巨大な獅子が、転輪庫の前で身を低くした。
灰色のたてがみが大きく広がる。
四肢は太く、前脚だけでもポックの胴ほどありそうだった。石床を掴む爪は短剣より長い。
「でかいな、やれそうか?」
セヴが槍を構える。
「やれなきゃ死ぬだけだ」
ガレスは一歩前へ出て、大盾を下ろした。
「来るぞ」
城獅子が跳んだ。
転輪庫までの石橋は、まだ一直線につながっていない。
途中には円形の足場がいくつもあり、それぞれがずれた位置で止まっている。
だが獅子は構わなかった。
一つ目の足場へ着地。
すぐに次へ。
人間なら飛び越えることをためらう隙間を、二度の跳躍で越えてくる。
「下がれ!」
ガレスが盾を構えた。
城獅子が最後の足場を蹴った。
真正面から衝突する。
重い音。
「ぐっ!」
ガレスの身体が大盾ごと後ろへ押された。
一歩。
二歩。
セヴが横から槍を突き出す。
獅子は身体を捻り、槍を前脚で払いのけた。
太い爪が穂先をかすめる。
そのままガレスの盾へ爪を叩きつけた。
がんっ。
盾の表面に深い傷が走る。
「くそっ、速ぇ!」
セヴが距離を取った。
ポックは広間の端まで下がった。
その前へルシアンが立つ。
リネットが杖を振った。
「離れて!」
青白い光が城獅子の横で弾ける。
空気が強く押し出され、灰色のたてがみが大きく揺れた。
獅子が横へよろめく。
そこへセヴが踏み込む。
槍が肩口へ入った。
浅い。
だが血が飛んだ。
「通る!」
城獅子が振り返る。
セヴへ向かって前脚を振った。
ガレスが間へ盾を差し込む。
爪が盾を引っ掻いた。
直後。
獅子が口を大きく開いた。
「――!」
咆哮が広間を満たした。
ポックは、一瞬何が起こったのか分からなかった。
床が傾いた。
そう思った。
「うわっ!」
身体が勝手に左へ倒れる。
手をつく。
だが床は水平だった。
リネットも壁へ肩をぶつけている。
ガレスは盾を杖代わりにして片膝をつき、セヴは数歩よろめいた。
「何だ、これ……!」
ルシアンも大きく身体を傾けた。
《装着者平衡感覚の異常を検出》
《姿勢補正》
外殻が脚へ力を加える。
ルシアン自身の感覚では、身体は今にも横へ倒れそうだった。
それなのに黒い巨体だけが、不自然なほど真っ直ぐ立っている。
「これは……気持ちが悪いな!」
城獅子だけが動いた。
何事もなかったように石床を蹴る。
狙われたのはガレスだった。
「ガレス!」
ミレアが杖を上げる。
淡い光が男の前へ広がった。
同時にルシアンが横から入った。
城獅子の肩と黒い外殻がぶつかる。
ルシアンが半歩押される。
獅子も止まった。
「ほう」
ルシアンは城獅子の顔を間近に見た。
「亀よりは速そうだ」
獅子が牙を剥く。
ルシアンの肩へ噛みついた。
《外殻への圧迫を検出》
《外殻損傷なし》
「だが、噛み方は似ているね」
「センセイ、離れて!」
ポックの声に、ルシアンはすぐ横へ動いた。
青い光が通り過ぎる。
リネットの魔術が城獅子の胸へ直撃した。
巨体が二歩後退する。
「今!」
セヴの槍が脇腹へ入る。
今度は深い。
城獅子が吠えた。
「また来る!」
ポックは身構えた。
咆哮。
今度は分かっていても防げなかった。
身体が前へ倒れるような感覚。
ポックは地面へ膝をつく。
「くそ……!」
「ポックン!」
「大丈夫!」
顔を上げる。
城獅子は、やはり平然としていた。
動く城の中で暮らしているからなのか。
それとも、この魔物そのものの性質なのか。
分からない。
ただ一つ確かなのは、こちらだけがまともに立てなくなるということだった。
「ミレア!」
「やってる!」
ミレアの杖から淡い光が広がる。
ポックの頭の奥に残っていた揺れる感覚が少し弱くなった。
「助かった!」
「完全に回復させるには時間が足りない。食らうほど悪化するわ。気を付けて」
「十分!」
城獅子が再びガレスへ向かう。
爪。
盾。
牙。
また盾。
大きな身体に似合わず、動きが速い。
ガレスは防いでいるが、盾には傷が増えていく。
セヴが横から何度も牽制する。
リネットの魔術が逃げ道を潰す。
それでも決めきれない。
城獅子は攻撃を受けるたびに距離を取り、離れた足場へ跳んだ。
そこから再び飛び込んでくる。
「追えないな」
ポックが呟いた。
人には届かない距離を自由に行き来できる分、城獅子に地の利がある。
そのとき、足元で小さな振動がした。
ポックが下を見る。
三重の円。
外側の輪が、少しだけ動いている。
広間の向こう。
一つ目の円形足場も同じ方向へ回っていた。
「……これ」
ポックはしゃがみ込んだ。
床に刻まれた線を見る。
輪の上には、細い線が一本。
二つ目の輪にも一本。
三つ目にもある。
顔を上げる。
遠くの石橋。
それぞれの向きが、床の線と同じだった。
「ポックン?」
「ちょっと待って」
さっき見た古い文字。
『三輪重なる時』
「ガレス!」
「今忙しい!」
「次に鐘が鳴ったら、橋をよく見て!」
「何だって!?」
「いいから!」
城獅子がまた跳ぶ。
リネットが魔術を撃つ。
獅子は空中で身体を捻り、光をかすめながら着地した。
