村の神殿は、黒い甲冑を迎え入れるようには造られていなかった。
入口で肩の装甲がつかえた。
「少し狭いな」
「普通の人間なら、余裕をもって通れる」
後ろにいた鍛冶屋が言った。
「僕も普通の人間だ」
「今はそう見えん」
「見た目だけで人を判断するのは感心しないね」
ルシアンは身体を斜めにして、どうにか扉を通り抜けた。
木枠が嫌な音を立てたが、壊れてはいない。
《周辺構造物に軽微な圧迫》
「黙っていたまえ」
「誰と話してるんだ?」
「こちらの事情だ」
神殿の奥では、白い祭服をまとった老神官が待っていた。
父ヴァルシアンの葬儀を執り行った人物である。
老神官は黒い甲虫のような姿を見ても騒がず、ルシアンの声へ耳を傾けた。
「本当にルシアン殿なのですね」
「あなたまで疑っていたのか」
「昨日まで美しい青年だった方が、一晩で巨大な虫になれば、多少は」
「虫ではない。甲冑だ」
「失礼しました。巨大な甲冑になれば、多少は疑います」
「僕は甲冑にもなっていない。この中にいる」
言いながら、ルシアンは自分でも少し不安になった。
鍛冶屋は、この外殻と身体が何かで繋がっていると言った。
甲冑の内側では、今も無数の針が身体に接続されている。
痛みも違和感もない。
だからこそ、不気味だった。
「まずは、呪いの有無を調べましょう」
老神官は祭壇の前にルシアンを立たせた。
「じっとしていてください」
「僕はかつて、彫像のモデルを頼まれたこともある男だ。微動だにしないとも」
実際には、村の石工が冗談で言っただけだった。
老神官が両手を組み、祈りの言葉を唱える。
淡い光が指先へ集まり、ルシアンの胸部装甲へ触れた。
その瞬間、光は水へ落とした雫のように、黒い外殻全体へ広がった。
「おおっ」
ルシアンは驚いて一歩下がった。
床板が軋む。
「じっとしているのでは?」
「予想外の刺激に対応しただけだ」
光は頭部から指先、足先までを巡り、やがて消えた。
老神官は目を閉じたまま、しばらく黙っていた。
「どうだ?」
「もう一度、試します」
「一度では分からなかったのか」
「通常と異なる反応がありました」
「それを先に言いたまえ」
二度目の光も、同じように甲冑全体へ広がった。
今度は、外殻の内側を通して身体の奥まで温かさが届く。
《外部生体干渉を検出》
「騒ぐほどのことではない。診察だ」
甲冑はそれ以上の通知を返さなかった。
祈りを終えた老神官が、ゆっくりと目を開く。
「呪いの反応はありません」
ルシアンは首を傾げた。
「では、なぜ脱げない」
「それは分かりません」
「鍛冶屋と同じことを言わないでもらいたい」
「ただし、分かったこともあります」
老神官は、黒い腕へ慎重に手を触れた。
「神術は、人の身体と異物をある程度まで区別します。衣服や武器、身につけた鎧へ治癒の力を流すことはありません」
「当然だ。鎧の傷を治されても困る」
「しかし先ほどの術は、甲冑を避けませんでした」
「つまり?」
「神術は、この外殻をあなたの身体の一部として認識しています」
神殿の中が静かになった。
ルシアンは、自分の丸く太い腕を見下ろした。
「僕の身体が、このような黒く不格好な虫であるはずがない」
「私も外見については同意します」
「外見以外にも同意してくれ」
「ですが、術の反応は明確でした。外殻の内側にいるあなたと、この甲冑の境界を見つけられなかったのです」
老神官は言葉を選ぶように続ける。
「鍛冶師が無理に切れば危険だと言ったのは、正しい判断でしょう」
「どの程度、危険なのだ」
「分かりません」
「またか」
「最悪の場合、甲冑を切り離すことは、あなたの肉体を切り離すことと同じ結果になるかもしれません」
冗談を言っている顔ではなかった。
腕を切れば腕が傷つく。
背中を割れば背中が裂ける。
兜を外そうとすれば――。
ルシアンは考えるのをやめた。
「では、解呪の術は?」
「呪いではない以上、解呪は作用しないでしょう」
「呪いでない方が悪いではないか」
呪いなら、解けば終わる。
だがこれは、神術の上ではすでにルシアン自身だった。
「どうすればいい」
自分でも驚くほど低い声が出た。
老神官は祭壇脇の机へ向かい、紙と筆を取り出した。
「この村では、これ以上のことはできません。ラドメルへ行きなさい」
「ラドメル?」
「大きな神殿があります。それに、ダンジョンから持ち帰られた古代遺物を扱う鑑定所もある。村の遺跡で見つけた物なら、神官より鑑定士の方が詳しいかもしれません」
老神官は紹介状へ事情を書き記し、封をした。
「これを大神殿か、古代遺物鑑定所で見せてください」
老神官は紹介状のほかに、遺跡の石板の注意書きらしきものを書いた紙を渡してきた。
誰かが、鎧のあった場所で注意書きらしき古代語を炭で写し取ったようだ。
「鑑定士には、こちらも見せてください」
ルシアンが自分に都合よく読んだ内容も、専門家なら別の意味を見いだすかもしれないという。
「そこなら確実に外せるのだな?」
