僕の美しさが見せられない!   作:柿木杮

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第6話 僕の口はどこだ

「自分の口だろ!」

 

 ポックの至極もっともな言葉に、ルシアンは答えなかった。

 

 正確には、自分の口がどこにあるかは分かっている。

 

 兜の内側。黒い外殻に覆われた、いつもどおり完璧な顔の下半分にある。

 

 問題は、外から食べ物を入れる入口が見当たらないことだった。

 

「まずは寝床を探すぞ」

 

「食事の問題を先送りにするのか?」

 

「道端で鎧を調べてたら、また人が集まるだろ」

 

 すでに通行人が何人も、巨大な黒い甲虫と、その口元を見上げる少年を遠巻きに眺めていた。

 

「僕を鑑賞したい気持ちは理解できるが、今の姿を作品として評価されるのは不本意だな」

 

「誰も鑑賞してない。警戒してるんだ」

 

     ◇

 

 一軒目の宿では、ルシアンの肩が入口につかえた。

 

「無理だな」

 

 宿の主人が即答した。

 

「身体を斜めにすれば通れる」

 

「扉が壊れる」

 

「壊さないよう努力しよう」

 

「努力が必要な客は泊められん」

 

 二軒目では扉を通れたものの、床板が一歩ごとに大きく軋んだ。

 

「部屋へ上がらないでくれ!」

 

 主人が悲鳴を上げた。

 

「まだ何も壊していない」

 

「壊してからでは遅い!」

 

 三軒目では、主人が腕を組んで黒い巨体を見上げた。

 

「馬小屋なら空いてるぞ」

 

「僕を馬と同列に扱うつもりか」

 

「馬は宿代を払う客の財産だ。丁寧に扱ってる」

 

「僕も宿代を払う」

 

「金はおれが持ってる」

 

「ポックン!」

 

 結局、宿の裏にある荷車置き場を借りることになった。

 

 屋根はあるが壁は半分しかなく、壊れた樽や車輪の外れた荷車が積まれている。床は板張りですらなく、硬い土の上に小石が散らばっていた。

 

 宿代は銅貨一枚。

 

「絶世の美男子が、初めて訪れた町で得た寝床が物置とはね」

 

「寝られるだけありがたいだろ」

 

「寝られるかどうかも、まだ分からない」

 

「横になってみれば?」

 

 ルシアンは地面を見下ろした。

 

 尖った小石。

 

 乾いた泥。

 

 荷車から落ちたらしい木屑。

 

「僕の身体を、この上へ置けと?」

 

「今はその鎧しか地面に触れないだろ」

 

「中にいる僕の心は地面へ触れる」

 

「面倒くさいな」

 

 ポックは背負い袋を置き、食事を買いに出ていった。

 

     ◇

 

 戻ってきたポックは、湯気の立つ木椀と、二本の匙を持っていた。

 

「麦粥だ。肉も少し入ってる」

 

「香りは悪くない」

 

「腹は?」

 

「減っていない」

 

「昨日から食べてないのに?」

 

「この甲冑が、空腹を感じないよう調整しているのだろう」

 

「食わなくても平気だとは言ってないだろ」

 

 ポックは木椀を樽の上へ置き、兜から突き出した口吻を調べ始めた。

 

 横から覗く。

 

 下から覗く。

 

 指で押す。

 

 軽く引っ張る。

 

「ポックン。僕の顔を玩具のように扱うのはやめたまえ」

 

「これは顔じゃなくて鎧だろ」

 

「僕の身体の一部だと神官が言っていた」

 

「じゃあ、センセイの口を引っ張ってることになるな」

 

「なおさらやめたまえ!」

 

 ポックは手を離した。

 

「センセイ。口を開けろって命令してみろ」

 

「先ほどから命じている」

 

「もう一回」

 

 ルシアンは姿勢を正した。

 

「経口摂取のため、頭部外殻を開放したまえ」

 

 反応はない。

 

「顔を出したまえ」

 

 反応はない。

 

「せめて口だけでも開けろ!」

 

 やはり何も起こらなかった。

 

「聞いてないな」

 

「この装置には礼儀が欠けている」

 

