翌日、かなりの朝寝坊をして目を覚ますと、ポックはすでに起きており、昨日までと違う格好をしていた。
擦り切れた上着の上に、中古の革鎧を身につけている。肩と胸には何度も補修した跡があったが、縫い目はしっかりしていた。
腰の短刀にも、新しい鞘がついている。
「ずいぶん地味な物を選んだね」
ルシアンは、荷車置き場の前で腕を組んだ。
「丈夫で安かったからな」
「せっかくまとまった金を得たのだ。もう少し見栄えに気を配ってもよいのではないか?」
「調査に着ていくんだぞ。見栄えより、刃を通さない方が大事だろ」
「美しければ、そもそも刃を向けられない可能性もある」
「村人に槍で突かれたとか言ってなかったか?」
「あれは美しさが見えなかったからだ」
ルシアンは、青空を反射する黒い胸部装甲を見下ろした。
「僕たちには、衣装の統一感が足りないな」
「センセイに合わせたら、おれまで黒い虫になるだろ」
「甲冑だと言っている」
「じゃあ、黒い甲冑虫」
「悪化したぞ」
ポックは新品の縄と、昨日より大きな素材袋を背負った。
銀貨十二枚を受け取ったとはいえ、買ったのは必要な物だけだった。
宿の部屋も借りていない。
食事も昨日と同じ麦粥だった。
「ポックン」
「なんだよ」
「香油を一本くらい買ってもよかったのではないか?」
「どこに塗るんだよ」
「いつか外れたときに備えるのだ」
「そのころまで残ってたら腐ってるぞ」
「美への投資を腐敗物のように言わないでもらいたい」
ポックは返事をせず、冒険者組合へ向かって歩き出した。
◇
組合で二人を待っていたのは、バルドと一人の女性だった。
三十歳ほどだろうか。
灰色の髪を後ろで束ね、腰には武器ではなく、紙筒と測量用の紐を下げている。
「調査担当のエルナだ」
バルドが紹介する。
「坑道の地図と、発見物の記録を担当している」
「エルナ・クラウスです。昨日の報告は読みました」
エルナはルシアンを見上げ、それからポックへ目を移した。
「確認したいことがあります。地図にない通路へ入ったのは、二人だけですね?」
「ああ」
ポックが答える。
「扉を開けたのは?」
「センセイだ」
「正確には、古代設備が僕を保全従事者として認識し、自ら開いた」
エルナは紙へ筆を走らせた。
「ルシアンが壁に触れたことで開いた、と」
「正確さを捨てた記録だな」
「調査記録は、誰が読んでも分かる必要があります」
「ならば僕の説明を理解できる者を増やすべきだ」
「世界の方を変えようとするなよ、センセイ」
エルナは書き終えると、紙筒を閉じた。
「内部の物には、許可なく触れないでください。特にルシアン。壁を壊さないように」
「なぜ僕だけ名指しなのだ」
「昨日、バルドから訓練場の報告も受けています」
「なるほど。僕の実力は、すでに組合内へ知れ渡っているのだね」
「破壊した設備の一覧が知れ渡っています」
「評価の仕方に偏りがあるな」
◇
鐘鳴り坑道の行き止まりは、昨日と何も変わっていなかった。
土埃のついた岩壁。
円の中に三本の線が刻まれた、小さな印。
白い管理通路の存在を知らなければ、ただの行き止まりにしか見えない。
エルナは印を紙へ写し取った。
壁を叩き、周囲の寸法を測る。
「空洞があるような音はしませんね」
「俺にも、ただの岩壁に見える」
バルドが拳で軽く叩いた。
「押してみるか」
「壊すなよ」
「お前に言われたくない」
バルドが印へ手を触れる。
何も起こらない。
エルナも触れた。
壁は動かなかった。
「では、ルシアン」
「ようやく僕の出番だね」
「鍵の出番だな」
バルドが言った。
「保全従事者だ」
「人の形をした鍵か」
「僕ほど美しい鍵が、どこにある!」
「見えないけどな」
ポックが言った。
「君たちは、僕の尊厳を何だと思っているのだ」
ルシアンは黒い手を印へ重ねた。
甲冑の内側へ、意味が流れ込んでくる。
《保全従事者を確認》
《管理通路を開放》
岩壁に細い線が浮かび上がった。
エルナが息を呑む。
壁は音もなく左右へ沈み、青白い光に照らされた通路が現れた。
「本当に開いたな」
バルドが内部を覗き込む。
「昨日も開いたと言っただろう」
「お前たちの報告は、蛞蝓《なめくじ》を引き抜いただの、古代人に磨かれただの、信じにくい部分が多かったからな」
