僕の美しさが見せられない!   作:柿木杮

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第7話 僕は壁ではない

 鐘鳴り坑道の内部は、思ったよりも明るかった。

 

 壁際には一定の間隔で鉱石灯が置かれ、淡い橙色の光が坑道を照らしている。天井はルシアンが腕を伸ばしても届かないほど高く、通路の幅も黒い甲冑が余裕をもって歩ける程度には広い。

 

「ここなら、壁へぶつかる心配はなさそうだな」

 

「ぶつからないのが普通なんだよ」

 

「昨日までの僕は、甲冑との距離感に慣れていなかっただけだ」

 

「今日から急に慣れてるといいけどな」

 

 ポックは片手に灯りを持ち、もう一方の手で坑道の地図を広げていた。

 

 地図には入口から浅層までの分岐と、危険な場所、魔物が出やすい区画が簡単に書き込まれている。

 

 ルシアンの頭には、別の案内が流れ込んでいた。

 

《第一支線・共鳴導管の閉塞を除去せよ》

 

「私の鎧が第一支線とやらへ向かえと言っている」

 

「地図にはそんな名前、載ってないぞ」

 

「共鳴導管というものが詰まっているらしい」

 

「詰まりを取れって?」

 

「ああ」

 

 ポックがルシアンを見上げる。

 

「便所掃除みたいだな」

 

「古代人は、僕の扱い方を根本から間違えている」

 

「でも、任務が終わらないと脱げないんだろ」

 

「だから困っているのだよ」

 

 甲冑が伝える方向は、坑道の奥だった。

 

 ただし、真っ直ぐ進めばよいという程度の曖昧な感覚しかない。

 

 ルシアンは当然のように先頭へ立った。

 

「センセイ」

 

「何だね」

 

「おれの前に立つのは合ってる。でも、離れすぎるなよ」

 

 ルシアンは振り返った。

 

「三歩ほどしか離れていないだろう」

 

「センセイの三歩は、おれの六歩なんだよ」

 

「歩幅まで美しいということだな」

 

「でかいだけだ」

 

 ポックは地面へ視線を落としながら歩いていた。

 

 やがて足を止め、灯りを低く掲げる。

 

 湿った土の上に、小さな足跡がいくつも残っている。

 

「鉱牙鼠だ」

 

「鼠?」

 

「普通の鼠よりずっとでかい。前歯が硬くて、革鎧くらいなら噛み切る」

 

「僕の外殻には通用しないだろうね」

 

「たぶん三匹いる」

 

 ルシアンは足跡を見た。

 

 どれも同じように見える。

 

「なぜ数まで分かる?」

 

「大きさが違う。これと、これと、こっち」

 

「なるほど。優れた観察力だ」

 

「センセイの足跡なら、もっと簡単に見分けられるぞ」

 

「僕の歩みには、それほど特徴があるか」

 

「床がへこんでる」

 

 ルシアンが後ろを振り返ると、柔らかい土に大きな足跡が並んでいた。

 

「力強さの表現だね」

 

「痕跡を残しすぎなんだよ」

 

 坑道の奥から、石を引っ掻く音がした。

 

 ポックが地図を畳み、腰の短刀へ手をかける。

 

「来るぞ」

 

 暗がりから灰色の影が飛び出した。

 

 犬ほどの大きさがある。

 

 長い尾を引きずり、橙色の光を反射する前歯を剥き出しにしていた。

 

 その後ろから、さらに二匹。

 

「ほう」

 

 ルシアンは拳を握った。

 

「勝手に殴るなよ!」

 

「まだ何もしていない」

 

「殴る顔をしてる!」

 

「見えないだろう!」

 

 先頭の鉱牙鼠が地面を蹴った。

 

 ルシアンの腕へ飛びつき、黒い外殻へ前歯を立てる。

 

 甲高い音がなった。

 

 前歯が装甲の上を滑る。

 

「まったく効かないな」

 

「なら、そのまま止めろ!」

 

 ルシアンは鼠を振り払おうと腕を上げた。

 

 残りの二匹が左右へ分かれる。

 

 一匹はルシアンの脚へ。

 

 もう一匹は、その脇を抜けてポックへ向かおうとしていた。

 

「センセイ、戻れ!」

 

 ポックの声に、ルシアンは反射的に身体を横へ動かした。

 

 黒い巨体が坑道を塞ぐ。

 

 鉱牙鼠は行く手を失い、そのままルシアンの脚へ激突した。

 

 鈍い音。

 

 鼠が地面へ転がる。

 

「ふむ。僕を避けて君を狙うとは、見る目がない魔物だ」

 

「しゃべってないで押さえろ!」

 

 ルシアンは鉱牙鼠へ手を伸ばした。

 

 逃げようとする胴体を太い指で掴む。

 

 少し力を込めると、手の中から骨の軋む音がした。

 

「センセイ! 潰すな!」

 

「暴れるからだ」

 

「前歯が売れなくなる!」

 

「僕の安全より商品価値を優先したな?」

 

「センセイは安全だろ!」

 

 否定できなかった。

 

 ルシアンは慎重に力を緩め、鉱牙鼠を地面へ押さえつけた。

 

「これでいいか?」

 

「動かすなよ」

 

 ポックが短刀を抜く。

 

 手はわずかに震えていた。

 

 それでも鼠の首元へ刃を入れ、素早く引いた。

 

 鉱牙鼠の動きが止まる。

 

