僕の美しさが見せられない!   作:柿木杮

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第23話 鐘が鳴る前に

「センセイ、急げ!」

 

「急いでいるとも!」

 

 ポックの後ろを、ルシアンは駆けていた。

 

 石床が足元で震えている。

 

 右手では、巨大な大階段がゆっくりと向きを変え続けていた。

 

 それにつられるように、壁から突き出していた石橋も動く。

 

 橋の先端が、東側の回廊へ近づいていく。

 

「今だ!」

 

 ポックが橋へ飛び乗った。

 

 ルシアンも続く。

 

 橋はまだ動いていた。

 

 足元から低い振動が伝わってくる。

 

 ポックが走る。

 

 だが、十三歳の脚とルシアンの歩幅では、どうしても差が開いた。

 

「ポックン」

 

「なんだよ!」

 

「遅い」

 

「センセイがでかすぎるんだよ!」

 

 橋の向こう側が近づく。

 

 同時に、こちら側は少しずつ離れ始めていた。

 

 ルシアンはポックへ追いつくと、その身体を横から抱え上げた。

 

「うわっ!」

 

「少し失礼するよ」

 

「先に言えよ!」

 

 ポックを脇に抱えたまま、ルシアンは走った。

 

 黒い脚が石橋を蹴る。

 

 一歩ごとに重い音が響いた。

 

「揺れる! 揺れるって!」

 

「我慢したまえ!」

 

「絶対に落とさないでくれよ!」

 

「心配するな、君は亀よりずっと軽い!」

 

 最後の一歩。

 

 ルシアンが東回廊へ飛び移った。

 

 その直後、背後で石橋が離れていく。

 

 ずずずず、と音を立てながら、今まで渡ってきた道が別の壁へ向かっていった。

 

「間に合ったな」

 

 ルシアンはポックを床へ下ろした。

 

 ポックは乱れた上着を直しながら、橋を睨んだ。

 

「落ちたらどうするつもりだったんだよ」

 

「僕は無事だろう」

 

「おれがいるんだよ!」

 

「だから抱えたのだが?」

 

 ポックが口を閉じた。

 

「……それもそうか」

 

「珍しく素直だね」

 

「センセイが珍しく考えて動いたからな」

 

「僕は常に考えているとも」

 

「その割には失敗しまくってないか?」

 

「昔の失敗をいつまでも持ち出すものではないよ」

 

     ◇

 

 東回廊は、中庭よりずっと狭かった。

 

 片側には背の高い石壁。

 

 反対側には腰ほどの欄干があり、その向こうは吹き抜けになっている。

 

 下を覗けば、先ほど通った中庭が小さく見えた。

 

「結構高いな」

 

 ポックがすぐに欄干から離れ、地図を開いた。

 

「今いるのが東回廊。たぶん、この辺」

 

「たぶん?」

 

「さっき道が動いただろ」

 

 地図には何本もの線が引かれ、その脇に鐘の印や矢印が書き込まれている。

 

 さらに前の持ち主が残したらしい書き込みまで重なり、ルシアンにはひどく見づらい。

 

「美しくない地図だな」

 

「役に立てばいいんだよ」

 

「美しさと実用性は両立できる」

 

「センセイが描いたら、余白に自画像描くだろ」

 

「必要だろう?僕は、描く絵も美しいんだ」

 

「必要ないよ」

 

 ポックが地図へ顔を寄せた。

 

「この先に小広間がある。そこまで行けば、次の動きを待てる」

 

「では行こう」

 

「待って」

 

 ポックの声が低くなった。

 

 ルシアンも足を止める。

 

「どうした?」

 

「音がする」

 

 耳を澄ませる。

 

 かり。

 

 かりかり。

 

 石を引っ掻くような音。

 

 だが、前方には何もいない。

 

「上だ」

 

 ポックが言った。

 

 ルシアンが見上げる。

 

 灰色の獣が、壁へ張りついていた。

 

「ほう」

 

 狼ほどの大きさ。

 

