僕の美しさが見せられない!   作:柿木杮

45 / 45
第45話 センセイなら来ると思ってた

 黒い巨体が通路を走る。

 

 一歩ごとに、床が重く鳴った。

 

 この重さも。

 

 この速さも。

 

 数日前まで、自分にとっては当たり前のものだった。

 

 曲がり角を曲がるたびに、青白い灯りが先へ先へと点いていく。

 

《北側経路・構造損傷継続》

 

《未退避通行者 一名》

 

 ルシアンは足を速めた。

 

「場所を示したまえ」

 

 床に細い線が走る。

 

 右。

 

 次の分岐を左。

 

 先ほどは開かなかった白い扉の前まで来た。

 

《保全従事者を確認》

 

 中央の三本線が光る。

 

 扉が左右へ開いた。

 

 ルシアンはそのまま駆け抜けた。

 

 その向こうにも白い通路が続いている。

 

 ただし、状態は悪かった。

 

 壁には亀裂。

 

 天井から入り込んだ土。

 

 床には大小の石が散らばっている。

 

《未退避通行者まで――近距離》

 

「ポックン!」

 

 声が通路へ響いた。

 

 返事はない。

 

 さらに走る。

 

「ポックン!」

 

 今度は。

 

 遠くから声がした。

 

「――センセイ?」

 

 ルシアンの足が止まった。

 

 すぐにまた動く。

 

「そうだ!」

 

「こっち!」

 

 声を追う。

 

 一つ曲がる。

 

 さらに奥。

 

 もう一枚の白い扉。

 

 ルシアンが近づくと、三本線が光った。

 

 扉が開く。

 

     ◇

 

 ポックは、しばらく動かなかった。

 

 開いた扉の向こう。

 

 青白い光の中に。

 

 巨大な黒い甲冑が立っている。

 

 丸い兜。

 

 太い腕。

 

 甲虫のような外殻。

 

 八か月、ほとんど毎日見ていた姿だった。

 

「ポックン」

 

 声も同じだった。

 

 少しくぐもった、聞き慣れた声。

 

 ポックは壁へ預けていた背中を離した。

 

「センセイなら来ると思ってた」

 

「当然だよ」

 

 ルシアンはポックの前まで来た。

 

 黒い兜が上から覗き込む。

 

「怪我は?」

 

「右肩。あと膝」

 

「頭は?」

 

「打ってない」

 

「歩けるかね」

 

「ああ」

 

 ポックは肩を軽く回した。

 

 顔が少し歪む。

 

 だが脚は動いている。

 

 ルシアンはそれを確認した。

 

「では帰ろう」

 

 ポックが頷いた。

 

 歩き出す。

 

 その横を、ルシアンが進んだ。

 

 ポックの視線が、一度だけ黒い外殻へ向いた。

 

 すぐに前へ戻る。

 

 何も言わなかった。

 

 最後の一回分。

 

 解除台の横にあった、あの透明な筒。

 

 ポックも見ていた。

 

 だから。

 

 聞く必要はなかった。

 

     ◇

 

 帰り道は簡単だった。

 

 ルシアンが来た道を、そのまま戻ればいい。

 

 閉じていた扉も、今はルシアンが近づけば開く。

 

《保全従事者の通行を確認》

 

 一枚。

 

 また一枚。

 

 白い扉が二人の前で開いていく。

 

 ポックは最初の扉を通るときだけ、三本線を見た。

 

 触れなかった。

 

 そのまま通り過ぎた。

 

 少し進んだところで、足音が遅れ始める。

 

 ルシアンが振り返った。

 

 ポックは右腕を身体へ寄せて歩いていた。

 

「ポックン」

 

「何?」

 

「乗るかね」

 

「歩ける」

 

 ルシアンはそれ以上言わなかった。

 

 また歩き出す。

 

 一つ曲がる。

 

 さらにしばらく。

 

 後ろから声がした。

 

「センセイ」

 

「何だね」

 

「……やっぱ乗る」

 

 ルシアンは立ち止まった。

 

「そうしたまえ」

 

 背を向け、少し腰を落とす。

 

 ポックが背負子へ手を掛けた。

 

 片腕では登りにくい。

 

 ルシアンが黒い手を後ろへ回し、身体を支える。

 

 ポックが背負子へ収まる。

 

 ルシアンは立ち上がった。

 

「重くなったのでは?」

 

「なってない」

 

「十日ほど会わない間に、多少は成長したかと」

 

「そんなすぐでかくならないよ」

 

「では荷物かね」

 

「センセイ」

 

「何だね」

 

「落とすなよ」

 

「僕を誰だと思っている」

 

 ルシアンは歩き出した。

 

 背中から、小さく息を吐く音がした。

 

 それきりポックは黙った。

 

 ルシアンも何も言わなかった。

 

 背負子へかかる重さ。

 

 後ろから聞こえる呼吸。

 

 何日か前まで。

 

 ずっとあったものだった。

 

     ◇

 

 解除区画の前まで戻ってきた。

 

 ルシアンの足が止まる。

 

 ポックも背中から顔を上げた。

 

 白い台座。

 

 その脇。

 

 床に服が畳まれている。

 

 白いシャツ。

 

 黒いズボン。

 

