僕の美しさが見せられない!   作:柿木杮

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第32話 噂のセンセイ

「右!」

 

 ポックの声が飛んだ。

 

 ルシアンは振り返らず、一歩だけ右へずれる。

 

 直後、細長い影がその脇を抜けた。

 

 人の腰ほどもある大きなトカゲだった。

 

 四本の脚を広げ、岩壁から岩壁へ飛び移る。前脚と後脚の間には薄い皮膜が張られ、空中を滑るように進んでいた。

 

 着地する前に、ポックが投索器を向ける。

 

 左右の射出管が開いた。

 

 乾いた音が三つ、ほとんど重なって響く。

 

 二つの錘が左右へ広がり、その間を案内子が真っ直ぐ走った。

 

 トカゲの胴を左右の錘が通り過ぎる。

 

 索が腹へ当たり、そのまま身体へ巻きついた。

 

「かかった!」

 

 着地したトカゲが走り出す。

 

 巻胴から縄が勢いよく引き出された。

 

 ポックの身体が前へ持っていかれる。

 

 だが、もう以前のように慌てて踏ん張ることはなかった。

 

「センセイ!」

 

「ああ」

 

 ルシアンがポックの後ろへ伸びている縄を掴んだ。

 

 ぴん、と張る。

 

 黒い巨体が、その場で止まった。

 

 走っていたトカゲの身体が横へ振られ、脚をもつれさせて石床を転がる。

 

 ポックがすぐに巻き上げを作動させた。

 

 弛んだ縄が巻き取られていく。

 

「今!」

 

 ルシアンが踏み込んだ。

 

 起き上がろうとしたトカゲの背へ、黒い両手を置く。

 

 押さえる。

 

 それだけで、トカゲの身体は石床へ縫いつけられたように動かなくなった。

 

 四本の脚が激しく床を引っ掻く。

 

「終わったかな?」

 

「まだ」

 

 ポックが近づいた。

 

 腰から短刀を抜き、前脚の付け根を探る。

 

 鱗の薄い場所へ刃を差し込んだ。

 

 しばらくして、トカゲの脚から力が抜けた。

 

「よし」

 

 ポックが息を吐く。

 

 ルシアンも手を離した。

 

「ずいぶん滑らかになったではないか」

 

「何が?」

 

「僕たちの連携だよ」

 

「八か月もやってりゃな」

 

 ポックはしゃがみ込み、絡んだ索を解き始めた。

 

 ルシアンの動きが止まる。

 

「……もう八か月か」

 

 ポックは錘を一つ拾った。

 

「センセイ、そっち」

 

「ああ」

 

 もう片方を拾って渡す。

 

 左右の射出管へ錘を収め、中央には案内子を戻す。

 

 最後に射出管を畳み、留め金を掛ける。

 

 最初は二人がかりでも手間取っていた作業だった。

 

 今では、会話をしながらでも終わる。

 

「これ、毎回センセイに持ってもらうの面倒だな」

 

 ポックが縄を巻き取りながら言った。

 

「ようやく気づいたかね」

 

「前から思ってたよ」

 

 ポックはルシアンの背負子を見る。

 

 上部には、沈み庭へ行く前に付けさせた鉄輪が残っていた。

 

「ここにすぐ繋げられるようにできればな」

 

「僕としては、君自身が飛ばされない方が望ましいのだが」

 

「相手によるよ」

 

 ポックは足元のトカゲを見た。

 

「こいつならまだいいけど、もっとでかいのに撃ったら、おれが先に飛ぶ」

 

「そのときは、僕へ繋いでから撃ちたまえ」

 

「だから、それを簡単にしたいんだよ」

 

「なるほど」

 

 ルシアンは鉄輪へ目を向けた。

 

「では、次に町へ着いたら加工できる者を探そう」

 

「そうする」

 

 それだけ決めて、ポックは素材袋を取り出した。

 

     ◇

 

 転輪城を出てから、八か月が過ぎていた。

 

 二人はその間ずっと、第四保全区を探し続けている。

 

 ただ、探しているだけでは旅は続かない。

 

 宿代がいる。

 

 食料がいる。

 

