僕の美しさが見せられない!   作:柿木杮

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第2話 世界で最低の包装

「これでは、僕の美しさが見せられないではないか!」

 

 ルシアンの悲痛な叫びが、隠し部屋の石壁に反響した。

 

 返ってくるのは、甲冑の内側でわずかにくぐもった自分の声だけである。

 

 声そのものは変わっていない。

 

 だが、これまで人々を振り返らせてきた美声に、分厚い壺を被せたような響きが加わっていた。

 

 顔ばかりか、声まで正しく世に届けられない。

 

 許しがたい事態だった。

 

「外殻を開けたまえ」

 

 命じた直後、耳からではなく、頭の内側へ意味が流れ込んできた。

 

《解除条件未達》

 

 言葉を聞いたわけではない。

 

 生体針を通じて、装置の伝えたい内容だけを直接理解させられている。

 

 ひどく不快な感覚だった。

 

「その解除条件とやらを教えたまえ」

 

《保全任務未完了》

 

「では、保全任務とは何だ」

 

《作業指示未取得》

 

「作業指示を取得していないのなら、任務は開始されていない。開始されていない任務は完了させようがない。したがって、この状態は無効だ。解除したまえ」

 

《解除条件未達》

 

「僕の話を聞いていたか?」

 

《解除条件未達》

 

 聞いていない。

 

 そもそも、この装置には話を聞く知性などないのだろう。

 

 決められた条件に応じて、決められた意味を返しているだけだ。

 

「古代文明が滅びた理由が分かった気がするよ」

 

 これほど融通の利かない装置ばかり作っていれば、いずれ社会も行き詰まる。

 

 ルシアンは背中へ手を回そうとした。

 

 甲冑の腕は、自分の腕と同じように動いた。

 

 しかし、分厚い肩と背面の装甲が邪魔をして、指先は中央まで届かない。

 

 次に背中を石壁へ押しつけ、どこかへ引っかけて開こうとする。

 

 少し力を込めた。

 

 石壁が、鈍い音を立ててへこんだ。

 

「……おや?」

 

《周辺構造物の損傷を検出》

 

「見れば分かる」

 

 壁から離れようと、軽く足を踏み出す。

 

 甲冑の脚が石床を強く蹴った。

 

 ルシアンの身体が前へ飛び出す。

 

「おおっ――!」

 

 反対側の壁へ、頭から激突した。

 

 轟音。

 

 石壁の一部が崩れ、頭上から小石と砂埃が降り注ぐ。

 

 ルシアンは両手を床についたまま、しばらく動かなかった。

 

《装着者の生体損傷なし》

 

「そういう問題ではない」

 

 痛みは、ほとんどなかった。

 

 衝撃は感じたが、外殻と内側の何かが吸収したらしい。

 

 その代わり、尊厳が深く傷ついた。

 

 ルシアンは慎重に立ち上がった。

 

 一歩。

 

 石床がわずかに軋む。

 

 二歩目。

 

 身体が前へ傾く。

 

 三歩目で、ようやく普通に進むことができた。

 

《歩行安定度、低》

 

「初めて動かしたにしては十分だろう」

 

 装置は答えない。

 

 ルシアンは、先ほど入ってきた隠し扉へ向かった。

 

 石扉はすでに閉じている。

 

 脇にある窪みを押せば開くはずだ。

 

 太くなった指先を伸ばす。

 

 押した。

 

 石壁に、指がめり込んだ。

 

「……」

 

 ゆっくり引き抜く。

 

 拳ほどの穴が残った。

 

《周辺構造物の損傷を検出》

 

「逐一報告する必要はない」

 

 仕方なく石扉そのものへ両手を当てた。

 

 軽く押す。

 

 動かない。

 

 少し力を加える。

 

 石扉が根元から外れ、向こう側へ倒れた。

 

 地響きが通路の奥まで駆け抜ける。

 

「開いたな」

 

《周辺構造物に重大な損傷》

 

「開けばよかろう」

 

 目的は達成された。

 

 過程に多少の問題があっただけである。

 

 ルシアンは倒れた石扉を跨ぎ、通路を進んだ。

 

 来たときには邪魔だった落石も、今では腕で払いのけられる。

 

 狭い場所では肩が石壁を削ったが、外殻には傷一つつかない。

 

 性能だけを見れば、恐ろしく優秀な装具だった。

 

 性能だけを見れば。

 

