「これでは、僕の美しさが見せられないではないか!」
ルシアンの悲痛な叫びが、隠し部屋の石壁に反響した。
返ってくるのは、甲冑の内側でわずかにくぐもった自分の声だけである。
声そのものは変わっていない。
だが、これまで人々を振り返らせてきた美声に、分厚い壺を被せたような響きが加わっていた。
顔ばかりか、声まで正しく世に届けられない。
許しがたい事態だった。
「外殻を開けたまえ」
命じた直後、耳からではなく、頭の内側へ意味が流れ込んできた。
《解除条件未達》
言葉を聞いたわけではない。
生体針を通じて、装置の伝えたい内容だけを直接理解させられている。
ひどく不快な感覚だった。
「その解除条件とやらを教えたまえ」
《保全任務未完了》
「では、保全任務とは何だ」
《作業指示未取得》
「作業指示を取得していないのなら、任務は開始されていない。開始されていない任務は完了させようがない。したがって、この状態は無効だ。解除したまえ」
《解除条件未達》
「僕の話を聞いていたか?」
《解除条件未達》
聞いていない。
そもそも、この装置には話を聞く知性などないのだろう。
決められた条件に応じて、決められた意味を返しているだけだ。
「古代文明が滅びた理由が分かった気がするよ」
これほど融通の利かない装置ばかり作っていれば、いずれ社会も行き詰まる。
ルシアンは背中へ手を回そうとした。
甲冑の腕は、自分の腕と同じように動いた。
しかし、分厚い肩と背面の装甲が邪魔をして、指先は中央まで届かない。
次に背中を石壁へ押しつけ、どこかへ引っかけて開こうとする。
少し力を込めた。
石壁が、鈍い音を立ててへこんだ。
「……おや?」
《周辺構造物の損傷を検出》
「見れば分かる」
壁から離れようと、軽く足を踏み出す。
甲冑の脚が石床を強く蹴った。
ルシアンの身体が前へ飛び出す。
「おおっ――!」
反対側の壁へ、頭から激突した。
轟音。
石壁の一部が崩れ、頭上から小石と砂埃が降り注ぐ。
ルシアンは両手を床についたまま、しばらく動かなかった。
《装着者の生体損傷なし》
「そういう問題ではない」
痛みは、ほとんどなかった。
衝撃は感じたが、外殻と内側の何かが吸収したらしい。
その代わり、尊厳が深く傷ついた。
ルシアンは慎重に立ち上がった。
一歩。
石床がわずかに軋む。
二歩目。
身体が前へ傾く。
三歩目で、ようやく普通に進むことができた。
《歩行安定度、低》
「初めて動かしたにしては十分だろう」
装置は答えない。
ルシアンは、先ほど入ってきた隠し扉へ向かった。
石扉はすでに閉じている。
脇にある窪みを押せば開くはずだ。
太くなった指先を伸ばす。
押した。
石壁に、指がめり込んだ。
「……」
ゆっくり引き抜く。
拳ほどの穴が残った。
《周辺構造物の損傷を検出》
「逐一報告する必要はない」
仕方なく石扉そのものへ両手を当てた。
軽く押す。
動かない。
少し力を加える。
石扉が根元から外れ、向こう側へ倒れた。
地響きが通路の奥まで駆け抜ける。
「開いたな」
《周辺構造物に重大な損傷》
「開けばよかろう」
目的は達成された。
過程に多少の問題があっただけである。
ルシアンは倒れた石扉を跨ぎ、通路を進んだ。
来たときには邪魔だった落石も、今では腕で払いのけられる。
狭い場所では肩が石壁を削ったが、外殻には傷一つつかない。
性能だけを見れば、恐ろしく優秀な装具だった。
性能だけを見れば。
問題は、地上へ続く石段だった。
兜から下を向いても、前へ張り出した口吻と胸部装甲が邪魔をして、足元が見えにくい。
ルシアンは慎重に上った。
つま先が最上段の縁へ引っかかる。
「この程度なら問題は――」
身体が後ろへ傾いた。
「うわっ」
丸みを帯びた黒い甲冑が、来た方向へ転がり始める。
背中、肩、頭。
何度も石段へぶつかり、激しい音が連続して響いた。
「止まれ! 止まりたまえ!」
止まらない。
「誰か――!」
当然ながら、誰もいない。
十数段を転がり落ち、最後には先ほど倒した石扉へ背中から突っ込んだ。
「……」
仰向けのまま階段の上の入り口を見上げた。
《装着者の生体損傷なし》
「僕の尊厳も生体に含めたまえ」
通知は返ってこなかった。
◇
遺跡から村までは、歩いて半刻ほどである。
甲冑の動かし方にも、少しずつ慣れてきた。
重い外殻をまとっているにもかかわらず、疲れはほとんど感じない。足取りも次第に安定し、普通に歩く程度なら床や地面を壊さずに済むようになった。
ルシアンは一度足を止めた。
「この姿で村へ戻るのか……」
誰かに見られる。
絶世の美男子ルシアン・イモターレが、この不格好な黒い外殻に閉じ込められた姿を。
「いや。待て」
美貌そのものが失われたと決まったわけではない。
《装着者の生体状態、良好》
「そうだろうとも」
中の身体は無事だ。
艶やかな黒髪も、深い碧色の瞳も、完璧に均整の取れた肉体も残っているはずだ。
ただし、誰にも見えない。
「これは包装の問題だ。中身の価値は変わっていない」
自分へ言い聞かせ、村へ向かう。
やがて道脇を流れる小川へ差しかかった。