 道具も壊れる。

 

 移動するだけでも金は減る。

 

 だから町へ着けば仕事を探した。

 

 採取。

 

 護衛。

 

 討伐。

 

 そしてダンジョン。

 

 春先には、石切場の奥へ続く洞穴へ潜った。

 

 天井から落ちてくる石喰い虫をルシアンが受け止め、ポックがとどめを刺した。

 

 持ち帰る部位を選んだのもポックだった。

 

 初夏には、森の地下にある古い迷宮へ入った。

 

 三日目に出口へ戻ったとき、ポックは二度と来ないと言った。

 

 一月後には、別の入口から同じ迷宮へ入っていた。

 

 前回持ち帰った青苔が、思ったより高く売れたからである。

 

 湖沿いの洞窟では、投索器を使って長腕猿を捕らえた。

 

 最初の一発は外した。

 

 二発目は木へ絡んだ。

 

 三発目でようやく猿へ巻きついたが、そのままポックが数歩引きずられた。

 

 それからルシアンが縄を支えるようになった。

 

 そんなことを繰り返した。

 

 潜った。

 

 戦った。

 

 売った。

 

 そのたびに地図も探した。

 

 だが、第三保全中継所から持ち帰った図と一致する場所は、まだ見つかっていなかった。

 

     ◇

 

「そこの黒いの」

 

 ダンジョンの受付所へ戻ったところで声をかけられた。

 

 ルシアンが振り返る。

 

 革鎧を着た若い冒険者が、こちらを見ていた。

 

「僕のことかね?」

 

「ああ。あんた、転輪城の――」

 

 男は途中でポックへ目を移した。

 

「あ、そっちもいる」

 

「そっちって何だよ」

 

「いや、ほら。転輪庫を見つけた二人だろ?」

 

「六人だよ」

 

 ポックは素材袋を受付台へ載せた。

 

 中には、先ほど倒した滑空トカゲの皮膜と爪が入っている。

 

 若い男がルシアンを見上げた。

 

「じゃあ、城獅子と戦ったってのも本当なんだ」

 

「ああ」

 

「黒い甲冑が押さえ込んで、他の連中が仕留めたって聞いた」

 

 ポックが少しだけ眉を上げた。

 

「思ったよりちゃんと伝わってるんだな」

 

「何だよ」

 

「もっと変な話になってるかと思った」

 

 男が笑う。

 

「変なのもあるぞ。転輪城から宝を山ほど背負って帰ったとか」

 

「それは、まあ……」

 

 ポックがルシアンを見る。

 

 男も見る。

 

 背負子。

 

 太い鉄輪。

 

 何本もの固定用の革帯。

 

 今も素材袋が二つ括りつけられている。

 

「……本当なのか?」

 

「山ほどという表現が、どの程度を指すかによるね」

 

 ルシアンが胸を張った。

 

「少なくとも、僕がいなければ半分も持ち帰れなかったそうだよ」

 

「センセイ、それ自分で言うんだ」

 

「事実だからね」

 

 若い冒険者は笑った。

 

「噂よりすげえな」

 

 ポックは受付係へ向き直った。

 

「これ、査定お願い」

 

「ああ」

 

 受付の男が袋を引き寄せる。

 

「皮膜は破れてないな。爪も三本か」

 

「右の二本は根元まである」

 

「分かった。少し待ってくれ」

 

 横で若い冒険者が、まだルシアンを見ていた。

 

「……黒甲冑って、本当にずっとそのままなんだな」

 

「どういう意味かね」

 

「飯とか寝るときとか」

 

「僕にもいろいろ事情があるのだよ」

 

「へえ」

 

 男はそれ以上追及せず、仲間のところへ戻っていった。

 

 八か月も旅をしていれば、こういうことが増えた。

 

 初めて見る人間が逃げることは、以前より少ない。

 

 代わりに、どこかで聞いた話を持って近づいてくる。

 

 ルシアン本人より先に、黒い甲冑の話だけが町へ着いていることもあった。

 

     ◇

 

 素材を売ったあと、ポックは組合の二階へ上がった。

 

 目的は討伐記録ではない。

 

 古い地図だった。

 