「すべて事実だ」
「言い方の問題だよ、センセイ」
エルナは入口の構造を素早く書き留めていた。
「壁の内部に扉が収納されている様子もありません。表面そのものが変形している?」
「削って確かめます」
エルナが細い刃物を取り出した。
白い壁へ刃先を当てた瞬間、ルシアンの頭へ鋭く意味が流れ込む。
《保全区画への損傷行為を検出》
《非登録生体による破壊行為を停止せよ》
「手を止めたまえ」
ルシアンの声に、エルナの動きが止まった。
「どうしました?」
「甲冑が、君を破壊行為者と認識した」
「表面をわずかに削るだけです」
「古代文明が、その違いを理解すると思うかね?」
「続けるとどうなります?」
「分からない」
「警告だけですか?」
「分からない」
「防衛装置が作動する可能性は?」
「分からない」
「何も分からないじゃないか」
バルドが言った。
「分からないから止めたのだ。壁から武器が飛び出してからでは遅いだろう」
エルナは少し考え、刃物を鞘へ戻した。
「その判断は正しいですね」
「当然だ」
ルシアンは胸を張った。
「僕は古代設備の機嫌に詳しい」
「何をしたら怒るかしか分かってないだろ」
「それは機嫌に詳しいと言えるだろう?」
エルナは手元の紙へ新しい一文を書き加えた。
「内部調査には、ルシアンの同行が必要。設備からの警告を受け取れるのは、今のところ彼だけ」
「僕は案内人でもあるということだね」
「鍵兼、警報器だな」
「バルド。君はもう少し人間を尊重したまえ」
◇
四人は縄を残し、管理通路の奥へ進んだ。
昨日まで床に残っていた黒い粘液は、ほとんど消えていた。
細い溝の内側を、風が抜けている。
かあん――。
澄んだ金属音が通路を震わせた。
「これが共鳴導管か」
エルナは壁へ耳を近づけた。
「坑道全体の鐘の音につながっているのかもしれませんね」
「昨日まで音が濁っていたのは、鉱殻蛞蝓《こうかくなめくじ》が塞いでいたからか」
バルドが言った。
「おれもそう思った」
ポックは、通路の床や溝を指しながら説明した。
「粘液はここへ流れた。導管が動き始めたあと、床も勝手にきれいになったんだ」
「よく見ていますね」
エルナが言った。
「魔物と戦いながら、そこまで確認したのですか?」
「売れる物と、危ない物は見落とすなって、親父に教わったから」
「商人だったのですね」
「見習いだけどな」
ポックは少しだけ背筋を伸ばした。
円形の部屋へ入ると、エルナとバルドは導管の大きさに目を見張った。
鉱殻蛞蝓《こうかくなめくじ》が塞いでいた場所には、まだ黒い跡が残っている。
「この大きさの魔物を、本当に引き抜いたのか」
「僕が持ち上げた殻を、君も見ただろう」
「見たから信じるしかないんだがな」
「センセイが引っ張って、おれが腹を刺した」
ポックが言う。
「導管を傷つけるなって、甲冑から指示が出てた。だから殴らせなかった」
「よい判断です」
エルナが頷いた。
「古代設備を破損していた場合、通路そのものが閉鎖されていた可能性もあります」
「聞いたかね、バルド。僕たちの慎重さが評価されている」
「慎重だったのは、そこの少年だろう」
「指示に従う度量も、慎重さの一部だ」
「昨日も同じことを言ってたな」
調査を続けるうち、壁の一部が開いた。
白い台座が姿を現す。
《外殻保全台を利用できます》
ルシアンはすぐに一歩下がった。
「どうしました?」
「外殻を整備する台だ」
「使用できるのですか?」
「できる」
「では、動作を確認してもらえますか?」
「断る」
エルナが目を瞬いた。
「危険なのですか?」
「危険ではない。だが、すでに昨日利用した」
「何をする装置なんだ?」
バルドが台座を覗き込む。
「甲冑を固定して、隙間の汚れを取り、表面を磨く」
ポックが答えた。
「外す機能はないってさ」
「ポックン。その言い方では、僕が喜んで虫の殻を磨かれたように聞こえる」
「喜んで入っただろ」
「外れると思っていたからだ!」
エルナは、黒い外殻を上から下まで眺めた。
「それで昨日より艶があるのですね」
「君まで虫の完成度を評価しなくていい」
「内部の身体について、何か分かりましたか?」
「肌も髪も爪も、完璧な状態に保たれている。見せられないのが残念だよ」
「設備について聞いています」