 ポックは匙で麦粥を掬った。

 

 冷ますように息を吹きかけ、口吻の先へ近づける。

 

 小さな駆動音がした。

 

「うわっ」

 

 口吻の下面が左右へ割れた。

 

 ただし開いたのは、指二本ほどの細い穴だけである。奥には黒い筒のようなものが続き、ルシアンの顔はまったく見えない。

 

 同時に、頭の内側へ意味が流れ込む。

 

《経口補給経路を開放》

 

「開いたぞ、センセイ」

 

「僕が見せたいのは口の中ではない!」

 

「顔は見えないな」

 

「分かっている。わざわざ確認するな」

 

 ルシアンは自分で匙を持とうとした。

 

 太い指先で柄を挟む。

 

 少し力を入れた。

 

 金属製の柄が曲がった。

 

「……」

 

「一本、銅貨二枚だからな」

 

「思ったより繊細な道具だった」

 

「センセイが雑なんだよ」

 

 残った匙を使い、もう一度試す。

 

 今度は壊さずに持てた。

 

 しかし胸部装甲が張り出しているため、補給口の位置が見えない。匙は口吻の横へ当たり、麦粥が黒い外殻をゆっくり流れ落ちた。

 

 ポックが無言で見ている。

 

「今のは練習だ」

 

「食べ物を無駄にするな」

 

「では、補給口をもっと見やすい場所へ移動させたまえ」

 

《経口補給経路を開放中》

 

「そうではない!」

 

 甲冑は定型通知を返すだけだった。

 

 ポックがため息をつき、ルシアンの手から匙を取り上げた。

 

「おれがやる」

 

「十三歳の少年に食事を運ばせるなど、僕の威厳に関わる」

 

「食わないなら片づけるぞ」

 

「待ちたまえ」

 

 ルシアンは荷車置き場の中央へ座った。

 

 ポックが匙を補給口へ差し入れる。

 

「口を開けてくれ」

 

「すでに開いている」

 

「鎧じゃなくて、センセイの口だよ」

 

「その言い方は、僕が巨大な虫に食べられているように聞こえるな」

 

「早くしろ。冷めるだろ」

 

 ルシアンは渋々、口を開いた。

 

 筒の奥から匙が滑り込み、正確に口元へ運ばれる。

 

 甲冑の内部で何かが匙を導いているらしい。

 

 麦粥を飲み込む。

 

「どうだ?」

 

「……塩が足りない」

 

「食わせてもらって最初に言うことがそれか!」

 

「感想を求めたのは君だろう」

 

「もう一口いくぞ」

 

「肉を多めにしたまえ」

 

「自分で食えない奴が注文をつけるな」

 

 文句を言いながらも、ポックは肉の入った部分を掬った。

 

 一椀を食べ終えるころ、ルシアンの頭へ新たな意味が届いた。

 

《栄養状態の改善を確認》

 

「何か言ったか?」

 

「栄養状態が改善したそうだ」

 

 ポックの手が止まった。

 

「やっぱり足りてなかったんじゃねえか」

 

「危険な水準だったとは言っていない」

 

「空腹を感じなくして、消耗を抑えてただけなんじゃないか?」

 

「その可能性はあるな」

 

「今後はちゃんと食え」

 

「では、毎回君が食べさせる必要がある」

 

「自分で食えるよう練習しろ!」

 

 補給口から匙が抜かれると、黒い外殻は隙間なく閉じた。

 

 ルシアンは口吻を指で押した。

 

 再び開く気配はない。

 

「食事中しか開かないのか」

 

「顔を出すのは無理そうだな」

 

「なんてことだ!」

 

     ◇

 

 夜が深くなると、ポックは丁寧に小石をすべて取り除いて、荷車の脇へ毛布を敷いた。

 

 ルシアンも、おおざっぱに小石を取り除いた後、少し離れた地面へ横になる。

 

 背中の装甲が、取り切れなかった小石へ触れた。

 

 ごつごつとした感触が来ると思ったが、内側で何かが緩やかに動いた。

 

 身体を支える部分が形を変え、背中から腰、首へかかる圧力を均等に分散していく。

 

《休止姿勢への移行を補助》

 