「またか」

 

 資料係の老人が、棚の前で言った。

 

「また」

 

「先月も来ただろう」

 

「先月見たのは新しい方」

 

「百年前の地図を新しいと言う奴は、お前くらいだ」

 

 老人は呆れながら椅子へ座った。

 

 ポックは第三保全中継所から持ち帰った板を机へ置く。

 

 線と図形だけが刻まれている。

 

 三つ並んだ山。

 

 細長い水域。

 

 曲がりくねった太い線。

 

「これより古い地図、まだない?」

 

「ここにはない」

 

「街道が変わる前のやつでもいい」

 

「それも見せただろ」

 

 老人は板を覗き込んだ。

 

「そもそも、これが川なのか?」

 

「たぶん」

 

「たぶんで八か月探してるのか」

 

「だから見つからないんだよ」

 

「もっと分かりやすい地図を持ってくればいい」

 

「あるなら持ってきてる」

 

 老人が鼻を鳴らした。

 

 ルシアンは少し離れた壁際に立っていた。

 

「古代人には、地名を書くという発想がなかったのかね」

 

「書いてあっても読めないだろ」

 

 ポックが言う。

 

「僕なら多少は読める」

 

「最初に鎧の説明を間違えて読んだ人が言う?」

 

「過去の失敗だけで人を評価するものではないよ」

 

 老人が二人を見て笑った。

 

「その鎧、古代物なのか?」

 

「まあね」

 

 ポックが板を引き寄せる。

 

「だから、できるだけ古い地図を探してる」

 

 老人はしばらく黙っていた。

 

 それから、もう一度板へ目を落とした。

 

「三つ山……」

 

「何か知ってる?」

 

「この辺じゃない」

 

 老人は立ち上がり、棚の上段から大きな地方図を引き抜いた。

 

 机へ広げる。

 

「もっと西へ行け」

 

 太い指が街道をたどった。

 

 今いる町から西へ。

 

 二つの宿場を越えた先に、大きな町の印がある。

 

「オルディナだ」

 

「聞いたことないな」

 

「古い町だからな。今じゃ街道の中心でもない」

 

「古い地図は?」

 

「領主館に戦前の記録が残ってる。教会にも古文書庫があるはずだ」

 

 ポックが顔を上げた。

 

「見せてもらえる?」

 

「俺に聞くな。頼んでみろ」

 

「行って駄目なら困るな」

 

「じゃあ行くな」

 

「行くよ」

 

 ポックはもう地方図を見ていた。

 

 老人が笑う。

 

「そう言うと思った」

 

 その指が、オルディナからさらに西へ滑った。

 

「ついでに、この辺も見てこい」

 

 三つの小さな山の印。

 

 その南側には、細長い湖が描かれている。

 

 ポックの目が止まった。

 

「……センセイ」

 

「ああ」

 

 ルシアンも机へ近づいた。

 

 第三保全中継所から持ち帰った板。

 

 地方図。

 

 二つを並べる。

 

 完全には一致しない。

 

 太い線の曲がり方が違う。

 

 集落の位置も合わない。

 

 八か月の間にも、似た場所はいくつか見つけた。

 

 行ってみれば、どれも違った。

 

 それでも。

 

「今までで一番近いな」

 

 ポックが呟いた。

 

「そう見えるね」

 

 老人が二人の顔を交互に見る。

 

「探してる場所か?」

 

「まだ分かんない」

 

 ポックはすぐに答えた。

 

「でも、調べる」

 

 地方図の位置を自分の地図へ書き写す。

 

 町の名。

 

 街道。

 

 三つの山。

 

 南の湖。

 

「明日出る?」

 

 ルシアンが尋ねた。

 

「そのつもり」

 

「今日は?」

 

「宿探して、食料買って、さっきの金受け取る。縄も替えたい」

 

「忙しいな」

 

「いつもだろ」

 

 ルシアンは少し考えた。

 

「では、金具の加工も今日のうちに頼めるか探そう」

 

 ポックが顔を上げる。

 

「ああ。それもあったな」

 

 八か月探して、ようやく見つけた。

 

 二人は、西へ向かうことにした。

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