僕の美しさが見せられない!   作:柿木杮

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第18話 作業前にお寄りください

 青白い灯りが、通路の奥へ順に点いていった。

 

 白い壁。

 

 継ぎ目のない床。

 

 外では泥と水草に覆われていた沈み庭の下に、これほど広い空間が残っているとは思えない。

 

 ルシアンが一歩進むと、その先にある灯りが点く。

 

 背後では、通り過ぎた灯りが消えずに残っていた。

 

「鐘鳴り坑道とは違うな」

 

 ポックが振り返った。

 

「あっちは後ろから消えていった」

 

「僕たちを追い出すつもりがないということだろう」

 

「戻る道を照らしてるだけじゃないか?」

 

「僕の来訪を歓迎していると言いたまえ」

 

「亀に噛まれて泥だらけの作業員を?」

 

「外殻には泥一つ残っていない」

 

 実際、水中から上がったあとも、黒い装甲の表面には薄い水滴が残るだけだった。

 

 ポックは壁際へ近づいた。

 

「センセイ。これ、道じゃないか?」

 

 白い壁に、細い青色の線が何本も走っている。

 

 最初は飾りに見えた。

 

 しかしよく見ると、線は四角や円を囲み、その間を複雑につないでいる。

 

 ポックが指先でたどった。

 

「ここが、今いる通路」

 

「なぜ分かる?」

 

「おれたちが動くと、小さい光も動いてる」

 

 確かに、二人のいる場所には青白い点が一つ灯っていた。

 

 通路の先は三方向へ分かれている。

 

 その周囲には、大小いくつもの四角い区画が並んでいた。細い水路がその間を縫い、さらに外側へ続いている。

 

 先ほど水を抜いたらしい区画だけが、淡く明滅していた。

 

「おれたちが水を抜いたの、ここだけみたいだぞ」

 

「一つの庭ではなかったのかね」

 

「いくつもある。こっちにも、向こうにも」

 

 壁面図は、左右の端で途切れていた。

 

 途中で終わっているのではない。

 

 その先にも施設が続いていることを示すように、何本もの線が壁の外へ伸びている。

 

 沈み庭と呼ばれている場所は、地上から見えていた水没した庭だけではないらしい。

 

「古代人は、規模を大きくすれば偉いと思っていたのだろう」

 

「センセイも屋敷を大きくしたいって言ってなかったか?」

 

「僕の場合は、美しいものを収めるのに必要だからだよ」

 

「一人しか住んでないのに?」

 

「すばらしく美しい物を、ボロで包まないだろう?」

 

 ポックは返事をせず、壁面図の明滅する区画を調べていた。

 

 ルシアンが手を触れる。

 

 頭の内側へ、いくつもの意味が流れ込んできた。

 

《沈降庭区・北側水位調整系統の部分復旧を確認》

 

《上層操作弁、正常》

 

《下層排水弁、正常》

 

《保全作業の完了を記録》

 

「作業は終わったと認めたらしい」

 

「中央保全拠点の情報は?」

 

「今、照会する」

 

 ルシアンは壁へ向かって告げた。

 

「中央保全拠点への接続経路を提示したまえ」

 

《中央保全拠点との接続を確認できません》

 

《経路情報、取得不能》

 

「鐘鳴り坑道と同じだな」

 

「同じ答えを出すために、僕は水底へ三度も沈んだのかね」

 

 さらに別の意味が流れ込む。

 

《保全従事者装備を照合》

 

《水中作業補助機構、未調整》

 

 ルシアンの動きが止まった。

 

「……未調整?」

 

「何だって?」

 

《上層準備区画にて調整可能》

 

「上層?」

 

《推奨調整時点――水中作業開始前》

 

 白い通路に、ルシアンの声が響いた。

 

「それを先に言いたまえ!」

 

「水へ入る前に、何かする場所があったのか?」

 

「そのようだ」

 

「じゃあ、縄がなくても戻れた?」

 

「まだ、そうと決まったわけではない」

 

《水中環境からの自力帰還を補助します》

 

 ポックが黙った。

 

 ルシアンも黙った。

 

「縄がなくても戻れたんだな」

 

