僕の美しさが見せられない!   作:柿木杮

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第26話 地図にない道

 新しく開いた回廊は、拍子抜けするほど普通だった。

 

 灰色の石壁。

 

 ところどころ欠けた床。

 

 高い位置には細長い窓が並び、外から差し込む光が白く伸びている。

 

 転輪城の中で、これまで何度も見た造りだった。

 

「本当に地図にないのか?」

 

 ガレスが聞いた。

 

 ポックは歩きながら地図を見ている。

 

「ないよ。北塔の南側には壁があることになってる」

 

「昔の地図は?」

 

「昨日見せてもらったやつにもなかった」

 

「俺もここは初めてだな」

 

 セヴが壁へ手を触れた。

 

「二年くらい前から何度も来てるけど、こんな道は見た覚えがない」

 

「転輪城なら、今まで閉じてただけじゃない?」

 

 リネットが言った。

 

「それはある」

 

 ガレスはあっさり頷いた。

 

「全部の道を知ってる奴なんていないからな」

 

 ポックは地図の余白へ線を引いた。

 

「なら書いとこう」

 

「売るの?」

 

 リネットが横から覗く。

 

「使えるなら」

 

「商魂たくましいわね」

 

「道の情報は役に立つだろ」

 

「一度しか通ってない道は売らんほうがいいぞ」

 

 ガレスが前を向いたまま言った。

 

「次に来たときも開くとは限らん」

 

 ポックの筆が止まった。

 

「……そっか」

 

 書いた線の脇へ、小さく何かを書き足す。

 

「何て書いたの?」

 

「日付と確認できた回数だよ」

 

「そこはちゃんとしてるのね」

 

「金取って間違ってたら、次から買ってもらえないだろ」

 

 リネットは少し考えたあと、

 

「なるほど」

 

 とだけ言った。

 

 ルシアンは二人の後ろを歩いていた。

 

 道は緩やかに上っている。

 

 北塔も近づいているはずだった。

 

 だが一つ、妙なことがある。

 

「この道は動かないね」

 

 ルシアンが言った。

 

 ガレスが振り返る。

 

「今のところはな」

 

「そういう意味ではないのだよ」

 

 先ほどから城のどこかで、何度か低い石の音が響いている。

 

 遠くの橋が動き、窓の外では回廊の一部がゆっくり横へ滑っていた。

 

 それなのに、この道には振動すらほとんど伝わってこない。

 

 そのとき、甲冑の内側へ短い意味が流れ込んだ。

 

《北側経路は保全経路のため固定されています》

 

 ルシアンは少しだけ歩みを緩めた。

 

「ポックン」

 

「何?」

 

「この道は動かないらしい」

 

 ポックが地図から顔を上げた。

 

「甲冑が?」

 

「ああ」

 

「どれくらい?」

 

「そこまでは教えてくれない」

 

「じゃあ今のうちに進もう」

 

 それだけ言うと、ポックはまた歩き始めた。

 

 ガレスが黒い甲冑を見た。

 

「便利だな、それ」

 

「脱ぎ着が自由ならいうことはないのだがね」

 

 それ以上、誰も甲冑のことを聞かなかった。

 

     ◇

 

 回廊は長かった。

 

 それなのに分岐はほとんどない。

 

 一度だけ下へ続く階段があったが、途中で大きな石扉に塞がれていた。

 

 魔物も出なかった。

 

 壁に爪痕もない。

 

 床に血痕もない。

 

 冒険者が残した白墨の印さえ見当たらなかった。

 

「本当に誰も使ってないんだな」

 

 ポックが呟いた。

 

「地図にないからじゃない?」

 

 リネットが言う。

 

「それだけかな」

 

「ほかに何があるのよ」

 

 ポックは床を見た。

 

 薄く埃が積もっている。

 

 その上に残っているのは、今ついた六人分の足跡だけだった。

 

「誰も通らない道なら、こんなもんじゃないか?」

 

 セヴが言った。

 

「そうかも」

 

 ポックはそれ以上何も言わなかった。

 

 しばらく進むと、左側の壁が途切れた。

 

 外へ出られる。

 

 小さな露台だった。

 

「おお」

 

 セヴが先に出る。

 

 続いたポックが、思わず足を止めた。

 

 転輪城が一望できた。

 

 幾重にも重なった城壁。

 

 塔と塔を結ぶ石橋。

 

 中庭。

 

 屋根のない回廊。

 

 その向こうには、大きな湖が青く広がっている。

 

 高い位置から見ると、城が動いていることがよく分かった。

 

 遠くで一つの橋がゆっくり回転している。

 

 その下では巨大な階段が横へ滑り、別の塔へ接続しようとしていた。

 

 小さく見える冒険者たちが、その動きを待っている。

 

「すごいな」

 

 ポックが言った。

 

「上から見ると、余計に落ち着きのない城だね」

 

 ルシアンも露台へ出た。

 

「僕の屋敷には採用しないことにしよう」

 

 ガレスが荷物を下ろした。

 

「少し休むぞ。北塔まではもう近い」

 

 六人は露台の壁際へ腰を下ろした。

 

 ミレアが水袋を回し、セヴはさっそく干し肉を噛み始める。

 

 ポックも保存食を取り出した。

 

 その横で、リネットが杖を膝へ置いた。

 

