翌朝、エリシアーヌは二人を教会まで案内してくれた。
町の中央から少し外れた高台にある、古い石造りの建物だった。
鐘楼は低く、外壁のところどころが黒ずんでいる。
正面から入ると、朝の祈りを終えた人々がちょうど外へ出てくるところだった。
黒い甲冑を見て振り返る者もいたが、エリシアーヌが気にせず奥へ進むので、二人もそのままついていく。
神父と話したのは彼女だった。
ルシアンたちは少し離れた場所で待った。
「姉上の顔が広いのは助かった」
ポックは壁に掛けられた古い町図を眺めていた。
「そうだな。こういう町なら、昔の土地の記録も期待できそうだし、見せてもらえるといいけど」
しばらくして、エリシアーヌが戻ってくる。
「見せてもらえるそうよ」
その後ろから白髪の神父が歩いてきた。
「ただし、持ち出しはできません。傷んだものも多いので、広げるときは気をつけてください」
「十分です。ありがとうございます」
ポックが頭を下げた。
ルシアンも続く。
「姉上のおかげですね」
「見つかるといいわね」
エリシアーヌは二人を記録庫の入口まで送ると、そこで別れた。
◇
記録庫は、教会の裏手にあった。
小さな窓が一つ。
壁一面の棚。
巻かれた地図や、厚い帳面が年代ごとに並んでいる。
乾いた紙と革の匂いがした。
「……多いな」
ポックは棚を見上げた。
「八か月も探しまわったんだ、今さら紙の束に怯むこともないだろう」
「はぁ……それもそうだな」
持ってきた地方図を卓へ広げる。
その横へ、第三保全中継所で複製した板を置いた。
三つの山。
南の細長い水域。
東側に集まった小さな点。
そして、中央を曲がりながら通る太い線。
この四つが手掛かりだった。
ポックはまず、今のオルディナ周辺を描いた地図を一枚借りた。
町の西側に三つの山が並んでいる。
南には細長い湖。
そこまでは似ていた。
だが、太い線に当たるものがない。
東側の町も、板の図に比べるとずっと大きい。
「次」
ポックが言った。
ルシアンが棚から一つ前の年代の地図を運んでくる。
広げる。
今度は町が少し小さい。
街道の位置も違っていた。
さらに古い地図。
もう一枚。
その前。
机の上に、年代の違う地図が並んでいった。
ルシアンは途中から、地図を持ってくる係になった。
「今の僕は、貴重な古地図の運搬に向いているとは思えないんだけど、仕方ないね」
「一番傷んでるやつ、棚の上にあるから頼む」
「……力加減には気を付けよう」
ポックは聞いていなかった。
地図の隅に小さく書かれた年代を確認しながら、三つの山の位置を基準に紙を少しずつずらしている。
同じ土地でも、描き方はまるで違った。
山の大きさ。
道の曲がり。
町の形。
縮尺すら揃っていない。
それでも動かないものはある。
三つの山。
南の湖。
そこを基準にすると、古い地図ほど東の集落が小さくなっていく。
「これ……」
ポックの手が止まった。
「何か見つけたかね」
返事はなかった。
百年以上前の地図を一枚引き寄せる。
そのさらに前の地図も横へ置く。
二枚を見比べる。
「センセイ。板」
ルシアンが渡した。
ポックは地図の上へ直接重ねず、横へ並べた。
視線が何度も往復する。
三つの山。
湖。
東の集落。
そして。
「……あった」
指先が、古地図の中央をなぞった。
曲がった帯のようなものが、山の間から東へ伸びている。
両側に細かな斜線が入り、ところどころ幅が変わっている。
「これは何だ?」
ルシアンも覗き込む。
「たぶん谷」
ポックは別の地図を取った。
少し新しいもの。
そこでは帯が短くなっている。
さらに新しい地図では、途中から消えていた。