「どうした、センセイ」

 

「いや……」

 

 硬い土の上に寝ているはずだった。

 

 しかし身体には、柔らかな寝台へ横たわっているような感触しかない。

 

 冷えた夜気も、背中の小石も甲冑の内側までは届かなかった。

 

「悪くない」

 

「そこ、小石だらけだぞ」

 

「僕には羽毛の寝台のように感じる」

 

「じゃあ宿代がいらないな」

 

「君は僕の尊厳をすべて経費削減へ換算するつもりか?」

 

「嵐でも寝られそうだな」

 

「おそらくね。雨も風も、この外殻には通じないだろう」

 

 世界最高の寝台を得た。

 

 ただし、その外見は黒い甲虫である。

 

 物事とは、なかなか完璧にはいかないらしい。

 

 ポックは毛布に包まり、すぐに目を閉じた。

 

「もう眠るのか?」

 

「明日は早いからな」

 

「ずいぶん疲れたようだね」

 

「誰のせいだよ……」

 

 返事は、すぐに小さな寝息へ変わった。

 

 眠ってしまえば、商人ぶった口調も警戒心も消える。

 

 毛布へ丸まった姿は、まだ十三歳の少年だった。

 

 荷車置き場の半分だけ開いた壁から、冷たい風が吹き込んでくる。

 

 ルシアンは一度起き上がり、ポックと風の間へ横たわり直した。

 

 黒い巨体が、隙間を塞ぐ。

 

 契約相手が風邪をひけば、翌日の探索に支障が出る。

 

 それだけのことだった。

 

     ◇

 

 翌朝。

 

 ポックは地図、白墨、縄、灯り、水筒、素材袋を買い揃えた。

 

 ほとんどは中古品である。

 

「僕の武器は?」

 

「ない」

 

「用心棒を素手で働かせる気か」

 

「昨日のセンセイに武器を持たせたら、魔物より坑道の崩落の方が危ない」

 

「己の肉体のみで戦う姿も、野性的な美しさがあるか」

 

「勝手に戦わないでくれよな」

 

 ポックは指を折りながら、昨日決めたことを確認する。

 

「おれの前に立つ。離れない。魔物を追わない。勝手に殴らない」

 

「僕を信用していないように聞こえるな」

 

「昨日、壁に突っ込んだばかりだからな」

 

「壁との距離感については、すでに学習した」

 

「今日も学習することになる気がする」

 

     ◇

 

 鐘鳴り坑道は、ラドメルから北へ一刻ほど歩いた丘陵地にあった。

 

 岩肌に開いた大きな坑口を、古びた石造りの門が囲んでいる。周辺には使われなくなった滑車や錆びた軌道が残り、冒険者組合の詰所だけが新しく建て直されていた。

 

 坑道の奥から冷たい風が吹く。

 

 そのたびに、地下のどこかで金属音が響いた。

 

 かあん――。

 

「これが名前の由来か」

 

「奥にある古い金属柱へ、風が当たって鳴るらしい」

 

「誰が作った柱だ?」

 

「分かってない。ダンジョンなんて、分かってないものばかりだ」

 

 二人は詰所で登録札を見せた。

 

 係員はルシアンを見て顔をしかめたが、組合からの活動許可を確認すると、浅層から出ないよう念を押した。

 

「行くぞ、センセイ」

 

「ようやくだね」

 

 ルシアンが坑口を越える。

 

 その瞬間、甲冑の内側で微かな振動が走った。

 

 耳で聞く音ではない。

 

 神経の奥へ、装置の意味だけが流れ込んでくる。

 

《外部保全区画を検出》

 

 ルシアンは足を止めた。

 

「どうした?」

 

 次の通知が届く。

 

《未処理の保全指示を確認》

 

《作業指示の取得を開始》

 

 暗い坑道の奥から、もう一度鐘が鳴った。

 

 かあん――。

 

「何か分かったのか、センセイ」

 

「ああ」

 

 ルシアンは闇の先を見つめた。

 

 この甲冑を外す手掛かりがあるかもしれない場所。

 

 そして古代の装置が、彼を待っていた場所。

 

「どうやら僕は、この中で働かされるらしい」

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