 胴は細く、四本の脚は長い。

 

 指先だけが妙に幅広く、垂直な石壁へ吸いつくように身体を支えている。

 

 さらに一匹。

 

 その上にもう一匹。

 

 三匹。

 

「石走りだ」

 

 ポックが短刀へ手をかけた。

 

「ポックン、あれはどんな魔物なんだね?」

 

「俺も情報しか知らないからなぁ。壁を走る犬型の魔物らしいけど」

 

 その直後。

 

 回廊の奥にある石壁の一部が、低い音を立ててずれた。

 

 隙間の向こうから、灰色の影が二つ現れる。

 

 ポックが地図を見た。

 

「……増えた」

 

「五匹だね」

 

「隣とつながったんだ!」

 

「昨日買ったばかりの地図ではなかったかね」

 

「地図が古くなったんじゃない。城が変わったんだよ!」

 

 一匹目が壁を蹴った。

 

 真横からルシアンへ飛びかかる。

 

 黒い腕で受け止める。

 

 爪が外殻を擦った。

 

《外殻への接触を検出》

 

《外殻損傷なし》

 

「軽いな」

 

「センセイ、左!」

 

 二匹目が低い位置を走る。

 

 狙っているのはルシアンではない。

 

 その脇にいるポックだ。

 

 ルシアンが身体をずらした。

 

 黒い巨体が回廊を塞ぐ。

 

 石走りが胸へぶつかり、弾かれた。

 

「よし!」

 

「褒めるならもう少し――」

 

「上!」

 

「忙しいな!」

 

 天井から三匹目が落ちてきた。

 

 ルシアンは両腕を上げた。

 

 石走りが兜へ着地する。

 

 爪が頭部装甲を掻いた。

 

「僕の頭を足場にするな!」

 

 腕を伸ばす。

 

 だが石走りは先に壁へ飛び移った。

 

「すばしっこいぞ」

 

「だから石走りなんだよ!」

 

「名前に説明を任せすぎではないかね!」

 

 五匹が壁と天井を走る。

 

 ルシアンへ襲いかかっては離れ、隙を見てポックへ向かう。

 

 ルシアンには傷一つつかない。

 

 だが、捕まえられない。

 

「ポックン!」

 

「待って!」

 

 ポックは戦いながら、地図を見ていた。

 

「こんなときに何を」

 

「こんなときだからだよ!」

 

 一匹が欄干の上を走った。

 

 ポックが身を低くする。

 

 爪が頭のすぐ上を通り過ぎた。

 

「ポックン!」

 

「大丈夫!」

 

 ルシアンが踏み出す。

 

「来るな! そこにいろ!」

 

「なぜだね!」

 

「その辺に集めろ!」

 

 ポックが指したのは、回廊の壁際だった。

 

 何の変哲もない石壁。

 

「何をするつもりだ?」

 

「いいから!」

 

 石走りが再びルシアンへ飛びかかる。

 

 一匹。

 

 二匹。

 

 ルシアンは腕で受ける。

 

 反撃はせず、ポックから離れない。

 

「あと少し!」

 

「何がだね!」

 

「たぶん、そこが動く!」

 

「たぶん!?」

 

「地図にそう書いてある!」

 

「君は先ほど地図を信用するなと言ったばかりでは――」

 

「今は信じろ!」

 

「どちらなんだ!」

 

 ごおん。

 

 鐘が鳴った。

 

「センセイ、下がれ!」

 

 ルシアンは即座に後ろへ下がった。

 

 石走りが二匹、壁へ飛びつく。

 

 次の瞬間。

 

 壁が動いた。

 

 石走りの足場になっていた石面が、横へ滑る。

 

 一匹が体勢を崩した。

 

 もう一匹とぶつかる。

 

 二匹まとめて床へ落ちた。

 

「今!」

 

「ふんっ」

 

 ルシアンが両腕を伸ばす。

 

 一匹ずつ掴んだ。

 

「捕まえたぞ」

 