澄んだ水面に、黒い影が映っている。
ルシアンは足を止めた。
影も止まった。
小さく丸い頭部。
前へ突き出した、虫の口のような兜。
大きく膨らんだ胴体。
一部の隙も無く黒々と光る装甲と、継ぎ目さえ見えない手足。
騎士には見えない。
人間にも見えない。
巨大な黒い甲虫が、無理やり二本脚で立ち上がっている。
「……誰だ、これは」
水面の怪物が首を傾げた。
ルシアンも首を傾げる。
怪物も、同じ方向へ傾いた。
「僕か?」
自分を指さす。
水面の怪物も自分を指さした。
「僕なのか!?」
思わず踏み出した足が、川岸を崩した。
泥と石が水へ落ち、黒い怪物の姿が波に消える。
ルシアンはその場へ膝をついた。
「そんな……」
二人の姉が毎日梳いてくれた髪も。
鍛え上げた肩も。
人々を安心させてきた完璧な微笑みも。
外からは何一つ見えない。
そこにあるのは、ただ黒く、不気味で、不格好な外殻だけだった。
ひどく気分が沈んだ。
自分が自分ではなくなったような、奇妙な感覚。
ルシアンはしばらく水面を見つめたあと、立ち上がった。
「落ち着け。中身は変わっていない」
誰に聞かせるでもなく告げる。
「世界最高の美貌が、世界最低の包装をされているだけだ」
《外殻状態、良好》
「良好ではない」
◇
村の入口へ近づいたところで、畑にいた農夫がこちらへ顔を向けた。
見覚えのある男だった。
ルシアンは片手を上げる。
「安心したまえ。僕だ」
甲冑にくぐもった声を聞き、男は鍬を取り落とした。
「ま、魔物だ!」
「話を聞きたまえ」
男は村の中へ逃げ込んだ。
「黒い魔物が出たぞ!人の言葉を喋る!」
「待てっ、この美声に聞き覚えがあるだろう!」
ほどなく警鐘が鳴った。
村人たちが、鍬や斧、古い槍を手に集まってくる。
ルシアンは両手を広げた。
「落ち着きたまえ。君たちに危害を加える意思はない」
「近づくな!」
「僕だ。ルシアン・イモターレだ」
「ルシアンをどうした!」
「どうもしていない。僕がルシアンだ!」
「そいつを食ったのか!」
「食われていない。この中にいる!」
「やっぱり食われてるじゃねえか!」
「なぜそうなる!」
村人の一人が槍を突き出した。
穂先が胸部装甲へ当たり、甲高い音を立てて折れる。
続いて振り下ろされた斧も、刃が欠けた。
「やめたまえ! これは仮にも僕の身体だぞ!」
「魔物が怒った!」
「誰でも怒るだろう!」
ルシアンは反射的に腕を上げた。
目の前の男が顔を引きつらせる。
その瞬間、遺跡で壊した石壁と扉が脳裏をよぎった。
この腕で人間を殴ればどうなるか。
考えるまでもない。
ルシアンはゆっくりと腕を下ろした。
「だから、まず話を聞きたまえ」
「……待ちな」
人垣の後ろから、白髪の老婆が進み出た。
幼いころからイモターレ家へ出入りしていた、村の産婆である。
老婆は目を細め、ルシアンを見上げた。
「もう一度、名を言ってみな」
「ルシアン・イモターレだ。声を聞けば分かるだろう」
老婆は黙って耳を澄ませた。
外殻のせいで、声は少しくぐもっている。
それでも声音も、独特な抑揚も、芝居がかった話し方も、間違いなく本人のものだった。
「……本当にルシアン坊やかい」
「坊やはやめてくれ」
「本物だね」
老婆は確信を持って頷いた。
「この村で、そんな腹の立つ喋り方をするのは、あんただけだ」
「もう少し美しい根拠はないのか?」
村人たちがざわめき始める。
一人の男が、まだ疑わしそうに尋ねた。
「本当にルシアンなら、屋敷の裏の畑で何を育ててる?」
「芋だ」
「種類は?」
「知らない」
村人たちは顔を見合わせた。
「本物だ……」
「なぜ僕の無知が身分証明になる!」
◇
正体が認められたあと、ルシアンは村の鍛冶屋へ連れていかれた。
鍛冶屋は甲冑を叩き、削り、装甲の隙間へ工具を差し込もうとした。
金槌が欠けた。
鑿《のみ》が曲がった。
火で炙っても、黒い外殻の艶すら変わらない。
「恐ろしく頑丈だな」
「性能だけは素晴らしいだろう」
「自慢してる場合か」
鍛冶屋は甲冑の背面へ耳を当てた。
「中で指を動かしてみろ」
「こうか?」
ルシアンが指を曲げる。
装甲の内側から、微かな駆動音が伝わった。
鍛冶屋の表情が険しくなる。
「こいつは、普通の鎧じゃない」
「見れば分かる」
「中で、お前の身体と何かが繋がってる」
「何かとは?」
「分からん」
「君は先ほどから何も分かっていないな」
「分からんから、下手に触れないと言ってるんだ。無理に切れば、お前の身体まで切るかもしれん」
ルシアンは黙った。
甲冑の内側に刺さった、無数の針を思い出す。
「外せないのか?」
「俺には無理だ」
「では、誰なら外せる」
鍛冶屋は腕を組んだ。
しばらく考えたあと、村の中央にある小さな神殿へ目を向ける。
「神官に診てもらえ。呪いかもしれん」
「呪い……」
ルシアンは黒い両手を見下ろした。
「神官なら、元の姿へ戻せるのだな?」
「知らん」
「顔だけでも出せるか?」
「知らん」
「では、君は何を知っているんだ!」
鍛冶場に、少しくぐもったルシアンの美声が響き渡った。