「稼げるぞ」
「ポック!」
再会した知人が異形の甲冑に閉じ込められている。
普通なら、まず身を案じるところだろう。
しかしポック・トバルは、黒い外殻を見上げたまま、すでに別のことを考えていた。
ポックは甲冑の周囲をもう一周した。
擦り切れた袖から伸びた指で、腕の装甲を軽く叩く。
硬い音が返った。
「少し強く叩いてもいいか?」
「なぜ再会したばかりの知人を殴ろうとする?」
「強度を確かめる」
「僕は鍋ではない」
「痛くないんだろ」
「痛くなければ殴ってよいという理屈にはならない」
ポックは落ちていた小石を拾った。
ルシアンが止めるより早く、黒い脛へ打ちつける。
小石が砕けた。
「なるほど」
「なるほどではない!」
「兄ちゃん、本当に痛くないのか?」
「まったく痛くはないが、気分は悪い」
「中で血が出たりは?」
「甲冑によれば、生体状態は良好だそうだ」
「甲冑が喋るのか?」
「意味が直接頭へ流れ込んでくる。こちらの話はほとんど聞かないがね」
ポックは少しだけ眉を寄せた。
「身体と繋がってるんだよな」
「神官によれば、この外殻まで僕の身体の一部として扱われているらしい」
「無理に壊したら?」
「僕まで傷つく可能性がある」
「……そっか」
ポックは手に残った小石の欠片を捨てた。
先ほどまでの商人の目が、一瞬だけ少年のものへ戻る。
「苦しくないのか?」
「呼吸はできる。痛みもない。疲れもほとんど感じない」
「飯は?」
ルシアンは黙った。
「食べてないのか?」
「昨日の朝から何も口にしていない」
「腹は減ってない?」
「言われてみれば、減っていないな」
二人はそろって、黒い胴体を見下ろした。
「……大丈夫なのか、それ」
「神官は身体に異常はないと言っていた」
「神官もよく分かってないんだろ」
「その点には僕も不満がある」
ポックはしばらく甲冑を見つめていたが、やがて大きな背負い袋を担ぎ直した。
「とりあえず、鑑定所へ行こう。ここで立ってても仕方ない」
「初めからそのつもりだ。案内したまえ」
「偉そうだな」
「僕が君を迷わせないためだよ」
「町を知らないのは兄ちゃんだろ」
◇
ポックは人混みを縫うように歩いた。
ルシアンがその後ろをついていくと、人々は自然に道を空ける。
「便利だな、兄ちゃん」
「僕の存在感は以前からこの程度だったよ」
「前は女の人しか避けなかっただろ」
「あれは道を譲ったのではない。僕を正面から見るために立ち止まっていたのだ」
「同じじゃねえか」
ポックの背負い袋は、十三歳の少年が持つには大きすぎた。
鍋、縄、古びた毛布。隙間には採取したらしい草や、小動物の角が詰め込まれている。
「それで」
ルシアンは尋ねた。
「君はなぜ、そのような格好をしている。父上はどうした?」
ポックの足が、ほんの少しだけ遅くなった。
「死んだよ」
短い答えだった。
「少し前にな」
「……そうか」
ルシアンはそれ以上の言葉を続けられなかった。
父を失った相手に、どのような顔を向ければよいのか。
普段なら鏡の前で憂いを帯びた表情を作ることもできた。だが今は、その顔さえ誰にも見えない。
「ルシアンの親父さんも死んだんだろ」
「ああ」
「屋敷と畑は残ったんじゃないのか」
「残った」
「じゃあ、なんで銅貨六枚しか持ってないんだよ」
「なぜ知っている?」
「さっき門のところで革袋の中を見た」
「人の財布を勝手に覗くものではない」
「財布って呼べる量じゃないだろ」
「一時的な資金不足だ」
「香油か?」
「なぜ分かった」
「兄ちゃんだから」
ひどく雑な理由だったが、反論できなかった。
「君は父上の商売を継がなかったのか」
「継ごうとしたよ」
ポックは前を向いたまま答えた。
「でも、おれはまだ子どもだ。親父の得意先も、荷馬車も、まともに相手にしてくれなかった」
「見る目のない者たちだ」
「商売だから仕方ない。信用も金もない十三歳に、大きな品物は任せられない」
「それで冒険者に?」
「見習いだけどな。荷物持ちをしたり、採取した素材を買い取ってもらったりしてる」
自分の父を亡くしてからも働かず、遺跡へ財宝を探しに行った男。
父を亡くしたあと、子どもながら生計を立てようとしている少年。
並べて考えると、いささか分が悪い。
「僕も働かなかったわけではない」
「何したんだよ」
「遺跡を探索した」
「一日だけだろ」
「結果として、非常に希少な古代遺物を発見した」
「着ちゃったあげくに、脱げなきゃ意味ないだろ」
ルシアンは黙った。
◇
古代遺物鑑定所は、石造りの小さな建物だった。
窓には鉄格子があり、入口には壊れた剣や石板が並べられている。
店内に入ったルシアンを見て、机の奥にいた鑑定士が立ち上がった。
「持ち込み品は、そちらの台へ――」
「持ち込まれたのは僕ではない」
「……着用品か?」
「脱げない」
鑑定士は眼鏡を上げ、黒い外殻を観察した。
