崖の一部が、ゆっくりと横へずれていく。
石と石が擦れる重い音が、谷へ響いた。
見えてきたのは洞穴ではなかった。
人一人なら余裕をもって通れるほどの、細長い通路。
入口付近こそ岩と土に埋もれているが、数歩先から壁の表面が変わっている。
白い壁。
青白い灯り。
これまで何度も見てきたものだった。
「間違いなさそうだな」
ポックが板をしまった。
「ああ」
ルシアンが先へ入る。
その一歩後ろを、ポックがついてきた。
通路は緩やかに下っていた。
外から差し込んでいた光が遠ざかる。
左右の壁には、ところどころ茶色い染みが広がっていた。
天井の一部は割れ、隙間から細い根が垂れている。
床にも土が入り込んでいた。
三峰峡を埋めた土砂崩れは、この奥まで影響しているらしい。
ルシアンが歩いていくと、止まっていた灯りが順に点いた。
《第四保全区・西側中継路》
《保全従事者の通行を確認》
「第四保全区で間違いない」
ルシアンが伝える。
ポックは頷き、壁や床へ目を走らせながら進んだ。
八か月探していた場所だった。
もっと喜ぶかと思っていたが、実際に辿り着いてみれば、二人とも妙に静かだった。
道が見つかっては、探し、違っては新しく見つけ。
この八か月、そればかりを繰り返してきた。
◇
通路の先は、小さな広間になっていた。
中央には何もない。
代わりに、正面の壁全体へ細い青色の線が走っている。
「地図だ」
ポックが近づいた。
沈み庭でも見た。
文字ではなく、線と図形だけで作られた図だった。
ただし、今回のものはずっと広い。
無数の細線が四方へ伸びている。
途中には円や四角。
いくつもの線が途切れ、灰色になっている場所もあった。
その中で一つだけ、小さな光点が明滅している。
「ここがおれたちか」
ポックが指先を近づける。
光点から一本の線が東へ。
もう一本が南へ。
そして一本が、壁面の下へ向かって伸びていた。
ルシアンが壁へ手を触れる。
《第四保全区・経路照合》
いくつもの意味が続けて流れ込んできた。
《東側接続路・閉塞》
《南側接続路・応答なし》
《中央保全拠点への接続経路を確認》
ルシアンの手が止まる。
「ポックン」
ポックは壁を見たままだった。
「見つかった?」
「ああ」
ルシアンは下へ伸びる線を指した。
「この先が、中央保全拠点へつながっている」
ポックの目がその線を追う。
第四保全区から、ほとんど真下へ。
途中で何度か折れながら、壁面図の下端へ消えている。
「ここから行けるのか」
「少なくとも、経路は残っているらしい」
ルシアンはもう一度、壁へ意識を向けた。
《中央降下路・接続維持》
《西側入口・閉鎖》
《保全従事者による開放を許可》
ルシアンはしばらく黙っていた。
「何て?」
「開けられるそうだ」
ポックが地図を畳んだ。
「じゃあ行こう」
短かった。
ルシアンも頷いた。
◇
中央降下路は、広間の奥にあった。
壁面図の下へ続く線をたどると、何もない壁の前で止まる。
そこにも、円の中に三本の線。
ルシアンが触れた。
今度はすぐに反応した。
壁の中央へ細い隙間が走る。
左右へ開く。
その向こうは、真っ暗だった。
ポックが入口から覗き込む。
「階段じゃないな」
床が、数歩先で終わっている。
その向こうには巨大な縦穴。
上も下も暗く、どこまで続いているのか分からない。
壁に沿って、太い柱のような構造物が何本も下へ伸びていた。
「これは……」
ポックが少し身を乗り出す。
ルシアンが肩を掴んで戻した。
「危ないよ」
「分かってる」
縦穴の手前には、四角い床が一枚だけ突き出していた。
石ではない。
白く滑らかな板。
二人が乗れる程度の大きさがある。
ルシアンが近づく。
《中央降下路・搬送台》
《保全従事者を確認》
床の縁へ青白い光が灯った。
「これで下りるらしい」
「どこまで?」
「そこまではなんとも、だね」
ポックは縦穴を見下ろした。
何も見えない。
「……深そうだな」
「君は高いところが苦手だったかね」
「高いところが好きなやつが変わり者なんだよ」
「それはそうだろうね」
ポックは一度だけ入口の方を振り返った。
それから搬送台へ乗る。
ルシアンも続いた。
黒い巨体が乗った瞬間、床がわずかに沈んだ。
ポックが足元を見る。
「大丈夫なんだろうな、これ」
「僕を乗せるための設備なら問題ないだろう」
「センセイ専用とは限らないだろ」
青白い線が一周した。
低い音が鳴る。
床が動き始めた。
「おっ」
ポックがルシアンの腕を掴んだ。
搬送台はゆっくりと下降していく。
入口が上へ離れていった。
縦穴の壁へ、一定の間隔で灯りが点く。
一つ。
また一つ。
下へ。
さらに下へ。
思っていた以上に深い。
三峰峡の谷底より、なお下へ潜っているように感じた。
ポックは途中から壁を見ていた。
「センセイ」
「何だね」
「これ、ずっと使われてなかったのかな」
壁面の一部には土が入り込んでいる。
途中で折れた部材。
閉じたままの横穴。
灯りのつかない区画もあった。
「さあね」
ルシアンは下を見た。
「少なくとも、僕たちを運ぶくらいには働く気があるらしい」
搬送台は降り続けた。
◇
やがて、下から光が見えた。
青白い。
一本の線。
それが次第に太くなっていく。
搬送台の速度が落ちた。
床が静かに停止する。
目の前には、幅の広い通路が伸びていた。
これまでの保全経路とは違う。
天井が高い。
黒いルシアンが二人並んでも余裕がありそうな幅。
左右の壁には、何本もの溝が走っている。
その先。
かなり離れた場所に、巨大な扉が見えた。
飾りはない。
白い壁の中央へ、ただ大きな円が刻まれている。
円の中に、三本の線。
ルシアンが搬送台から降りた。
その瞬間。
頭の内側へ、今までとは違う重さで意味が流れ込んできた。
《中央保全拠点・外周接続部》
ルシアンは立ち止まった。
ポックが数歩進んでから振り返る。
「どうした?」
「着いたようだ」
「ここが?」
「ああ」
ルシアンは巨大な扉を見る。
「中央保全拠点だ」
ポックも扉へ顔を向けた。
しばらく、何も言わなかった。
鐘鳴り坑道から始まった。
沈み庭。
転輪城。
八か月の探索。
三峰峡。
ようやく、その先まで来た。
「センセイ」
「何だね」
「これで、脱げるかもしれないな」
ルシアンはすぐには答えなかった。
巨大な扉の中央で、三本の線が青白く灯る。
「ああ」
黒い手を見下ろす。
「ようやくだ」
扉の奥から、低い機械音が響き始めた。