翌朝。
ポックは荷馬車を買った。
「決めるのが早いね」
「昨日見たから」
「買い物というものは、もう少し心を躍らせながらするものではないのかね」
「車輪が歪んでないか見る方が先だろ」
中古の二輪荷馬車だった。
荷台の縁には何度も補修した跡があり、板の色も場所によって違う。
だが車軸は太い。
車輪もまだ使える。
前の持ち主が荷運びに使っていたらしく、荷台の四隅には縄を掛けるための金具も残っていた。
ポックは車輪を一つずつ蹴った。
次に荷台へ乗る。
床板を踏む。
しゃがんで下を見る。
「どうだね」
「悪くない」
「昨日から何度も聞いている気がするな、その評価」
ポックは荷台から飛び降りた。
「悪くない物を買うんだよ。すごくいい物は高いから」
それから売り手と値段の話を始めた。
最初に紙へ書かれていた額より、少し下がった。
代わりに予備の車輪はつかなくなった。
油差しと、荷台へ掛ける古い布は残った。
ルシアンは横で聞いていたが、途中からよく分からなくなった。
金額が上がったり下がったりするたびに、ポックの表情だけは変わらない。
最後に握手をして、銀貨が渡された。
「買った」
「おめでとう、ポックン」
ポックは荷馬車を見た。
少しだけ口元が緩んだ。
「ああ」
◇
馬は、その日の昼前に決まった。
茶色い牝馬だった。
若くはない。
だが脚は太く、荷馬車を引くことには慣れている。
ポックは口の中を見て。
脚を触り。
背中を見て。
最後に少し歩かせた。
ルシアンは柵の外から眺めていた。
「美しさなら、隣の白馬の方が上だと思うが」
「あれは乗用馬」
「白い方が目立つ」
「荷物を運ぶんだよ」
「商人にも華は必要だろう」
ポックは茶色い馬の首を撫でた。
「こっちでいい」
馬は一度だけ鼻を鳴らした。
その日のうちに馬具も揃えた。
新品ではない。
革帯の一部だけ交換し、擦れていた金具を直してもらう。
ポックは何度も取りつけ方を確かめた。
御者台へ座り、手綱を持つ。
少し進ませ、止まったり、ゆっくりと円を描くように回らせた。
最初の一周は、かなり大きく曲がった。
二周目は少しましになった。
三周目で、荷馬車はほぼ同じ場所へ戻ってきた。
「どう?」
御者台からポックが聞いた。
「君が馬を操っているというより、馬が君に付き合っているように見えるね」
「ちゃんと戻ってきただろ」
「それは認めよう」
ポックは満足そうに手綱を緩めた。
◇
午後からは、荷を買った。
最初から大きな取引はしなかった。
乾燥させた豆。
オルディナで織られた布。
瓶詰めの香草。
木箱に入った細かな日用品。
どれも一つ一つは高価ではない。
荷台にも余裕がある。
「もっと載せられるのでは?」
「載せられるけど、売れなかったらそのまま持って帰ることになる」
ポックは帳面へ値段を書いた。
「ある程度売れそうなものはわかってるつもりだけど、実際には、どれが売れるか確かめないとな」
仕入れ値。
個数。
売る予定の値段。
道中の宿代。
馬の餌。
荷馬車を買ったばかりなのに、すでに次に使う金まで分けている。
ルシアンは荷台の横に立っていた。
以前なら。
こういう荷物は、ほとんど自分の背中に載せられていた。
今は布の包み一つでも、何個もまとめればそれなりに重い。
ルシアンが木箱へ手を伸ばす。
「それ、重いよ」
「見れば分かる」
「おれが持つ」
「そこまで衰えてはいない」
両手で持ち上げる。
持てた。
だが腕に力を入れる必要がある。
十歩ほど運んで荷台へ載せた。
「どうだね」
「普通」
「普通に持てた、という意味だね」
「うん」
ルシアンは腕を軽く振った。
少し疲れた。
それも、久しぶりの感覚だった。
ポックはもう次の荷物を運んでいる。
◇
日が傾き始めるころには、準備が終わった。
宿の裏手に停められた荷馬車。
荷台には木箱と包み。
御者台の脇には水と保存食。
投索器は、すぐ手の届く場所へ括りつけられている。
長縄もあった。
冒険者として使っていた道具を、すべて捨てたわけではない。
ポックは荷台の後ろへ回り、縄の張りを確かめた。
「明日の朝、出る」
「ミルダへ?」
「ああ」
「そこからラドメル」
「売れ方見てからだけどな」
ルシアンは荷馬車を眺めた。
「いよいよ商人だね」
ポックは答えなかった。
荷台の端を一度押す。
動かないことを確認して、ようやく手を離した。
ルシアンは少し離れたところへ置かれた自分の荷物を見る。
服。
旅支度。
それほど多くはない。
「僕も、そろそろ帰ることにするよ」
ポックが振り返った。
「村に?」
「ああ。屋敷を八か月も空けているからね」
「誰か見てるんだろ?」
「最低限はね」
父から受け継いだ土地と屋敷。
以前のルシアンなら、戻ったところで何をするでもなかった。
今も、畑仕事を始めるつもりはない。
だが。
一度くらいは、自分の目で見ておくべきだろうと思った。
それをポックへ説明する必要はなかった。
「明日は僕も東門まで行こう」
「見送り?」
「君が初日から荷馬車をひっくり返さないか確認するためだよ」
ポックは縄を片づけた。
◇
翌朝。
東門の外には、すでに何台もの荷馬車が並んでいた。
商人。
農夫。
荷運び人。
護衛の冒険者。
町を出ていく者たちが、順番に門を抜けていく。
その中に、ポックの荷馬車もあった。
茶色い牝馬がゆっくりと前へ進む。
御者台に座るポックは、昨日より少しだけ様になっていた。
ルシアンは門の外まで歩いた。
荷馬車が街道へ入ったところで止まる。
ポックも馬を止めた。
「じゃあ」
「ああ」
それだけだった。
八か月。
毎日、ほとんど同じ場所にいた。
朝起きて。
道を歩いて。
ダンジョンへ入り。
荷物を運び。
宿を探し。
次の町へ向かった。
別れると決めてみれば、話すことは意外と少なかった。
「商売が上手くいくことを祈っているよ」
「ありがと」
「ただし、安売りしすぎるのは感心しないね」
「しないよ」
「身なりにも多少は気を配りたまえ」
「昨日髪切っただろ」
ポックが手綱を軽く動かした。
馬が歩き出す。
「またな、センセイ」
ルシアンは手を上げた。
「またね、ポックン」
荷馬車は街道を進んでいく。
木箱。
布包み。
その横に括られた投索器。
少しずつ小さくなる。
やがて、他の荷馬車に混じった。
ルシアンはしばらくその場に立っていた。
風が髪を揺らす。
黒い外殻はない。
頭の中へ届く声もない。
隣を歩く少年もいない。
それでいい。
甲冑は外れた。
ポックは商人へ戻った。
二人とも、欲しかったものを手に入れた。
ルシアンはオルディナの町へ振り返った。
そして、一人で歩き出した。