巨大な扉が、ゆっくりと開いていく。
中央に刻まれた三本の線が左右へ分かれ、その隙間から青白い光が漏れた。
ルシアンは動かなかった。
これまでなら、扉が開けば真っ先に入っていた。
ポックも先へ行こうとはしなかった。
やがて扉が完全に開く。
その向こうには、広い空間があった。
天井は高く、奥までは見通せない。
何本もの太い柱が一定の間隔で並び、その間を白い通路が縦横に走っている。
壁の一部は暗い。
床へ崩れ落ちた板。
途中で途切れた青白い灯り。
遠くでは、同じ明滅を繰り返している区画もあった。
動いている。
だが、完全ではない。
そんな印象だった。
ルシアンが一歩踏み入れる。
《中央保全拠点への入域を確認》
《保全従事者情報を照合》
そこで、わずかな間が空いた。
《緊急保全要員・仮登録》
《生体固定式外殻との接続を確認》
ルシアンは自分の胸を見下ろした。
「センセイ?」
「僕の登録を確認している」
さらに意味が流れ込んでくる。
《保全任務状態を照合》
《未完了》
その言葉には、もう慣れていた。
鐘鳴り坑道でも何度となく聞かされた。
だが今回は、そのあとが続いた。
《従事者登録解除設備――使用可能》
ルシアンの足が止まった。
ポックが数歩先で振り返る。
ルシアンは黙ったまま、頭の内側へ届いた意味をもう一度思い返した。
間違えてはいない。
「……使える」
「何が?」
「解除設備だ」
ポックの表情が変わった。
「甲冑の?」
「ああ」
それだけ答えるのに、妙に時間がかかった。
ポックは黒い外殻を見上げた。
八か月前なら、すぐに何か言っただろう。
今は何も言わなかった。
ルシアンも歩き出す。
床の青白い線が一本、二人の前で灯った。
《解除区画までの経路を表示》
「道も出たよ」
線は柱の間を抜け、中央保全拠点の奥へ続いている。
二人はその光を追った。
◇
中央保全拠点は静かだった。
足音だけが大きく響く。
途中、いくつもの通路と交差した。
閉じた扉。
半分だけ開いた扉。
奥に何も見えない暗い通路。
壁面を細い光が走っていても、途中で消えている場所もある。
ポックは横を通るたびに目を向けたが、足は止めなかった。
解除区画へ続く線だけを追っている。
ルシアンも同じだった。
何度目かの曲がり角を越えたところで、前方の壁に黒い染みが見えた。
近づくと、焦げ跡だった。
白い床の一部もひび割れている。
その脇には、折れた細い部材が何本も転がっていた。
ルシアンが通ると、壁の灯りが一度だけ明滅する。
《第三主路・一部損傷》
それ以上は何もなかった。
ポックは焦げ跡を避けて歩いた。
「まだ先?」
「ああ」
青白い線は続いている。
しばらくすると、通路の幅が広くなった。
左右へ並んでいた柱がなくなり、正面に大きな円形の扉が現れる。
鐘鳴り坑道で見た外殻保全台の入口に似ている。
だが、こちらの方がはるかに大きかった。
扉の前まで来る。
ルシアンの頭の内側へ、すぐに意味が届いた。
《従事者解除区画》
続いて。
《生体固定式外殻を確認》
《解除処理対象として照合可能》
ルシアンは扉を見たまま立っていた。
「ここだ」
ポックが横へ並ぶ。
扉の中央には、見慣れた三本の線。
ルシアンが手を伸ばす。
指先が印へ触れた。
《解除処理設備を起動》
低い音。
扉の左右へ光が走る。
その向こうで、何かが動き始めた。
ルシアンの呼吸が少しだけ速くなった。
甲冑はそれを律儀に拾った。
《装着者心拍数の上昇を確認》
「今は黙っていたまえ」
ポックがルシアンを見た。
「何か言われた?」
「どうでもいいことだよ」
扉が開く。
中には一台の大きな装置があった。
湾曲した白い台座。
左右へ収納された細い器具。
頭部、腕、脚を固定するための部品。
鐘鳴り坑道で彼を磨き上げた保全台と、よく似ている。
ルシアンの動きが少し鈍った。
「あれに似てるな」
「ああ」
あのときは、外れると思って乗った。
結果は洗浄と点検だった。
今回も同じではないのか。
そう思った直後。
《解除処理設備・正常》
《従事者登録解除後、生体接続解除を実行可能》
ルシアンは動かなくなった。
「センセイ」
ポックの声が近くから聞こえた。
「……外せる」
今度は、はっきりと言った。
「本当に?」
「ああ」
甲冑の内部で、自分の声がわずかに反響した。
「今度こそ、本当に外せる」
ポックが装置を見る。
それからルシアンを見る。
「じゃあ――」
その瞬間だった。
遠くで、低い音が鳴った。
二人とも振り返る。
一度。
少し間を置いて、もう一度。
鐘ではない。
短く、乾いた音だった。
中央保全拠点の灯りが一斉に明滅する。
《緊急保全要求》
ルシアンの頭の中へ、別の意味が割り込んだ。
《北側経路・構造損傷を検出》
《通行者を検出》
《安全区画への退避未完了》
ルシアンは開いた解除区画の前で立ち尽くした。
ポックには通知は聞こえていない。
ただ、拠点全体の灯りが不規則に明滅しているのを見ていた。
「センセイ?」
ルシアンは北へ続く暗い通路を見た。
「向こうで、何かあったらしい」
「何が?」
「人がいる」
それだけ言うと、ポックも北側へ顔を向けた。
少し遅れて。
遠くから、何かを叩く音が聞こえた。
金属を。
何度も。
何度も。
ルシアンは、まだ開いたままの解除区画を一度だけ振り返った。