「確実とは言えません」
「何か分かる?」
「それも、確実には」
「せめて期待を持たせる言葉を選べないのか」
「神に仕える者が、根拠のない希望を語るわけにはいきません」
「むしろ得意分野ではないのか」
老神官は穏やかに笑った。
「ルシアン殿。今のところ、身体に異常はありません。呼吸も脈も安定しています」
「外見に重大な異常がある」
「そこは鑑定士へ相談してください」
◇
旅支度は、驚くほど早く終わった。
着替えは着られない。
香油も櫛も使えない。
雨具は必要なく、靴もすでに甲冑の中だった。
必要なのは紹介状と、衣装箪笥の奥に残っていた銅貨六枚だけ。
絶世の美男子の旅立ちとして、あまりにも華がなかった。
ルシアンは紹介状と銅貨を小さな革袋へ入れた。
だが腰へ結ぼうとしても、甲冑には紐を通す場所が見当たらない。
仕方なく手で持つ。
鏡の前を通り過ぎようとして、足を止めた。
昨日までなら、外出前には必ず身だしなみを確かめていた。
姿見に映っているのは、丸みを帯びた黒い甲虫だけである。
「……役に立たない鏡だ」
悪いのは鏡ではなかった。
それでも、そう言わずにはいられない。
ルシアンは屋敷を出た。
村からラドメルまでは、街道を歩いて半日ほど。
甲冑は疲れを抑えているらしく、歩き続けても脚は重くならなかった。
途中ですれ違った荷馬車は、ルシアンを見るなり道の端へ寄った。
御者は祈りの印を切り、荷台にいた子どもは泣いた。
「安心したまえ。僕は人間だ」
子どもはさらに大きな声で泣いた。
ルシアンはそれ以上の説明を諦めた。
◇
日が傾き始めたころ、ラドメルの城壁が見えた。
街道が交わる大きな町であり、入口には商人の荷馬車や旅人が列を作っている。
ルシアンが列の最後尾へ並ぶと、前にいた者たちが静かに場所を譲った。
「気遣いはありがたいが、順番は守りたまえ」
誰も返事をしない。
そのままルシアンは、ほとんど待つことなく門前へ到着した。
衛兵が槍を構える。
「止まれ」
「止まっている」
「何者だ」
「ルシアン・イモターレ。人間だ」
衛兵は頭から足先までを眺めた。
「兜を取れ」
「取れるなら、ここへは来ていない」
「顔を確認できない者は通せん」
「顔を確認できないことについて、最も被害を受けているのは僕だぞ」
「知るか」
紹介状を見せると、衛兵は封を開いて読み始めた。
何度かルシアンと手紙を見比べ、隣の衛兵へ相談する。
「……村の神官が、本人だと保証している」
「それで通していいのか?」
「少なくとも魔物なら紹介状は持ってこないだろう」
「僕を魔物かどうかという基準で審査するのはやめたまえ」
結局、町の中で騒ぎを起こさないことを条件に、入門を許された。
門をくぐった先には、村とは比べものにならない数の人々がいた。
商店。宿屋。露店。
剣や弓を背負った冒険者たち。
そして、黒い甲冑を見た無数の視線。
ルシアンが一歩進むたび、人の流れが左右へ割れていく。
「大きな町のわりに、住民の美的理解は遅れているようだな」
「……その声」
人混みの中から、少年の声がした。
ルシアンが振り向く。
大きな背負い袋を抱えた、小柄な少年が立っていた。
茶色い髪は無造作に切られ、服は擦り切れている。まだ幼さの残る顔に、年齢に似合わない警戒心が浮かんでいた。
少年は黒い甲冑を見上げ、眉を寄せる。
「その声と、妙に腹の立つ喋り方……」
「何だね、少年」
「ルシアンの兄ちゃんか?」
ルシアンは思わず胸を張った。
「この姿でも僕を見抜くとは。君には美を見る才能があるらしい」
「そんな喋り方する奴、ほかにいねえよ」
少年――ポック・トバルは、甲冑の周囲を一周した。
丸く膨らんだ胴体を見上げ、黒い腕を指先で軽く叩く。
硬い音が返った。
「それ、鎧なのか?」
「古代の甲冑らしい。村外れの遺跡で見つけた」
「なんで脱がないんだ?」
「脱げないから、はるばるラドメルまで来たのだよ」
「本当に?」
「村の鍛冶屋にも頼んだ。槌は欠け、鑿《のみ》は曲がり、火で炙っても傷一つつかなかった」
ポックの指が止まった。
「……槌が欠けた?」
「村人が突き出した槍も折れたな。斧の刃まで欠けた」
「中の兄ちゃんは?」
「当然、無傷だ。僕の美しさを守るという一点においては、恐ろしく優秀な装具らしい」
ポックはもう一度、黒い甲冑を見上げた。
今度は、その目つきが違っていた。
「他には?」
「ん、力が少々強くなったな。石の扉が少々脆いと感じる程度には」
「壊したのか」
「人聞きの悪いことをいうな。少しばかり豪快に開いただけだ」
「他にはなんかないの?」
「村からここまで歩いたが、疲れなかったな。だがポック、そんなことはどうでもいい。再会を喜ぶ前に、助けてくれ。この忌まわしい甲冑を――」
少年の目から、驚きが消えた。
「ポック?なあおい」
代わりに、商人の光が宿る。
「おい!ポック?おいってば!」
「よし」
ポックは力強く頷いた。
「稼げるぞ」
「ポック!」