銀貨が、受付台の上で小さな山を作っていた。
「六十四、六十五、六十六」
ポックは最後の一枚を指先で弾き、ほかの銀貨へ重ねた。
「間違いない」
「三度数えて、ようやく満足したのかね」
「金は、何度数えたっていい。楽しいし」
「ポックンは変わり者だな」
「センセイに言われたかないや」
ルシアンは受付台の前で腕を組んでいた。
青星鉱の売却額は、諸経費を差し引いて銀貨七十八枚。
すでに前渡しとして受け取っていた十二枚を除き、残りの六十六枚が支払われた。
組合が用意した受取証と売却明細も、ポックは銀貨以上に念入りに確認している。
「品位検査費。見本の切り出し。保管料。仲介手数料……」
「まだ読むのか?」
「あとで知らない金を引かれてたら困るだろ」
「組合は信用できるのではなかったかね」
「信用するために紙へ残すんだよ」
以前にも聞いた言葉だった。
ルシアンには、信用とはもう少し美しく、心と心で結ばれるものに思えた。
しかしポックにとっては、金額と日付と名目を紙へ書き、相手の印を押させることも信用の一部らしい。
「問題ない」
ポックは明細を折り畳み、背負い袋の奥へしまった。
「これで沈み庭へ行ける」
「それだけの銀貨があれば、もっと優雅な使い道もあるだろう」
「例えば?」
「外套だ」
ポックは、黒く丸い甲冑を見上げた。
「どこに着るんだよ」
「肩から流す。漆黒の外殻へ深紅の布地を合わせれば、多少はこの姿にも品格が――」
「枝に引っかかる」
「では金糸の飾り紐を」
「落として拾われるのがオチだ」
「宝石を埋め込むという手もあるな」
「センセイの身体に穴を開けるのか?」
「……それは避けよう」
神術に身体の一部として扱われている以上、装飾のために甲冑へ穴を開けるのは抵抗がある。
「必要な物だけ買うぞ」
ポックは銀貨をいくつかの小袋へ分けた。
「長縄。細縄。三輪滑車を二組。鉤。防水袋。保存食。それから巻き上げ器と背負子」
「待ちたまえ。ずいぶん増えていないか?」
「水の中でセンセイが動けなくなったとき、引き上げるためだよ」
「僕は泳げる可能性もあるのだが」
「その鎧で浮けると思うか?」
ルシアンは自分の丸い腹部を見下ろした。
「美しい肉体は水にも愛されるものだ」
「鎧は別だろ」
「外殻も僕の身体の一部らしいぞ」
「だったら、なおさら沈むな」
反論しづらい。
「最後の背負子は何に使う」
「荷物を運ぶ」
「君が背負うには大きすぎるのではないか?」
ポックは答えず、ルシアンを見上げた。
「……僕か?」
「ほかに誰がいるんだよ」
「僕は用心棒であって、荷運び人ではない」
「契約には、荷物を持たないとは書いてない」
「契約の隙間を突くのは感心しないね」
「センセイなら、これだけの荷物を運んでも疲れないだろ」
「疲れないことと、運ぶ義務があることは別問題だ」
「途中で魔物が出たら、おれが荷物を背負ったまま戦うのか?」
ルシアンは黙った。
ポックは身体が小さい。
新しく買った革鎧だけでも、それなりの重さがある。そこへ縄や滑車、食料まで背負わせれば、動きはさらに鈍くなるだろう。
「仕方がない」
ルシアンは胸を張った。
「用心棒として、君を万全の状態に保つ必要があるからね」
「荷物を持つだけだぞ」
「理由には格が必要なのだよ、ポックン」
◇
荷車職人の店には、大小さまざまな木枠が壁へ立てかけられていた。
荷物運び用の背負子。
薪を固定するための枠。
樽を運ぶための台。
その中で最も大きな物でも、ルシアンの背中には合わなかった。
「丸すぎるな」
職人は、黒い外殻を横から眺めた。
「誰の身体を見て言っている」
「鎧だよ」
「中身は完璧な均整を保っている」
