の若いファンの方は、独自の感性で競馬というスポーツを楽しんでいらっしゃって、我々も非常に刺激になります」
記者はレコーダーの録音を止めると、最後に首から下げていた一眼レフカメラを構えた。
「本日は急な取材にご協力いただき、本当にありがとうございました。……最後に、もしよろしければ、雑誌のストリートスナップのコーナー用に、お写真を一枚撮らせていただけないでしょうか?」
(ギャロップの紙面に載るのか!?)
流石に全国誌の競馬雑誌である。一瞬戸惑った俺は、カメラから視線を外し、宙に浮かぶカフェの方へとチラリと目配せをした。
『雑誌に載るってよ、どうする?』と無言で問う。
するとカフェは、少しだけ面白そうに黄金の瞳を細め、静かにコクリと頷いた。さらに足元では、お友達の影が「イケイケ!」「撮られちゃえ!」とばかりに、両腕(のようなもの)をぐるぐると大回転させて猛アピールしている。
本人たちがノリノリなら、俺が断る理由もない。
俺は再び記者の方へと向き直り。ダボダボの服のポケットに片手を突っ込み、ほんの少しだけ首を傾げて、マンハッタンカフェ特有の影のある、しかしどこか惹きつけられる笑みを浮かべた。
「……かまいませんよ」
秋の柔らかな日差しの中、一眼レフのシャッター音が、軽快にターフの歓声の中に溶け込んでいった。
■
無事にインタビューを終え、俺たちは夕暮れ時の東京競馬場を後にした。
京王線の府中競馬正門前駅から電車に乗り込み、ガタゴトと揺られる車内で一息つく。帰宅ラッシュにはまだ少し早い時間帯だったため、運良く座席に座ることができた。
「さて、と。今日の活動報告でもしとくか」
俺はスマホを取り出し、先ほど撮った写真を選別した。
美しい芝のターフとメインスタンドの遠景写真。そして、その横には『モツ煮込み、焼き鳥(大パック)、山盛り焼きそば、フランクフルト、特大フライドチキン等々』の空き容器がピラミッドのように積み上がった、常軌を逸した量の「食後の写真」を添える。
『競馬を見ました。お食事も、とても美味しかったです』
いつものように短くカフェらしい文章を打ち込み、送信ボタンを押した。
すると――数秒も経たないうちに、またしてもスマホが震え上がり、コメント欄がすさまじい勢いで滝のように流れ始めた。
競馬場という「現地」が存在した分、今回の反響はこれまでの比ではなかった。
『えっ!? かっふぇさん今日、府中にいたの!?』
『俺今日ずっと東京競馬場に居たわ……。なんで気づかなかったんだ俺のバカ!!』
『あ!! 待って、俺見たかも。フードコートのベンチに座ってた、黒いニット帽でダボダボの服着てた超絶美少女だよね!?』
『俺も見た!! 雰囲気がすごくて声かけられなかったんだけど、この写真の量、一人で食ってたぞ……。すげー食いっぷりだなって友人と見てたから、めちゃくちゃ印象に残ってるw』
『あの細い体のどこにこのカロリーが消えていくの!? やっぱりウマ娘の胃袋は実在した……!?』
『現地組うらやましすぎるうううううう!! 俺も今日行けばよかったあああ!!』
『GⅠじゃないからって家でゴロゴロしてた俺を殴りたい。生かっふぇさん見たかった……』
『あのミステリアスな美貌で、競馬場のB級グルメを親の仇みたいに平らげるギャップ、最高すぎるでしょ』
『米30kg片手で持ち上げてた謎が完全に解けた。これは大食い(物理)の燃費だわ』
『え、ってことはあの伝説の勝負服じゃなくてストリート系の私服だったってこと!? うわあああ生で見れた人マジで前世でどんな徳を積んだの!?』
『俺の隣のベンチでモツ煮食ってたお姉さんがかっふぇさんだったとか嘘だろ……。あまりにも綺麗すぎて、モデルさんがお忍びで来てるのかと思ってた』
『現地組の目撃情報が「綺麗だった」と「死ぬほど食ってた」の二択しかないの草』
『次どこの競馬場行くか予告してくれ! 絶対行くから!!』
「よしよし。反応は上等だな」
流れるタイムラインを眺めながら、俺は帽子を目深に被り直して口角を上げた。
現地で目撃していたファンたちの興奮と、今日行かなかった外野のファンたちの阿鼻叫喚の羨望。この凄まじい熱量こそが、今後のインフルエンサー活動における最強の武器になる。
だが、俺がホクホク顔でスマホをスリープ状態にした、その時だった。
『……四月一日さん』
隣の空席(俺にしか見えないが)に座っていたカフェが、ぽつりと呟いた。その声は、いつも以上に静かで、どこか沈み込んでいるように聞こえた。
『手がかりになるものが、無かったです。……残念です』
黄金の瞳が、少しだけ伏せられる。
ウマ娘の魂の故郷とも言える「競馬場」に行けば、もしかしたら自分たちの世界に通じる次元の歪みや、行方不明になっている俺の肉体の手掛かりがあるかもしれない。彼女は口に出さずとも、そんな淡い期待を今日一日ずっと抱いていたのだろう。
足元では、お友達の影も「しゅん……」と効果音がつきそうなほど小さく丸まっていた。
「……まぁ、そう気落ちすんなって」
俺は小さく肩をすくめ、誰にも聞こえないような小声で返した。
「流石に、焼き鳥屋台の裏に異次元への扉がありました、なんて都合のいいファンタジーは転がってなかったな。でもまぁ、これで『東京競馬場に行っても特別なことは起きない』ってことが一つ証明されたわけだ。潰せる可能性を一つ潰せたんだから、前進だろ?」
俺の元日雇い労働者らしく、泥臭くも現実的な慰めの言葉に、カフェはふと顔を上げ、小さく瞬きをした。
「それに、今日は飯も美味かったし、雑誌のインタビューまで受けちまった。俺たちの生活基盤を盤石にするための、デカい一歩にはなったさ」
そう言って俺がニヤリと笑ってみせると、カフェは数秒の沈黙の後、ふわりと凭れていた背もたれから身を起こし、柔らかい微笑みを浮かべた。
『……ふふ。そうですね。あなたのその図太さには、本当に救われます』
「褒め言葉として受け取っとくよ」
夕暮れの光が差し込む車内。
手掛かりゼロという結果に終わった初めての遠出だったが、俺たち三人の奇妙な絆は、また少しだけ深まったような気がした。