僕の美しさが見せられない!   作:柿木杮

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第44話 もう一度

 三峰峡へ着いたのは、翌朝だった。

 

 馬を休ませる時間だけ取り、ほとんど夜通し走った。

 

 入口近くには人が集まっている。

 

 冒険者。

 

 組合の者。

 

 縄やつるはしを持った男たち。

 

 その向こうに、ポックの荷馬車が見えた。

 

 栗毛の牝馬もいる。

 

 荷台には売れ残った商品が、そのまま積まれていた。

 

 ルシアンは馬から降りた。

 

「ポック・トバルは?」

 

 近くにいた男が振り返る。

 

「あんたがルシアンか?」

 

「ああ」

 

「こっちだ」

 

 案内されたのは、入口から少し奥にある石造りの広場だった。

 

 その中央。

 

 大きく床が抜け落ちている。

 

 周囲には縄が張られ、人が近づかないようになっていた。

 

 ルシアンは縁まで行った。

 

「危ないぞ」

 

「分かっている」

 

 穴の下を見る。

 

 岩。

 

 土。

 

 折れた石柱。

 

 そのさらに奥に。

 

 白いものが見えた。

 

 ルシアンの目が止まる。

 

「昨日の午後に落ちた」

 

 後ろの男が言った。

 

「途中で何か撃って、しばらくぶら下がってた。声も返ってきた」

 

 投索器だ。

 

「そのあと、また崩れた。横の穴へ入ったようには見えたが……」

 

 今、その穴は完全に塞がれている。

 

「掘れないのか?」

 

「やってる。ただ、下から音がするたびに崩れる」

 

 別の男が、少し離れた場所を指した。

 

 岩の隙間に細い杭が立っている。

 

 少しずつ傾いていた。

 

「無理に掘れば、残ってる床ごと落ちるかもしれん」

 

 ルシアンは白い壁を見た。

 

 円。

 

 三本線。

 

 ここからでは半分しか見えない。

 

「中へ入る別の道がある」

 

 男たちがルシアンを見る。

 

「知ってるのか?」

 

「ああ」

 

 ルシアンは穴から離れた。

 

「こっちは掘らないでくれ」

 

「待て。お前一人で行く気か?」

 

 ルシアンは答えなかった。

 

     ◇

 

 西壁道へ入る。

 

 以前、ポックと二人で歩いた道だった。

 

 三峰峡の地図は持っていない。

 

 だが忘れてはいなかった。

 

 落ちた第二吊橋。

 

 迂回路。

 

 半分土に埋もれた壁。

 

 そこに残る、円と三本線。

 

 壁はまだ開いていた。

 

 白い通路も。

 

 青白い灯りも。

 

 そのままだった。

 

 ルシアンは中へ入った。

 

 以前なら。

 

 一歩進むだけで何かが頭へ届いた。

 

 今は何もない。

 

 静かな通路を走る。

 

 第四保全区。

 

 壁面図のある広間。

 

 中央降下路。

 

 どれも一度通った道だ。

 

 搬送台もまだ動いた。

 

 白い床へ乗ると、ゆっくりと下降を始める。

 

 何の通知もない。

 

 ルシアンは縦穴の下を見た。

 

「待っていたまえ、ポックン」

 

 声だけが暗い穴へ落ちていった。

 

     ◇

 

 中央保全拠点へ着く。

 

 北側へ向かった。

 

 先日、三人を救出した経路。

 

 あの崩落と、今回の事故がどこかでつながっているなら、ポックもこの先にいる可能性が高い。

 

 最初の分岐は開いていた。

 

 次も。

 

 三つ目。

 

 そこで止まった。

 

 白い扉が閉じている。

 

 中央には三本線。

 

 ルシアンは触れた。

 

 何も起こらない。

 

 押す。

 

 動かない。

 

 隙間へ指を入れようとする。

 

 入らない。

 

「開きたまえ」

 

 返事はなかった。

 

 当然だった。

 

 ルシアンはもう一度、印へ手を置いた。

 

 何もない。

 

 あれほど鬱陶しかった意味の流入が。

 

 今はどうしようもなく必要だった。

 

 扉から離れる。

 

 周囲を見る。

 

 別の通路。

 

 閉鎖。

 

 さらに奥。

 

 崩落。

 

 人一人が通れる場所はない。

 

 ルシアンはしばらくその場に立っていた。

 

 そして。

 

 来た道を戻った。

 

     ◇

 