  問題は、地上へ続く石段だった。

 

 兜から下を向いても、前へ張り出した口吻と胸部装甲が邪魔をして、足元が見えにくい。

 

 ルシアンは慎重に上った。

 

 つま先が最上段の縁へ引っかかる。

 

「この程度なら問題は――」

 

 身体が後ろへ傾いた。

 

「うわっ」

 

 丸みを帯びた黒い甲冑が、来た方向へ転がり始める。

 

 背中、肩、頭。

 

 何度も石段へぶつかり、激しい音が連続して響いた。

 

「止まれ! 止まりたまえ!」

 

 止まらない。

 

「誰か――!」

 

 当然ながら、誰もいない。

 

 十数段を転がり落ち、最後には先ほど倒した石扉へ背中から突っ込んだ。

 

 「……」

 

 仰向けのまま階段の上の入り口を見上げた。

 

《装着者の生体損傷なし》

 

「僕の尊厳も生体に含めたまえ」

 

 通知は返ってこなかった。

 

 

     ◇

 

 遺跡から村までは、歩いて半刻ほどである。

 

 甲冑の動かし方にも、少しずつ慣れてきた。

 

 重い外殻をまとっているにもかかわらず、疲れはほとんど感じない。足取りも次第に安定し、普通に歩く程度なら床や地面を壊さずに済むようになった。

 

 ルシアンは一度足を止めた。

 

「この姿で村へ戻るのか……」

 

 誰かに見られる。

 

 絶世の美男子ルシアン・イモターレが、この不格好な黒い外殻に閉じ込められた姿を。

 

「いや。待て」

 

 美貌そのものが失われたと決まったわけではない。

 

《装着者の生体状態、良好》

 

「そうだろうとも」

 

 中の身体は無事だ。

 

 艶やかな黒髪も、深い碧色の瞳も、完璧に均整の取れた肉体も残っているはずだ。

 

 ただし、誰にも見えない。

 

「これは包装の問題だ。中身の価値は変わっていない」

 

 自分へ言い聞かせ、村へ向かう。

 

 やがて道脇を流れる小川へ差しかかった。

 

 澄んだ水面に、黒い影が映っている。

 

 ルシアンは足を止めた。

 

 影も止まった。

 

 小さく丸い頭部。

 

 前へ突き出した、虫の口のような兜。

 

 大きく膨らんだ胴体。

 

 一部の隙も無く黒々と光る装甲と、継ぎ目さえ見えない手足。

 

 騎士には見えない。

 

 人間にも見えない。

 

 巨大な黒い甲虫が、無理やり二本脚で立ち上がっている。

 

「……誰だ、これは」

 

 水面の怪物が首を傾げた。

 

 ルシアンも首を傾げる。

 

 怪物も、同じ方向へ傾いた。

 

「僕か?」

 

 自分を指さす。

 

 水面の怪物も自分を指さした。

 

「僕なのか!?」

 

 思わず踏み出した足が、川岸を崩した。

 

 泥と石が水へ落ち、黒い怪物の姿が波に消える。

 

 ルシアンはその場へ膝をついた。

 

「そんな……」

 

 二人の姉が毎日梳いてくれた髪も。

 

 鍛え上げた肩も。

 

 人々を安心させてきた完璧な微笑みも。

 

 外からは何一つ見えない。

 

 そこにあるのは、ただ黒く、不気味で、不格好な外殻だけだった。

 

 ひどく気分が沈んだ。

 

 自分が自分ではなくなったような、奇妙な感覚。

 

 ルシアンはしばらく水面を見つめたあと、立ち上がった。

 

「落ち着け。中身は変わっていない」

 

 誰に聞かせるでもなく告げる。

 

「世界最高の美貌が、世界最低の包装をされているだけだ」

 

《外殻状態、良好》

 

「良好ではない」

 

     ◇

 

 村の入口へ近づいたところで、畑にいた農夫がこちらへ顔を向けた。

 

 見覚えのある男だった。

 

 ルシアンは片手を上げる。

 

「安心したまえ。僕だ」

 

 甲冑にくぐもった声を聞き、男は鍬を取り落とした。

 

「ま、魔物だ!」

 

「話を聞きたまえ」

 

 男は村の中へ逃げ込んだ。

 

「黒い魔物が出たぞ!人の言葉を喋る!」

 

「待てっ、この美声に聞き覚えがあるだろう!」

 

