僕の美しさが見せられない!   作:柿木杮

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第24話 盾殻猪

 東回廊へ入ってから、ポックは三度地図を開いた。

 

「今いるのが、たぶんここ」

 

 指先が、地図に描かれた細長い回廊をたどる。

 

「たぶん?」

 

「さっき動いたばっかりだからな。向こうの中庭が見えれば、もう少し分かるんだけど」

 

 東回廊は、城壁の内側を通る幅広い石造りの道だった。

 

 片側には背の高い窓が並び、もう片側にはいくつもの通路が口を開けている。

 

 そのうち一つは、途中まで階段が続いているのに、上には天井しかない。

 

「ずいぶん不親切な造りだね」

 

「動きの法則が読めれば、もっと進みやすいんだけどな」

 

「予想外というのも魅力の一つ、というわけだね」

 

 ルシアンは先ほど渡ってきた方角を振り返った。

 

 もう中庭は見えない。

 

 巨大な石壁が、何事もなかったように道を塞いでいる。

 

「帰り道もなくなったね」

 

「別の道が開くよ」

 

 ポックは地図へ小さく線を書き足した。

 

「たぶん」

 

「急に自信がなくなったな」

 

「初めて来たんだから仕方ないだろ」

 

 そのときだった。

 

 回廊の奥から、重い音が響いた。

 

 どん。

 

 二人とも顔を上げる。

 

 少し遅れて、男の怒鳴り声。

 

「右へ流せ!」

 

 また、どん。

 

 今度は石を引っ掻く音まで聞こえた。

 

「戦ってるな」

 

 ポックが地図を畳んだ。

 

「見に行こう」

 

 二人は音のする方へ向かった。

 

     ◇

 

 回廊の先は、天井の高い広間へつながっていた。

 

 そこで四人の冒険者が、一頭の巨大な猪と戦っている。

 

 ルシアンは足を止めた。

 

「大きいな」

 

「盾殻猪だ」

 

 ポックもその場に止まる。

 

「知っているのかね、ポックン」

 

「本で見た。正面が硬いらしい」

 

 牛より一回り大きな身体。

 

 短く太い脚。

 

 鼻先から肩にかけて、灰褐色の分厚い甲殻が幾重にも重なっている。

 

 頭を下げれば、正面から見えるのはほとんど殻と牙だけだった。

 

 その巨体が石床を蹴った。

 

「来るぞ!」

 

 正面にいた男が、大盾を斜めに構える。

 

 盾殻猪がぶつかった。

 

 があん、と広間に音が響く。

 

 男はまともには受け止めない。

 

 身体を捻り、盾の面を滑らせるようにして猪の頭を横へ逸らした。

 

 横に控えていた槍使いが踏み込む。

 

 穂先が甲殻の切れ目を狙った。

 

 だが猪が身体を振る。

 

 槍は浅く脇腹を裂いただけで抜けた。

 

「下がって!」

 

 後方から少女の声が飛ぶ。

 

 杖の先から青白い光が走った。

 

 光の塊が盾殻猪の左側で弾ける。

 

 猪が顔を背けた。

 

 そこへ大盾の男がぶつかり、進路を変える。

 

「ほう」

 

 ルシアンは感心した。

 

「なかなか見事だね」

 

「ああ。たしかに、戦い慣れてるな。心配なさそうだ」

 

 後衛には、もう一人女がいた。

 

 杖を片手に持ち、大盾の男の動きを見ている。

 

 男の腕から血が流れると、すぐに淡い光が伸びた。

 

 傷が見る間に塞がっていく。

 

「手伝わなくていいのかね?」

 

「変に手を出しちゃいけないんだぜ、こういう場面は」

 

 ポックは四人の動きを見ていた。

 

 実際、押されてはいない。

 

 盾役が正面を受け流し。

 

 槍が横から狙い。

 

 少女の魔術が猪の向きを崩す。

 

 傷を負えば後ろの女が塞ぐ。

 

 少し時間はかかっても、倒せそうだった。

 

 ルシアンもその場に立ったまま、戦いを見ていた。

 

 盾殻猪が再び距離を取る。

 

 頭を低くした。

 

 そのとき。

 

 ごおん。

 

 低い鐘が一度、城内へ響いた。

 

「切り替わる!」

 

 大盾の男が叫んだ。

 

 四人がすぐに壁際から離れる。

 

 ルシアンたちの足元にも細かな振動が伝わってきた。

 

 広間の右側で、石壁が動き始める。

 

 ごごごごご――。

 

 開いていた通路が、少しずつ狭くなっていく。

 

 同時に盾殻猪が走った。

 

「くそっ!」

 

 大盾の男が前へ出る。

 

 先ほどと同じように受け流そうとした。

 

 だが床が動いた。

 

