ラドメル冒険者組合は、酒場と倉庫を一つにしたような建物だった。
広い一階には受付台が並び、剣や弓を背負った者たちが行き交っている。壁には依頼書が貼られ、奥からは酒と煮込み料理の匂いが流れてきた。
ルシアンが入口をくぐると、室内のざわめきが一度だけ弱まった。
「注目を集めているな」
「そりゃあ、でかい虫が入ってくれば見るだろ」
「甲冑だと言っている」
ポックは人々の視線を無視して、空いている受付へ向かった。
受付台の向こうにいた女性は、近づいてくる黒い巨体を見上げ、手元の書類をそっと置いた。
「本日は、どのようなご用件でしょうか」
「この人の冒険者登録」
「こちらの……方の?」
「ルシアンだ」
ルシアンが名乗ると、受付係は甲冑の頭から足先までを見た。
「兜を外していただけますか」
「取れるなら、冒険者になる必要はなかった」
「本人確認ができないのですが」
「村の神官からの紹介状がある」
ポックが背負い袋から紹介状を取り出した。
受付係は封を確かめ、中身を読む。
途中で一度ルシアンを見上げ、もう一度書面へ目を戻した。
「ルシアン・イモターレさん。成人男性。古代遺物と思われる甲冑と生体接続状態にあり、取り外し不能……」
「最後の部分を、あまり大きな声で読まないでもらいたい」
「申し訳ありません」
すでに周囲の冒険者たちは、聞き耳を立てていた。
「ポック・トバルさんは、この方をご存じなのですね?」
「昔から知ってる。声も中身もルシアンの兄ちゃんで間違いない」
「中身という表現はやめたまえ」
「他に言いようがないだろ」
受付係は少し迷ったあと、登録用紙を取り出した。
「では、必要事項を確認します。これまでの職業は?」
「美の探究者だ」
「無職だよ」
「ポックン」
「働いてなかっただろ」
「日々、自らの美を磨いていた」
「金をもらってないなら職業じゃない」
受付係は筆を止めたまま、二人を見比べている。
「護衛業と書きたまえ。今日から僕はポックンの用心棒だ」
「まだ一度も仕事してないけどな」
「契約は成立している」
「では、護衛業見習いとしておきます」
「見習い?」
ルシアンは不満を口にしたが、受付係はすでに次の欄へ進んでいた。
「武器の使用経験は?」
「ない」
「魔物との戦闘経験は?」
「ない」
「対人戦闘は?」
「村人に槍と斧で襲われた」
「それは戦闘経験に入らないだろ」
「一方的に攻撃を受けたのだぞ」
「反撃してないなら殴られただけじゃないか」
「すれば死んでいたかもしれないからね」
受付係の筆が、また止まった。
「その点も含めまして、登録前に簡単な実技確認を受けていただきます」
「僕の実力を疑うのか?」
「戦闘経験のない方が、ダンジョンへ入ろうとしていますので」
「疑われても仕方ないな、センセイ」
「君はどちらの味方なのだ」
「安全な方」
登録料はポックが立て替えた。
銅貨を受付台へ置くと、すぐに小さな帳面を取り出し、金額を書き込む。
「今のは何だ?」
「センセイへの貸し付け」
「契約したばかりの相手から利息を取るつもりではないだろうね」
「取らないよ。今のところは」
「今のところ?」
◇
組合の裏手には、板塀に囲まれた訓練場があった。
地面には砂が敷かれ、木製の標的や訓練用の武器が並んでいる。
二人を待っていたのは、片耳の一部が欠けた中年の男だった。
腕は太く、使い込まれた革鎧を着ている。
「実技を担当するバルドだ」
「ルシアン・イモターレ。世界でもっとも美しい男だ」
「自称の肩書きは評価しない」
「この町には想像力の乏しい者が多いな」
バルドはルシアンの周囲を一周した。
甲冑の胸を拳で叩き、肩や肘の動きを確かめる。
「重さは?」
「知らない」
「動きにくいか?」
「多少は。だが、甲冑が身体を動かす力を補っている」
「武器は?」
「まだない」
「正解だな。下手くそに刃物を振られちゃ余計な死人がでる」
バルドは訓練場の中央に置かれた標的を示した。
藁を束ね、その上から厚い革を巻いた人型の標的である。
「まず、軽く殴ってみろ」
「軽くとは、どの程度だ?」
「壊さない程度だ」
「曖昧な指示だな」
「普通の人間なら通じる」
「僕も美しすぎるという点を除けば普通の人間だ」
「なら、普通にやれ」
ルシアンは標的の前に立った。
拳を握り、慎重に腕を引く。
今まで石壁や扉を壊したのは、すべて力加減を誤った結果だった。
今度こそ、優雅に制御してみせる。
「この程度か」
黒い拳が、標的の胸へ触れた。
破裂音がした。
人型の標的が支柱ごと地面から抜け、訓練場の端まで飛んでいく。板塀へ激突し、藁を撒き散らして崩れた。
沈黙。
《出力補助、十二パーセント》
「十二パーセントだったそうだ」
バルドがゆっくり振り返った。
「残りの八十八パーセントは、絶対に人へ向けるな」
「僕も今、同じことを考えていた」
「本当に軽く殴ったんだよな?」
ポックが壊れた標的を見ながら尋ねる。
「ああ。指で押す程度のつもりだった」
「センセイの指示を変える。魔物を見ても、勝手に殴るな」
「まだ試験は始まったばかりだろう」
「もう十分わかった気もするけどな」
バルドは別の標的を用意させることを諦めたらしい。
訓練用の木剣を手に取り、少し離れた場所へ立った。