「その結論を口にするのはやめたまえ」

 

「滑車も?」

 

「亀を引くのに役立った」

 

「巻き上げ器も?」

 

「君の筋力を補った」

 

「背負子の鉄輪も?」

 

「……僕を美しく吊るした」

 

「美しくはなかったぞ」

 

「道具は無駄ではなかった。それでよいだろう!」

 

     ◇

 

 壁面図から伸びた青白い線を追い、二人は左側の通路へ入った。

 

 途中には、空になった棚や、棒状の道具を立てるための窪みが並んでいた。

 

 壁際には、大きさの異なる外殻のような形がいくつも刻まれている。

 

 人のものに近い形。

 

 ルシアンより幅の広い形。

 

 四本の脚を持つように見える形まであった。

 

「センセイ以外にも、作業する鎧があったのかな」

 

「僕ほど美しい使用者はいなかっただろうね」

 

「形の話だよ」

 

「形でも僕が上だ」

 

 古い施設に何人の作業員がいたのか。

 

 人間だったのか。

 

 今もどこかに同じ外殻が残っているのか。

 

 答えはない。

 

 並んだ窪みだけが、ここでかつて複数の何かが働いていたことを示していた。

 

 通路の先は、緩やかな上り坂になっている。

 

 歩くにつれ、壁の向こうから風の音が聞こえ始めた。

 

 やがて白い扉へ突き当たる。

 

 ルシアンが触れると、扉は左右へ開いた。

 

 眩しい日差しが差し込む。

 

「外だ」

 

 二人が出た場所は、蔦に覆われた小さな石造りの建物の中だった。

 

 屋根の一部は崩れ、倒れた柱が入口を半分塞いでいる。

 

 外へ回ると、建物は沈み庭の高い場所に建っていた。

 

 最初に縄を固定した石柱は、木々と崩れた回廊の向こうに小さく見える。

 

「こんなところに入口があったのか」

 

 ポックが蔦を引っ張った。

 

 厚く重なった葉の下から、円の中へ三本の線を並べた印が現れる。

 

 ルシアンが外側から触れる。

 

 閉じていた入口が開いた。

 

「外からも入れるぞ」

 

「……」

 

「ここを見つけてたら、水へ潜らずに管理通路へ入れたな」

 

「では、なぜ君は見つけなかった」

 

「センセイも一緒に探しただろ」

 

「僕は水中へ入る担当だった」

 

「入る前の話だよ」

 

「七年前に板が見つかった場所を優先したのは君だ」

 

「センセイも賛成しただろ」

 

「そのときの僕は、この入口の存在を知らなかった」

 

「おれだって知らなかったよ!」

 

 責任の所在は、古代施設が案内を出さなかったことにある。

 

 二人はそう結論づけた。

 

     ◇

 

 準備区画は、地上入口のすぐ脇にあった。

 

 入口の上には、細い古代文字が刻まれている。

 

 ルシアンが近づくと、意味が直接伝わってきた。

 

《水中作業従事者は、作業前に調整を受けてください》

 

「わざわざ書いてあったぞ、センセイ」

 

「現代語ではない」

 

「センセイには読めるんだろ」

 

「近づくまで伝わらなかった」

 

「だから入口を探せばよかったんじゃないか?」

 

「いつまで僕を責めるつもりだね!」

 

 部屋の中央には、白い枠が立っていた。

 

 鐘鳴り坑道で見つけた外殻保全台とは形が違う。

 

 こちらはルシアンが立ったまま入る構造で、腰と両脚を囲むように細い器具が並んでいる。

 

「今度は掃除じゃないよな」

 

「僕の外殻は、掃除の必要がないほど美しく保たれている」

 

「俺が拭いてやらなくて済むのは助かるよ」

 

「もし汚れたら、喜んで拭きたまえ」

 

 ルシアンが白い枠の中へ入る。

 

 両脚の外側から固定具が伸びた。

 

 がちり。

 

 腰。

 

 背中。

 

 続いて、脛の装甲へ細い器具が接続される。

 

「待て。今回も身体を固定する必要があるのか?」

 

《水中作業補助機構の調整を開始》

 