代わりに街道が北側へ大きく迂回している。
ポックは立ち上がった。
部屋の外にいた神父へ、地図の印について尋ねる。
戻ってくるまでに、それほど時間はかからなかった。
「やっぱり谷だって」
「消えたのか?」
「埋まったみたいだな」
ポックは地図の端を指した。
小さな書き込みがある。
文字は古かったが、こちらは現代語の古い書体だった。
土砂崩れ。
西側の耕地の放棄。
短い記録が残っている。
「大きな土砂崩れがあったんだ」
ポックは現在の地図へ目を移した。
「ここから、ここまで」
古い谷の線を、指先で追う。
今の地図では、その半分ほどが森と丘になっている。
残っているのは西側だけだった。
「だから見つからなかったのか」
ルシアンが言った。
「ああ」
八か月。
二人は何度も、板と地図を並べてきた。
ポックは一番古い地図をもう一度見た。
東側に描かれた小さな集落。
現在のオルディナと位置が重なる。
「これ、たぶん昔のオルディナだ」
ルシアンも現在の町図を見る。
「ずいぶん小さいね」
「何百年もあれば町は大きくなるよ」
ポックは板の上へ指を置いた。
「三つ山がこれ。湖がこれ。こっちの点がオルディナ」
最後に、太い線。
「で、これが昔の谷」
全部がつながった。
完全に同じ形ではない。
それでも、今まで見てきたどの土地より近い。
ポックはしばらく黙っていた。
「行こう」
「さらに西へ?」
「ああ」
もう地図を片づけ始めている。
「残ってる谷を見れば分かるだろ、きっと」
ルシアンも板を持ち上げた。
八か月探し続けたものが、本当にそこにあるのか。
まだ確証はない。
だが、これまでの候補とは違った。
◇
教会を出た二人は、そのまま冒険者組合へ向かった。
オルディナの組合は、町の古さに比べれば新しい建物だった。
壁一面に周辺の依頼と地図が貼られている。
ポックは受付へ行く前に、その中の一枚で足を止めた。
オルディナ西方。
三つの山。
南の細長い湖。
その間を深く切る谷。
入口を示す印の横には、名前が書かれていた。
『三峰峡』
その下には小さく、
『第二吊橋・落橋中』
『西壁道・通行可』
『飛行性魔物に注意』
と、現在の状況が書き足されている。
ポックはしばらくそれを見ていた。
「ダンジョンなのか」
ルシアンが隣へ来る。
「そうみたいだ」
今までにも、こういうことはあった。
古い設備の上に町ができていた。
普通のダンジョンの奥に、保全経路が残っていた。
現代の人間は、それを昔からそういう場所として使っている。
ポックは三峰峡の簡易地図を一部買った。
崖に沿った道。
吊橋。
石造りの遺構。
いくつもの洞穴。
最奥までは、まだ完全に調査されていない。
「ここ」
ポックが地図の中央を指した。
古い谷筋と重なる場所だった。
「まずはここまで行く」
「ようやくだね」
ルシアンの声は静かだった。
「えらく落ち着いてるな」
「八か月も待ったからね」
ルシアンは壁の地図へ向き直った。
三つの山が、その上にも描かれている。
「今さら慌てることもないさ」
◇
その日の夕方。
二人はエリシアーヌの家へ戻り、明朝には三峰峡へ向かうことを伝えた。
出発の準備をしている間に、荷物が一つ増えた。
布に包まれた焼き菓子。
干し肉。
固焼きのパン。
エリシアーヌが旅用にまとめたものだった。
ポックが背負子の空いている場所へ収める。
「姉上。ありがとうございます」
「なくなったら、帰りにまた寄ってね」
「ええ」
ルシアンはそれ以上何も言わなかった。
翌朝。
二人は西門を出た。
街道の先には、三つの山が並んでいた。
八か月もの間、板の上で見続けてきた形が。
今は、本物の空の下にあった。