 解除区画の扉は、開いたままだった。

 

 中へ入る。

 

 白い解除台。

 

 その前に。

 

 黒い外殻が立っている。

 

 背面を開いたまま。

 

 長らく、自分が入っていたもの。

 

 ルシアンは足を止めた。

 

 何日も経っていない。

 

 それなのに。

 

 ずいぶん久しぶりに見る気がした。

 

 丸い兜。

 

 太い肩。

 

 大きく膨らんだ胴。

 

 背中には、背負子だけが残っている。

 

 ポックが縄や荷物を外したときのままだ。

 

 ルシアンは近づいた。

 

 解除台の側面を見る。

 

 細長い窓。

 

 五つの窪み。

 

 すべて空だった。

 

 接続分離材。

 

 最後の一回分は、自分を外すために使った。

 

 補充経路は応答しなかった。

 

 もう一度これへ入れば。

 

 少なくとも、この場所では外せない。

 

 ルシアンは窓から目を離した。

 

 黒い外殻を見る。

 

 数日前。

 

 ここから出た。

 

 風が顔へ当たった。

 

 鏡を見た。

 

 人が振り返った。

 

 服を選んだ。

 

 普通の椅子へ座った。

 

 普通の寝台で眠った。

 

 長い時間かけて取り戻したものだった。

 

 ルシアンは自分の頬へ触れた。

 

 指先に、肌が触れる。

 

 そのまま少しだけ手を止めた。

 

 やがて。

 

 手を下ろした。

 

 上着を脱ぐ。

 

 畳む。

 

 解除台の脇へ置いた。

 

 シャツ。

 

 靴。

 

 残った衣服も外し、同じ場所へ重ねる。

 

 一番上に、深い青の上着を置いた。

 

 ほんの数日前に選んだばかりの服だった。

 

 ルシアンは黒い外殻の背面へ回った。

 

 中は暗い。

 

 身体を収める空間。

 

 針。

 

 固定具。

 

 すべて覚えている。

 

 最初にこれを見つけたとき。

 

 自分は迷わず入った。

 

 美しくなれると思ったから。

 

 今も。

 

 迷う理由は十分にあった。

 

 ルシアンは外殻へ片足を入れた。

 

 もう片方も。

 

 背中を預ける。

 

 冷たい内壁が肌へ触れた。

 

 しばらく。

 

 何も起こらない。

 

「……動かないのかね」

 

 ルシアンが内部を見回す。

 

 手を置く位置を変えた。

 

 足を少し奥へ入れる。

 

 かち。

 

 足首の近くで何かが動いた。

 

「おや」

 

 細い器具が伸びてくる。

 

 腰。

 

 腕。

 

 胸。

 

 ルシアンはそれを見た。

 

「ああ」

 

 小さく息を吐く。

 

「それでいい」

 

 最初の針が背中へ触れた。

 

 次の瞬間。

 

「ぎゃあああああああっ!」

 

 白い区画に絶叫が響いた。

 

「痛い! 二度目なら少しは加減を覚えたまえ!」

 

 針が次々に刺さる。

 

「待て! やはり一度出よう! いや、出ない! 出ないが痛いものは痛い!」

 

 神経へ熱が走った。

 

 視界の奥へ、懐かしい感覚が戻ってくる。

 

《生体接続を確認》

 

《緊急保全要員・仮登録を確認》

 

「確認したなら手早く済ませたまえ!」

 

《生体固定処理を継続》

 

「融通の利かなさまで変わっていないな!」

 

 背面の装甲が動き始めた。

 

 外の光が細くなる。

 

 ルシアンは、脇に畳んだ青い上着を見た。

 

 最後まで。

 

 見ていた。

 

 黒い装甲が閉じる。

 

 光が消えた。

 

 数秒後。

 

 内部に青白い灯りがともる。

 

《生体固定完了》

 

《外殻駆動同期を開始》

 

 ルシアンは右手を握った。

 

 黒い指が動く。

 

 左手。

 

 脚。

 

 一歩。

 

 床が重く鳴った。

 

 三百キロ近い身体。

 

 怪力。

 

 硬い外殻。

 

 そして。

 

 頭の奥へ、次の意味が流れ込んできた。

 

《保全従事者を確認》

 

《北側経路・通行許可》

 

 ルシアンは解除区画を出た。

 

 足元へ、青白い線が伸びる。

 

 北へ。

 

 閉じた扉の向こうへ。

 

 黒い巨体が走り出した。

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