僕の美しさが見せられない!   作:柿木杮

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第37話 後ろ髪を引かれる

 遠くから、何かを叩く音が続いていた。

 

 硬いものを。

 

 何度も。

 

 間隔を空けて。

 

 ルシアンは、開いた解除区画を振り返った。

 

 白い台座。

 

 左右へ収められた器具。

 

 探し求めていたものだった。

 

《北側経路・構造損傷進行》

 

《通行者三名を検出》

 

《安全区画への退避未完了》

 

 灯りが一度、大きく明滅する。

 

「三人いる」

 

 ルシアンが言った。

 

 ポックは北へ続く通路を見た。

 

「場所は?」

 

「ここから北側だ。それ以上は分からない」

 

 また音がした。

 

 今度は少し弱い。

 

 ルシアンは解除台から目を離した。

 

「行こう」

 

 そのまま歩き出す。

 

 ポックも続いた。

 

     ◇

 

 北側へ向かうにつれて、中央保全拠点の損傷はひどくなった。

 

 床の亀裂。

 

 傾いた壁。

 

 天井から落ちた白い板が、通路の端へ何枚も積み重なっている。

 

 青白い灯りも半分ほどしか点かない。

 

 途中の分岐で、ルシアンの頭へ意味が流れ込んだ。

 

《北側第二経路・閉塞》

 

《第三経路への迂回を要求》

 

「こっちだ」

 

 右の通路へ曲がる。

 

 ポックは壁を見ながら歩いていた。

 

「音、近くなってるな」

 

 先ほどまで遠く響いていた打音が、はっきり聞こえる。

 

 こん。

 

 こん。

 

 少し間を置いて。

 

 こん。

 

 誰かが助けを求めている。

 

 第三経路へ入ると、床に泥が現れた。

 

 白い通路には似つかわしくない、茶色い土。

 

 さらに進む。

 

 小石。

 

 折れた木の根。

 

 最後には、人の足跡まであった。

 

 ポックがしゃがむ。

 

「三人かな」

 

 足跡の大きさが違う。

 

 一つは大きい。

 

 一つは細い。

 

 もう一つは、その中間。

 

 どれも泥を引きずりながら奥へ続いていた。

 

 ルシアンは前を見る。

 

 天井の一部が崩れ、岩肌が露出している。

 

「上から入ったのか」

 

「たぶん」

 

 三峰峡のどこかと、この場所がつながってしまったらしい。

 

 それ以上考えている暇はなかった。

 

 奥から声がした。

 

「誰かいるのか!」

 

 男の声だった。

 

 ルシアンが足を速める。

 

「いるとも!」

 

 一瞬、向こうが静かになった。

 

「……人か?」

 

「この世で一番美しい男さ」

 

 ポックが横からルシアンを見たが、何も言わなかった。

 

 奥で別の声が上がる。

 

「こっちだ! 壁の向こう!」

 

     ◇

 

 三人は、崩れた通路の先にいた。

 

 正確には、見えなかった。

 

 白い壁の一部が大きく歪み、その手前へ天井材と岩が崩れ落ちている。

 

 隙間の向こうから声だけが聞こえた。

 

「怪我は?」

 

 ポックが尋ねる。

 

「一人、脚をやられてる! 俺たちは動ける!」

 

「重症か?」

 

「足を挟まれて動けないが、今すぐどうこうって状態じゃない!」

 

 ポックは崩落の前まで行き、しゃがんだ。

 

 岩の隙間から冷たい風が流れてくる。

 

「こっちから掘るのは無理だな」

 

 崩れた岩は一つ一つが大きい。

 

 ルシアンなら動かせる。

 

 だが手前から順番に抜けば、上に載ったものまで落ちてくる。

 

 ポックは少し離れた。

 

 天井を見る。

 

 壁を見る。

 

 また崩落を見る。

 

「センセイ、これ持ち上げられる?」

 