 脚部の内側で、何かが開く感覚があった。

 

 痛みはない。

 

 だが今まで動かなかった部分が、身体の一部として突然認識される。

 

《浮力調整機構を起動》

 

《水中姿勢制御機構を起動》

 

《脚部固定機構を起動》

 

「僕の身体へ、また勝手に何かを付け加えたな」

 

《水中作業への適合を完了》

 

「質問に答えたまえ」

 

 固定具が外れる。

 

 ルシアンが一歩踏み出すと、脛の装甲がわずかに開いた。

 

 しゅっ、と短い音がして、ポックの髪が揺れる。

 

「今、風が出たぞ」

 

「僕には分からなかった」

 

「脚からだ」

 

「絶世の美男子が、脚から風を出す必要がどこにある。誤解されたら困るだろう」

 

「水の中で動くためだろ」

 

「機能には、もう少し品格を求めたいものだね」

 

     ◇

 

「試すぞ」

 

 ポックは当然のように言った。

 

「今から?」

 

「本当に戻れるか確かめないと、次に使えないだろ」

 

「君は僕を実験道具だと思っていないか?」

 

「水に入っても死なないのは、もう分かってる」

 

「慰めになっていないぞ」

 

 二人は北側区画へ戻った。

 

 念のため、長縄は背負子の鉄輪へ結ぶ。

 

 ただし滑車には通さず、余裕をもたせたまま、ポックが端を持つだけにした。

 

「三度引いたら引っ張るからな」

 

「今回は必要ない」

 

「戻れなくなったら?」

 

「新機能を信じたまえ」

 

「センセイよりは信じてる」

 

「その縄を外したまえ!」

 

 ルシアンは水へ入った。

 

 一歩。

 

 二歩。

 

 石段の先へ踏み出す。

 

 黒い巨体が、これまでと同じように沈み始めた。

 

 そのまま水底へ落ちる――直前。

 

《浮力調整》

 

 腰と脚の継ぎ目から、水が押し出された。

 

 沈降が止まる。

 

 ルシアンの身体が、水中でゆっくりと傾いた。

 

「おお……」

 

 右を向こうとすると、身体が左へ回った。

 

「反対だ!」

 

 戻そうと意識する。

 

 今度は回りすぎた。

 

《水中姿勢制御精度、三十五パーセント》

 

「初めてにしては十分だろう」

 

 声は水面へ届かない。

 

 それでもルシアンは言い返した。

 

 前へ進むことを意識する。

 

 脚の装甲から水が押し出され、黒い巨体がゆっくりと移動した。

 

 泳いでいるとは言い難い。

 

 丸い甲虫が、水中を立った姿勢のまま滑っている。

 

 だが、足場がなくても動ける。

 

 上を意識すると、身体が少しずつ浮かび始めた。

 

 やがて兜が水面を割る。

 

「戻ったぞ、ポックン!」

 

「縄、引いてないぞ!」

 

「見れば分かる!」

 

 ルシアンは自力で石段へ近づき、水から上がった。

 

「どうだ、センセイ」

 

「実に便利だ」

 

「よかったな」

 

「数刻前の僕に渡したまえ」

 

「もう終わったことだろ」

 

「古代文明には、時間を戻す機能はないのかね」

 

《該当機能はありません》

 

「君には聞いていない!」

 

     ◇

 

 準備区画へ戻ると、ポックは壁面図の別の線を指さした。

 

 今回排水された北側区画から、さらに下へ伸びる細い経路。

 

 その先は青く塗られたままになっている。

 

「ここは、まだ水の下だ」

 

「また潜れと言うのかね」

 

「今度は自分で戻れるだろ」

 

「だからといって、進んで沈みたいわけではない」

 

 ルシアンが印へ触れる。

 

《沈降庭区・保全記録庫》

 

《水没により経路閉塞》

 

「記録庫だそうだ」

 

「中央保全拠点のことが残ってるかもしれない」

 

 ルシアンは、壁面図の青く沈んだ区画を見つめた。

 

 苦労して手に入れた水中作業機能を使う場所だけは、まだ十分に残っているらしかった。

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