 男の右足がわずかに沈む。

 

 盾の角度が崩れた。

 

 猪が大盾を弾いた。

 

 男が横へ転がる。

 

「ガレス!」

 

 後ろの女が声を上げた。

 

 盾殻猪は止まらない。

 

 正面に残った二人の後衛へ向かって、そのまま突っ込んでいく。

 

 少女が杖を上げる。

 

 女も前へ出た。

 

 だが、右の通路はもう半分以上閉じている。

 

「センセイ」

 

「ああ」

 

 ルシアンは走った。

 

 盾殻猪と二人の間へ入る。

 

 直後。

 

 黒い巨体と灰褐色の巨体が、真正面からぶつかった。

 

 轟音が響いた。

 

 ルシアンの足が滑る。

 

 一歩。

 

 二歩。

 

 石床に黒い足跡が残った。

 

《外殻への衝撃を検出》

 

《外殻損傷なし》

 

 三歩目。

 

 止まった。

 

「ずいぶんと情熱的だね、君は」

 

 目の前で盾殻猪が鼻息を荒くする。

 

 分厚い頭部が、ルシアンの腹へ押しつけられていた。

 

 後ろから声がする。

 

「大丈夫!?」

 

「問題ないよ」

 

 ルシアンは両手を伸ばした。

 

 猪の牙の根元。

 

 正確には、その外側を覆う厚い甲殻を掴む。

 

 盾殻猪が頭を振った。

 

 黒い腕は離れない。

 

「少し落ち着きたまえ」

 

 力を込める。

 

 猪の頭がゆっくりと下がった。

 

 前脚が石床を掻く。

 

 巨体が左右へ暴れる。

 

 それでも動かない。

 

「押さえられるのかよ……!」

 

 起き上がった槍使いが目を見開いた。

 

 すぐに槍を構える。

 

「そのまま押さえててくれ!」

 

「承知した」

 

 槍使いが走り込んだ。

 

 猪の横へ回る。

 

 前脚の後ろ。

 

 甲殻の切れた胸の側面へ、穂先を当てる。

 

 一歩。

 

 深く踏み込んだ。

 

 槍が根元近くまで刺さった。

 

 盾殻猪が激しく跳ねる。

 

 ルシアンの腕へ衝撃が伝わった。

 

 それでも離さない。

 

 槍使いが武器を引き抜く。

 

 血が石床へ流れた。

 

 猪の脚から、急に力が抜ける。

 

 巨体が崩れた。

 

 ルシアンはその重さを受けながら、ゆっくりと床へ横たえた。

 

 しばらく鼻から荒い息が漏れていたが、それもやがて止まった。

 

 広間に、動き続ける城の低い振動だけが残った。

 

「センセイ、やるじゃん」

 

 ポックが駆け寄ってきた。

 

「受け止める包容力も僕の魅力だからね」

 

 ルシアンは胸を張った。

 

「どこか壊れてない?」

 

《外殻損傷なし》

 

「問題ないよ」

 

「ならいい」

 

 ポックはすぐに盾殻猪へ目を移した。

 

 ルシアンには、次に何を考えているのか分かった。

 

     ◇

 

「助かった」

 

 大盾の男が近づいてきた。

 

 四十には届かないくらいだろう。

 

 短く刈った髪に、左眉を横切る古い傷がある。

 

「ガレスだ」

 

「ルシアン・イモターレ。世界で最も美しい男だ」

 

 ガレスは一度、黒い甲虫のような頭部を見た。

 

「……ルシアンだな」

 

 槍使いもやってきた。

 

「見事な一突きだったよ」

 

 ルシアンが先に声をかける。

 

「俺はセヴ。さっきは本当に助かった。あそこまで止まってりゃ、外す方が難しい」

 

 後衛の二人も合流した。

 

 先ほど神術を使っていた女はミレア。

 

 もう一人はリネット。

 

 濃紺の外套を羽織った少女で、近くで見るとポックより二、三歳上に見える。

 

 戦いが終わっても杖を手放さず、少し誇らしげに立っていた。

 

「私は魔法学校に通ってるの」

 

 名乗ったあと、リネットは自分から付け加えた。

 

「今日はガレスたちと実地」

 

「学生なのか」

 

 ポックが少し意外そうに言った。

 

「何よ」

 

「別に」

 

「今、学生がダンジョンにいるの変だと思ったでしょ」

 

「思ってないよ」

 

「絶対思った」

 

「何で決めつけるんだよ」

 

「顔に出てるから」

 

「出てない」

 

「出てる」

 

「はいはい」

 

 ミレアが二人の間へ入る。

 

「リネット。助けてもらって最初にする話じゃないでしょう」

 

「分かってるって」

 

 リネットはポックを見た。

 

「……ありがと」

 

「おれ、何もしてないぞ」

 