 指したのは、一番手前に斜めに倒れている白い梁だった。

 

 ルシアンが両手をかける。

 

 力を入れる。

 

 わずかに浮いた。

 

 上の瓦礫が、ざらりと動いた。

 

「下ろして」

 

 ルシアンは戻した。

 

 ポックは梁の向こうを覗き込む。

 

 そこから数歩後ろへ下がった。

 

「これ一本だけなら抜ける。でも抜いたら上が落ちる」

 

「支えればいいかね」

 

「ずっと?」

 

「必要なら」

 

 ポックは返事をせず、荷物を開いた。

 

 縄を出す。

 

 投索器も下ろした。

 

 崩落の上部を見上げる。

 

「向こうに何か固定できるところある?」

 

 壁の向こうで男が動く気配がした。

 

「柱が一本ある!」

 

「太い?」

 

「抱えても腕が回らないくらいだ!」

 

 ポックは投索器を構えた。

 

「顔を出すなよ!」

 

「出せる隙間なんかない!」

 

 射出管が開く。

 

 崩落の上に、拳二つほどの隙間があった。

 

 ポックはそこへ案内子を向ける。

 

 射出。

 

 案内子が隙間を抜けた。

 

 左右の錘も岩の間へ消える。

 

 少し遅れて、向こうで硬い音が二度した。

 

「柱の近くに落ちた!」

 

「縄を柱の後ろに回してくれ!」

 

 向こう側で二人が動く。

 

 主索が引かれる。

 

 少し緩む。

 

 また引かれる。

 

「回した!」

 

 ポックは巻き上げを動かした。

 

 索が張る。

 

「センセイ、こっち」

 

 投索器の後端から伸びる短い索を、ルシアンの背負子の金輪へ繋ぐ。

 

 かちん。

 

「引いて」

 

 ルシアンが一歩下がった。

 

 主索が強く張る。

 

 崩落の向こうにある柱と、ルシアンの巨体が一本の線でつながった。

 

 ポックはその張った索へ、持っていた長縄を何本か結びつける。

 

 梁の上へ回す。

 

 別の岩へ回す。

 

 結び目を締める。

 

 ルシアンは黙って見ていた。

 

 やがてポックが立ち上がる。

 

「これで少しは上を支えられる」

 

「少し?」

 

「全部センセイに預けたら、柱が先に抜けるかもしれない」

 

「なるほど」

 

「梁を持ち上げて。ゆっくり」

 

 ルシアンが両腕を差し込む。

 

 持ち上げる。

 

 白い梁が浮いた。

 

 上の瓦礫が軋む。

 

 縄が張った。

 

 対岸の柱が耐える。

 

「そのまま」

 

 ポックが隙間へ身体を寄せた。

 

「一人ずつ出られる?」

 

「怪我してない二人なら!」

 

 最初に男が這い出してきた。

 

 泥だらけの革鎧。

 

 額から血が流れている。

 

 続いて、弓を背負った女性。

 

 二人とも外へ出ると、すぐに振り返った。

 

「もう一人は?」

 

「脚を挟まれてる!」

 

 ポックが隙間を覗く。

 

「岩?」

 

「床の板みたいなのだ!」

 

 ルシアンの腕に、さらに重みがかかった。

 

 梁の上で何かが動いている。

 

《周辺構造物の変位を検出》

 

 余計な報告だった。

 

「センセイ、まだ持つ?」

 

「ああ」

 

 短く答える。

 

 ポックは隙間へ入った。

 

「ポックン」

 

「見てくるだけ!」

 

 止める間もなく、少年の身体が向こうへ消えた。

 

 ルシアンは梁を支えたまま動けない。

 

 しばらくして、ポックの声がする。

 

「壁の一部が倒れてる!」

 

「動かせるか?」

 

「無理!」

 

 当然だろう。

 

 ルシアンは自分の両手を見る。

 

 塞がっている。

 