「最も重要な調査結果だろう」
エルナはしばらくルシアンを見上げたあと、記録紙へ何かを書いた。
「今、何を書いた?」
「装着者の生体保全機能あり、と」
「美貌が完璧に維持されていると書きたまえ」
「確認できないため書けません」
「この組合は、確認できない美を軽視しすぎではないか?」
◇
調査を終えて通常坑道へ戻ると、管理通路の扉は再び閉じた。
エルナは壁の前で記録を整理した。
「未登録の管理区画が実在すること。ルシアンにのみ扉が反応すること。内部には現在も稼働中の古代設備があることを確認しました」
「発見報酬は?」
ポックがすぐに尋ねる。
「組合へ戻ってから決定します。ただし、正式な発見者については、登録冒険者であるルシアン・イモターレとして処理することになるでしょう」
ポックの表情が止まった。
「おれは?」
「同行者として記録します。ですが、あなたは見習いで、成人の登録冒険者ではありませんから」
「印を見つけたのはポックンだ」
ルシアンが言った。
エルナが顔を上げる。
「壁を開いたのは、あなたでしょう?」
「帰り道を確保したのはポックンだ。魔物の倒し方を考えたのも、仕留めたのも彼だ。持ち帰るべき鉱物を見分けたのもね」
「ですが、規則上は代表者を――」
「発見者は二人だ」
ルシアンは言い切った。
黒い甲冑の声が、行き止まりの坑道へ反響する。
「僕一人では、あの扉を開けたあと、壁か魔物を壊して終わっていたかもしれない。ポックン一人では、扉を開けられなかった。ならば、二人の発見だろう」
ポックが、何も言わずにルシアンを見上げていた。
「それに」
ルシアンは胸を張った。
「僕の偉業は、他人の功績を混ぜなくとも十分に大きい。正確に分けて記録したまえ」
エルナはしばらく黙っていた。
やがて紙を一枚取り出し、書き直す。
「共同発見者、ルシアン・イモターレ、ポック・トバル」
「僕を先に書いた点は評価しよう」
「ちょっと見直してたのに、余計な事言って台無しにするなよ、センセイ」
「最初から、そういう話だっただろう?」
「だったら最初からそう言えよ」
「今、言ったではないか」
ポックは口元を緩め、それを隠すように背負い袋の紐を引いた。
◇
組合へ戻ると、現地調査の同行料と発見報奨の一部として、銀貨二枚が支払われた。
青星鉱の売却額と比べれば小さい。
それでも、今回の金は偶然拾った鉱物の代金ではなかった。
二人が見つけた通路と、二人の知識へ支払われた金だった。
エルナは記録をまとめながら、円に三本の線が入った印を眺めていた。
「この印ですが」
ポックがすぐに顔を上げる。
「何か知ってるのか?」
「以前、似た印の刻まれた遺物が、別のダンジョンから持ち込まれた記録があったと思います」
「どこのダンジョンだ?」
「まだ思い出せません。保管庫の記録を調べる必要があります」
「今日中に分からないか?」
「過去十年分の記録があります」
「おれも手伝う」
「組合の記録庫へ、外部の人間は入れません」
「では、明日の朝には?」
「努力します」
ポックは不満そうだったが、それ以上は言わなかった。
ルシアンは満足げに腕を組む。
「ようやく、中央保全拠点への道が見えてきたようだね」
「似た印の記録があるかもしれないってだけだぞ」
「道を見つける者は、最初の一歩で目的地まで見通すものだ」
「センセイは一昨日まで、壁に突っ込んでただろ」
「あれは進むべき方角を身体で確かめていたのだ」
「壁の向こうに道はなかったぞ」
「過去の細かな失敗より、未来の大きな成功を見るべきだね」
ポックはため息をついた。
その手には、共同発見者として二人の名前が記された書面の写しがある。
金だけでは得られなかったもの。
父親の名前ではなく、ポック自身の名前で残った最初の実績だった。
「帰るぞ、センセイ」
「どこへだね?」
「荷車置き場。明日の記録を待つ」
「銀貨もあるのだから、今夜こそ普通の宿へ泊まってはどうだ?」
「扉を壊さない宿が見つかったらな」
ルシアンは通りに並ぶ宿屋を見た。
どの入口も、昨日と変わらず狭い。
「この町は、成功者を迎える準備ができていないようだね」
「センセイを迎える準備がないだけだよ」
二人は発見者として初めて得た書面を持ち、いつもの荷車置き場へ戻っていった。