ルシアンが進路へ入る。
爪が胸部装甲を引っ掻く。
火花。
ルシアンは動かない。
今度は両腕で押そうとする。
だが城獅子はすぐに飛び退いた。
「捕まらないな」
「追わなくていい!」
ポックは床と橋を交互に見ていた。
今度はルシアンも従った。
広間の外から鐘が響く。
ごおん。
続いて、もう一度。
ごおん。
「来た!」
城全体が動き始める。
城獅子が一度距離を取った。
人間たちも足を止める。
一つ目の円形足場が回転する。
石橋がゆっくり向きを変える。
床の外輪も回る。
一本目の線が正面へ近づいた。
二つ目も。
三つ目も。
「やっぱり」
ポックが立ち上がった。
「橋だ!」
「何が?」
リネットが聞く。
「この床の輪。向こうの橋と同じだ!」
三本の線が、少しずつ近づいている。
ガレスも見た。
「三輪重なる時……」
「全部揃ったら、宝物庫まで道がつながる!」
最後の足場が動く。
ごごごごご。
巨大な石橋が、転輪庫の正面へ向きを変えていく。
城獅子はその途中の足場にいた。
やがて三本の線が重なった。
同時に。
がこん。
石橋が接続された。
六角広間から。
一つ目の足場。
二つ目。
三つ目。
その先の転輪庫まで。
一本の道になった。
「通れる!」
セヴが声を上げた。
「待って!」
ポックは止めた。
城獅子がこちらを向いている。
「まずあいつを倒す」
「当然だ」
ガレスが盾を構え直した。
「この道で吠えられたら、途中で落ちるぞ」
ポックは広間を見回した。
ここは広い。
足場も動いていない。
「こっちまで来させよう」
ルシアンが城獅子を見る。
「なるほど」
黒い巨体が、一歩前へ出た。
「センセイ」
「分かっているとも」
ルシアンは橋の入口まで歩いた。
城獅子と向き合う。
「さあ」
両腕を広げた。
「君の相手は僕だ」
獅子が牙を剥いた。
低く唸る。
そして走った。
一本道になった石橋を、猛烈な速度で駆けてくる。
「戻れ!」
ポックが叫ぶ。
ルシアンが後退する。
城獅子が橋を渡り切った。
六角広間へ入る。
「今だ!」
ガレスが横から入った。
大盾が城獅子の肩へぶつかる。
逃げ道が一つ塞がる。
反対側へリネット。
杖を振る。
青白い光が床すれすれを走った。
城獅子が避ける。
「セヴ、右!」
ポックが叫んだ。
「シッ!」
槍が突き出された。
穂先が前脚の付け根へ刺さる。
獅子が大きく身体を崩した。
だが倒れない。
爪がセヴへ飛ぶ。
淡い光が間へ入った。
ミレアの防護。
爪が光を砕く。
セヴはその間に下がった。
城獅子が口を開く。
「吠える!」
咆哮。
平衡感覚がひっくり返る。
全員がよろめいた。
だが今度は落ちる場所がない。
ポックは膝をついたまま叫んだ。
「センセイ、前!」
ルシアンだけが甲冑の補助で立っている。
「承知した!」
黒い巨体が城獅子へぶつかった。
獅子が一歩下がる。
ルシアンも一歩滑る。
だが離れない。
城獅子が横へ逃げようとする。
ガレスの盾がそこにあった。
反対へ向く。
リネットの光が弾ける。
残る一方向。
「セヴ!」
槍が走った。
城獅子の脇腹へ深く入る。
獅子が大きく身を捻った。
槍が抜ける。
血が飛ぶ。
頭が上がる。
口が開いた。
「リネット!」
「分かってる!」
杖の先に青白い光が集まっていた。
「ルシアン、どいて!」
ルシアンが横へ跳ぶ。
光が一直線に走った。
城獅子の開いた口元へぶつかる。
爆ぜた。
巨大な頭が大きく跳ね上がった。
身体が傾く。
一歩。
二歩。
前脚が崩れた。
そのまま灰色の巨体が石床へ倒れる。
しばらく尾が動いていた。
やがて、それも止まった。
誰もすぐには声を出さなかった。
セヴが槍を杖代わりにして息を吐く。
「……終わったか?」
ガレスが盾の陰から城獅子を確認する。
「ああ」
リネットは杖を下ろした。
「疲れた……」
ポックも床へ座り込んだ。
「おれ、ほとんど動いてないのに疲れた」
「頭は動かすのも立派な労働だよ、ポックン」
ルシアンが言った。
「センセイは平気か?」
「多少、世界が傾いて見える程度だね」
《平衡感覚、正常化中》
「それ平気って言わないだろ」
ミレアが笑った。
その向こう。
三つの石橋は、まだ一直線につながっている。
転輪庫の巨大な扉が、遠くに見えた。
ガレスが立ち上がる。
「三輪が揃ってるうちに行くぞ」
今度は誰も反対しなかった。
◇
六人は城獅子の死体を残し、石橋を渡った。
一つ。
二つ。
三つ。
転輪庫の前へ着く。
扉には鍵らしいものがなかった。
ガレスとセヴが両側へ手を掛ける。
ルシアンも中央へ手を添えた。
「押すぞ」
三人で力を込める。
古い扉が、ゆっくりと内側へ開いた。
暗闇。
やがて壁際の鉱石灯が、一つずつ光を取り戻していく。
箱。
武器。
磨かれた金属。
色とりどりの石。
見たことのない道具。
光が奥へ進むたび、その数が増えていった。
ポックが動かなくなった。
「ポックン?」
「……センセイ」
「何だね」
少年は宝物庫の中を見たまま答えた。
「おれ、冒険者になってよかったかもしれない」