「外から見えん部分は分からん」
「この町の職人は、確認できない美に対して想像力が足りないな」
職人は相手にせず、紐を使って甲冑の幅と丸みを測った。
既製の背負子から二本の縦木を外し、火で温めながらゆっくりと湾曲させる。
背中の膨らみに合わせて横木を渡し、幅広の革帯を肩と脇へ回す。
下端は腰の装甲へ引っかかる形になった。
「これなら滑らんだろ」
「中央を補強してくれ」
ポックが、背負子の上部を指さした。
「太い鉄輪もつけたい。荷馬車の荷台を吊れるくらいの物だ」
「何を運ぶつもりだ?」
「これ」
ポックは黒い外殻を指さした。
「僕を荷物のように指さすな」
職人は背負子とルシアンを見比べた。
「これを吊るのか?」
「水に沈んだときに引き上げる」
「僕が沈むことを前提に話を進めないでもらいたい」
「沈まなかったら使わないだけだよ」
職人は縦木の上部へ、太い横材を一本加えた。
背負子へかかる力を左右へ分散させるための補強である。その中央を鉄帯で締め、指が何本も入るほど大きな鉄輪を取りつける。
「こいつなら、木枠より先に革帯が切れる」
「革帯も替えてくれ」
「注文が多いな」
「水底に置き去りにするよりいい」
ポックは即答した。
ルシアンはしばらく黙り、それから大きく頷いた。
「僕の価値を考えれば、当然の投資だね」
「センセイのためだけじゃない。引き上げるおれの安全のためでもある」
「では、なおさら最上の物を使いたまえ」
職人が幅広の革帯を二重にし、金具を打ち直した。
背負子を装着したルシアンは、店先の水桶へ自分の姿を映した。
黒い甲虫の背中へ、頑丈な木製の荷台が張りついている。
「外殻の曲線が台無しだ」
「前から見れば分からないぞ」
「僕の美しさは、全方向から鑑賞されることを前提としている」
「今は全方向から虫だろ」
「君は僕の心を傷つける才能だけは、一流になってきたな」
長縄。
細い合図用の縄。
三つの車を収めた滑車枠が二つ。
歯止めのついた小型の巻き上げ器。
水を通しにくい革袋。
食料と毛布。
小鍋。
灯り。
荷物が次々と背負子へ固定されていく。
最後にポックが革帯を強く引いた。
「歩いてみてくれ」
ルシアンは店先を一往復した。
《外部積載物を検出》
《運搬負荷、許容範囲内》
「問題ないらしい」
「重くないか?」
「君の荷物程度で、この僕が重さを感じると思うのかね」
「じゃあ、もう少し積めるな」
「今の言葉を撤回する」
◇
ラドメルを出たのは、朝の鐘が鳴って間もないころだった。
沈み庭までは、街道を南東へ二日。
途中からは荷車の通れない細い道へ入り、低い丘をいくつか越えるという。
ルシアンは先頭を歩いた。
背負子には、二人分の旅道具がまとめて積まれている。
重さはほとんど感じなかった。
むしろ問題は、後ろを歩くポックとの距離だった。
「センセイ」
「何だね」
「速い」
「普通に歩いているだけだ」
「センセイの普通は、おれの早歩きなんだよ」
ルシアンは歩幅を狭めた。
しばらくすると、また少しずつ元へ戻る。
「速い」
「これ以上遅くすれば、歩く姿の美しさが損なわれる」
「見えてるのは黒い尻だけだぞ」
「背面にも隙はないということだな」
午前中は、それでも順調だった。
昼を過ぎるころから、ポックの返事が短くなった。
街道を外れ、坂道へ入る。
足元には拳ほどの石が増え、革鎧の上から背負っている小さな袋も、少しずつ肩へ食い込んでいるようだった。
ポックは何も言わない。
しかし歩幅は明らかに狭くなっていた。
ルシアンは足を止めた。
「休むぞ」
「まだ歩ける」
「僕が休みたいのだ」
「疲れないんだろ」
「精神的な休息が必要な場合もある」