胸部。背面。腕。脚。
やがて、肩の装甲に刻まれた小さな印の前で目を止める。
円の中に、三本の短い線が並んだ印だった。
「見たことのない形式だ。かなり古い」
「外せるか?」
「調べてみなければ何とも言えない」
「では調べたまえ」
「精密鑑定は銀貨三枚。前払いだ」
ルシアンはポックを見た。
ポックもルシアンを見た。
「いくら持ってる?」
「銅貨六枚だ」
「本当にそれだけ?」
「紹介状もある」
「金にはならねえよ」
鑑定士は咳払いをした。
「銀貨三枚だ」
「この僕を鑑定できる機会を与えるのだから、むしろそちらが料金を払うべきでは?」
「帰ってくれ」
交渉は一瞬で決裂した。
◇
鑑定所の外へ出ると、ポックは甲冑の肩へ顔を近づけた。
「さっきの印、もう一回見せてくれ」
「好きにしたまえ。ただし傷はつけるな」
「傷つかないんだろ」
「扱いの問題だ」
ポックは円形の印を指でなぞった。
「やっぱり、似てる」
「何にだ?」
「親父の帳簿で見た印だ」
ポックの父は、行商のかたわら、冒険者から素材や古い遺物を買い取っていた。
帳簿には品物の絵や、見つかった場所も記録してあったという。
「鐘鳴り坑道から出た遺物に、こんな印があった」
「鐘鳴り坑道?」
「町の北にあるダンジョン。浅い場所は初心者向けだ」
「そこへ行けば外せるのか?」
「そこまでは分からない」
「使えない情報だな」
「でも、同じ印なら、同じ古代文明の物かもしれない。外し方の記録や道具が見つかる可能性はある」
ポックは指を一本立てた。
「それに、ダンジョンで素材を取れば金になる。鑑定料も稼げる」
「なるほど」
甲冑を外す手掛かりを探しながら、金も得られる。
理にかなった話だった。
「では、君が行って調べてきたまえ」
「一人じゃ入れない」
「なぜだ」
「おれは見習いで十三歳だ。成人の冒険者か、正式なパーティの同行が必要なんだよ」
「ほかの冒険者と組めばいい」
「組んでるよ。荷物持ちとしてな」
ポックは背負い袋の紐を引いた。
「連中の指示どおりに荷物を運ぶだけだ。おれが欲しい素材を取りに行ったり、手掛かりを探したりはできない」
そして、黒い甲冑を見上げる。
「でも、兄ちゃんが冒険者になれば話は別だ」
「僕が?」
「成人で、力があって、前に立てる」
「戦った経験はないぞ」
「殴られても平気なんだろ」
「精神的には傷つく」
「おれが道を決めて、売れる素材を選ぶ。兄ちゃんは前に立って、魔物を止める」
「ずいぶんと僕の負担が大きくないか?」
「前に立って殴られるだけなら、センセイにもできるだろ」
「センセイ?」
「用心棒のセンセイって意味だよ」
ルシアンは胸を張った。
「なるほど。僕ほどの人物なら、敬称が必要なのは当然だね」
「そういう意味じゃねえよ」
「悪くない。今後はそう呼びたまえ」
「……本当に分かってねえな」
ポックは呆れたように息を吐き、それから手を差し出した。
「おれが案内と金の管理をする。兄ちゃん――センセイは前で戦う。稼ぎは七対三だ」
「僕が七か、悪いね」
「おれが七」
「なぜだ!」
「登録、入洞料、食料、道具、地図、素材の査定、売却交渉。全部おれがやる」
「攻撃を受けるのは僕だぞ!」
「痛くないだろ」
「精神的には痛いと言っている!」
「それにセンセイ、金の管理できないだろ」
「失礼だな」
「銅貨六枚」
「あれは美への投資の結果だ」
「一枚も回収できてない」
「僕の肉体には今も価値として蓄積されている」
「誰にも見えねえだろ」
痛いところを突く少年だった。
しばらく言い争った末、二人は経費を先に引き、残りを半分ずつ分けることで合意した。
ただし、金はポックが管理する。
「なぜ君が財布を持つ」
「銅貨六枚になるまで使った奴には任せられない」
「僕は成人だぞ」
「おれは商人だ」
「見習い冒険者だろう」
「商人でもある」
ポックはルシアンの手から革袋を取り上げた。
軽さに眉をしかめ、背負い袋の奥へしまう。
「では、契約成立だな。ポックン」
「ポックン?」
「君は昔から、小さくて丸い顔をしていたからね」
「やめろ」
「僕をセンセイと呼ぶなら、君はポックンだ」
「その呼び方、契約に入ってないぞ」
「今、追加した」
「勝手に追加するな!」
ルシアンは歩き出した。
「さて、ポックン。鐘鳴り坑道へ案内したまえ」
「その前に冒険者登録だよ、センセイ」
「うむ。その呼び方は実に悪くない」
「やっぱり腹立つな」
小柄な少年と、巨大な黒い甲虫。
二人が並んで歩くと、町の人々は不思議そうに振り返った。
だが今度のルシアンは、視線を浴びても立ち止まらなかった。
鏡に映る自分は、もう見たくもない姿だった。
それでも隣には、その外殻の中身を知る少年がいる。
「急ぎたまえ、ポックン」
「センセイがでかくて歩きにくいんだよ!」
二人は言い争いながら、冒険者組合へ向かった。