 その一番上に、深い青の上着。

 

 ポックが背負子から降りた。

 

 服の前まで行く。

 

 青い上着を持ち上げた。

 

 軽く埃を払う。

 

「置いていくのかね」

 

「持ってく」

 

 シャツとズボンもまとめる。

 

「荷物になるよ」

 

「服くらい載る」

 

 ポックはそれだけ言った。

 

 ルシアンは何も返さなかった。

 

 解除台を見る。

 

 側面の細長い窓。

 

 五つの窪み。

 

 すべて空。

 

 分かっていたことだった。

 

 それでも目が止まった。

 

 ルシアンは解除台へ近づいた。

 

「接続分離材の補充元を照会したまえ」

 

 少し間があった。

 

《補充記録を照合》

 

 ルシアンは待った。

 

《最終供給元記録あり》

 

《保全物資所・東部系統》

 

 さらに。

 

《位置情報――欠損》

 

「……ほう」

 

 服をまとめていたポックが顔を上げた。

 

「何?」

 

「この接続分離材を、ここへ送っていた場所の記録が残っている」

 

 ポックが近づく。

 

「どこ?」

 

「東部系統の保全物資所」

 

「場所は?」

 

「分からない」

 

「今もある?」

 

「それも分からない」

 

「そこに残ってるかは?」

 

「分からないね」

 

 ポックは五つの空いた窪みを見た。

 

 それから抱えていた服へ目を落とす。

 

「じゃあ、調べる」

 

 ルシアンが黒い兜を向けた。

 

「簡単に言うね」

 

「前もそうだっただろ」

 

 ポックは青い上着を荷物の一番上へ載せた。

 

「場所分かんなくて、地図探して、記録探して」

 

 革紐を締める。

 

「そのうち見つかった」

 

 ルシアンは何も言わなかった。

 

「行こう、センセイ」

 

「ああ」

 

 二人は解除区画を出た。

 

     ◇

 

 中央降下路を上がる。

 

 第四保全区。

 

 西側中継路。

 

 来た道を逆にたどっていく。

 

 白い壁の向こうから外の光が見えた。

 

 ルシアンが最後の扉へ近づく。

 

 三本線が光った。

 

 壁が開く。

 

 風が入ってきた。

 

 黒い外殻の表面を撫でる。

 

 中の肌までは届かない。

 

 数日前。

 

 初めてここから出たときは。

 

 その風が直接、顔に触れた。

 

 ルシアンは一度だけ外を見た。

 

「センセイ?」

 

「何でもないよ」

 

 西壁道へ出る。

 

 そこからは普通の道だった。

 

 ポックは途中から、また背負子へ乗った。

 

 ルシアンが歩く。

 

 やがて、人の声が聞こえてきた。

 

「いたぞ!」

 

 前方から何人かが走ってくる。

 

 三峰峡の入口にいた者たちだった。

 

「ポック!」

 

 背負子の上で、ポックが片手を上げた。

 

「生きてる!」

 

「見れば分かる!」

 

 男が息を切らしながら近づいてくる。

 

 その後ろにも人がいる。

 

 ポックが背負子から降りようとした。

 

「そのままでいたまえ」

 

「もう平気だよ」

 

「肩を痛めている人間の言葉は信用しないことにした」

 

 ルシアンはそのまま歩いた。

 

 救助の者たちが、黒い巨体を見上げる。

 

 昨日ここへ来た青年とは、似ても似つかない。

 

 だが背中のポックが言った。

 

「センセイだよ」

 

 それで十分だった。

 

     ◇

 

 入口へ戻ると、栗毛の牝馬がいた。

 

 荷馬車も。

 

 商品も残っている。

 

 ポックは背負子から降りるなり、まず馬のところへ行った。

 

「おい」

 

 馬が顔を上げる。

 

 ポックは首を撫でた。

 

「よかった」

 

 次に荷台。

 

 縄。

 

 木箱。

 

 値札。

 

 一つずつ見る。

 

「商品もある」

 

「先ほどから僕がそう言っているだろう」

 

「自分で見ないと分かんないだろ」

 

 ルシアンは荷馬車の横に立った。

 

 ポックがようやく振り返る。

 

「センセイ」

 

「何だね」

 

「腹減った」

 

「僕もだよ」

 

 ポックが黒い兜を見る。

 

「食える?」

 

「食事口はある。そこまで消えてはいないはずだ」

 

「じゃあ何か食おう」

 

「ああ」

 

 ポックは荷馬車の御者台へ乗った。

 

 右肩を使わないように、ゆっくりと。

 

 手綱を持つ。

 

 少し迷ってから、隣を見る。

 

「乗る?」

 

 ルシアンは荷馬車を見る。

 

 それから自分の巨体を見る。

 

「壊したくなければ、歩かせた方がよいと思うよ」

 

「じゃ、歩いて」

 

「用心棒へ対する扱いが早くも元に戻っていないかね」

 

 栗毛の牝馬が歩き出す。

 

 荷馬車の車輪が回る。

 

 ルシアンも、その横を歩き出した。

 

 黒い甲冑と。

 

 少年商人。

 

 ほんの少し前までと、同じ並びだった。

 

 違うのは。

 

 もう契約がないことだけだった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
点
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。