 近くで見ると、濃い色の木に細い銀色の金具が何本も巻かれている。

 

 先端には半透明の青い石。

 

 ポックの視線に気づき、リネットが杖を抱え直した。

 

「何?」

 

「それ、学校の?」

 

「違う。私の」

 

「高そうだな」

 

「また値段?」

 

「商人なら気になるだろ」

 

「今は冒険者なんでしょ」

 

「冒険者になったら値段が気にならなくなるのか?」

 

「……ならないか」

 

 リネットは杖を見た。

 

「入学したときに買ってもらったの。ずっと使ってる」

 

「壊れたら?」

 

「直す」

 

「直せるの?」

 

「学校に工房があるから」

 

「へえ」

 

 ポックは干し肉を一口かじった。

 

「学校って、魔法だけ習うのか?」

 

「そんなわけないでしょ」

 

「読み書きとか?」

 

「それくらい入る前にできるわよ。術式、魔力制御、魔物学、薬草、古代語も少し」

 

 最後の一つに、ポックが反応した。

 

「古代語?」

 

「本当に少しよ。簡単な碑文を読むくらい」

 

 ルシアンが顔を向ける。

 

「僕より上手かもしれないね」

 

「センセイより下手な人探す方が難しいだろ」

 

「ポックン」

 

 リネットが二人を見比べた。

 

「そんなにひどいの?」

 

「美容器具だと思って今の鎧を着た」

 

 少し間があった。

 

「……古代語で?」

 

「ああ」

 

 リネットがルシアンを見る。

 

「何て書いてあったの?」

 

「細かな話は省くが、僕の解釈には多少の――」

 

「間違いがあった」

 

 ポックが言った。

 

「多少だ」

 

「脱げなくなるくらい?」

 

「結果だけを見て評価するのは公平ではないね」

 

 リネットは口元を押さえた。

 

「笑っているだろう」

 

「笑ってない」

 

「声が震えているよ」

 

「風よ」

 

「今、ほとんど吹いていないが」

 

 ポックも笑っていた。

 

 ルシアンは二人から顔を背け、湖を見ることにした。

 

「君はどうやって商売を覚えたの?」

 

 しばらくして、リネットが聞いた。

 

「親父」

 

「学校じゃないんだ」

 

「うん。荷馬車に乗ってるときとか、店とか。字も計算も親父に教わった」

 

「ふうん」

 

 リネットはそれ以上聞かなかった。

 

 ポックも何も付け加えなかった。

 

「そろそろ行くぞ」

 

 ガレスが立ち上がった。

 

 休憩は終わった。

 

     ◇

 

 北塔へ着いたのは、それからそれほど経たない頃だった。

 

 太い円塔の根元に、小さな広場がある。

 

 上へ向かう階段と、塔の内部へ入る大きな扉。

 

 さらに外周沿いに、細い回廊が伸びていた。

 

「俺たちはこっちだ」

 

 ガレスが外周の回廊を指す。

 

「風切羽の巣は上だ」

 

 ポックは塔を見上げた。

 

「おれたちは少し中を見てみる」

 

「北塔が目的だったのか?」

 

「探してるものがあるんだ」

 

 ガレスは一瞬だけポックを見たが、詳しく聞かなかった。

 

「分かった。ここから先は別だな」

 

「うん」

 

「帰りも転輪城の中だ。知らない道へ入りすぎるなよ」

 

「気をつける」

 

 セヴが手を上げた。

 

「また会ったら、今度はもっと楽な獲物にしようぜ」

 

「それは賛成だね」

 

 ルシアンが答える。

 

 ミレアも笑って手を振った。

 

 リネットは少し遅れて歩き出し、それからポックを振り返った。

 

「迷わないでよ」

 

「そっちこそな」

 

 リネットは鼻を鳴らし、三人を追っていった。

 

 やがて四人の姿が回廊の先へ消える。

 

 広場に残ったのは、ルシアンとポックだけになった。

 

「静かになったね」

 

「二人に戻っただけだろ」

 

「少し物足りなく感じるのだから、不思議なものだね」

 

 ポックは地図を広げた。

 

「まず塔の中を見るか」

 

「ああ」

 

 二人は大きな扉へ向かった。

 

 その途中。

 

 ポックが足を止めた。

 

「センセイ」

 

「何だね」

 

「これ」

 

 塔の壁を指す。

 

 古い装飾石が帯のように壁を一周している。

 

 植物の蔓。

 

 鳥。

 

 幾何学模様。

 

 その中に、小さな印が混じっていた。

 

 円。

 

 その内側に並ぶ、三本の短い線。

 

 ルシアンも止まった。

 

 鐘鳴り坑道。

 

 沈み庭。

 

 どちらにもあった印。

 

「見つけたね」

 

 黒い手を伸ばす。

 

 指先が印へ触れた。

 

 頭の内側へ、すぐに意味が流れ込んできた。

 

《保全従事者を確認》

 

 一拍。

 

《第三保全中継所・外周経路》

 

 ルシアンは動かなかった。

 

「センセイ?」

 

「ポックン」

 

「あった?」

 

「ああ」

 

 壁の奥で、小さな音がした。

 

 何かが動き始めている。

 

 ルシアンは印へ手を当てたまま答えた。

 

「どうやら、ここで間違いないらしい」

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