「次は動きを見る。俺に一撃入れてみろ」
「怪我をしても知らないぞ」
「当たってから心配しろ」
挑発的な言葉だった。
ルシアンは片足を引き、姿勢を整えた。
「構えはそれでいいのか?」
「もっとも美しく見える角度を選んだ」
「見た目を気にするな。隙だらけじゃねぇか」
「僕から美を取れば、何が残る」
「その鎧だろ」
「それは僕ではないではないか!」
バルドが横へ動いた。
ルシアンも追う。
甲冑の脚が砂を強く蹴り、黒い巨体が一気に前へ飛び出した。
「速い――」
ポックが言い終える前に、バルドは半歩だけ横へ避けた。
ルシアンの拳が空を切る。
「おっと」
止まろうとしたが、身体の勢いを殺せない。
そのまま訓練場を横切り、先ほど標的がぶつかった板塀へ肩から突っ込んだ。
板が数枚まとめて外れた。
《周辺構造物に重大な損傷》
「報告しなくていい!」
ルシアンは壊れた板塀から身体を引き抜いた。
外殻には擦り傷すらない。
「力はある。速さも、見た目ほど悪くない」
バルドは木剣を肩へ載せた。
「だが、曲がれない。止まれない。当てられない」
「初めてなのだから当然だろう」
「相手は初めてだからと待ってはくれん」
今度は、バルドが攻める側になった。
「動かずに受けてみろ」
「避けなくていいのか?」
「避けられるなら避けてもいい」
木剣が振るわれた。
ルシアンは身を引こうとしたが、間に合わない。
乾いた音とともに、木剣が胸部装甲へ当たった。
そして折れた。
半分になった木剣を、バルドが無言で見つめる。
「痛みは?」
「ない」
「衝撃は?」
「触られた程度だ」
バルドは折れた剣を捨て、今度は長い柄のついた訓練用の槌を持ってきた。
「もう一度だ」
「道具を壊したいだけではないだろうね」
槌が黒い脇腹へ叩き込まれた。
ルシアンの巨体がわずかに揺れる。
それだけだった。
槌の頭には、大きな亀裂が入っている。
《損傷なし》
「まったく問題ない」
「鎧としては最高だな」
バルドは亀裂の入った槌を地面へ置いた。
「戦士としては最低だ」
「昨日まで戦士ではなかった男に対して、ずいぶんな評価だな」
「なら、今のお前は何だ?」
ルシアンは胸を張った。
「ただひたすら美しいだけの新人だ」
「前向きなとこだけは褒めてやる」
◇
バルドはルシアンの登録を認めた。
ただし、当面の活動範囲は鐘鳴り坑道の浅層に限られた。
刃物の使用も禁止。
人の近くで全力を出さないこと。
そして、ポックから離れないこと。
「なぜ僕が、ポックンの言うことを聞く前提なのだ?」
「見たところ、その少年の方が判断力がある」
「短時間の試験で人間の本質を決めつけるべきではない」
「あの内容じゃ言われるだろ」
ポックは訓練場の砂へ棒で線を引いた。
「センセイ。坑道では、おれより前に立つんだ」
「契約どおりだね」
「でも、魔物を勝手に追いかけるな。おれから離れるな。勝手に攻撃しないこと」
「僕を置物にするつもりか?」
「動くとあちこち壊すだろ」
「反論しにくい事実を持ち出すのは卑怯だぞ」
「敵が近づいたら、まず身体で止める。殴られても避けなくていい」
「僕の才能を防御だけに使うのか」
「今、一番有効なのがそれだからな」
ポックは黒い胴体を指で叩いた。
「センセイには、殴られる才能がある」
「生まれて初めて、褒められて嬉しくない言葉を聞いたよ」
受付で、ルシアンは木札を受け取った。
名前と登録日が刻まれた、新人冒険者の証だった。
「これで明日から鐘鳴り坑道へ入れる」
ポックは自分の見習い札と並べ、満足そうに頷いた。
「明日?」
「今日は必要な道具を揃えるんだ。地図も買う」
「僕の美貌を救う旅が、地図一枚のために延期されるのか」
「迷ったら帰れないだろ」
「僕が進む方角こそが正しい道だ」
「さっき思う存分壁に進んでただろ」
「壁が私を呼んだのだ」
組合の外へ出たときには、日が沈みかけていた。
ポックがふと足を止める。
「そういえば、センセイ。今夜泊まるところは?」
「ない」
「金は?」
「君が持っている」
「銅貨六枚から登録料を引いた残りだけだぞ」
「宿代としては不足か?」
「普通の部屋なら足りるかもしれない」
ポックは、丸く大きな黒い胴体を見上げた。
「でもセンセイ、宿の扉を通れるか?」
ルシアンも、通り沿いに並ぶ宿屋の入口を眺めた。
どれも神殿の扉より狭く見える。
「……建築というものは、もう少し多様な美へ配慮すべきだな」
「それから飯だ」
「腹は減っていない」
「昨日から食ってないんだろ。食べられるかどうかくらい確かめないとな」
「兜を脱がない食べ方ということか?」
「兜が開かないなら、どこから食うんだよ」
二人はそろって、甲冑の口吻を見上げた。
「ポックン」
「なんだよ」
「それは君が調べたまえ」
「自分の口だろ!」
新人冒険者の最初の難題は、魔物ではなかった。
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※作中の度量衡や数値表現は、読みやすさを優先して現代日本語に置き換えています。甲冑が示す「パーセント」も古代語の語彙ではなく、神経接続を通じて伝わった「百を基準とする割合」を便宜的に表記したものです。