「離すな!」

 

「今度は商品価値を気にしなくてよいのかね」

 

「石走りの皮は売れる! 潰すなよ!」

 

「まったく君らしい」

 

 残った三匹は、仲間が捕まったのを見ると一斉に壁を駆け上がった。

 

 高い位置まで登り、そのまま開いた別の通路へ消えていく。

 

 ルシアンは両手の石走りを見た。

 

 暴れている。

 

「これをどうすればよい」

 

「首を押さえて」

 

「こうか?」

 

「もっと急所が見えるようにして」

 

「注文が細かい!」

 

     ◇

 

 二匹を仕留め、使える部位だけを袋へ収める。

 

 ポックは早速、地図の余白へ何かを書き込んでいた。

 

「何を書いているのだね」

 

「二鐘のあと、東回廊北側がつながった。石走りが最低五匹」

 

「次に来たときも同じとは限らないのだろう?」

 

「何の情報もないよりはいいだろ」

 

「役に立つのか?」

 

「役に立つかもしれない」

 

 ポックは炭筆をしまった。

 

「親父も、こうやって手帳を書いてたんだと思う」

 

 それだけ言って、歩き出す。

 

 ルシアンも後に続いた。

 

     ◇

 

 しばらく進むと、前方から三人の冒険者が走ってきた。

 

「そっち行くなら気をつけろ!」

 

 先頭の男が叫んだ。

 

「次の三鐘で、先の床が開く!」

 

「どの辺?」

 

「青い柱の先!」

 

「分かった!」

 

 ポックが返す。

 

 三人はそのまま走り去った。

 

「親切なものだね」

 

「ここでは知ってることを黙ってても得しないからな」

 

「君なら情報料を取るのかと思っていた」

 

「命に関わることまで売らないよ」

 

「そうか」

 

 ルシアンは短く答えた。

 

 少し進む。

 

 青い石を埋め込んだ柱が見えた。

 

「ここから先だな」

 

 ポックが足を止める。

 

「三鐘を待とう」

 

「了解した」

 

 ルシアンも止まった。

 

 ポックは地図を開く。

 

「三鐘のあと、この床が下がるなら……たぶん、こっちの橋がつながる」

 

「また、たぶんかね」

 

「転輪城で絶対はないって、入口のおっちゃんも言ってただろ」

 

「面倒な場所だな」

 

 そのときだった。

 

 耳ではない。

 

 頭の内側へ、突然意味が流れ込んできた。

 

《第三経路・切替準備》

 

 ルシアンは顔を上げた。

 

《保全従事者は移動部より退避》

 

「ポックン」

 

「待って。今見てる」

 

「動くぞ」

 

「え?」

 

「そこの橋だ」

 

 ルシアンが右手を指した。

 

 細い石橋。

 

 今は何にもつながっていない。

 

「なんで分かる?」

 

「甲冑が――」

 

 ごおん。

 

 一度。

 

 ポックが顔を上げる。

 

 ごおん。

 

 二度。

 

「まだ二鐘だぞ」

 

「三度来る」

 

「センセイ?」

 

 ごおん。

 

 三度目。

 

 直後。

 

 石橋が動いた。

 

 壁の中へ半分埋まっていた基部がせり出し、橋全体がゆっくりと横へ向きを変えていく。

 

 ポックは橋と、ルシアンを交互に見た。

 

「……鐘が鳴る前に分かったのか?」

 

「ああ」

 

「何て言われた?」

 

「第三経路を切り替えるから、動くところから離れろ、と」

 

「第三経路……」

 

 ポックが呟く。

 

 橋が完全に動ききった。

 

 今まで隠れていた壁面が現れる。

 

 その一角だけ、周囲の灰色の石とは色が違っていた。

 

 白い。

 

「センセイ」

 

「ああ」

 

 白い石の中央。

 

 円。

 

 その中に、三本の短い線。

 

 鐘鳴り坑道でも。

 

 沈み庭でも見た印だった。

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