 ルシアンの腕へ噛みついていた一匹が飛び降り、ポックへ向きを変えた。

 

「右だ!」

 

 ルシアンは振り向かず、右腕だけを差し出した。

 

 鉱牙鼠が噛みつく。

 

 そのまま腕を持ち上げ、壁へ押しつけた。

 

「この程度なら――」

 

 力を込めた瞬間、坑道の壁が鈍い音を立ててへこんだ。

 

 鉱牙鼠は動かなくなった。

 

「……」

 

「センセイ」

 

「今のは壁が脆かった」

 

「魔物も潰れてるぞ」

 

「結果として討伐できた」

 

「前歯が欠けてないか確認するから動かすな」

 

 三匹目は、仲間が倒されたのを見て身を翻した。

 

 ルシアンは追おうと一歩踏み出す。

 

「追うな!」

 

「だが、逃げているぞ」

 

「深追いして、おれを一人にするな」

 

 ルシアンの足が止まった。

 

 坑道の奥へ消えていく灰色の尾を見送る。

 

「むー、惜しいな。倒せた相手だ」

 

「一匹追って、別の群れに囲まれたらどうする。センセイが戻るまで、おれは一人だぞ」

 

「……なるほど」

 

 敵をすべて倒すことが、用心棒の仕事ではない。

 

 ポックの前に立ち続ける。

 

 その方が重要らしい。

 

「理解したよ、ポックン」

 

「本当に?」

 

「僕が君より前にいれば、君より先に傷つくのは僕だ」

 

「そのための鎧だろ」

 

「僕ほど美しい男が盾になる。君は自分がどれほど贅沢な立場にいるか、理解すべきだね」

 

「やっぱり分かってない気がする」

 

     ◇

 

 ポックは二匹の鉱牙鼠から前歯を抜き取った。

 

 一本ずつ布で汚れを拭い、欠けていないか灯りへ透かす。

 

「壁に挟んだ方も、片方は無事だ」

 

「僕の繊細な力加減のおかげだね」

 

「壁がへこんでたけどな」

 

 回収した前歯を革袋へ入れる。

 

「これでいくらになる?」

 

「二匹分で、銅貨十枚くらい」

 

「初仕事としては?」

 

「上出来だよ、センセイ」

 

 ルシアンは胸を張った。

 

「そうだろうとも。僕には冒険者としての才能も――」

 

「宿代が一枚。登録料の立て替え分。地図と灯りと食料。それから曲げた匙が銅貨二枚」

 

 ポックは帳面を開き、何やら書き始めた。

 

「待ちたまえ」

 

「何だよ」

 

「僕の初収入が、すでに消えかけていないか?」

 

「まだ赤字だな」

 

「命を懸けたのだぞ!」

 

「懸かってないだろ」

 

「精神的には危険だった」

 

「それは買い取ってもらえない」

 

 商売とは厳しいものらしい。

 

 再び坑道を進む。

 

 しばらくすると、甲冑から伝わる誘導が強くなった。

 

《閉塞箇所まで、残り僅少》

 

「近いらしい」

 

「何が?」

 

「管の詰まりだ」

 

「どこにある?」

 

 ルシアンが示した先は、行き止まりだった。

 

 坑道の壁が平らに削られ、それ以上進める場所はない。

 

 ポックが地図を開く。

 

「ここは行き止まりで合ってる」

 

「だが、甲冑はこの先だと言っている」

 

「センセイ」

 

「何だね」

 

「殴るなよ」

 

「まだ何もしていないだろう」

 

「前科があるからな」

 

 壁を調べると、土埃に隠れた小さな印が見つかった。

 

 円の中に三本の線。

 

 甲冑の肩に刻まれているものと、同じ印だった。

 

「やっぱり同じだ」

 

 ポックが呟く。

 

 ルシアンは黒い手を壁へ触れた。

 

 その瞬間、甲冑の内部で振動が走る。

 

《保全従事者を確認》

 

 壁の奥から、低い駆動音が響いた。

 

「下がれ、ポックン」

 

「壊すのか?」

 

「今回は僕ではない」

 

 岩壁に一本の縦線が浮かび上がる。

 

 線はゆっくりと左右へ開き、石だと思われていた面が壁の中へ沈んでいった。

 

 その先に、白っぽい通路が現れる。

 

 鐘鳴り坑道の荒い岩肌とはまるで違う。

 

 壁も床も滑らかで、継ぎ目ひとつ見当たらない。天井には青白い光が細長く灯り、誰もいないはずの奥から低い機械音が聞こえていた。

 

 ポックは地図と通路を何度も見比べた。

 

「こんな道、載ってない」

 

「当然だろう」

 

「なんでだよ」

 

「道を拓くのは、常に美しさと決まっているからだ」

 

 ルシアンは胸を張った。

 

 ポックは反論しかけ、肩の印と開いた壁を見比べた。

 

「……今回は、半分くらい合ってるかもな」

 

《管理通路を開放》

 

《閉塞物の除去を実施せよ》

 

 ポックが灯りを掲げ、白い通路の中を照らす。

 

 床には、何かを引きずったような黒い痕が続いていた。

 

 幅はルシアンの胴体よりも太い。

 

 奥から、硬いものが擦れ合う音が聞こえる。

 

 ずるり。

 

 ずるり。

 

「ポックン」

 

「なんだよ、センセイ」

 

 ルシアンは暗い通路の先を見た。

 

「詰まっている物は、少々大きいかもしれない」

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