「さっきまで急げって言ってたじゃないか」
ポックは道端の岩へ腰を下ろした。
息が上がっている。
額には薄く汗が浮かんでいた。
計算ができても、値段交渉で大人を黙らせても、身体まで大人になるわけではない。
ルシアンは背負子を下ろした。
「荷物を寄せたまえ」
「休むだけなら、そのままでいいだろ」
「いいから、毛布を上へ移すんだ」
ポックは不審そうな顔をしながらも、背負子へ括りつけられた毛布を外した。
ルシアンは太い横材の上を指さす。
「そこへ畳んで置きたまえ」
「何をするんだよ」
「座席を作る」
ポックの手が止まった。
「誰の?」
「君以外に誰がいる」
「おれは荷物じゃないぞ」
「知っている。荷物なら、もう少し素直に運ばれる」
「乗らない」
「到着が遅れれば、甲冑を外す日も遅れる」
「センセイが速すぎるだけだ」
「君の歩調に合わせるより、僕が運ぶ方が合理的だ」
「子ども扱いするなよ」
「君が子どもであるかどうかは関係ない」
ルシアンは背負子の革帯を肩へ掛け直した。
「契約相手が歩けなくなれば、僕の食事を用意する者がいなくなる。体調管理も用心棒の仕事だ」
「最後に自分の都合を足したな」
「最初から僕の都合しか話していないよ」
「座る場所なんてないだろ」
「今、作ったじゃないか」
上部の太い横材には、折り畳んだ毛布が重ねてある。
腰掛けとして造られた物ではない。それでも十三歳のポックが座るには十分な幅があった。
左右には縦木が伸び、荷物を固定する縄も手掛かりになる。
「落ちたらどうする」
「僕が落とすと思うのかね」
「思う」
「即答するな」
ルシアンは地面へ片膝をついた。
「乗りたまえ、ポックン」
ポックはしばらく黙っていた。
やがて横木へ足をかけ、荷物の間を使って背負子へ登る。
折り畳んだ毛布の上へ、慎重に腰を下ろした。
「本当に座れたな」
「僕の美的判断に間違いはない」
「毛布を置いただけだろ」
「簡潔な構造ほど美しいものだよ」
ルシアンはゆっくりと立ち上がった。
背中の荷物が揺れ、その上でポックが慌てて縦木を掴む。
「思ったより高いな」
「僕の視点へ近づける機会だ。ありがたく思いたまえ」
「センセイより、おれの方が高くなってるぞ」
「背負われている者が威張るものではない」
ルシアンは歩き出した。
《運搬負荷、許容範囲内》
「甲冑も問題ないと言っている」
「おれを積載物として数えてないか、それ」
「古代文明は分類が大雑把だからね」
「落とすなよ」
「僕ほど繊細な男に、何を言っている」
最初の数歩で、背負子が大きく揺れた。
「センセイ!」
「今のは道が悪い」
「歩き方を変えろ!」
「注文の多い積載物だな!」
ルシアンは歩幅を小さくし、足をなるべく水平に運ぶようにした。
背負子の揺れが収まる。
「これならどうだ」
「悪くない」
「当然だ。僕は一度指摘されれば改善できる男だからね」
「壁には何度もぶつかったけどな」
「あれは甲冑側の問題だ」
坂を越えるころには、ポックの声が聞こえなくなっていた。
「ポックン?」
返事がない。
頭だけを少し動かすと、背負子の上から規則正しい寝息が聞こえた。
「まったく」
眠れば、身体が傾くかもしれない。
ルシアンは道端の低い枝へ予備の細縄を引っかけ、背後へ回した。手探りでポックの腰と背負子を緩く結ぶ。
起きていれば、子ども扱いするなと怒っただろう。
「落下防止だよ、ポックン」
返事はない。
ルシアンはさらに歩みを緩めた。
段差を避け、石の少ない場所を選ぶ。
背負子の上で眠る少年を起こさないよう、黒い巨体は慎重に街道を進んだ。
到着が遅れれば、甲冑を外す日も遅れる。
ただ、それだけの理由だった。