 梁を離せば、上が崩れる。

 

「代われるか?」

 

 最初に出てきた男が梁へ手をかけた。

 

「無理だと思うよ」

 

「やるだけ――」

 

 ルシアンが少しだけ力を抜いた。

 

 男の腕が一瞬で下がる。

 

「無理だな!」

 

 すぐに手を離した。

 

 ルシアンが再び持ち上げる。

 

 奥でポックが何かを動かしている音がした。

 

「センセイ!」

 

「何だね!」

 

「後ろの縄、もう一本使える?」

 

 ルシアンは背負子へ手を伸ばせない。

 

 外に出た女がすぐに動いた。

 

「どれ?」

 

「右の束だ」

 

 ポックの声を頼りに、女が縄を外す。

 

「それを中へ!」

 

 隙間から縄が送られる。

 

 しばらくして。

 

「センセイ、引ける?」

 

 一本の縄が隙間から伸びてきた。

 

 先端を男が受け取る。

 

 ルシアンの腕へ巻きつけた。

 

「引くぞ」

 

 梁を支えたまま、腕を曲げる。

 

 縄が張る。

 

 向こうで重いものが擦れた。

 

「もう少し!」

 

 引く。

 

 さらに。

 

 ず、と大きな音がした。

 

「抜けた!」

 

 ポックの声。

 

 少しして、隙間から足が見えた。

 

 男と女が手を伸ばす。

 

 怪我人を引き出した。

 

 最後にポックが這い出してくる。

 

「出た!」

 

「なら離れるよ」

 

 全員が崩落から離れた。

 

 ルシアンは梁を下ろした。

 

 直後。

 

 ごう、と音を立てて瓦礫が崩れた。

 

 さきほどまで人が通っていた隙間が、完全に埋まる。

 

 白い粉塵が通路へ広がった。

 

 しばらく、誰も喋らなかった。

 

     ◇

 

 怪我人は若い男だった。

 

 脚を酷く腫らしているが、骨が飛び出している様子はない。

 

 仲間の二人が肩を貸そうとする。

 

 ルシアンがその前へしゃがんだ。

 

「乗りたまえ」

 

 若い男が黒い背中を見る。

 

「……いいのか?」

 

「歩けないのだろう」

 

 ポックが背負子の荷物を少し移動させる。

 

 若い男を乗せ、縄で身体を支えた。

 

「重くないか?」

 

「質問の意味が分からないね」

 

 ルシアンは立ち上がった。

 

 若い男が大きく揺れる。

 

「うわっ」

 

「暴れないでもらいたい」

 

「す、すまん」

 

 戻る方向へ歩き始める。

 

 三人は三峰峡の西壁道を進んでいる途中、足場ごと崩れたらしい。

 

 気がつけば、見たこともない白い通路の中にいた。

 

 戻ろうとしたところでさらに崩れ、閉じ込められた。

 

 それ以上のことは、本人たちにも分からなかった。

 

 ルシアンも聞かなかった。

 

 中央保全拠点へ戻るころには、異常を告げていた灯りも落ち着き始めていた。

 

《通行者三名・安全区画への移動を確認》

 

《緊急保全要求を解除》

 

 ルシアンは意味をポックへ伝えた。

 

「ここまで来れば大丈夫そうだ」

 

 ポックが三人を見る。

 

「搬送台まで送る。上に出たら三峰峡の入口まで戻れる」

 

 負傷者を背負ったまま、ルシアンは歩いた。

 

 途中。

 

 解除区画へ続く分岐の前を通った。

 

 青白い線は、まだ灯っていた。

 

 円形の扉も開いたまま。

 

 その奥には、白い解除台が見える。

 

 ルシアンの足が一瞬だけ遅くなったが、そのまま歩き続けた。

 

 負傷者を背負い直し、搬送台へ向かう。

 

 まずは三人を外へ出す。

 

 話は、そのあとだ。

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