僕の美しさが見せられない!   作:柿木杮

43 / 43
第43話 最初の商い

 最初の商いは、思っていたより普通だった。

 

「これ、もう少し安くならない?」

 

「ならんよ」

 

「三つ買う」

 

「三つでも同じだ」

 

「五つ」

 

 ミルダの雑貨屋の主人が、ポックを見る。

 

 少し考えた。

 

「五つなら、こっちを二つ付ける」

 

 差し出されたのは、小さな革紐だった。

 

 ポックは手に取り、縫い目を見る。

 

「じゃあ、それで」

 

 銀貨ではない。

 

 もっと細かな金が卓の上を行き来する。

 

 大金が一度に動く転輪城の戦利品とは違う。

 

 一つ仕入れて。

 

 少し高く売って。

 

 宿代を払い。

 

 馬へ餌を買う。

 

 壊れた荷台の留め具を一つ交換する。

 

 帳面へ書けば、残る金は多くはない。

 

 だが、堅実に利益を積み重ねていた。

 

 ポックは帳面の一番下をもう一度確かめた。

 

「……よし」

 

     ◇

 

 オルディナを出てから十日ほど。

 

 荷馬車は再び同じ町へ戻ってきた。

 

 行きに積んでいた布はほとんどない。

 

 陶器も半分以上売れた。

 

 代わりに荷台には、ミルダで仕入れた燻製魚と、ラドメルで安く手に入れた金具や革製品が積まれている。

 

 馬も最初よりは、ポックの手綱に素直に従うようになっていた。

 

「止まれ」

 

 門の前で手綱を引く。

 

 栗毛の牝馬が止まる。

 

「よし」

 

 ポックは御者台から降りた。

 

 門番が荷台を覗く。

 

「行商か?」

 

「ああ」

 

「一人で?」

 

「今は」

 

 積み荷の確認が終わる。

 

 荷馬車を町へ入れた。

 

 それだけだった。

 

 冒険者になったときとは違う。

 

 巨大な黒い甲冑もいない。

 

 誰も振り返らない。

 

 ポックは少しだけ辺りを見た。

 

 それから馬を引いて、市場へ向かった。

 

     ◇

 

 宿へ入る前に、帳面を開いた。

 

 まだ荷台に残っている商品の仕入れ額も分けて考える。

 

 計算し直す。

 

 もう一度。

 

 数字は同じだった。

 

 儲かっている。

 

 大した額ではない。

 

 転輪城で手にした金と比べれば、誤差のようなものだった。

 

 だが。

 

 これは宝物庫から持ち帰った金ではない。

 

 魔物を倒して得た金でもない。

 

 自分で買って。

 

 運んで。

 

 売った金だった。

 

 ポックは帳面を閉じた。

 

 少しだけ笑った。

 

     ◇

 

 次に目をつけたのは、三峰峡だった。

 

 ダンジョンへ入るつもりはない。

 

 入口へ来る冒険者相手に物を売る。

 

 八か月も潜っていれば、何が足りなくなるのかは分かる。

 

 縄、灯りの油。包帯は必ず使うし、保存食。

 

 水袋。

 

 留め具。

 

 安い手袋。

 

 靴底へ打つ鋲。

 

 オルディナで仕入れた方が安いものを選び、荷台へ積んだ。

 

 三峰峡へ着いたのは、二日後の昼前だった。

 

 入口近くには、以前と同じように冒険者が集まっていた。

 

 壁際へ荷物を置いて準備する者。

 

 戻ってきたばかりで座り込んでいる者。

 

 傷んだ縄を捨て、新しいものを探している者。

 

 ポックは荷馬車を止めた。

 

 小さな板を荷台へ立てかける。

 

 値段を書く。

 

 しばらく待つ。

 

 最初に売れたのは水袋だった。

 

 次が包帯。

 

 その次に縄。

 

「もう少し長いのない?」

 

「あるよ」

 

 荷台の奥から出す。

 

「こっちは?」

 

「細い。荷物吊るすならいいけど、人には使わない方がいい」

 

「じゃあ太い方」

 

 銅貨を受け取る。

 

 次の客が来る。

 

 ポックは帳面へ印をつけた。

 

 昼を過ぎるころには、持ってきた縄の半分近くがなくなっていた。

 

「もっと持ってくればよかったな」

 

 誰に言うでもなく呟く。

 

 次に来るなら、太縄を増やす。

 

 油ももう少し。

 

 保存食は思ったほど動かない。

 

 冒険者は町で買ってから来るらしい。

 

 帳面へ小さく書き足した。

 

     ◇

 

 午後になって、荷馬車を入口脇の預かり場へ移した。

 

 売れ残った荷をそのまま置いておく。

 

 ポックは小さな袋だけ肩へ掛けた。

 

 中には水。

 

 少しの保存食。

 

 帳面。

 

 それから投索器。

 

 三峰峡へ入るつもりはない。

 

 入口から少し奥にある広場まで見に行くだけだった。

 

 戻ってくる冒険者がどこで休むのか。

 

 何を捨てているのか。

 

 何が壊れているのか。

 

 見れば、次に持ってくる物が分かる。

 

 入口から続く石道には、まだ人が多かった。

 

 武器を持たない荷運び人もいる。

 

 ポックはその流れに混じった。

 

 崖沿いの道へ入る前。

 

 古い石造りの広場がある。

 

 壁際には壊れた木箱。

 

 使い切った油壺。

 

 切れた革紐。

 

 ポックはしゃがみ込んだ。

 

「靴紐もいるな」

 

 帳面へ書く。

 

 立ち上がった。

 

