僕の美しさが見せられない!   作:柿木杮

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第39話 鎧からの解放

「始めよう」

 

 ルシアンが解除台へ上がった。

 

 足を置く位置が青白く光る。

 

 背中を湾曲した台座へ預けると、左右から白い器具が伸びてきた。

 

 腕。

 

 脚。

 

 腰。

 

 順番に固定される。

 

 がちり。

 

 最後に兜の左右へ細い器具が近づいた。

 

 ルシアンの身体がわずかに強張る。

 

 ポックは少し離れたところに立っていた。

 

「痛かったら言えよ」

 

「言ったところで止められるのかね」

 

「分かんない」

 

「では、痛くないことを祈ってくれたまえ」

 

 ポックは解除台の脇に置いていた荷物を少し後ろへ退けた。

 

 透明な窓の向こうで、最後の一本が青白く光っている。

 

《解除処理を開始》

 

《接続分離材を使用》

 

 透明な筒の液体が減り始めた。

 

 細い管を通って、解除台の内部へ吸い込まれていく。

 

 ルシアンの背中に、冷たい感覚が走った。

 

「む」

 

「痛い?」

 

「いや」

 

 冷たさは首から肩へ。

 

 背骨に沿って腰へ。

 

 そこから腕と脚へ広がっていく。

 

 八か月もの間、ほとんど意識することのなかったものがあった。

 

 甲冑の内側。

 

 自分の皮膚へ刺さっている、生体針。

 

 普段は存在を忘れている。

 

 だが今は、その一本一本の周囲を冷たいものがなぞっているように感じた。

 

《神経接続分離処理》

 

 指先が痺れた。

 

 次に足。

 

 胸。

 

 ルシアンは息を吐く。

 

「センセイ?」

 

「問題ないよ」

 

 解除台の内部で小さな音が続いた。

 

 かち。

 

 かち。

 

 甲冑の関節が、今までとは違う動きをしている。

 

 ルシアンが右手を動かそうとした。

 

 黒い指が動く。

 

 まだ自分の身体だ。

 

 左手も。

 

 脚も。

 

 同じ。

 

《外殻駆動同期を解除》

 

 次の瞬間。

 

 右手を動かした。

 

 黒い指は動かなかった。

 

「……おお」

 

「どうした?」

 

 ルシアンはもう一度、手を握ろうとする。

 

 甲冑は動かない。

 

 だが。

 

 中では、自分の指が動いている。

 

「僕の手が、甲冑の手ではなくなった」

 

 ポックが黒い腕を見た。

 

 外からは何も変わっていない。

 

 それでもルシアンには分かった。

 

 八か月ぶりだった。

 

 腕を動かしても、三百キロ近い外殻がついてこない。

 

 ほんの数本の指を曲げただけなのに、妙に軽い。

 

《生体固定を順次解除》

 

 背中に小さな刺激。

 

 一本。

 

 また一本。

 

 針が抜けている。

 

「……これは少々」

 

「痛い?」

 

「少々だ」

 

 さらに抜ける。

 

 ルシアンの眉が寄った。

 

「かなり少々だ」

 

「どっちだよ」

 

「静かにしてくれたまえ」

 

 最後の数本が抜けた。

 

 身体の奥に残っていた圧迫感が消える。

 

 ルシアンは大きく息を吸った。

 

 胸が膨らむ。

 

 それだけのことに驚いた。

 

 呼吸自体は、甲冑の中でもずっとしていた。

 

 だが今は、自分の胸だけが動いている。

 

《生体接続解除を確認》

 

《従事者登録を――》

 

 そこで。

 

 途切れた。

 

 ルシアンは目を瞬いた。

 

 待つ。

 

 何も来ない。

 

 頭の中が静かだった。

 

「……センセイ?」

 

 ルシアンは返事をしなかった。

 

 もう一度待った。

 

 何もない。

 

 あの融通の利かない通知も。

 

 勝手に生体状態を報告する意味も。

 

 こちらが怒鳴っているのに同じ内容を繰り返す反応も。

 

 何一つ来ない。

 

「聞こえなくなった」

 

「何が?」

 

「甲冑の声だよ」

 

 ポックは黒い外殻を見た。

 

 まだそこにある。

 

 ルシアンの身体を覆ったまま。

 

 だが、もうルシアンの一部ではなかった。

 

 解除台から低い音が鳴る。

 

 背中の装甲に一本の隙間が走った。

 

 ルシアンが息を止める。

 

 黒い外殻が開いていく。

 

 背中。

 

 肩。

 

 頭部。

 

 第一話で彼自身が入ったときとは、逆の順番で。

 

 外の空気が入り込んだ。

 

 首筋へ触れる。

 

 冷たい。

 

 ルシアンの喉が動いた。

 

「……寒いな」

 

 ポックは何も言わなかった。

 

 背面の装甲が完全に開く。

 

 固定具も外れた。

 

 ルシアンは片足を前へ出した。

 

 黒い脚ではない。

 

 自分の脚だった。

 

 床へ下ろす。

 

 身体が前へ飛びそうになった。

 

「うわっ」

 

 ポックが反射的に腕を伸ばす。

 

 ルシアンは解除台へ手をついて踏みとどまった。

 

「軽い」

 

 三百キロ近い身体を八か月動かしていた。

 

 そのつもりで一歩踏み出したのだ。

 

 自分自身の身体が、信じられないほど軽かった。

 

 もう一度。

 

 今度は慎重に足を出す。

 

 立てた。

 

 黒い外殻から、一人の男が抜け出した。

 

 長い黒髪。

 

 白い肌。

 

 細身だが、よく鍛えられた身体。

 

 そして。

 

 深い碧色の瞳。

 

 ポックは黙っていた。

 

 ルシアンは自分の両手を見た。

 

 指を開く。

 

 閉じる。

 

 手の甲を裏返す。

 

 その手を、ゆっくり自分の顔へ持っていった。

 

 頬に触れる。

 

 柔らかい。

 

 鼻。

 

 唇。

 

 顎。

 

 全部ある。

 

 分かっていた。

 

 甲冑はずっと、生体状態は良好だと言っていた。

 

 鑑定でも、肉体は最適な状態に保たれていると分かっていた。

 

 それでも。

 

 自分の指で自分の頬に触れたのは、八か月ぶりだった。

 

「……ポックン」

 

「うん」

 

「僕の顔は?」

 

 ポックはルシアンを見た。

 

 上から下まで。

 

 もう一度、顔へ戻る。

 

「変わってない……と思う。最後に見たのが結構前だからあんまり自信ないけどな」

 

 ルシアンの口元が、ゆっくりと持ち上がった。

 

「そうか」

 

 それだけ言った。

 

 ポックは少し意外そうな顔をしたが、何も言わなかった。

 

 解除台の脇。

 

 透明な窓の中では、五つの窪みがすべて空になっていた。

 

 ルシアンはまだ気づいていない。

 

 自分の顔を両手で確かめるのに忙しかった。

 

 やがて顔から手を離す。

 

 いつものように胸を張った。

 

 甲冑がないせいで、以前よりずっと小さく見える。

 

「さて」

 

 ルシアン・イモターレは八か月ぶりに、自分自身の身体で立っていた。

 

「鏡を探そう」

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