僕の美しさが見せられない!   作:柿木杮

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第33話 声を聞けば

 オルディナへ着いたのは、町を出てから四日目の午後だった。

 

 入場門は、長い歳月を風雪に耐えてきた凄みを感じさせる、歴史ある佇まいだった。

 

 灰色の石を積んだ城壁には補修の跡がいくつもあり、門柱の上に刻まれた紋章も角が削れている。

 

 町の中へ入っても、新しい建物より古い石造りの家の方が多かった。

 

 街路は緩やかに曲がりながら坂を上り、その途中から細い路地が何本も枝分かれしている。

 

 ポックは歩きながら町図を何度か確かめていた。

 

「この道、地図にないな」

 

 紙へ一本、線を書き足す。

 

 それからしばらく進んだところで、ルシアンの足が遅くなった。

 

 右手の路地を見る。

 

 少し進んでは、またそちらを見る。

 

「センセイ、どうかしたか?」

 

「ああ……」

 

 ルシアンは坂の上へ目を向けた。

 

「姉上が、この町に住んでいる」

 

 ポックが地図から顔を上げた。

 

「そうなのか?」

 

「以前、手紙に住所が書いてあった。まだ変わっていなければ、この辺りのはずだ」

 

「じゃあ行こうぜ」

 

「……うむ」

 

 返事のわりに、ルシアンの歩みは速くならなかった。

 

 ポックは少しだけ横目で見たが、何も言わなかった。

 

     ◇

 

 イモターレ家の長女エリシアーヌの嫁いだ家は、町の西側にあった。

 

 大通りから一本入った静かな場所だった。

 

 低い石壁に囲まれた小さな庭。

 

 古いが、きれいに手入れされた二階建ての家。

 

 門の脇には白い花が咲いている。

 

 ルシアンは門の前で立ち止まった。

 

 ポックも隣で止まる。

 

 門の向こうには誰もいない。

 

「ここ?」

 

「ああ」

 

 ルシアンは答えた。

 

 それきりだった。

 

 門へ手を伸ばす様子もない。

 

 ポックはしばらく待ってから、家を見た。

 

「おれが呼んでこようか?」

 

「いや」

 

 ルシアンが門の金具へ手を伸ばしかけた。

 

 そのとき、庭の向こうで玄関の扉が開いた。

 

 籠を持った女性が出てくる。

 

 淡い栗色の髪を後ろでまとめ、落ち着いた色の長衣を着ていた。

 

 門の前に立つ黒い巨体を見て、足を止める。

 

 ルシアンも動かなかった。

 

「姉上」

 

 兜越しの声が、静かな通りへ響いた。

 

 女性の表情が変わった。

 

「まあ」

 

 籠を置き、すぐにこちらへ歩いてくる。

 

「ルシアン」

 

 門が開いた。

 

 エリシアーヌは迷いなく黒い甲冑の前まで来た。

 

 しばらく見上げる。

 

 頭部。

 

 胸。

 

 腕。

 

 背中の荷物。

 

「本当に大きいのね」

 

「姉上」

 

「手紙を読んでも、どんなものか想像できなかったの」

 

 エリシアーヌは腕の装甲へそっと触れた。

 

 黒い表面を指先でなぞる。

 

「痛くない?」

 

「今はまったく」

 

「そう」

 

 それだけ聞くと、張っていた表情が少し緩んだ。

 

 ルシアンは、そんな姉を見下ろしていた。

 

「……よく僕だと分かりましたね」

 

 エリシアーヌが不思議そうに見上げる。

 

「声でわかるわ」

 

 あまりにも簡単に言われた。

 

「ルシアンの声でしょう?」

 

 ルシアンは黙った。

 

 エリシアーヌは、もう甲冑の形を確かめてはいなかった。

 

 そこに弟が立っていることを疑っていない。

 

 やがて彼女の目が、隣にいたポックへ向いた。

 

「あなたがポックね」

 

 ポックが少し姿勢を正した。

 

「はい。ポック・トバルです」

 

「エリシアーヌです。弟がお世話になっています」

 

「いや、おれもかなり世話になってるから」

 

「ポックン」

 

「本当だろ」

 

 エリシアーヌが笑った。

 

「手紙にも、頼りにしているって書いてあったわ」

 

 ポックがルシアンを見る。

 

 ルシアンは庭の花へ顔を向けた。

 

「姉上。いつの手紙の話でしょう」

 

「夏の初めくらいだったかしら」

 

「ずいぶん昔のことですね」

 

「そうね」

 

 それ以上、エリシアーヌは追及しなかった。

 

「中でお茶にしましょう」

 

     ◇

 

 ルシアンは玄関を通れなかった。

 

 肩の装甲が両側の枠へ当たり、身体を斜めにすると背負子が壁へ触れた。

 

 二度試したところで諦めた。

 

 結局、庭で休むことになった。

 

 エリシアーヌとポックが小さな卓と椅子を運び出す。

 

 ルシアンは庭の端にある低い石台へ腰を下ろした。

 

「それ、昔からあるらしいわ」

 

「僕が座るために残されていたのかもしれません」

 

「昔のあなたは、そんなに重くなかったわ」

 