 ほどなく警鐘が鳴った。

 

 村人たちが、鍬や斧、古い槍を手に集まってくる。

 

 ルシアンは両手を広げた。

 

「落ち着きたまえ。君たちに危害を加える意思はない」

 

「近づくな!」

 

「僕だ。ルシアン・イモターレだ」

 

「ルシアンをどうした!」

 

「どうもしていない。僕がルシアンだ!」

 

「そいつを食ったのか!」

 

「食われていない。この中にいる!」

 

「やっぱり食われてるじゃねえか!」

 

「なぜそうなる!」

 

 村人の一人が槍を突き出した。

 

 穂先が胸部装甲へ当たり、甲高い音を立てて折れる。

 

 続いて振り下ろされた斧も、刃が欠けた。

 

「やめたまえ! これは仮にも僕の身体だぞ!」

 

「魔物が怒った!」

 

「誰でも怒るだろう!」

 

 ルシアンは反射的に腕を上げた。

 

 目の前の男が顔を引きつらせる。

 

 その瞬間、遺跡で壊した石壁と扉が脳裏をよぎった。

 

 この腕で人間を殴ればどうなるか。

 

 考えるまでもない。

 

 ルシアンはゆっくりと腕を下ろした。

 

「だから、まず話を聞きたまえ」

 

「……待ちな」

 

 人垣の後ろから、白髪の老婆が進み出た。

 

 幼いころからイモターレ家へ出入りしていた、村の産婆である。

 

 老婆は目を細め、ルシアンを見上げた。

 

「もう一度、名を言ってみな」

 

「ルシアン・イモターレだ。声を聞けば分かるだろう」

 

 老婆は黙って耳を澄ませた。

 

 外殻のせいで、声は少しくぐもっている。

 

 それでも声音も、独特な抑揚も、芝居がかった話し方も、間違いなく本人のものだった。

 

「……本当にルシアン坊やかい」

 

「坊やはやめてくれ」

 

「本物だね」

 

 老婆は確信を持って頷いた。

 

「この村で、そんな腹の立つ喋り方をするのは、あんただけだ」

 

「もう少し美しい根拠はないのか?」

 

 村人たちがざわめき始める。

 

 一人の男が、まだ疑わしそうに尋ねた。

 

「本当にルシアンなら、屋敷の裏の畑で何を育ててる?」

 

「芋だ」

 

「種類は?」

 

「知らない」

 

 村人たちは顔を見合わせた。

 

「本物だ……」

 

「なぜ僕の無知が身分証明になる!」

 

     ◇

 

 正体が認められたあと、ルシアンは村の鍛冶屋へ連れていかれた。

 

 鍛冶屋は甲冑を叩き、削り、装甲の隙間へ工具を差し込もうとした。

 

 金槌が欠けた。

 

 鑿《のみ》が曲がった。

 

 火で炙っても、黒い外殻の艶すら変わらない。

 

「恐ろしく頑丈だな」

 

「性能だけは素晴らしいだろう」

 

「自慢してる場合か」

 

 鍛冶屋は甲冑の背面へ耳を当てた。

 

「中で指を動かしてみろ」

 

「こうか?」

 

 ルシアンが指を曲げる。

 

 装甲の内側から、微かな駆動音が伝わった。

 

 鍛冶屋の表情が険しくなる。

 

「こいつは、普通の鎧じゃない」

 

「見れば分かる」

 

「中で、お前の身体と何かが繋がってる」

 

「何かとは?」

 

「分からん」

 

「君は先ほどから何も分かっていないな」

 

「分からんから、下手に触れないと言ってるんだ。無理に切れば、お前の身体まで切るかもしれん」

 

 ルシアンは黙った。

 

 甲冑の内側に刺さった、無数の針を思い出す。

 

「外せないのか?」

 

「俺には無理だ」

 

「では、誰なら外せる」

 

 鍛冶屋は腕を組んだ。

 

 しばらく考えたあと、村の中央にある小さな神殿へ目を向ける。

 

「神官に診てもらえ。呪いかもしれん」

 

「呪い……」

 

 ルシアンは黒い両手を見下ろした。

 

「神官なら、元の姿へ戻せるのだな?」

 

「知らん」

 

「顔だけでも出せるか?」

 

「知らん」

 

「では、君は何を知っているんだ!」

 

 鍛冶場に、少しくぐもったルシアンの美声が響き渡った。

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