 リネットの目がルシアンへ移る。

 

「あっちに言ったの」

 

「僕の名前はルシアンだよ」

 

「ルシアンも、ありがと」

 

「うむ」

 

 ルシアンは満足した。

 

 一方、ポックはすでに盾殻猪の前へしゃがみ込んでいた。

 

 牙を見る。

 

 甲殻を見る。

 

 槍の刺さった場所を確認する。

 

 ガレスがその姿を見た。

 

「素材が気になるか?」

 

「うん。この殻、持って帰るの?」

 

「そのつもりだ。ここまで来る途中で一頭見つけて、追ってた」

 

「じゃあ、これはそっちの獲物だな」

 

 ポックはあっさり言った。

 

「おれたちは途中からだし」

 

 ガレスが首を振る。

 

「いや。あそこで止めてもらわなきゃ、ミレアかリネットがやられてた」

 

「防護は張ってたわよ」

 

 ミレアが言った。

 

「無事だった保証にはならん」

 

「それはそうね」

 

 ガレスは少し考えた。

 

「牙一本と、殻を一枚持っていけ」

 

「いいの?」

 

「それでも少ないくらいだ」

 

 ポックが盾殻猪を見た。

 

「じゃあ、それで」

 

 即答だった。

 

「遠慮しないのね」

 

 ミレアが笑った。

 

「向こうがくれるって言ってるから」

 

「しっかりしてるわね」

 

「商人だし」

 

「商人?」

 

「今は兼業冒険者」

 

 ポックは答えながら、素材袋を取り出した。

 

 ミレアはしゃがみ込み、その手元を見る。

 

「それで、あの大きい人が相棒?」

 

「うん」

 

「センセイって呼んでたでしょう」

 

「そうだけど」

 

「変わった呼び方ね」

 

「最初にそう呼んだら、そのままになった」

 

 ポックは牙の根元を覗き込みながら答えた。

 

 ミレアがルシアンを見る。

 

 もう一度ポックを見る。

 

「ずいぶん気に入ってるのね」

 

 ポックの手が止まった。

 

「何が?」

 

「呼び方」

 

「別に」

 

「そう?」

 

「そうだよ」

 

 ポックは少し強めに素材袋を広げた。

 

 その横で、リネットが盾殻猪の甲殻を杖の先で叩いた。

 

「これ、高いの?」

 

「状態がよければ」

 

「どれくらい?」

 

「町と時期による」

 

「知らないんだ」

 

 ポックが顔を上げた。

 

「ここで時価のモンの値段を断言して信用できるか?」

 

「ふうん」

 

 リネットは少し考えた。

 

「それはそうね」

 

「分かればいい」

 

「何、その言い方」

 

「そっちが先だろ」

 

 ミレアが笑った。

 

 ガレスとセヴはすでに盾殻猪の解体を始めている。

 

 しばらくして、ガレスが手を止めた。

 

「お前たちは、この先どっちへ行く?」

 

「北」

 

 ポックが地図を取り出す。

 

「北塔の方へ行きたい」

 

「なら途中まで同じだ」

 

 ガレスが言った。

 

「俺たちも上へ向かう。風切羽を狙ってる」

 

 ポックの目が少し細くなった。

 

「入口で増えてるって聞いた」

 

「ああ。素材の値も上がってる」

 

「へえ」

 

「今、ちょっと嬉しそうだった」

 

 リネットが言った。

 

「そうだけど」

 

「否定しないんだ」

 

「値段が上がって嬉しくない商人はいないだろ」

 

「今は冒険者なんでしょ?」

 

「両方でいいだろ」

 

 ポックは地図を畳んだ。

 

 ガレスが笑う。

 

「初めてなら一緒に来い。次の切り替わりまでは俺たちの方が道を知ってる」

 

 ポックはルシアンを見た。

 

「センセイ」

 

「僕は構わないよ」

 

「じゃあ、頼む」

 

「決まりだな」

 

 盾殻猪の解体が終わるころには、先ほど動いていた壁も完全に止まっていた。

 

 広間の端には、入ってきたときにはなかった通路が一つ開いている。

 

 ガレスが盾を背負った。

 

「次の鐘までに一つ先へ行くぞ」

 

 四人が歩き出す。

 

 ポックもその後を追った。

 

 途中でリネットが振り返る。

 

「そっちじゃないわよ」

 

「分かってるよ」

 

「地図、逆さじゃない?」

 

「逆さじゃない!」

 

 ポックが地図を確認する。

 

 逆さではなかった。

 

 ルシアンはその後ろを歩きながら、少しだけ笑った。

 

 転輪城へ入ったときは二人だった。

 

 今は六人いる。

 

 悪くない。

 

 少なくとも、先ほどまでよりは賑やかだった。

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