 エリシアーヌは卓へ茶を置いた。

 

 焼き菓子の皿も添える。

 

 ポックが礼を言って椅子へ座った。

 

 もう一つ杯を用意しかけたところで、エリシアーヌの手が止まった。

 

「そういえば、食事はどうしているの?」

 

「この甲冑が自動的に身体を維持しているようです。空腹もありません」

 

 エリシアーヌは少し眉を寄せた。

 

「鐘鳴り坑道で調べてもらってから、ずっと状態は変わっていません。身体にも異常はないそうです」

 

「眠れるの?」

 

「問題なく。もっとも宿の寝台には載れませんが」

 

「今はどこで寝てるの?」

 

「荷車小屋とか、倉庫とか」

 

 ポックが答えた。

 

「屋根があればセンセイはだいたい平気」

 

 エリシアーヌが弟を見た。

 

「ずいぶん逞しくなったのね」

 

「望んで獲得した逞しさではありません」

 

 そう答える声には、以前ほど深刻さがなかった。

 

 エリシアーヌもそれに気づいたのかもしれない。

 

 何も言わず、ポックへ菓子の皿を寄せた。

 

「食べてね」

 

「ありがとうございます」

 

 ポックが一つ取る。

 

 少しして、もう一つ取った。

 

 ルシアンはその様子を見ていた。

 

「おいしい?」

 

 エリシアーヌが尋ねる。

 

「うん。これ、木の実?」

 

「胡桃と蜂蜜よ」

 

「へえ」

 

 ポックは割った菓子の中を見た。

 

「保存できそうだな」

 

「ポックンは、食事中まで商売のことを考えているのかね」

 

「旅に持ってけそうだと思っただけだよ」

 

「作り方も教えましょうか?」

 

「いいの?」

 

「もちろん」

 

 ポックはすぐに荷物から帳面を取り出した。

 

 エリシアーヌは楽しそうに作り方を説明し始める。

 

 ルシアンは二人を見ていた。

 

 いつの間にか、姉とポックが自分を置いて話を進めている。

 

 少しだけ面白くない。

 

「姉上」

 

「なあに?」

 

「僕も八か月の間に、かなりの経験を積んだのですが」

 

「ええ。聞かせて」

 

 ルシアンは満足した。

 

     ◇

 

 話し始めれば、八か月は長かった。

 

 鐘鳴り坑道。

 

 沈み庭。

 

 転輪城。

 

 そのあとに潜った小さなダンジョン。

 

 全部を話したわけではない。

 

 それでも日が傾くころまで話は続いた。

 

 ポックが横から補うこともあった。

 

 ルシアンの記憶と違うところを訂正することもあった。

 

 転輪庫から持ち帰った宝の金額を聞いたときだけ、エリシアーヌは目を丸くした。

 

「そんなに?」

 

「六人で分けましたがね」

 

「それでも十分すごいわ」

 

「当然です」

 

 ポックが茶を飲みながら笑った。

 

 今まで何度も見てきた光景だった。

 

 褒められると、甲冑で顔が見えなくてもルシアンが機嫌を良くしたことは分かる。

 

「それで、今はその……第四保全区というところを探しているのね」

 

「ええ」

 

 ルシアンが答えた。

 

「この町に古い地図が残っていると聞きました。明日は教会へ行くつもりです」

 

「教会なら、昔の記録を保管している部屋があるわ」

 

 ポックが顔を上げる。

 

「入ったことある?」

 

「私はないけれど、町の古い土地の記録を調べる人が使うと聞いたことがあるの。神父様には知り合いがいるから、紹介くらいならできると思うわ」

 

「助かります」

 

「明日の朝、一緒に行きましょうか」

 

「姉上にそこまでしていただかなくとも」

 

 ルシアンが言った。

 

「私が行った方が話が早いでしょう?」

 

 ルシアンは少し考えた。

 

「……では、お願いします」

 

 ポックは黙って茶を飲んでいた。

 

     ◇

 

 夕方。

 

 ポックは家の中で、エリシアーヌから町周辺の古い道について聞いていた。

 

 庭には姉弟だけが残った。

 

 白い花の向こうへ、橙色の光が落ちている。

 

「姉上」

 

「なあに?」

 

「僕の顔を、見たくはありませんか」

 

 エリシアーヌはすぐに答えた。

 

「見たいわ」

 

「……そうでしょう」

 

「だって、とても綺麗だったもの」

 

「だった、ではありません。今もです」

 

「あら。そうね」

 

 エリシアーヌは笑った。

 

「甲冑がきれいに保ってくれているのでしょう?」

 

「ああ。そこだけは非常に優秀です」

 

「なら安心ね」

 

 ルシアンは少し黙った。

 

「この姿のままでも?」

 

 エリシアーヌの笑みは変わらなかった。

 

「顔が見えないのは寂しいわよ」

 

 黒い腕へ手を置く。

 

「でも、今日ルシアンに会えたでしょう?」

 

 その言葉に、ルシアンは返事をしなかった。

 

 エリシアーヌも、答えを求めなかった。

 

 夕日の中で、黒い外殻だけが鈍く光っていた。

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