 そのとき。

 

 足元で、小さな音がした。

 

 ぱき。

 

 ポックが下を見る。

 

 石板に細い亀裂が走っていた。

 

「……え」

 

 亀裂が伸びた。

 

 一気に。

 

「下がれ!」

 

 誰かが叫んだ。

 

 石床が落ちた。

 

     ◇

 

 身体が浮いた。

 

 視界が回る。

 

 ポックは投索器を掴んだ。

 

 考えるより先だった。

 

 上へ向ける。

 

 引き金を引く。

 

 空気を叩く音。

 

 中央から案内子。

 

 左右から二つの錘。

 

 崩れ残った石縁の向こうへ飛んだ。

 

 左右の錘が石柱へ巻きつく。

 

 主索が張った。

 

「ぐっ!」

 

 腕が抜けるかと思った。

 

 落下が止まる。

 

 そのまま身体が横へ振られた。

 

 壁へ叩きつけられる。

 

「うっ……!」

 

 右肩。

 

 息が詰まった。

 

 投索器を離さなかった。

 

 上ではまだ石が崩れている。

 

 小石が頭や背中へ降ってくる。

 

 ポックは壁へ足をついた。

 

 止まれない。

 

 身体が滑る。

 

「……っ」

 

 息を吸う。

 

 肩が痛い。

 

 だが動く。

 

 上を見る。

 

 穴の縁から何人かが覗き込んでいた。

 

「おい! 無事か!」

 

「生きてる!」

 

 返した直後。

 

 また音がした。

 

 ごき。

 

 上で、石柱が傾いた。

 

 錘が巻きついている柱だった。

 

「まずい」

 

 主索が緩む。

 

 ポックは周囲を見る。

 

 すぐ横。

 

 壁の一部が崩れ、奥へ続く穴が露出していた。

 

 白い。

 

 石ではない。

 

 ポックは鉤を外した。

 

 壁へ身体を寄せる。

 

 足を掛ける。

 

 穴の縁へ手を伸ばした。

 

 背後で石柱が倒れた。

 

 主索が一気に落ちてくる。

 

 ポックは身体を穴の中へ投げ込んだ。

 

 直後。

 

 轟音がした。

 

 入口が石と土で塞がった。

 

     ◇

 

 しばらく、動かなかった。

 

 砂埃が落ち着くのを待つ。

 

 肩を回す。

 

 痛い。

 

 だが折れてはいないと思う。

 

 膝も擦りむいている。

 

 頭は打っていない。

 

 投索器もある。

 

 ポックは立ち上がった。

 

 白い壁。

 

 継ぎ目の少ない床。

 

 天井には、ところどころ青白い灯り。

 

「……ここか」

 

 見覚えがあった。

 

 中央保全拠点。

 

 あるいは、そのどこかにつながる経路。

 

 ポックは壁へ近づいた。

 

 円。

 

 その中に三本の線。

 

 触れる。

 

 何も起きない。

 

 もう一度。

 

 やはり何も起きない。

 

 ポックは手を離した。

 

 背負い袋から白墨を出す。

 

 壁にはつかない。

 

「そうだった」

 

 しまう。

 

 代わりに帳面を開いた。

 

 歩いた分だけ、線を書く。

 

 分岐があれば印をつける。

 

 一つ目。

 

 右。

 

 二つ目。

 

 行き止まり。

 

 戻る。

 

 左。

 

 灯りの消えた広間。

 

 さらに奥。

 

 そして。

 

 扉があった。

 

 円の中に三本線。

 

 ポックは取っ手を探した。

 

 ない。

 

 隙間へ短刀を入れようとする。

 

 入らない。

 

 投索器の鉤を掛けられる場所もない。

 

 押す。

 

 叩く。

 

 何も起きなかった。

 

 ポックは扉の前へ座った。

 

 水袋を開ける。

 

 一口だけ飲む。

 

 頭上のどこかで、かすかに石の落ちる音がした。

 

 外では、誰かが助けを呼びに走っているはずだ。

 

 それまでは。

 

 できることをする。

 

 ポックは帳面を開き直した。

 

     ◇

 

 翌日の午後。

 

 イモターレ家の玄関が激しく叩かれた。

 

 ルシアンは二階にいた。

 

 久しぶりに開いた自室。

 

 久しぶりの姿見。

 

 八か月放置していた屋敷は、思ったよりひどい状態ではなかった。

 

 今朝は屋根の修理を頼み。

 

 昼には畑を任せていた男から話を聞いた。

 

 そして今は、古い衣装箱を開けていたところだった。

 

 もう一度、扉が叩かれる。

 

 ルシアンは階段を下りた。

 

 玄関を開ける。

 

 馬を飛ばしてきたらしい男が立っていた。

 

「ルシアン・イモターレさんですか」

 

「ああ」

 

「オルディナから急ぎの知らせです」

 

 男が息を整える。

 

「ポック・トバルという少年を、ご存じですか」

 

 ルシアンの表情が消えた。

 

「何があった」

 

「三峰峡で崩落に巻き込まれました」

 

 男は続けた。

 

「落ちたところまでは見た者がいます。生きていたそうです。ただ、救助に入れない」

 

「場所は?」

 

「入口から少し入った石広場です。崩れた下に――」

 

 男が言葉を探した。

 

「白い壁が見えた、と」

 

 ルシアンは何も言わなかった。

 

 玄関を出る。

 

「馬を借りるよ」

 

「え?」

 

「三峰峡へ行く」

 

 上着の前は、まだ留めていなかった。

 

 ルシアンはそのことに気づかなかった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
点
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。